6-14.教会での一夜【挿絵】
聖堂には何組かの家族が身を寄せていた。少ない毛布を分け合って暖を取っている。スタインウッドの教会は小さく、長椅子が左右に七、八台ずつあるだけだった。アミュウたちは一番後ろの長椅子を陣取った。聖堂内には熱源がなかったので、全員が外套を身に着けたままだった。
村で唯一の商店から、夕食の差し入れがあった。ブラッド・ソーセージとピクルスのバケットサンドだった。
エミリは、ブラッド・ソーセージに昼間の蛇の姿を重ねたらしい。バケットサンドからブラッド・ソーセージを抜いてイアンに渡した。イアンは食事を平らげるや否や、長椅子に横たわって毛布にくるまり、すぐに寝息を立て始めた。エミリはそっとイアンの頭を撫でた。
「可愛いものね」
食事時だというのに、聖輝は珍しくワインを飲まずにいた。不思議に思ったアミュウがそのことを問うと、聖輝は困ったように言った。
「ここからカーター・タウンまでの道のりの中で、また昼間のようなことがないとも限らないので。ワインは温存しておきたいんですよ」
「多分、お店で手に入ると思いますよ」
「なら明日、補充しますかね」
夜闇に沈む聖堂内を照らすのは、一家族に一つずつ配られた蝋燭皿のみだった。ほの白く浮かぶエミリの顔は、日の光の下にいるときよりも皺が強調され、老けて見えた。彼女は長い睫毛をしばたたかせて欠伸を噛み殺すと、目尻の涙をぬぐいながら言った。
「秋に大イノシシが出たでしょう。そして鹿が出て、今度は蛇。いったい世の中どうなってしまったのかしらねぇ」
アミュウは蝋燭の灯を見つめて考え込んだ。実際にはエミリが話す以上に大型獣が出現している。スタインウッド郊外のオオカミ、そしてソンブルイユの大猫。アミュウの知るだけでも、秋以降、多くのけものが各地を脅かしている。西部ではたびたび大型獣が出るそうだが、東部でこうも頻発するとは聞いたことがない。
エミリの方を見ると、既にうとうとと眠りに入っている。アミュウは彼女に自身のショールをかけてやった。
「充分な数の毛布を用意できませんで」
ポットを手にしたグレゴリーがやってきた。聖輝の差し出す椀に茶を注ぎ、勧める。グレゴリーのジャケットから樟脳のにおいが漂い、茶の香りをかき消していた。アミュウは顔をしかめてグレゴリーに訊ねた。
「……また眠り薬が入ってるんじゃないですか」
「ご安心なさい、お嬢さん。同じ手を二度も使いませんよ。ほら」
グレゴリーはそう言って、持ち込んでいた自分の木の椀に茶を注ぐと、喉を鳴らして飲み込んで見せた。苦笑いを浮かべた聖輝が「では、いただきます」と茶をすすった。グレゴリーはアミュウの椀にも茶を注いだが、アミュウは口を付ける気にはなれなかった。
「大型獣の出現が相次いでいますが、スタインウッドはいかがですか」
聖輝が訊ねると、グレゴリーは首を振って静かに答えた。
「ここは家畜のほか何もない田舎です。村の中は安全ですよ」
「なるほど、あの悪趣味な血の柵を再建しているんですね」
聖輝はくつくつと笑ったが、グレゴリーはにこりともせず、言葉を続けた。
「ラ・ブリーズ・ドランジェの若造もとうとうここへ来なくなりました。せがれもここへ戻ってくるつもりはないでしょう。この村の未来を思うと、どうにも不安が拭えませんでね……なんと言われようとも、私は私なりのやり方で、この村を守る。それだけですとも」
聖輝は笑みを引っ込めて、目の前の老人の頭のてっぺんからつま先までをじろりと見た。何か思うところがあるらしい。そのまま虚空をしばらく見つめて口を開いた。
「ベルモン先生は教会を去りました」
「なんと」
グレゴリーは目を見開く。聖輝は話題をモーリスからジャレッドへと変えた。
「王都で息子さんに会いましたよ。ドゥ・カリエール法王猊下の信頼が厚いようでした。確かに、そう簡単に王都を離れるようには見えませんでしたね」
「そうでしょうな」
グレゴリーは眉間の皺に疲労を滲ませ、アミュウの方に向き直った。
「今さらお詫び申し上げるのもお恥ずかしいですが……あの時は、お嬢さんこそが運命の女なのだと早とちりをしましてね。ラ・ブリーズ・ドランジェのディムーザン猊下にご判断いただこうと思ったのです。手荒な真似をいたしました。
身勝手ではございますが、あの事件がディムーザン猊下のお耳に入ることで、せがれの立場が悪くなるのではないかと心配しました。何しろあの御仁は法王派の筆頭でおいでですから。ですが、せがれが直接に法王猊下の信用を得ているなら、少しは安心というものです」
グレゴリーは緩慢な動作でアミュウたちに頭を下げると、ポットを持って聖堂を去っていった。
「エヴァンズ先生も、人の親なんですね」
アミュウが小声で話すと同時に、聖輝は深くため息をついて長椅子の背もたれに寄りかかった。
「供物の結界か……」
「教会に通報しないんですか?」
「この状況では禁術を使うのもやむを得ないのでしょう。今夜、私たちは何も聞かなかった。それでおしまいです」
アミュウは手に持っていた椀の中身の茶を屋外へ捨てに行った。聖堂内に戻ってみると、長椅子に腰かけた聖輝が二重マントを胸元にひっかけて、眠る体勢に入っていた。
「アミュウさん、ここへおいでなさい」
「?」
アミュウは首を傾げて、聖輝の前へと歩み寄った。
「ここにかけて」
聖輝は自身の隣の席をぽんぽんとたたいた。アミュウは立ったまま訊ねた。
「なんですか」
「かけるものがないでしょう。一緒に休みましょう」
「はぁ⁉」
アミュウは思い切り眉をひそめて素っ頓狂な声をあげたが、当の聖輝はいたって真面目な顔だ。
確かに、配布された毛布は一枚きりで、今はイアンが使っている。アミュウのショールはエミリにかけてしまった。アミュウはオーバーを着たのみで、上掛けとなるものが何もない。
アミュウはたっぷり考え込んだ後で言った。
「もっとそっちに寄ってください」
聖輝が長椅子の右端に移動すると、アミュウは聖輝の左隣に腰かけた。咬傷のある方を避けたのだ。聖輝は自身のマントをアミュウに分けた。
アミュウは右半身に聖輝のぬくもりを感じていた。そっと見上げると、聖輝の顔がすぐ目の前にある。彼は既に目を閉じていた。流石に疲れているのだろう。治療が遅れるのは心配だが、傷つき疲れ切った彼を一晩中歩かせるのは無理というものだった。まずは休息が必要だ。
アミュウも目を閉じた。聖輝がわずかにアミュウへ体重を預けてきた。アミュウも聖輝の肩へもたれかかった。
聖堂には避難者たちの囁き声が満ちている。そのさざめきは、まるで星の瞬きのようだ。アミュウは目蓋の裏に星々の輝きを感じながら、眠りに落ちていった。




