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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第六章 きくは我

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6-13.スタインウッド再訪

 まだ明るいうちにスタインウッドに到着した。いくつかの牧舎を過ぎるとき、居並ぶ牛たちの脇に身をかがめて搾乳する男女の姿が垣間見えた。既に午睡の時間は終わっているらしい。

 何しろスタインウッドは牧場が多く、建屋一軒一軒の間隔が極めて長い。中央広場に着くころには、流石にエミリもイアンも疲れ果てた様子だった。


 アミュウは終始聖輝の様子を窺っていた。ヤマカガシの出血毒はすぐには影響が現れない。しかしゆっくりと、確実に体を蝕む。アミュウとしては、エミリとイアンをこの村に残してでも、カーター・タウンへの道のりを急ぎたいところだった。スタインウッドからカーター・タウンまでは、歩いて約一日の距離だ。少し休憩してから夜通し歩けば、明け方にはカーター・タウンに着くだろう。もちろん、夜中に街道を下るには危険も伴う。また大型獣に遭遇する可能性も否定できない。アミュウは、聖輝の治療が遅れるリスクと夜道を歩くリスクのどちらが重いか、計りかねていた。


 聖輝は真っすぐアップルホテルへと向かった。彼が古びた木の扉を開けると、軒先に並ぶ鉢植えのプリムラが震えた。聖輝に続いてアミュウも屋内へ入ると、奇妙な雰囲気を感じた。ロビーには誰もいないのに、人の気配が充満しているのだ。

 聖輝はカウンターの呼び鈴を鳴らした。


 リイィィーーーーン…………


 やや間を置き、二度、三度とベルを鳴らすと、奥から老婦人が出てきた。


「二人部屋をふたつ、用意してもらえますか」


 聖輝が訊ねると、老婦人は首を横に振った。


「あいにく本日は満室です」


 アミュウは室内をぐるりと見回し、耳を澄ました。前回来たときとは異なり、確かに足音や物音、話し声が聞こえてくる。


「カーター・タウンで何やら騒動があったそうでしてねぇ。避難してきた方々が大勢いらっしゃるのですよ」


 老婦人は言葉を続けた。エミリは眉を寄せ、イアンは不安そうに口をへの字に曲げた。聖輝はアミュウに耳打ちした。


「どう思いますか?」

「確かに今日は人の気配があります。満室っていうのは、多分本当なんじゃないかしら」


 聖輝は「さて、どうしたものかな」と呟いて頭を掻いた。老婦人は頭を下げた。


「お客様には申し訳ありませんねぇ」


 一行はアップルホテルを出たところで輪になった。


「まさか満室なんてねぇ。この寒空の下じゃ、流石に野宿はごめんだわね」


 エミリが嘆くと、おずおずとイアンが申し出る。


「おれ、一晩くらいなら外で過ごせます。三人ならホテルに泊まれないか、もう一度きいてみたらどうかな」

「だめよ、風邪をひいちゃう。それに満室だって言ってたでしょう。それなら、教会に泊めてもらうようエヴァンズ先生にお願いする方が、まだ見込みがあるわ」


 アミュウの提案に、聖輝は両手を小さく挙げた。


「あまり気が進みませんねぇ」

「好き嫌いを言ってる場合じゃないでしょう」


 アミュウは聖輝の腕――毒蛇に噛まれていない方の左腕を引いて、教会の方へとずんずん歩いて行く。と、教会の階段を目前にしたところで、階上の扉が開いた。折しもグレゴリー・エヴァンズ司祭が出てきたところに行き当たったのだった。


「これはこれは――」


 グレゴリーは眼鏡の奥の目を丸くして、ばつの悪そうな顔をした。聖輝はアミュウの手を振りほどくと、ずいと前に出て一歩一歩階段を上っていく。つい今しがた「気が進まない」などとぼやいていた様子はおくびにも出さない。


「ご無沙汰してます、エヴァンズ先生。ご健勝のようで何より」


 グレゴリーはすぐに笑顔を作って聖輝に応じた。


「ミカグラさんがスタインウッドへ見えるとは珍しい。何かご用ですかな」

「王都からカーター・タウンへ向かう途中なのですが、今晩の宿が見つからず途方に暮れているところです。差し支えなければ聖堂に泊めていただけないでしょうか」

「それは構いませんが……カーター・タウンへ? 危険ではありませんか。スタインウッドはカーター・タウンから逃げてきた人で溢れかえっていますよ。教会でも、ホテルに入れなかった方々を受け入れているところです」


 グレゴリーは聖堂の方をちらりと振り返りながら言った。聖堂の扉が細く開いていて、子どもが中からこちらの様子をうかがっているのが見えた。

 聖輝が旅の目的をかいつまんで話すと、グレゴリーは「ふむ」と額を撫で上げた。


「駅馬車も荷馬車も支援物資のピストン輸送に使われております。足はどうするおつもりで?」

「歩いていきますよ。ラ・ブリーズ・ドランジェから歩いてやってきたところです」


 グレゴリーの目が再び丸くなり、階段の下のエミリをしげしげと眺め、「お若いですな」と小声で言った。エミリが怪訝な顔をすると、グレゴリーは教会の扉を開いた。子どもがキャッと叫んで聖堂の中へと逃げていく。


「あまりくつろげないかもしれませんが、どうぞ休んでいってください」


 エミリとイアンがほっとした様子で中へ入っていった。聖輝は声を落としてグレゴリーに訊ねた。


「フェルナン元助祭は見つかりましたか」


 グレゴリーは小さく首を横に振った。


「そうですか……」


 肩を落とした聖輝に代わって、今度はアミュウがグレゴリーに質問した。


「エヴァンズ先生、もしもヘビの抗毒血清があれば、分けてもらえませんか」


 グレゴリーは頭をひねって言った。


「はて? こんな季節にヘビですかな?」


 アミュウと聖輝は顔を見合わせた。グレゴリーの言葉ではじめて気が付いたが、今は真冬の一月、確かに並の蛇であれば冬眠する時期だ。


「うちのような田舎の村には、そのような大層な薬はありません。ラ・ブリーズ・ドランジェの施療院なら、まだあるかもわかりませんが」


 アミュウはグレゴリーに礼を言って聖堂に入った。聖輝も後に続く。


(このままカーター・タウンへ進んでいいのかしら。それともラ・ブリーズ・ドランジェへ引き返すべき?)


 アミュウは迷っていた。一刻も早く聖輝に血清を投与すべきなのは明白だ。スタインウッドからカーター・タウンへの距離も、ラ・ブリーズ・ドランジェへの距離も、歩いて一日がかりである。カーター・タウンよりラ・ブリーズ・ドランジェの方が医療資源は豊富だ。聖輝はカーター・タウンで血清を見たと言うが、もしもなければいたずらに時間を浪費することになる。


「カーター・タウンへ行きましょう」


 アミュウの迷いを見透かすように聖輝は言った。アミュウは返事ができなかった。


「血清はヘビの種類に対応したものでなければ意味がありません。ラ・ブリーズ・ドランジェよりも、森に近いカーター・タウンの方が、ヤマカガシの生態に合っています。大丈夫、カーター・タウンにはきっとヤマカガシの血清がありますよ」

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