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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第六章 きくは我

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6-12.大蛇

 大蛇は鎌首をもたげて枯草の上を滑るようにゆっくりと前進する。鱗をぬらぬらと光らせながら、右に左にうねる蛇の移動速度は、意外なほど遅い。蛇の周囲の時間の流れが止まっているかのようだった。蛇は視線をぴたりと聖輝に合わせたまま、木々の影から冬の日のもとへ、ゆっくりとその巨体をさらしていった。頭部は黄みを帯びて頸部は赤く、体全体を褐色の斑点が覆っていた。規則正しく並ぶウロコは柑橘類の粒だちのようだ。目は黒々と丸く、こんな状況でなければ、どことなく愛嬌のある顔と言えないこともなかっただろう。


「ヤマカガシ……」


 アミュウの背後でイアンが呟いた。アミュウは頭を抱えた。


「毒蛇じゃない」

「父さんが言ってた。頭の黄色い蛇は大人しいけど、毒が飛び散るから、絶対に手を出すなって」

「聖輝さん! そいつ、毒を持ってるわ! ここは退きましょう」


 アミュウは大声で叫んだが、聖輝はヤマカガシを見据えて立ち止まったままだった。右手にクッペを、左手にワイン瓶を提げて、ヤマカガシとの距離を測っている。大蛇と聖輝の体格差は、まるで大木と、その樹液を舐めるクワガタだ。ヤマカガシは枯草の上を滑りながらチロチロと舌を見せた。舌は濡れて黒く光っていた。

 両者の距離が充分に縮まったところで、ヤマカガシはもたげていた鎌首をさっと振り下ろし、口をぱっくり開けて聖輝に噛みついた。聖輝は飛びしさる。


「あれのどこが大人しいの」


 エミリが呟く。イアンは答えに窮した。

 つい先刻までのゆっくりとした動きとは打って変わって、ヤマカガシは瞬く間に聖輝を追撃する。二度、三度と距離を詰め、そしてついに大蛇の牙が聖輝の右の肩口を捕らえた。

 聖輝の顔が歪む。しかし聖輝は蛇を睨みつけたまま自由な左手を――クッペを、ヤマカガシの口に突っ込もうとする。その意図に気付いたアミュウが声を張り上げる。


「駄目! 頭部には毒腺がある、衝撃を与えないで!」


 聖輝ははっとした表情で左手を引っ込めた。その間にもヤマカガシは聖輝の肩に噛みついたまま、彼を地面に引きずり倒す。そしてもがく聖輝を長い体で絡めとり、たすき掛けに締め上げた。聖輝の口からうめき声が洩れる。エミリが悲鳴をあげて顔を覆った。

 アミュウはエミリとイアンを後に残し、枯れ草を散らして駆け出した。聖輝とヤマカガシののたうち回るところまで疾走し、走る勢いのままに蓮飾りの杖の石突を、蛇の腹めがけて突き出す。鱗は硬く、表面はつるりとしていて、石突は蛇の体表を滑った。アミュウが体勢を崩したところを、鞭のような蛇の尾が襲う。アミュウはなすすべもなく、雑木林へと吹っ飛ばされた。ひょろりとしたモチノキの幹にしたたかに背中を打ちつけ、アミュウは息を詰まらせる。

 しかし、この貧弱な突撃も、状況を打破するきっかけにはなったらしい。ヤマカガシの締めつけが弱まった一瞬のうちに、聖輝は蛇の体の隙間から左手をひねり出し、たった今アミュウが突きを喰らわせた腹部めがけてクッペを投げつけた。すかさず聖輝が人差し指と中指を交差すると、つんざくような爆音と閃光が上がる。アミュウは腕で顔をかばって爆風をやり過ごした。


 恐る恐る目を開けると、腹の部分で両断されたヤマカガシの尾側と頭側がのたうち回っているところだった。真っ二つに引き裂かれてなお動き回る長虫の姿は凄惨で、普段のアミュウなら目を背けていたところだろう。しかしアミュウは、未だヤマカガシの上半分の絡まって動けずにいる聖輝へ駆け寄り、肩口に噛みついたままの大蛇の頭部を外しにかかった。聖輝はアミュウを制止する。


「危険です、離れてください」


 アミュウは聖輝の言葉を無視した。毒腺を刺激しないよう細心の注意を払い、ヤマカガシの口をこじ開ける。聖輝は素早く右腕を引き抜き、毒蛇の縛めから抜け出した。

 二人は蛇の残骸から距離をとったが、真っ二つにちぎれた蛇は、上半分、下半分ともくねくねとのたうち回り続ける。


 アミュウは聖輝の服を脱がせ、傷口を観察した。蛇の牙は厚い布地を貫通し、聖輝の肩や腕に届いていた。歯形の中のひときわ大きく深い傷跡を、アミュウは思い切りつまみ、血とともに毒を絞り出した。イアンが、そして遅れてエミリが駆け寄る。イアンが瓢箪の水を傷口にかけて血を洗い流し、手巾で拭き取った。


「その……大丈夫、ですか?」


 イアンが恐る恐るといった調子で聖輝に訊ねた。聖輝は頷いた。


「あまり痛くはありません。大丈夫ですよ」

「ヤマカガシの毒はあとから効いてくるんです。体中から出血して、死に至ることもあるわ。あれだけ大きな個体に噛まれたんですもの、注入された毒の量もかなり多いはずよ。急いで抗毒血清を投与するべきだわ」


 アミュウはなおも傷口から血や毒をしぼりながら、暗い声で続けた。


「問題はどこに血清があるかということね」

「カーター・タウンの教会でそれらしいものを見たことがあります」


 聖輝の言葉に、アミュウは頷いた。


「急いで向かいましょう」

「ちょっと待ってください――その前に」


 聖輝は衣服を整えると、ようやく動きを止めたヤマカガシの首周りに残っていたワインを回しかけ、アミュウたちを後ろに下がらせてから自分も蛇との距離を取り、指を交差させて首を焼き切った。切り落とされた蛇の生首が転がる。後ろでエミリがごくりと音を立てて唾を呑み込む。続けて聖輝はむしろでヤマガカシの首を包み、紐で縛って背負い込んだ。その一部始終に懐疑の目を向けているエミリに気付くと、聖輝は困ったように笑った。


「抗毒血清を作るには、大量の蛇毒が必要なんです。これだけ大きな蛇なら、材料の足しになるかと思いましてね」

「まさかと思うけど……それ、カーター・タウンまで持っていくつもりなの?」


 エミリは遠巻きに、筵に包まれた生首を指差す。首そのものは隠れて見えないが、万が一街中で人目に触れたら大騒ぎになるだろう。アミュウはため息をつくと、蓮飾りの杖で虚空に魔法円を描いた。


「つながれ!」


 魔法円は燐光を放ち、空間を切り取り、円の向こうをカーター邸のアミュウの店舗へとつなげた。アミュウの空間制御術を初めて目の当たりにしたエミリとイアンは口をぽかんと開けている。聖輝は呆れ声を上げた。


「アミュウさん。軽々しくその力を使ってはいけないと、あれほど言ったのに……」

「軽々しく判断したわけじゃありません。早くカーター・タウンへ行かなくちゃいけないのに、そんな大荷物を持ち歩けるはずないじゃないですか。さっさとそれ(・・)をください」


 聖輝は渋々といった調子で蛇の首を背から下ろし、アミュウに渡した。


「けっこう重いですよ」


 聖輝の言葉通り、筵に包まれた生首はかなりの重量があった。魔法円の向こうへ放り込みながら、アミュウは呆れた。聖輝はこんな大荷物を背負ってカーター・タウンまで歩くつもりだったのか。

 魔法円が収束すると、イアンが目を丸くして訊ねてきた。


「カ、カーターさん。今のはなんだったんですか?」

「えっと……おまじないみたいなものよ」


 四人はややペースを上げて、移動を再開した。アミュウは聖輝にそっと耳打ちした。


「その傷、すぐに治療を始めるべきです。空間転移で、カーター・タウンへ送りましょうか」

「無茶です、まだだいぶ距離があります。それに、あの二人にこれ以上あなたの力を見せたくない」


 聖輝はにべもなく拒否した。こうなると、何を言っても無駄だった。不安を拭えなかったが、アミュウは黙って歩を進めた。

ruru様に「月下のアトリエ」のプロモーション動画を制作していただきました。

是非ご覧ください。

https://youtu.be/8sLPdGUeaJY

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Copyright(C)2018-志茂塚ゆり
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