6-10.再び、ラ・ブリーズ・ドランジェ
アミュウ、聖輝、エミリ、そしてイアンの四人は馬車鉄道で終点のソンブルイユ駅までやって来た。精霊鉄道の切符売り場で四人分のチケットを買い求めると、意外にも四人まとまった席を取ることができた。
「下りの鉄道はまだ空いているのね。来るときは全然ダメだったのよ」
「離れた席なら取れたじゃないですか」
やや不貞腐れた声でイアンが指摘すると、エミリは首を横に振った。
「あら、私の目の届かないところで何かあったらジョンストンさんに申し訳が立たないわ」
「ラ・ブリーズ・ドランジェからはどうやって王都まで来たんですか」
聖輝の質問にエミリは苦笑した。
「歩いても良かったんだけどね、夕方まで待ってやっと切符が取れたんですよ」
夕方の便では街門を抜けられない。昨晩はエミリたちもフォブールの宿に泊まったのだろう。ナタリアが宿から姿を消した朝のことを思い出して、アミュウは思わずぎゅっと目を瞑ったが、聖輝に肩を叩かれて我に返った。
「アミュウさん、あれを見てください」
聖輝の指差す駅の掲示板には、真新しいポスターが張り出されていた。アミュウは二、三度まばたきをしてからそのぎらつく原色の文字を読み上げた。
「来たれ若人、正義を胸に……ソンブルイユ軍警察?」
「年次募集の時期はとっくに過ぎたというのに、奇妙ですね」
そう話す聖輝の目は険しい。駅入り口へと向かうエミリとイアンを追いながら、アミュウは思うところを口にした。
「糺さんは、戦争が近いと言ってましたね」
聖輝は曖昧に頷くのみだった。
既に改札を抜けたイアンが手を振る。駅員が切符鋏をパチパチ鳴らしながらこちらを見ていた。アミュウが切符を手渡すと、駅員が小気味よく鋏を入れる。プラットフォームは列車を待つ人でごった返していた。
列車を待つ間、エミリはトランクを切石のホームに置いて、誰にともなく語った。
「まったく、嫌な時代になったわね」
イアンは口を引き結んでいた。アミュウにはなんとなく彼の気持ちが分かるような気がした。還暦を過ぎているエミリとは違い、若い彼は、彼女の言うところの「嫌な時代」の真っ只中を駆け抜けるよりほかないのだ。
精霊鉄道は、暗くなり始めた野をひた走った。長旅に疲れている筈のエミリとイアンのみならず、聖輝も舟を漕いでいた。アミュウは薄闇が広がる車窓をじっと眺めていた。外では飛ぶ勢いで木々が後ろへと過ぎ去っていく。車内は静かだった。
慣れないドレスを着て感謝状授与式に参加した後、息つく間もなく御神楽邸を出てきた。疲れていないわけではなかったが、アミュウの目は冴えていた。
ムーズ川沿いを高速で走る精霊鉄道の安全を守ったのは、アミュウよりもアルフォンスの功績の方が大きかったはずだ。しかし、アルフォンスは感謝状授与式に出席していなかった。アミュウに感謝状が出されたのに、アルフォンスには出されなかったとは考えにくい。
(すっぽかしたのかしら……先生なら、あり得るわ)
朝起きられなかったとか、適当な服がなかったとか、理由はいくらでも考えられる。その一つ一つに呆れたのち、アミュウはふと、感謝状を授与された者が皆有力な後ろ盾を得ていたことに気が付いた。アミュウには御神楽卿、ロサにはディムーザン卿、そしてリゼットにはグレミヨン卿とベランジェ大臣。対するアルフォンスには、何も後ろ盾がない。
(ううん、アル先生の背後には、グレミヨン卿がいる)
そしてグレミヨン卿は、アルフォンスを軟禁状態に置いている張本人でもある。目の前を覆っていた薄絹が剥がれ落ちたような気分だった。グレミヨン卿は、アルフォンスの存在を世間に知られるわけにはいかないのだろう。だからアルフォンスには感謝状が出されなかったのではないか。アミュウは、身体の内側が急速に冷めていくのを感じた。芯から冷えると、その後に広がるのは冷たい怒りだった。国王の御言葉も感謝状も勲章も、全てアミュウにはどうでもよいことだったが、精霊鉄道の線路に寝そべる大猫を相手に誰よりも勇敢に振舞った師の努力がなかったことにされたのだとしたら、耐えがたい屈辱だ。
アミュウはグレミヨン卿の顔を思い浮かべようとしたが、国王やベランジェ大臣、カリエール法王の印象が強すぎて、思い出せなかった。
ウジェーヌ・ドゥ・グレミヨン。国王派筆頭にして、カリエール法王を差しおいて国王の右腕と目される人物。王権強化を錦の旗に、ブリランテ独立運動の鎮圧を目指しているらしい。精霊鉄道の開発に力を入れ、やがてはカーター・タウン方面へ延伸予定だとも聞く。そしてカーター・タウンのケインズ・カーターは森を切り拓き、さらに街道をブリランテまでつなげるつもりである。急速な発展の見込まれるカーター・タウンの教会は、司教座聖堂となり教会の実効支配が強まるだろう。アミュウはさきほど見かけた軍警募集のポスターを思い出した。
(戦争が近い、か……)
車窓の外の薄暗い野原は寂しく、硝子に反映する自身の顔に、アミュウはアルフォンスの顔を重ねていた。そしてその顔はふっとメイ・キテラの皺くちゃの顔へと変貌した。アミュウは師を偲んで目を閉じた。死んだとは、まったく実感がわかなかった。
ラ・ブリーズ・ドランジェ駅に降りるころには、日はすっかり落ちていた。
木造の簡素な駅舎から吐き出される人の群れは、駅前広場に薄めた牛乳のように拡散していく。アミュウたちもその土埃の舞うエマルジョンの中へと身を投げ出した。ここからソンブルイユに向けて発ったのはほんの二週間前のことなのに、随分長い時が経ったかのようだ。
ひとまず街の中心、ジャスマン通りへと向けて歩を進めながら、聖輝はアミュウに訊ねた。
「オーベルジュ・レザロームは割高だから、他の宿を探しましょうか」
「なら、ジークが最初に薦めてた宿はどうです?」
「そうですね、行ってみましょう」
アミュウの提案に聖輝は同意し、ジャスマン通りの坂道を上ろうと向きを変える。するとエミリが聖輝の顔を覗きこんで訊ねた。
「おすすめの宿って?」
「ラ・レジデンス・ヴェティヴェールという小さな宿です。エミリさんはラ・ブリーズ・ドランジェ出身でしたね。ご存知ですか?」
「ああ、ヴェティヴェール通りの……あそこは、ちょっと」
相槌を打ったままエミリは言葉を濁らせた。聖輝は怪訝な顔で訊き返した。
「何か?」
「いえ、宿そのものが悪いってわけではないんですけどね。ほら、明日は街道を下らなくちゃいけないんだし、街門近くの宿に泊まったほうがいいんじゃないかしらと思って」
エミリの態度はどこか不自然だった。アミュウはピンときた。坂を上ってヴェティヴェール通りへ行くには、ドロテの暮らすアトリエ・モイーズの前を通らなければならない。気が向かないのも道理だ。
アミュウはエミリに加勢した。
「そうですね。朝早くに発たなくちゃならないでしょうから、坂を下りましょう。またオーベルジュ・レザロームに行ってみましょうか。ベルガモット通りです」
「え、ええ」
アミュウが聖輝の反対方向を指すと、エミリはほっとした様子でアミュウについてきた。イアンも二人を追う。しんがりとなった聖輝は首を捻った。
ジャスマン通りには、町の中心部である坂の上の方から、住宅地である坂の下の方に向かって、人の流れができていた。その流れに乗ってジャスマン通りをしばらく下りる。ベルガモット通りの路地で曲がったところに瀟洒な宿が佇んでいた。
重い扉を開くと、馴染みの花の香りが溢れてきた。アミュウの気持ちはほっとなごんだ。いつかドロテが香りの持つ力について力説していたが、アミュウにも彼女の気持ちが分かる気がした。色々な出来事があり過ぎてアミュウの神経はすっかり高ぶっていたが、馴染みの宿の香りは優しく懐かしく、アミュウを包み込む。
エミリとイアンをロビーのソファーで休ませて、アミュウと聖輝はカウンターのベルを鳴らしおかみを呼んだ。二部屋取り、アミュウとエミリは三階の部屋を、聖輝とイアンは二階の部屋を使うことになった。部屋に通されるなり、アミュウはエミリを残し、オーバーを着たままでまたすぐに部屋を出た。
宿を出てジャスマン通りに戻り、やや早足で坂を上る。坂の中ほどにアトリエ・モイーズがあったが、扉には「準備中」の札が下がり、締め切った窓からは灯りも漏れていなかった。留守のようだ。拍子抜けしたアミュウの胸に、苦々しさが広がった。エミリがこの町にやってきたということを、わざわざドロテに知らせようとしていたというのか? つい先刻、工房へ近付くことのないようエミリに助け船を出したばかりだというのに? アミュウは、なぜここまで来たのか自分でも分からなかった。
アミュウは工房の又隣のパン屋で、明日の昼食用のパンを買いこみ、宿へと戻った。
エミリは流石に疲れていたと見え、夕食が終わるなりすぐに寝てしまった。エミリの寝顔は年相応に老けて見えた。




