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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第一章 森の魔女と聖霊の申し子

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1-18.柘榴【挿絵】

 カーター邸にパンを届けると、夕食を食べていかないかとナタリアから誘われたが、アミュウは断って森の小屋へと戻ってきた。鍵を開けて粗末な木の扉を開くと、薬草と香と埃のにおいがアミュウを迎える。たった二晩空けただけなのに、随分久しぶりであるような気がした。

 アミュウは鞄を椅子の上に下ろすと、ベッドに倒れ込んだ。うつ伏せに寝転んだまま、椅子に手を伸ばし、帆布の鞄の中をまさぐる。その手に冷たく硬い感触があり、引っ張り出してみると、聖輝の寄越した林檎だった。ベッドのシーツでかるく磨き、歯を立ててみる。


「……酸っぱい」


 甘みよりも酸味が勝り、青臭さの中に芳香がわずかに感じられた。果肉はスカスカだ。率直に言って、おいしくなかった。アミュウは、聖輝がやったように芯まで食べた。指先でくるくると軸を持て余す。


(どうして、私に付きまとうんだろう……今日のあれは本当に迷惑だった。この先もあんな状態が続くとしたら、とても仕事にならないわ)


 しかしその一方で、アミュウとしては、聖輝がナタリアと二人きりになるのも避けたかった。結界に取りこまれて消えていったナタリアの姿を思い出すと、アミュウは冷たい石を飲み下した心地になる。もしも再び聖輝がナタリアを連れ去ろうとしているのなら、全力でそれを阻止するまでだ。

 アミュウはベッドに横たわったまま、食卓を見た。麻袋には野菜とベーコン、蜂蜜が入ったままだった。あの朝、ナタリアが家を出る機会になるのなら、この見合い話を見守ろうと考えたのだった。聖輝はナタリアと結婚するつもりだと言ったらしいが、今、アミュウはそれを阻もうとしている。おかしな話だと思った。

 考えているうちに、アミュウの目蓋はどんどん重みを増してきた。せめて着替えくらいはしなければと思ったが、少しも動きたくない。木靴を脱ぎ捨てたままの格好で、アミュウはすとんと眠りに落ちていった。


  *  *  *


「あなたが十四の頃はどんなふうだったのですか」


 太陽が退屈を炙って湯気の立ちそうな午後だった。私がそう訊ねると、扉の辺りに控えていた彼はこちらに顔を向けて微笑んだ。私も微笑み返した。


「姫殿下のお年の頃ですか。退屈しのぎになるような話ではございませんが」


 開け放した窓から、風が涼を運んでくる。森の上を、ツグミほどの大きさの黒い鳥が一羽、また一羽と行き過ぎていった。今日は殊のほか暑い。城の石壁は陽の熱を遮断してくれるが、それでもコルセットの中に汗疹ができそうだった。私は扇をゆるゆるとあおぎながら、ひじ掛け椅子の背もたれに身体を預け、彼の話を聞く体勢になった。侍女のジュスタが、私の斜め前あたりにスツールを持ってきた。彼はジュスタに軽く手を上げて見せ、そのスツールに座った。剣の鞘の位置を何度か直し、据わりの良いように片手を載せて、口を開いた。


「十二の歳に士官学校に入りましたが、訳あって寮に入ることはできず、生家から毎日歩いて通っていたんです。」

「通いは珍しかったのですか」

「はい、同期の中では私だけでした。それで、なんとなく人の輪に入りにくい気がしていたものです」


 彼はジレをつまんだり襟を引っ張ったりして、服の中に籠った熱気を逃がしながら話し続ける。


「別にこれといったことがあったわけではありません。ただ、訓練や講義の合間はみんなおしゃべりやなんかで結構くつろいでいるものなのですが、誰も私に話しかけてはきませんでした。たまにこちらから話しかけてみても、どうも他がやっているようには、うまくおしゃべりというものが成立しません。それで、私のほうでも、用もないのに話しかけることはだんだんしなくなっていったんです。あれは、どうにもいたたまれないものです。同じ年の少年が三十人も一緒にいるのに、私だけが、その数に入っていないようなんです」


 いつの間にか、扇をあおぐ手が止まっていた。こめかみを流れる汗を手の甲でぬぐう。ジュスタが慌ててハンカチを差し出してきた。私はそれを手に取って、額を押さえた。その間にも、彼の昔語りは続いていく。


「そんな、透明人間のような生活は、一年経って新入門の訓練生が入ってきても変わりませんでした。そのころにはだいぶ慣れて、それが当たり前になっていましたが、家に帰って、まず家人たちがお帰りと言ってくれると、ほっと気が緩んで、それが、私を透明人間からごく普通の少年に戻す呪文のようでした。一方で、もっと高貴な出身であればこんな思いをしなくとも済んだのにとも、家柄を恨んだものです。」


 彼は窓の外を眺めながら語り続ける。


「二年目の秋のことでした。生家の庭に柘榴(ざくろ)の木がありまして、毎年結構な数の実をつけるんです。学校では実技訓練と座学があるのですが、実技の後の講義は、それはそれは空腹で弱ります。それで、腹の足しにと、学校に柘榴を持っていきました。訓練の間に隠れて食べるんです。うまかったです」

「ざくろ、ですか?」


 私はその食べ物を知らなかった。彼はちょっと目を泳がせて考えてから、身振り手振りを交えて説明してくれた。


「林檎くらいの大きさの果物です。熟れると自然に割れるので、そこからこう、真っ二つにすると、中に赤い宝石のような実がびっしり詰まっているんです。見た目は綺麗ですが、何しろ種が邪魔でして。こんなに小さな実のほとんどが種です。私なんかは腹が膨れるので種ごと食べてしまうのですが。そう考えると、確かに、姫殿下が口になさるような果物ではありませんね」


 後ろでジュスタが口元に手を当てて笑みを隠した。私はそちらを見て言った。


「あなたは食べたことがあって?」

「はい。あれは種ばかりです。私にはあの種は飲み込めません。プップッと吐き出しながら頂きます。汁で指が真っ赤になりますし、お行儀よく食べられる類のしろものではありませんわ」

「でも、美味しいのでしょう」

「甘酸っぱいのですが、味が薄くて渋いです。同じように種があるにしても、葡萄のほうがよほど美味しいかと。あれは庶民の果物です」


 そう言ってジュスタははっと口をつぐんだ。騎士としての彼の出自を貶めることになる。ジュスタが謝罪の言葉を口にする前に、彼は続きを話し始めた。


「ところがある日、同級生に見つかってしまいました。学舎の植え込みに隠れて柘榴をつまんでいたんですが、そこを、品行方正で通っていた級長が通りがかったんです。通路からは完全に陰になる、普通なら、まず見つからない場所です。どうしてこんなところにとその級長に訊いてみたら、珍しい虫を見つけたから追ってきたなんて言っていました。そして、じっと私の手元を見ているんです。物欲しげに。私はまだ手を付けていない方の柘榴を半分わけてやりました。級長は、趣味で昆虫の標本を集めているとかと言っていました。今しがた追いかけていた虫がどんな格好なのか事細かに説明しながら、その柘榴をすっかり食べ尽くしました」


 彼は剣の柄に置いていた手を、顎にやった。私はその手の動きを目で追いながら、彼の語りが時間を吸い込んで、その錆混じりの鉱物のような声で石城の部屋を満たすのを、全身で感じていた。


「それが、私が家族以外と交わした久しぶりの会話らしい会話で、今でもよく覚えています。虫の話をする級長は、普段の彼よりも子供じみて見えました。けれど、私のほうでもそれをくだらないと見下げることなく、不思議と、ああ、私たちの年齢なんてそんなものかと思えたんです。

 それからというもの、魔法が解けたみたいに、私は、級友から受け入れられている……少なくとも、拒絶されているわけではないと感じることができるようになっていきました。それまでの私は、どうせ家柄のせいで軽んじられているのだと、一人で拗ねていました。孤立していたのは事実ですが、積極的に仲間外れにされていたわけでなかったんです。こちらの受け取り方の問題だったのだと、ようやく気付かされたというわけです。まぁ、あの級長が何かしら根回しをしてくれたのだとも思いますが」


 彼はそこで顎から手を離し、細めていた目を開いて私の方を見た。


「つまらない話で申し訳ないのですが、十四の頃、あの分け合って食べた柘榴が、どうも私の、子ども時代のつまらない意地、けれどもそれを侵すべからざる大事な領地として守っていた、その思春期の頑なだった自我の棘を溶かすことのできた転換点だった気がしているのです」


 私は、何か言葉を返そうとしたが、その言葉が見つからなかった。膝に置いた手から扇がすり抜けて、音も立てずに床の絨毯に落ちた。


 拾い上げてみると、それは扇ではなくなっていた。両手に収まるほどのそれは紙に包まれて、丸く、持ち重りがした。私は顔を上げて彼に問う。


「これは一体?」


 そこはもう、城の一室ではなかった。ブリランテ大公領からの帰り道、街道近くの水場で馬を休憩させている最中だった。透きとおる陽の光は、落葉の始まった広葉樹林を涼やかに包み込んでいる。王族専用の馬車の金飾りの上にもちらほらと落ち葉が舞い降りている。踏んだ枯れ葉から、快い音とともに芳香が立ち上ってきた。どこかからキィィィ、キキキ……と百舌鳥(もず)の鋭い声が響く。


「誰もいないところで是非」


 彼は小声で悪戯っぽく笑うと、騎士仲間のほうへ行ってしまった。

 再び馬車が動き出す。列をなして進む旅路の中で、私は何度も小窓から馬車の後ろをそっと見遣った。数人の騎士や官吏とともに馬を進める彼の姿があった。

 私は手の中ですっかりぬくもった、その紙の包みを開いた。赤く色づいた果実だった。紙の包みの内側には、ほんの一筆だけ添えられている。角ばった、妙な癖のある字だった。


――果汁でお召し物を汚されませぬよう――



挿絵(By みてみん)



  *  *  *


 アミュウは目を開いた。カーテンが東雲(しののめ)の薄明かりに浮かび上がっていた。頭も胸も手脚も痺れて動かせないまま、アミュウは涙が次々と湧きあがって金の巻き毛を濡らしていくのにまかせていた。

 あの騎士の顔を思い出せないでいた。その視線のあたたかさも、少し割れたような硬質の声の雰囲気も、妙に角ばった筆跡も、実感としてありありとこの身に残っているのに、細部を繋ぎ合わせて全体像を結ぼうとすると、たちまちに霧散する。


(そうか。大切なことを思い出せないって、こんなにつらいんだ)


 (はなだ)色に染め上げられていく空をカーテンの隙間から眺めながら、アミュウは昂った感情の波がひいていくのをひたすらに待った。シーツの片隅には、姫林檎の軸が転がっていた。

hake様から再びファンアートをいただきました。

いつも応援ありがとうございます。


活動報告記事はこちら → https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1423845/blogkey/2160408/

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Copyright(C)2018-志茂塚ゆり
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― 新着の感想 ―
[一言] 良いですね。 ザクロを分け合ったのが唯一の思い出である騎士の性格がよくわかる話でした。 丁寧に書いているのがとても良いです。
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