6-8.感謝状授与式
欄干の無い跳ね橋を渡り、城の規模の割に小さな門をくぐると、石牢のようなホールへ抜ける。二階に続く階段口から弱々しく差し込む光のみを光源として、ホール内は薄暗く、雨も降らないのに湿っていた。詰めていた二人の衛兵が礼を取り、その片割れが案内のため進み出るが、糺は手を振って断った。
「結構。城の勝手はよく知っている」
「しかし……」
「謁見の間の手前の部屋に行けばよいのだろう? 分からなかったらその辺の兵隊さんに訊くよ」
有無を言わさぬ口調で糺は案内を固辞し、先頭に立って階段を上がっていった。聖輝がアミュウに先に行くよう促す。八栄がアミュウのドレスの裾を持ち上げたまま、そっと耳打ちする。
「若様は、レディーファーストのおつもりなんですよ。さ、早く」
思わずアミュウは聖輝の方を振り返ったが、八栄がぐいぐいと迫ってきていたので、彼の表情が分からないまま糺の背中を追った。
二階のテラスに出てみると、前回訪れた際には見かけなかった大砲が設置されていた。黒い砲身が、曇り空の下で鈍く輝いている。行軍訓練だろうか、どこからか大勢の靴音が聞こえてきた。
(あんな大猫が出た直後だから、厳戒態勢なのかしら)
砲台に気を取られていると糺との距離があき、アミュウは慌てて彼の後を追った。長い廊下には、有事の際、兵士たちが身を守りながら矢を放つためのごく小さな窓が並んでいる。窓は外側に向かって広くなるよう斜角がついた構造になっていて、中の弓兵は広範囲を狙うことが可能となっている。弓を扱う姉ならばどのような反応を見せるだろうかと、アミュウはぼんやり考えた。
広場へ上がってみれば、はたして衛兵たちが行進の訓練を行っていた。東西二手に分かれた隊列が、一糸乱れぬ足並みで互いに近付き合い、広場の中央で交差する。小さな生き物が群れて大きな生き物に擬態するのと同じような、何か底知れぬ巨大な意志の見え隠れするような集団運動に、アミュウはうすら寒さを覚えた。
ふと見上げると、先日はもぬけの殻だった本館のテラスに、数人の人影が見える。アミュウの後ろを歩いていた聖輝がいつの間にか隣にやってきて、目を細めた。
「右から二番目にお立ちの方が陛下です。そのすぐ後ろに控えているのが、ドゥ・カリエール法王猊下で、端がドゥ・グレミヨン枢機卿猊下……ああ、法王猊下の後ろにいるのは、エヴァンズ司祭の息子ですね」
アミュウは驚いて、ひときわ立派な司教冠を戴く人物の後方に控える男を見た。スタインウッドのグレゴリー・エヴァンズの養子、ジャレッド・エヴァンズが、書類の束を腕に抱えて立っていた。
「なんでこんなところにジャレッドさんが?」
「カリエール猊下のお付きでしょう。彼は法王の腹心であると聞きます」
糺は訓練中の広場の端をぐるりと迂回して本館入口へと足を運んだ。衛兵たちは彼の顔を見るなり即座に扉を開き、入ってすぐ右側の部屋を案内した。
「こちらでお待ちください」
広場に面した窓を持つその控室は、さほど広くなかった。それはつまり、ロサやリゼットたちとは別室をあてがわれたということだろう。聖輝に勧められ、アミュウはややほっとした気分で椅子に座った。ようやく裾持ちから解放された八栄は、主人たちに寒くないか、飲み物はいらないか、甲斐甲斐しく訊いてまわった。アミュウはすっかり喉が渇いていたが、この衣装をひきずってトイレに行ける気がせず、寒いので何か身体を温めるものがほしいとだけ言った。やがて控室へとやってきた侍女に、八栄は飲み物と毛布の希望を伝えた。
石造りの部屋は底冷えがする。奥の間では火を焚いているのだろうが、広場に面したこの部屋までは熱が届かなかった。窓は広く、分厚いカーテンは開いていて、窓硝子を透かして行軍訓練の様子がよく見えた。奥の壁のタペストリーには、騎乗の騎士と白薔薇のモチーフが刺繍されている。白薔薇は革命の立役者でもあるソンブルイユ将軍の家紋であり、王都の象徴でもある。馬上の人物は恐らくソンブルイユ将軍であろう。
ソンブルイユ将軍は、ロウランドの王城に火を放ち国王の首を討ち取ると、まだその頃ウセと呼ばれていたソンブルイユの軍都に凱旋し、ロウランド王家の遠縁にあたる自身の甥を玉座へと送り出した。この甥の正統性は決して盤石ではなかったが、将軍という絶対的な後ろ盾を得た彼は、ウセ市民たちに拍手で迎えられた。そして将軍はウセを新たな王都として自身の家名を据え、同時に各地に民主化を促したのだった。王都の強力な働きかけにより、軍港と商港の両の顔を持つ港町ボーシャンは市民革命を成し遂げ、ラ・ブリーズ・ドランジェとして再出発を果たした。森を切り拓いて成長してきたカーター・タウンが町としての体をなしてきたのも、ちょうどこの頃だ。ブリランテ大公領は自治区として国に併合され、国は唯一無二のものとなった。そして、王は国名を捨てた。世界にたった一つの国となった以上、名を持つ意味を失ったのである。国名を名乗らないことこそが、王の権威の証であった。
アミュウが王都の歴史に思いを馳せている間に、侍女が毛布と温かい茶を持ってきた。アミュウは毛布のみを受け取ったが、その毛布が温まらないうちに今度は別の文官がやってきて、一行を謁見の間に通した。
重厚な銅細工の扉を開くと、意外なほど明るい光があふれ出てくる。まず目に飛び込んできたのは、磨き抜かれた床の白さときらきらとした輝きだった。どうして光っているのかと天井を見上げれば、天井画の中央から垂れるシャンデリアに、昼間だというのに無数の蝋燭の灯が輝いているのだった。漆喰で均された石造りの壁には大きな鏡が並び、シャンデリアの灯りを反射している。窓がないのは、防衛上の理由からだろうか。床にはワインの赤よりも鮮やかな紅のカーペットが一筋、長く伸びる。その先は数段の階段と、真っ白な玉座につながる。そしてその玉座に座す、この豪奢な広間に比べれば質素な――地味とも言える、濃紺のコートに白の大綬を佩用した人物を、アミュウはまじまじと見た。穴熊のように垂れた小さなブラウンの瞳に、同じく口角の垂れた口元。皺は深く、頭は禿げあがっているが、肌には艶があり血色も良い。恐らく、糺より若いのだろうと、アミュウは踏んだ。
玉座の真正面には白いドレスを着たリゼットが、その隣には黒いドレスを着たロサが背筋を伸ばして立っている。小柄なリゼットと背の高いロサは、身にまとうドレスの色も相まって対照が際立っていた。壁際には彼らの後見人らが並ぶ。マリー=ルイーズにカルミノ、そしてルシールの顔もあった。ほかには、祭服を身に着けた男の姿が二人あった。立ち位置からして、手前がリシャール=アンリ・ドゥ・ディムーザン司教枢機卿で、奥がウジェーヌ・ドゥ・グレミヨン大司教枢機卿だろう。ウジェーヌと思しき人物のさらに奥には、文官のような風体の男と、彼に寄り添う夫人が立っていた。夫人の顔立ちはリゼットに似て端正な趣がある。彼女の母親だろうか。
糺の後を追ってレッドカーペットを踏みながら、アミュウは理解した。
これは、高度に政治的なセレモニーなのだ。糺にしろディムーザン卿にしろ、そしてグレミヨン卿にしろ、それぞれの立場で王への貢献度を見せびらかし合い、牽制し合っている。アミュウはもちろんのこと、ロサもリゼットもそのための手駒に過ぎないのだ。八栄があんなにもアミュウの衣装にこだわったわけが、ようやくアミュウにも理解できた。彼らにとって、アミュウたちは文字通りの人形なのだ。彼らの威厳を示すのに相応しい飾り付けが必要だったということだ。
胸の内がすぅっと冷えていくのを感じながら、アミュウはリゼットの隣に立った。糺に聖輝、八栄は壁際へと下がっていく。
玉座の手前の階段下では、左右の近衛兵が警備を固めていた。その奥に法王カリエールが立ち、ジャレッド・エヴァンズが侍していて、彼らはひと言、ふた言打ち合わせた。そしてジャレッドが一礼して壇上へ上がり、国王の右側に立った。カリエールが朗々とした声をあげた。
「ただいまより感謝状授与式を執り行います。リゼット・ドゥ・ベランジェ殿、御前へ」
アミュウはごくりと生唾を呑んだが、当のリゼットは落ち着き払った声で「はい」と返事をすると、涼しい顔で階段を上がり、玉座の前で跪いた。国王は徐に立ち上がってジャレッドから書状を受け取ると、ややくぐもった声で読み上げた。
「感謝状。リゼット・ドゥ・ベランジェ殿。
貴殿は害獣を退け王都の民を危難から救った。その勇敢な行動に対しここに厚く感謝の意を表す。
国王 ユーグ・ドゥ・ソンブルイユ」
国王は感謝状を差し出した。リゼットは顔を上げ、跪いたまま書状を受け取ると、深く頭を垂れて、国王の方を向いたまま後ろ向きに階段を降りた。
(ここで転げ落ちたら、どうなるのかしら)
アミュウはドレスの裾を踏んでしまわないか、心配になった。この衣装では足元が見えないだろう。国王はロサにも感謝状を親授し、アミュウの番がやってきた。リゼットと同じように階段を上り、御前で跪く。
「感謝状。アミュウ・カーター殿。以下同文」
(え? それだけ?)
アミュウは驚いて顔を上げ、国王の顔を見た。たるんだ目蓋の下のブラウンの瞳からは、何の感情も読み取れない。アミュウは拍子抜けした思いで書状を受け取り、後ろ向きに階段を降りた。邪魔で仕方のなかったバッスルだが、その針金が後ろの裾を持ち上げているお陰で、意外にもすんなりと階段を降りることができた。
横並びとなった三人の前にカリエールがやってきて、真ん中に立つリゼットの左胸に何かを取り付けた。カリエールは、ロサとアミュウには何か小さなものを配って回った。手の中におさまったものを見ると、星の中心に薔薇を配した意匠の勲章だった。
「以上で、感謝状授与式を終了します」
元の位置に戻ったカリエールが宣言すると、リゼットはくるりと踵を返してレッドカーペットを引き返して行った。彼女にロサも続く。勝手の分からないアミュウも、ひとまずロサの背中を追って謁見の間を後にした。重厚な銅の扉を抜けてから、たまらずアミュウは思っていることを口にした。
「……たったこれだけ?」
緊張と興奮からか、やや紅潮したロサが、ぎろりとアミュウを睨みつけた。
「これだけとは言ってくれるわね。陛下から直々にお言葉を拝したのよ。滅多にない機会だわ」
見ればリゼットもこくこくと頷いている。
「ほら、リゼット。後がつかえているよ」
謁見の間から退出してきた文官風の男がリゼットをたしなめ、道を塞いでいたアミュウとロサは慌てて廊下の端に寄る。扉から付添い人たちが続々と姿を現した。満面の笑みをたたえていたのはリシャール=アンリ・ドゥ・ディムーザン。彼は糺と肩を並べ、その笑顔を糺に向けた。
「書状だけでなく叙勲までとは! いやはや、なんとも有難いことです」
リシャール=アンリの顔には、勲章がもらえたのは自分のお陰なのだと書いてあるかのようだった。適当な相槌を打つ糺の奥から、マリー=ルイーズが駆け寄ってきた。
「アミュウさん! 先日は本当にごめんなさい‼」
マリー=ルイーズはアミュウの前に来るなり深く頭を下げた。アミュウが目を白黒させているうちに、彼女は腰を折ったまま話し始めた。
「本来ならば、カルミノたちといっしょに謝りに行くべきでしたのに、父の許可が下りませんでしたの。私が不甲斐ないばかりに、カルミノの暴走を止められず、情けないですわ――あの、ジークさんのお怪我は?」
彼女の問いに答えたのは、いつの間にかアミュウの後ろに立っていた聖輝だった。
「深い傷ではないが軽くもありません。暫くは絶対安静ですね」
「そうですか……」
マリー=ルイーズは肩を落としてうな垂れた。ロサに腕を引っ張って連れてこられたカルミノも、渋々といった調子で頭を下げた。アミュウは手の中で勲章を転がしながら言った。
「マリーさんが謝ることではありません。いくらマリーさんが頭を下げたって、ナターシャが戻ってくるわけでも、ジークの傷が治るわけでもないんですから……それに、ザッカリーニが手を貸さなくても、ナターシャはいずれあの刀を見つけていたような気がします」
ちらりと聖輝を見ると、彼は小さく頷いた。マリー=ルイーズはほっとしたように顔を上げた。
「ナタリアさんはまだ……?」
聖輝が首を横に振るのと、衛兵が一行に廊下を去るよう声をかけたのはほぼ同時だった。
「謁見後は速やかにご退出願います!」
衛兵に追い立てられるようにして謁見の間から離れて広場へ出ると、厚い雲を通した鈍い光と冷気がアミュウを包んだ。既に行軍訓練は終わり、大勢いた兵士は今は広場の中央に整列し、上官の訓告を聞いている最中だった。ロサとカルミノはずんずんと広場を進み、アミュウたちの前方を歩いていた。
アミュウはぶるりと身体を震わせた。大猫が精霊鉄道の行く手を阻んだ時、宿敵ロサの手を取って立ち向かったのは、たった一枚の紙きれと金屑をもらうためではない。アミュウとロサ、そしてアルフォンスが空を駆けたのは、もっと純粋な使命感からだった筈なのだ。
そこでアミュウははたと気付いた。アルフォンスの姿が見えない。あの日、大猫の眼前から精霊鉄道を逃がすことができたのは、ひとえにアルフォンスの功労によるものだった。今日この場に彼がいないのは、ひょっとして寝坊でもしたからではないか。そのことを聖輝に問おうとしたとき、アミュウは後ろから名を呼ばれた。
「もし、マドモワゼル・カーター。ひょっとしてあなたはカーター・タウンの関係者ではないかな?」
振り返ると、リゼットに声をかけていた文官風の男が立っていた。アミュウは首を傾げた。
「ええ、カーター・タウン出身です。町長のセドリック・カーターは私の養父ですが――何か?」
「リゼット嬢のお父君、ドゥ・ベランジェ内務大臣ですよ」
助け船を出した聖輝の言葉に、アミュウは慌てて一礼する。ベランジェ大臣は鷹揚に手を振った。
「かしこまらなくてよいのだよ、急に話しかけてすまないね。ところで、あちらは大丈夫なのかな?」
「……はい?」
わけの分からないままアミュウが間抜けな声をあげると、ベランジェ大臣もモーニングコートの襟を引っ張って首をひねった。
「けものがカーター・タウンに入ってきたとの速報があったが……ともあれ、無事ならよかった」
「お父様、その案件は報道規制されてる」
リゼットがすかさず父親を制止したが、ベランジェ大臣は首を横に振った。
「いかにも。だが、町長のご令嬢が知らない話ではなかろう」
アミュウの手からするりと勲章のメダルが抜けて、音を立てて広場のモザイクタイルの合間に落ちた。八栄が慌てて拾い上げる。その様子を見て、ベランジェ大臣は目をしばたたかせた。
「……ご存知なかったかな。カーター・タウンは数日前に大型獣に襲われて、大きな被害があったと聞いているが」




