6-6.カルミノは語る
「大晦日の二日前――十二月二十九日。覚えているな。貴様らが精霊鉄道に乗ってラ・ブリーズ・ドランジェを発った日だ」
カルミノは薄い唇を開いた。肯定するか決めかねて、アミュウは聖輝の顔を見た。聖輝はわずかに嫌悪感を目の端に滲ませて言った。
「尾行されていたからといって、今さら驚きませんよ」
「いや、我々とて、四六時中貴様らを追いかけているわけではない。あの日は運行再開の情報を掴むのが遅れ、貴様らの動向を追いきれなかった」
カルミノはふう、と大きくため息をついた。
「気付いたときにはあの宿、オーベルジュ……レザロームだったか。部屋が空になっていてな、焦らされたよ。だが、ソンブルイユに向かったことはたやすく予想がついた」
「追いかけてきたの?」
アミュウの問いに、カルミノは目を細めた。
「夜通し歩くのは難儀だった」
「それでフォブールに来たということか」
念を押す聖輝に向かって、カルミノは言葉を続けた。
「運行再開となった便では街門を抜けられないと分かっていたから、フォブールの宿屋街に向かった。そろそろ夜が明けるかという頃だった。宿屋街の通りを眺めてたら、あの娘っ子がひとりでとぼとぼと歩いていたんだ……いや、ピノも一緒だったか」
アミュウの胸がぎゅっと縮んだ。恐らく宿を出た直後のナタリアだろう。見知らぬ大都会で、ピッチのみを供として、いったいどこへ行こうとしていたのか。彼女の孤独を思うと、アミュウは苦しくなった。
「娘っ子を追えば自ずと貴様らの居場所も知れるだろうと、暫く後をつけてみたが、あてがある様子でもない。大通りへ出たと思ったらまた裏通りに戻ってきたり、とにかくフラフラしているだけだった。それで声をかけてみた」
カルミノは座布団の上の胡坐の脚を組み替え、記憶をたどるように窓の外へ目をやった。アミュウは訊ねた。
「……なんて声をかけたの?」
「仲間のところへ行かないのかと」
「ナターシャは驚いたでしょうね」
カルミノは大きく首を横に振り、アミュウの言葉を否定した。
「いや。逆に一人かと訊ねられた。その上、俺に会えるような気がしていたなどとほざいていた」
目を丸くしたのはアミュウだけではなかった。ロサは隣のカルミノに畳みかけるように訊ねた。
「あのお嬢ちゃん、あたしたちをおびき出すつもりだったってこと?」
「さあな。だが、かなり肝が据わっているぞ。ついこのあいだ痛い目を見たばかりだろうに、この俺に取引を持ちかけてきた」
「取引?」
険しい目付きになった聖輝に、カルミノは視線を合わせて薄く笑った。
「探し物を手伝ってくれ、そうすれば御神楽の若君の秘密を教えよう、だとさ。はは、見事に売られたな」
アミュウは、カルミノの言っていることがすぐには分からなかった。目の前のカルミノと、隣の聖輝の顔を見比べながらも、脳裏には明朗活発な姉の笑顔が浮かんでいた。彼女の笑顔とカルミノの言葉が、シャツのボタンを掛け違えたように噛み合わない。
(売った? ナターシャが聖輝さんを?)
聖輝は顔色一つ変えなかった。
「彼女が私の秘密を知っている? そんな戯れ言を、お前は信じたのか」
「信じるに足るかどうかなど、判断できるわけがなかろうが。俺に分かるのは、お前さんにとってあの娘がアキレス腱だということだ。向こうからやって来たものを、むざむざ追い返す必要はあるまい」
「吞んだのか」
「もちろん」
重い沈黙が流れた。ロサがため息をつく音がやけに大きく響く。冬の日は、寒い季節なりの高さまで上り、さっきまでカルミノを照らしていた陽射しはもう彼に届いていなかった。
アミュウは未だ混乱していた。ナタリアが取り引きのコインとして聖輝を差し出したというのが信じられなかった。
(ナターシャが掴んでいた聖輝さんの秘密って、なんのことかしら)
心当たりがあり過ぎた。空間転移では長い距離を移動できないこと、ワインが彼の血肉となること、そして運命の女を追い求める理由。思い当るたびに、ますます聖輝が並の人間とは思えなくなってくる。しかし、いかに彼が人間離れしていたからといって、アミュウやナタリアを守るべく身体を張っていて、それが彼にとって少なからぬ負担となっていたのは、ナタリアもよく知っているはずなのだ。ナタリアが彼を裏切ったとは、どうしてもアミュウには思えなかった。思いたくなかった。
(聖霊の申し子と運命の女の因縁って、こういうことなの……?)
アミュウがぐるぐると考えを巡らす一方で、聖輝はやや疲労の滲む声で言った。
「彼女の探し物というのは、見当がついています」
「ああ。あの刀だ。だが俺には娘っ子の言う刀という武器にとんと見当がつかなかった。探すのに手間取ったさ」
カルミノが応じると、ロサがやれやれと頭を振った。
「それで値打ちの武器のありそうな場所を片っ端から当たったんでしょ――とんだ脳筋野郎ね」
「何か言ったか?」
「なァんにも」
カルミノはロサを睨みつけてから、客間全体を見回した。
「探し回るうちに、刀というのがジャポニシムの粋を尽くした逸品らしいと分かってな。ジャポネズリの本家、御神楽という線が浮上した。それで先般、夜分にお邪魔したというわけだ」
説明を終えたつもりなのか、カルミノは目を瞑って口を閉ざした。聖輝は顎に手をやり何やら考える素振りを見せてから、カルミノに問いかけた。
「彼女から何の情報を得た?」
「なにも。貴様らも知っての通り、あの娘っ子は姿を変えてどこぞへ去ってしまった。秘密とやらは聞けずじまいだ。雇用主からはこってりしぼられて、骨折り損のくたびれ儲けだったよ」
そう言ってカルミノは上着のポケットから何かを取り出した。
「あの娘っ子はこれで支払いを済ませたつもりのようだが、あいにく俺にはこういうものの価値が分からん。おい、そっちの剣士」
急に呼ばれて顔を上げたジークフリートに向かって、カルミノは何かを投げた。辛くも宙で掴み、手の中におさまったものを見て、ジークフリートは目を瞠った。
「これ……」
「貴様が持っているのが良さそうなのでな」
ジークフリートはそれを両手で持ち、目の高さにぶら下げる。ナタリア――アモローソ王女が身につけていた、アメジストの首飾りだった。真珠を連ねた中央に、三角形にカットされた紫水晶がちりちりと揺れる。揺れるたびに光を反射し、その光がジークフリートの、燃えるような赤みの差した瞳に映って煌めいた。
ジークフリートは困惑した表情でアミュウを見た。
「俺よりも、アミュウが持つべきなんじゃねえか」
アミュウは首を横に振った。
「ううん。ジークが持っていた方が、ナターシャも喜ぶと思う」
「そうか……」
ジークフリートは掌の宝石を大事そうに握りしめた。その様子を確認して、カルミノは腰を上げた。
「では、我々はここらで引き上げよう」
「そうね」
ロサも外套を小脇に抱えて立ち上がり、アミュウに向かって言った。
「それじゃまた週明け、国王の御前でね」
見送ろうとアミュウは腰を浮かせて、途中で固まった。
(見送る? この二人を?)
躊躇したアミュウを見てロサはいかにも可笑しいというように笑い、見送りを固辞した。聖輝は腕を組んで座したまま、微動だにしなかった。




