6-5.予期せぬ来客
アミュウは反射的に引き戸を閉めようとしたが、ロサが戸に両手をかけて押しとどめた。
「ちょっと、話くらい聞きなさいよ!」
ロサはその馬鹿力で引き戸を開け放ち、戸はぴしゃりと鋭い音を立てた。
「あなたたちと話すことなんかないわ、帰って!」
アミュウは両のこぶしを握ってまくしたてた。その手は冷たく、胸は熱く、体中の血が心臓に集まってきたかのように激しく鼓動していた。背中が妙に寒く、両手が震える。怒りと恐怖がないまぜになって、脳髄で渦を巻いていた。
「なんの騒ぎですか」
奥からやってきた聖輝が客人に目を止めると、険相になって睨みつけた。
「今度は窓を割らずに玄関から来たか――ようやく人並みの常識というものが分かったようですね」
「そうよ。あんたたちときたら、人様のうちを壊してばかり」
聖輝の言にアミュウも加勢した。ロサは首をすくめて背後のカルミノを見た。カルミノはずっと仏頂面を崩さず、こちらを見ようともしない。
「否定はできないけど――今日は詫びを入れに来たのよ」
そう言ってロサは、戸口に立つアミュウを肘で押しのけて聖輝の前に進み出ると、片手に持っていた包みを差し出した。聖輝は受け取ろうとせず訊き返した。
「――なんですかこれは」
「だから、詫びよ。デヴォリ通りのパティスリーでさっき買ってきた……」
「そうではなくて、どうして今さら」
「早まった真似をしてくれたって、主公様とお嬢様にこってりしぼられちゃったのよ。お嬢様があんなに怒るなんて、珍しかったわね」
ロサはカルミノに目配せしたが、未だ玄関に上がらず戸口の外に突っ立っているカルミノは、いよいよそっぽを向いて眉をひそめるばかりだった。ロサは苦笑して、ずいっと包みを差し出した。
「ほら、受け取りなさいな」
「そういうわけにはいきません」
聖輝とロサが押し問答していると、廊下の方から物音がした。振り返れば、寝間着のジークフリートが負傷した背を屈め、壁に手をつきながらこちらへやってきた。彼の足取りは覚束なかったが、近付くたび、火の粉が舞いちりちりと肌を焼くような怒気が感じられた。
ジークフリートの形相は憤怒に歪んでいた。彼は壁から手を離し、ふらつきながら歩み出す。聖輝とアミュウの脇を過ぎるとき、膏薬のにおいがツンとアミュウの鼻を刺した。彼は裸足のまま三和土に降り、ロサに一言「どけ」と告げた。やや気圧された様子のロサは菓子折りの包みを胸元に抱えて玄関の端に寄る。するとジークフリートはよたよたと駆け出し、表で仏頂面を崩さずにいるカルミノにいきなり殴りかかった。
背中に裂傷を抱えるジークフリートの拳は、アミュウの目から見ても緩慢だった。カルミノならば充分避けられただろう。それどころか、容易に返り討ちにできたはずだ。
しかし、カルミノは避けなかった。ジークフリードの拳を頬に受け、一歩よろめき、その場に踏みとどまった。カルミノは何も言わず、横目でジークフリートを見返した。日の光を受けた彼の頬はゆっくりと紅潮していったが、彼の黒い目は夜更けの空のように静かだった。
「激しい動きは厳禁です。傷口が開きますよ」
聖輝の忠告に、ジークフリートは振りぬいた拳を力無く下ろした。背を向けた彼の表情はアミュウの側からは見えなかったが、荒い息に合わせて肩が上下しているのはよく分かった。痛むのだろう。
ロサは呆れたように首を振って、聖輝に訊ねた。
「こっちに敵意がないのは、これでお分かりかしら。話すことはないなんて言ってたけど、ほんとは聞きたいことが色々あるんじゃなくて?」
アミュウと聖輝は顔を見合わせてから、軽くうなずき合った。聖輝は、未だ動かずにいるカルミノに問いかけた。
「ザッカリーニ。なぜナタリアさんと行動を共にしていた?」
カルミノは傾げた頭をまっすぐに向け直して口を開いたが、ロサが遮った。
「別にあたしたちは玄関先でもいいんだけど、多分、話が長くなるわよ」
聖輝はやれやれといった風に軽くため息をついた。
「分かりました、上がってもいいでしょう。ただし、茶など出しませんよ」
聖輝はカルミノとロサを、玄関にほど近い客間に通した。宣言通り、茶も何も出さず、ただ座る場所のみを提供しただけの格好だ。二人は黒い外套を脱いでも黒ずくめの服装だった。御神楽邸の客間に彼らが座っているのは異様な光景だった。
聖輝の隣に座したアミュウは落ち着かず、脇に置いた蓮飾りの杖を握った。向かい合うカルミノは腕も足も組んだままじっと動かず、話す素振りを見せない。窓から差し込む冬の薄い日に照らされて、黒髪に混じる白髪が光っていた。先に痺れを切らせたのはロサだった。
「ねえ、いつまでだんまりを続けるの。さっさと話しなさいよ」
「ああ……」
「あたしだって詳しくは知らないのよ。このひとったら、ずっと黙ってて……前々から口下手な一匹狼だと思ってたけど、今回は勝手が過ぎたようね」
「ほざけ」
カルミノは面白くなさそうにそっぽを向く。アミュウはロサを睨みつけた。
(「今回は」ねぇ……それじゃ、私の小屋を丸焼きにしたのはなんだったわけ?)
聖輝は、部屋の隅で壁にもたれかかって座っているジークフリートに目配せして言った。
「突然殴りかかるような真似は、もう御免ですよ」
ジークフリートはうつむいたまま、何の反応も示さなかった。フォブール街門で聖輝に殴りかかったときといい、先刻といい、最近の彼の行動にはどうにも衝動性が目立つ。彼らしくないと、アミュウは思った。
「ほら、何しに来たのよ」
「む……」
再三ロサに促されて、カルミノは渋々といった調子でわずかに頭を垂れた。
「……先般は申し訳なかった」
(この人、絶対に悪かったなんて思ってないわ)
アミュウはちらりと隣の聖輝の様子をうかがう。聖輝の眉はぴくりとも動かない。背筋を伸ばして正座した姿勢のまま、聖輝は言った。
「謝罪の言葉など到底受け入れがたいし、聞きたくもありません。それよりも、あの夜、ナタリアさんと一緒にいた経緯が知りたい。フォブールの宿でナタリアさんと一緒にいた男というのは、ザッカリーニ、お前のことか」
「ああ」
カルミノは頷いた。




