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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第六章 きくは我

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6-3.郷里を胸に

 深輝の部屋を辞したアミュウは、自らにあてがわれた部屋へ戻る途中、ジークフリートの部屋の前で足を止めた。襖を叩くべきか悩み、呆然と立ち尽くす。そこへ箒をかかえたヒコジが通りかかった。


「ジークさんならさっき寝付いたところですよ」


 急に話しかけられて驚いたアミュウは、慌ててヒコジに向き直った。


「あ、ああ。さっきは後片付けをしてくれてありがとう」

「アミュウさんは大事なお客様なんだから、当然です」


 アミュウはヒコジとともにジークフリートの部屋の前を離れた。自室の前まで来ると、アミュウは低い声でヒコジに詫びた。


「大騒ぎを起こしちゃってごめんなさい。すっかり迷惑をかけてしまっているわね……」


 ヒコジは目を丸くして、空いているほうの手をぶんぶんと振った。


「そんな、謝らないでください。迷惑だなんて思ってませんから。ぼくには詳しい事情は分かりませんが、その……大変そうですね」


 そうしてヒコジは頭を掻くと、うーんと唸りながら斜め上を見上げた。


「全然ちがう話になっちゃうんですが……ぼくはおっかさんと二人暮らしだったんですけど、昔、おっかさんがうちを出て行ってしまって。ひとりになったぼくを引き取ってくれたのが、叔母の八栄やさか姉さんだったんです。ぼくがいたから八栄姉さんは結婚できなかったし、色々と切り詰めなくちゃならなかった……いや、当主様は十分なお給金をくれてるけど、それでもやっぱり色々とお金がかかって」


 ヒコジはうんうん唸りながら、どう話したらよいか迷っている風だったが、アミュウが「そうだったの」と相槌を打つと、やがてもごもごと口を開いた。


「ぼく、ずっと八栄姉さんの迷惑になっていると思って、何度も謝ったんです。でも謝るたびに姉さんは『迷惑だなんて思ってない』って言って……だから、その。アミュウさんも、謝らないでください。ぼくたちにできることは少ないけど、せめてお世話くらいは。お姉さん、早く見つかるといいですね」


 アミュウは驚いた。たった十二の少年の見せた思いやりは、荒れてひりつくアミュウの内部を、軟膏のように優しく覆った。アミュウははっきりと礼を述べた。


「ありがとう」




 部屋に戻ると、アミュウは敷きっぱなしの布団に倒れ込んだ。掛け布を引きかぶり、腹を抱えるように横向きに転がって、自身の体温が布団に行き渡るのを待った。布団が温まるにつれて腹痛は和らいでいった。

 ヒコジから彼の家族についての話を聞いたので、アミュウの思索の手は自然とカーター・タウンの方へ伸びていった。


(そういえば、手紙を出してから一週間経つけど、返事が来ないなぁ)


 セドリックへの手紙を投函したのは正月休み中だったから、案外向こうではまだ手紙が届いたばかりかもしれない。アミュウは一時的な帰郷をすべきか迷った。ナタリアの変貌については、さすがに手紙で済ませられる話ではない。

 一度セドリックのことを思い返すと、アミュウの気は塞いだ。今回の件についてどう話せばよいのか、あるいはどこまで話せばよいのか、まったく分からなかった。セドリックは、ナタリア失踪のきっかけを作ったアミュウを責めるだろうか。あるいは、カーター姉妹をソンブルイユへと連れ出した聖輝をなじるだろうか。ナタリアを溺愛する彼のことだ。口に出してはっきりと糾弾することはなくても、ひどく落胆するだろう。

 まんじりともせずに考え込んでいると、聖輝の帰宅を告げる声が聞こえてきた。教会から薬を調達してきたのだ。アミュウは起き上がると軽く髪に櫛を入れ、聖輝を迎えに玄関へと向かった。


「ジークの具合はどうですか」


 二重マントを脱いでヒコジに渡しながら、聖輝はアミュウに訊ねた。


「今は眠っています。やっと寝入ったところですが、起こしますか?」

「いや、寝かせてやりましょう。ひととおりの処置は済んでいます」


 がたがたと震える聖輝は「寒い、寒い」とつぶやきながら、居間の炉端に座り込むと、おもむろに火箸で灰の下から炭を取り出し、火鉢に移して火を着けた。慣れた手付きで囲炉裏へ炭を戻し、組み上げていく。

 アミュウも炉端に腰を下ろし、炭の熱がゆっくりと広がっていく様子を眺めた。外では百舌鳥もずがギーギーと鳴いていて、晴れた冬空に浮かぶ雲を震わせていた。


「ナターシャは、今ごろどこで何をしているのかしら」


 アミュウが呟くと、聖輝の瞳に映る炭火の反射光が鈍った。聖輝は囲炉裏にかざした手を、三度みたび握って開いてから言った。


「あなたは彼女を、まだナタリアさんとして呼ぶのですね」


 その言葉はアミュウの胸を潰した。アミュウはきっと聖輝をにらみつけて反駁した。


「だってそうでしょう。ちょっと見た目が変わったくらいじゃ何も変わらない。()()はナターシャよ」

「ええ。でも、今までのナタリアさんとまったく同じでないのも確かです」


 聖輝は穏やかな口調で言った。アミュウは抱えた膝に顔をうずめた。


「元に戻せるのかしら」


 聖輝は答えなかった。沈黙が居間を支配すると、再び百舌鳥の鳴き声が響いた。耳に入ってこなかっただけで、もしかしたらずっと鳴き続けていたのかもしれないと、ぼんやりアミュウは考えた。ナタリアも、アモローソの記憶を一時的に失っていただけで、彼女の中でアモローソとしての在り方は膨らみ続けていたのかもしれない。縁切りのまじないに使われた小柄こづかを、揃いの刀におさめただけで姿かたちまで変わってしまうなど、普通は考えられない。刀の持ち主があきら枢機卿であったことに加え、ナタリアの側に過去への執着があったからこそ、彼女らの因縁が王女の顕現という形で表出したのではないか。


「私、いったんカーター・タウンに戻ろうと思います」


 アミュウの言葉に聖輝はほんの一瞬驚きを見せたが、すぐに冷静な表情に戻って言った。


「そうですね、あなたは帰った方がいい。行き場を失ったナタリアさんが、カーター・タウンに戻ってくることも十分に考えられます」

「それだけじゃないわ。父にちゃんと話さなきゃいけないって思うの」


 聖輝はゆっくりと頷いてから、囲炉裏にかざしていた手を握ってこぶしを作り、両の膝に置いた。


「私も行きましょう。私には、カーター氏に説明する責任があります」


 今度はアミュウが驚く側だった。聖輝の口から同行の申し出があるとは、ゆめ考えていなかった。彼ならばナタリアの行方を追う方を優先すると信じていたのだった。アミュウは小声で言った。


「聖輝さんは、ナターシャを探してください。ジークが動けない今、ナターシャを探せるのは聖輝さんだけです」


 聖輝は小さく唸っていった。


「手がかりが全くありません。どこをどう探したらよいのか、皆目見当がつかないというのが正直なところです。無論、今すぐにカーター・タウンへ行けるわけではありませんが、ジークの容態が落ち着いたら一緒に行きましょう」


 さっき潰れたと思ったアミュウの心は、兎か栗鼠りすか、小さな生きもののように震えた。聖輝の申し出を嬉しく、また心強く思う反面、聖輝に寄りかかってしまう自分の弱さが憎かった。いっそ聖輝には、ナタリアのことだけを追い続けていてもらいたかった。

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