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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第六章 きくは我

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6-2.夢と現実

 アミュウが招き入れると、聖輝は隈のできた目元をこすりながら居間に入って来て、囲炉裏の傍に腰をおろした。窮屈そうに胡坐を組み、手を熱源にかざしながらアミュウを見て言う。


「その分だと、薬もだいぶ抜けたようですね」


 アミュウは頷き、ジークフリートの容態について訊ねた。聖輝は、つい先刻までアミュウがそうしていたように、窓の外へ目を向けた。その目は庭よりももっと遠く、大猫の居座っていた丘の向こう、空と木々が溶け合うあわいを見つめているようだった。


「傷はやがて塞がります。縫合に使った糸は豚の腸だから、一週間ほどで溶けて消えます。が、しかし――」


 言い淀む聖輝を、アミュウは不安な胸を抑えて見守った。幾ばくか悩む様子を見せてから、聖輝は言葉を続けた。


「ジークをさいなんでいるのは、背中の傷よりも心の傷の方が余程大きいでしょう。そしてそれは、あなたも同じなのでは。大丈夫ですか?」


 思いがけない気遣いの言葉に、アミュウは「大丈夫」と答えようとして、答えられない自分に気付いた。自覚してしまうと、フォブールでナタリアが姿を消してからというもの、アミュウの胸を曇らせていた不安が明確な色合いで頭の中を塗りつぶしていくかのようだった。アミュウは首を横に振った。本当は、ラ・ブリーズ・ドランジェの宿でナタリアの荷物から小柄こづかを見つけてからずっと、アミュウは不安で不安で仕方なかったのだ。その不安を打ち消したくて、アミュウは聖輝に小柄やピッチの諜報について打ち明けたが、不安は消えなかった。たまらずアモローソの夢について話してみたところ、招いた結果があのざまだ。


「あんまり大丈夫じゃないかも……」


 口に出してしまえば、あとは大粒の涙が次から次へとこぼれ落ちた。すかさず深輝が懐のあわせからハンカチを取り出したが、受け取る前にアミュウは両手で顔を覆った。聖輝は黙って窓の外を見ていた。名も知れぬ山鳥が鳴いて、晴れた冬空にギチチと響き渡った。いざり寄った深輝がアミュウの膝にハンカチを置いた。姉弟は、とめどなく溢れるアミュウの涙がやがて滲む程度に落ち着くまで、静かに待っていた。


「ごめんなさい」


 深輝のハンカチで目元をぬぐうと、アミュウは取り乱したことを謝った。やや間を置いて、聖輝はぼそりと言った。


「謝るべきはこちらです」

「あなたにも休息が必要だわ」


 深輝がアミュウの背中を撫でるが、アミュウはかぶりを振った。


「休息が必要なのは、聖輝さんも深輝さんも同じです……そういえば、糺さんは? 姿を見ませんが」

「大事ありません。多少殴られた腹が痛むようでしたが、いつも通りに教会へ行きました。昨晩の件についてディムーザン卿に申し入れると息巻いていましたよ」

「大ごとになりましたね」

「それは相手の出方次第でしょう。さて、アミュウさんの体調も戻ったようですし、施療院へ薬を取りに行ってきます」


 そう言って腰を浮かせた聖輝を、アミュウは名を呼んで引き留めた。


「どうしてナターシャを追わなかったんですか?」


 聖輝は鳩が豆鉄砲を食ったような顔でアミュウを見て、次に表情を曇らせ、質問を返した。


「……私がすぐにナタリアさんを追っていたら、事態は変わっていたでしょうか」


 聖輝の目にいつもの鋭さはなく、燃えさしの炭のように黒い瞳が鈍く揺らいでいた。アミュウは何も言えなかった。聖輝は今度こそ立ち上がった。


「今日は大人しく休んでいるんですよ。深輝姉、アミュウさんが飛び出して行かないよう、しっかり見ていてください」


 居間を出て行った聖輝と入れ替わりにヒコジがやってきて、そのままになっていたアミュウの食事の後片付けをしようとした。


「いいわ、自分で片付ける」


 アミュウは世話を断り、盆を持って立ち上がろうとしたが、深輝がスカートの裾を引っ張って制した。


「こういう日くらい甘えたっていいじゃない。ねえ。それよりも、ちょっと話しましょうよ。私の部屋で」


 深輝に誘われるままに、アミュウは彼女の私室を訪れた。箪笥に書棚、布の架けられた鏡台には小瓶が並ぶ。物は多いが全てあるべき場所にきちんとおさまり、整理整頓の行き届いた部屋だった。深輝はアミュウに座椅子を勧めた。そして自身は座布団を壁際に寄せて座り、背を土壁に預けた。


「さすがのあの子も、あの状況でここを離れることはできなかったのね」


 息をついて深輝は言った。アミュウは意外だと言わんばかりに目を丸くした。


「聖輝さんがナターシャを追わなかったことですか?」

「そう」

「あんなにナターシャのことを追い求め続けた聖輝さんが、みすみすナターシャを逃がすなんて」

「アミュウさんもジークさんも父上も倒れて、刺客の男はピンピンしてた。もしも聖輝がみんなを見捨ててナタリアさんを追いかけたとしたら、私が引っぱたいてやっているわ」


 深輝はからからと笑ったが、アミュウにはよく分からなかった。アミュウは話題を変えてみた。


「あの時たしか、ナターシャとピッチの魂が似ているって言ってましたね」

「ピッチ?」

「ナターシャの連れていた鳥です」

「ああ……」


 深輝は笑いを引っ込め、首を傾げて思案する素振りを見せた。


「オーラって言って分かってもらえるかしら。魂の雰囲気、色合いのようなものがね、あんまりにも似通っていたのよ……怖いくらいに」

「どういうことなんですか?」

「さあ。でも、偶然じゃないみたい。お互いに引き合っていたわ。そういえば、あなたとナタリアさんもよく似ているわね。きょうだいだから魂まで似るというものでもないのよ」


 アミュウはかぶりを振った。


「私とナターシャは、血のつながった姉妹じゃありません」

「そう? ならなおのこと不思議ね。本当にそっくりよ」


 窓の外では、洗濯物が風に揺れていた。しっかり乾かせば良い香りがするだろう。アミュウはタオルの白さを見つめながらしばらく考え込んだ。


「前にも訊きましたが、どうして私が王女の夢を見ていたんでしょう」


 深輝も窓の外に目を遣った。深輝の部屋は山側の端、ちょうど先刻アミュウが使った井戸の近くに位置する。隈笹くまざさや山椿の茂る斜面を背に、風に翻る洗濯物は白さがよく映えた。


「縁切りのまじないとやらで、あなたのお姉さんはアカシアの記録とのつながりを断ち切られた。でも、アカシアの記録というのは神の書物――読まれざる本だなんて呼ばれているけど、本っていうのは元来誰かに読まれたがっているものなのよ。行き場を失ったアカシアの記録のエネルギーが、ナタリアさんの身近にいて魂の似ているあなたに、出口を見出した……そんなところじゃないかしら」


 アミュウは今までに見た王女の夢を思い返した。

 初めて夢を見たのは、ナタリアと聖輝の見合いの夜だった。アミュウは二人に縁切りのまじないをかけた後、そのまま倒れた。カーター邸で眠り込んでいる合間に見たのが、革命のさなか城から逃げ出すアモローソ王女と騎士の夢だ。森の泉のほとりに御神楽枢機卿が姿を現したところで夢は途絶えた。

 次は、ハーンズベーカリーのオリバーの憑き物騒動の後。森の小屋で聖輝からもらった姫林檎をかじりながら眠り、騎士から柘榴の実をもらう夢を見た。

 騎士の顔と名をはっきりと思い出したのが、ジークフリートがカーター・タウンに漂着した夜、カーター邸で彼を介抱するあいだのこと。ジークフリートも同じ夢を見ていたことを考え合わせると、シグルドが夢に鮮明に現れたことが、そら恐ろしいほど現実に符合する。

 その後はずっと夢を見なかった。ひと月以上経ってから久しぶりに見た夢が、王女と騎士の逢瀬の夢だった。流行り病に倒れ、アラ・ターヴォラ・フェリーチェの三階の狭い部屋で息苦しさに喘いでいたときだ。あの夢が妙に生々しかったのは、その直前に聖輝がアミュウに触れる素振りを見せたからか。

 カーター・タウンを出てラ・ブリーズ・ドランジェにいる間は、あきら枢機卿がシグルドを手にかける瞬間を、毎晩のように夢に見た。思い返せば、ジークフリートの元気がなくなったのはちょうどその頃からだ。そしてラ・ブリーズ・ドランジェ滞在の最後の晩に見た夢が、アモローソがあだ討ちを遂げるというものだった。

 精霊鉄道に乗ってソンブルイユへとやってきたアミュウたちがフォブールに宿を求めた夜、シグルドに見守られて歌うアモローソを夢見た。夢はそれきりで、目が覚めたらナタリアの姿が消えていた。


「なんだか、夢と現実が繋がっているみたい……初めて王女の夢を見たのは聖輝さんと出会った夜だし、シグルドをはっきり思い出したのは、カーター・タウンにジークがやってきたときだったわ」


 深輝はゆっくりと頷いた。


「私にも覚えがあるわ。意図せずアカシアの記録を読んでしまうときって、たいてい現実で似たようなことを体験したタイミングなのよね」

「夢を見るときはナターシャがすぐそばにいました」


 アミュウは思い付きを口にしたが、すぐにその考えを打ち消した。


「ううん、柘榴の夢を見たときと、肺病でうなされていたときは、ナターシャは近くにいなかった……」

「離れていたとしても、何かお姉さんに関して印象的な出来事があった直後だったりしない? あるいは、お姉さんにゆかりの深いものがそばにあったとか」


 深輝の質問に、アミュウははっとして記憶を洗い直した。


「そういえば……ナターシャから服や下着を借りていたっけ」

「そうね。そういう些細なつながりが夢を呼ぶこともあるわ。……それだけとは考えにくいけれど」


 深輝はアミュウの話に頷きながらも、首をひねった。会話が途切れると、再び不安がアミュウの胸を巣食った。下腹もぎりぎりと痛む。おしゃべりで気を紛らわせていないと、体を起こしているのがつらくなってきた。

 アミュウが会話を再開しようと口を開きかけたとき、深輝がぽつりと言った。


「アミュウさん……あのね」

「はい、なんでしょうか」


 アミュウは深輝の言葉を待ったが、深輝は開いた口を閉じて視線を泳がせた。


「……ううん、ごめんなさい。なんでもない」

「?」


 アミュウは首を傾げて深輝を見た。誤魔化し笑いを浮かべた深輝は自らの腹を撫でた。彼女のつむぎの腹はぺたんとして平坦で、とても妊娠しているようには見えなかった。まだ月が浅いのだろう。

 深輝が話を引っ込めてしまったので、アミュウは先刻問おうとしていた質問を投げかけた。


「現実に起きたことが夢を呼ぶなら、夢の内容が現実になることもあるんですか……?」


 深輝の笑顔がふっと曇った。


「アミュウさんが見ている夢()、アカシアの記録にしるされた過去の出来事でしょう。過去がそっくりそのまま未来の現実となることはないわ」


 深輝の言葉には、あるかなきかというほどの微妙なアクセントが感じられた。アミュウにはそれ以上質問を重ねるのがためらわれた。

 アカシアの記録はこの世界の始まりから終わりまでが記された書物であり、過去も未来も全てそこには記されている。アミュウは、深輝が「巫女」や「斎王」と呼ばれていたことを思い出した。それらの語の真意は分からないが、深輝の表情に一瞬浮かんだ苦渋を見るに……


(ひょっとして深輝さんって、未来のアカシアの記録を見ることができるんじゃ……)


 しかしアミュウには、それを本人に確かめる度胸はなかった。

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Copyright(C)2018-志茂塚ゆり
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― 新着の感想 ―
[良い点] 伊勢の斎宮?みたいですね。 確か、『源氏物語』で、六条御安所が、なっていたような…。今年大河、興味を持ちつつまだ観ておりませんが、そのへんも、どのように綴られているのか、楽しみです。
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