5-27.再び、危険な研究
首を傾げたアミュウに、アルフォンスは説明を続けた。
「君との研究結果は、再現性に欠けていた。あの業は君がいなくては成立しないものだったんだ。あの後、ほかの魔術師と組んで実験したけど、一度だって実験は成功しなかった。空間制御術というのは、恐らく君自身の適性によってはじめて成り立つものだ」
アミュウは視線を落として考え込んだ。目に浮かんだのは、カルミノの襲撃時、カーター・タウンの森へ空間転移した直後に倒れた聖輝の姿だった。アミュウも見よう見まねで彼の後を追って森へと転移し、お陰で相当な魔力を消耗したが、それでもカルミノに殴りかかり聖輝を介抱するだけの余力はあった。聖輝の疲弊度合いと自身のスタミナを比べてみると、確かに違和感がある。
(私の適性が、空間制御術にある……?)
四大元素の精霊に馴染まないアミュウの魔力の適性を、メイ・キテラは言霊や儀式魔術といった古来の魔術に見出した。いっぽうアルフォンスは、空間制御術という未知の魔術の可能性をアミュウに示した。
(いいえ、未知の魔術ではなかった)
アミュウはまったく新しい魔術をアルフォンスとともに編み出したのだと信じていたが、カーター・タウンの森で聖輝が披露した空間転移は、空間制御術の延長線上にあるものだった。そのことを問おうとして、アミュウは質問を飲み込んだ。聖輝が空間制御術を扱うことは、アミュウの口からアルフォンスに伝えるべきではないように思われたのだ。
アミュウは慎重に言葉を選んで師に問い直した。
「先生、空間制御術っていったい何なんですか。私に適性があるなんて言うけれど、私のほかにも適性がある人がいるかもしれないじゃないですか。たとえアル先生が研究から手を引いても、他の人があの実験を再現する可能性だってあるんです。そういう場合の抑止力を担保するためにも、研究を続けるべきなんじゃないんですか」
アルフォンスは頬を掻くと単なる無精なのかお洒落のつもりなのか分からない髭を引っ張って言った。
「かなわないなぁ」
「はぐらかさないでください」
「いや、その通りだよ。でも、その適性というのが相当に稀なものなのは確かだ」
「なんでそんなことが言えるんですか」
アミュウが質問を重ねると、アルフォンスは両手を挙げて降参の姿勢を見せた。
「……あんちょこがあるんだよ」
アミュウには「あんちょこ」という言葉が分からなかった。目を白黒させているアミュウを見て、アルフォンスは慌てふためいた。
「えっ、嘘、アミュウ知らないの?」
彼は「死語かぁ……」と呟いて頭を抱えると、目の前の応接テーブルに積み上げられた本の中からぼろぼろの書物を引きずり出した。その糸綴じの書物は、印刷製本されたものでないのが一目で分かる作りで、角の折れた頁を繰ると今にもばらばらに崩れそうだった。紙面には手書きの文字が覗く。かなりの年代物のようだ。
「これは?」
「だから、あんちょこ。空間制御術の要点をまとめたノートだよ。ただし、書いたのは僕じゃない」
アルフォンスから手渡された手記をアミュウはそっと開いた。茶色く変色し、朽ちかけた紙に記されていたのは、共通言語ではない筆文字だった。
「読めません」
「ジャポネーズの古代文字だね。僕も全部読めたわけじゃないけど、すごく頑張って大意はつかめた……なんとここには驚くべき秘儀が隠されていた!」
アルフォンスは丸眼鏡の奥の目をきらきらと輝かせ、おどけてみせた。その懐かしい煌めきに、アミュウの気持ちはほっと和んだ。ローティーンのころ、落ちこぼれたアミュウを慰めたのは、アルフォンスとともに研究に没頭した時間だった。コンスタン工房で過ごしたほんの三年足らずの時間は、アミュウが他の誰でもないアミュウ自身でいられる時間であり、ここでのアミュウはカーター家の養女ではなく、家名のないただのアミュウだった。ナタリアがセドリックの期待を一身に集めるのを横目に、自分は自由で気楽な身分であると言い聞かせて平気な顔を装う必要もなかった。アルフォンスの興味関心はいつだって研究に向いていて、それを媒体としてアミュウと語り合うとき、アルフォンスの目はまっすぐアミュウに注がれていた。今はガラクタ屋敷と化したこのコンスタン工房は、アミュウにとって紛れもなく自分の居場所だったのだ。
(そうか、私は先生に父親像を重ねてたんだ)
アルフォンスは早口で何やら説明を重ねている。その声の明るさといったら、アミュウに研究について話せるのが余程嬉しいらしい。
際限なく喋り続ける彼の笑顔に、ふと聖輝の顔が重なり、アミュウは慌てて頭を振った。せっかく恩師と懐かしいひと時を過ごしているというのに聖輝を思い出すなど、興ざめだ。妄念を追い出そうとして、アミュウの頭にある考えが閃いた。
(私は、聖輝さんに父親を見ていた……?)
「どうしたの、アミュウ」
アルフォンスが首を傾げてこちらを見ている。アミュウは誤魔化し笑いを浮かべた。
「ごめんなさい、ぼーっとしていました。なんて書いてあったんですか?」
「だからさ、人を大量輸送する方法だよ」
アルフォンスは唇を尖らせて言った。
「空間制御術が可能にするのはモノの運搬に限らない。ヒトの移動をも実現させる。もともとこの術は大勢の人間を運ぶことを目的としたものだったらしい。時代の変遷とともに輸送能力は漸減していくとも書いてあったけどね」
アミュウははっとした。手記の内容は、聖輝が行使しアミュウが真似た空間転移を指しているのではないだろうか。アルフォンスはアミュウが今度こそ真剣に話を聞いているのに満足した様子で言葉を続ける。
「素晴らしいじゃないか。遠隔地へ人を送り込むことのできる、夢の技術だと思ったさ。この技術が確立したら、あらゆる分野の専門家を各地へ派遣できるようになる。去年カーター・タウンで疫病が流行ったそうだけど、そういう非常事態に医療者を応援派遣することだってできるだろう。あるいは難しい患者を、設備の充実した街へ運ぶこともできるだろうね。もっと身近な例を挙げれば、ソンブルイユの抱える出稼ぎ労働者の里帰りを支援することも可能だ。
でもね、モノを動かすってだけで大問題なんだ。この上ヒトまで輸送できるとなれば、それこそ大ごとになる。空間法則を無効にするこの術は、利便性とともに大きな危険を抱えていると考えられる。たとえば――」
アミュウがその先を引き取った。
「ソンブルイユの兵力をブリランテへ集結させることが容易になりますね」
「大正解!」
アルフォンスは満面の笑みで頷いた。
「だから僕はグレミヨン勢に目を付けられたんだ。あの人たちは怖い。空間制御の成否のカギがアミュウだと知られたら、君、あっという間に連行されちゃうよ」
アミュウはスタインウッドであわや攫われるところだったことを思い返した。牧師グレゴリーは多くを語らなかったが、カルミノから情報を得ていたらしい点から考えると、大方アミュウを運命の女と取り違えたのだろう。マリー=ルイーズの父、ディムーザン枢機卿も、ナタリアを拘束するつもりだったという。つまり、それが教会の人間の手口だ。
陽射しが雲に遮られるように、不意にアルフォンスの笑みが陰った。
「でも大丈夫。あの実験は失敗だったってことにして研究は凍結したし、グレミヨン卿に満足してもらえるように、今は別の研究をしている。藪をつついて蛇を出すような真似をしなければ、あの人の関心が空間制御術に戻ってくることはないんじゃないかな」
アルフォンスの笑顔の曇りを目にして、アミュウの胸が痛んだ。研究に生活の全てを捧げたような彼のことだ。中途半端な結果しか出せず手を引かざるを得ない状況は相当に歯がゆいだろう。危険な研究からグレミヨン枢機卿の目をそらすため、彼は本意でない研究をさせられているのではないか。
(きっと私のためなんだわ)
アミュウを案じて身を引いたアルフォンスの心境を思うといたたまれなくなった。
「――それにしても先生、こんな文献が残っているなら、他の誰かが研究を再開しそうなものですが」
アミュウは手記をアルフォンスに返しながら言った。
「これは僕たち以外誰も知らない、非公式のノートだよ。蚤の市で偶然見つけたんだ」
蚤の市と聞いて、アミュウは眉を上げた。アルフォンスは満面の笑みを浮かべている。
「君に声をかけるほんの少し前のことさ。さて、このノートは誰が書いたものだろうね」
その答えには予想がついた。アミュウも同じくここソンブルイユの蚤の市で大事なもの——あの小柄を掘り出したのだ。
「御神楽家ですね?」
アルフォンスは頷くや否や、窓の外へと視線を走らせた。その目の動きを追ってアミュウもテラスの方を見る。鋼板の階段を踏む微かな靴音がガラス越しに聞こえてきた。
普段はとぼけた八の字を描くアルフォンスの眉が歪む。彼は、小声ではあるが鋭い口調でアミュウに指示した。
「グレミヨンのお使いかもしれない。アミュウ、屋根裏に隠れてくれ」




