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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第五章 たそ歌う ありし日を

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5-22.啓の刀

 明くる日の晩は、珍しく御神楽邸の全員が揃って夕餉ゆうげを囲むこととなった。

 ヤサカとヒコジは箱膳を抱えて居間と台所の間を行ったり来たりしていた。彼らを手伝おうとアミュウが腰を浮かせたところで、れいが誰にともなく切り出した。


「うちにも出たよ。例の侵入者がね」


 糺は空のグラスを手にとった。聖輝がいざり寄り、ワインを注ぎながら訊ねた。


「……うちというのは」

「もちろん、教会だよ。元日の夜に倉庫の扉が破られていたそうだ」


 アミュウは腰を下ろして親子の会話に耳を傾けた。


「何か持ち出されたんですか」

「いや。点検したが盗られたものはなかった」


 聖輝は頷くと、自分のグラスにもワインを注いで飲み始めた。深輝が聖輝に話しかける。


「ねえ、確か博物館にも不審者が出たって言ってなかった? あなた、気にしていたわよね」


 聖輝はちらりとアミュウに視線をよこした。アミュウは自分がしっかりと話を聞いていることを示すべく、小さく頷いてみせた。

 居間にヤサカとヒコジが入って来て、末席の深輝にまで膳が行き渡った。酒を飲んでいない者の湯呑に、ヒコジが茶を注いで回った。

 糺が祈りの文句を口にして十字を切ると、その場にいた皆がうつむき手を組み、食前の祈りを捧げる。

 厳かに食事が始まった。糺が食事に居合わせると、場の雰囲気がぴりりと引き締まることに、アミュウは気付いていた。


 味噌汁に干し野菜の含め煮、焼き魚。つやつやと粒だつ米飯には蕪の漬物が添えてあった。普段であればこれらを真っ先に平らげるはずのジークフリートの箸の進みが遅い。今日もナタリアを探して街中歩き回っていたのだから、腹が空かない筈がないのに、彼は小鳥がついばむ程度しか口にしない。


「博物館に不審者が出たのはいつだったかしら」


 深輝が箸を置いて聖輝に訊ねた。


「大晦日の夜――元日未明と言った方が正しいな。年越しのミサに人出も警備も集中して、中央広場の東側は人通りが少なくなる。侵入者はそこを突いた」

「年越しのミサに、年賀式典。大がかりな行事が続いた直後の元日の夜に、今度は教会が狙われた。手口も似ているし、同一犯の可能性は大いにある」


 糺も会話に加わると、聖輝は首を縦に振って答えた。


「私もそう考えていたところです」

「犯人の狙いは何かしらね」

「荒らされたのは、祭具入れに武器庫だったそうだ」


 深輝の問いに答えた糺の声には疲労が滲んでいた。この言葉に反応を示したのは、意外にもジークフリートだった。


「……教会に武器庫があんのか」


 ジークフリートの疑問は素朴といえばあまりに素朴で、糺の口元から笑みがこぼれた。


「牧師に武器は似合わないかな。時代の要請があれば、我々は精鋭の武装集団になるんだよ。革命時代にそうであったようにね。ジーク君、きみは確か傭兵だったね」

「ああ」

「きみたちが活躍する時代は、案外すぐそこに近付いているのかもしれないよ」


 ジークフリートは首を捻ったが、糺はそれ以上おしゃべりを続ける気はないようだった。

 食事が終わり、糺が自室へ引き揚げる際、アミュウとジークフリートに声をかけた。


「一休みしたら、私の部屋へおいで。ああ、聖輝も一緒に。深輝も、具合が悪くなければ来るといい」


 聖輝がはっとして顔を上げるのが、目に入った。アミュウは食事の礼を述べ、頭を下げた。

 糺が居間を退出して襖が閉まると、深輝は待ちかねたというように正座の足を崩し、部屋の片隅に控えていたヤサカたちに声をかけた。


「お給仕ありがとう。あなたたちもどうぞ食べてね。私はもう少しゆっくりしているから、ここで食べちゃいなさいな」


 ヤサカとヒコジは台所からそれぞれの膳を持ってきて、下座に座りそそくさと食べ始めた。アミュウとジークフリートはなんとなく部屋へ戻るタイミングを失って、二人が食事を進める様子を見ていた。


「ヤサカさん、ここでのお仕事は長いんですか」


 アミュウはヤサカに訊ねてみた。ヤサカは口の中のものを飲み下してからアミュウに向かって微笑んだ。


「もう十年以上になります」

「ヒコジくんの生まれたころね」


 アミュウが言うと、ヤサカとヒコジは顔を見合わせて笑った。


「ヒコジは甥なんですよ。私の姉の子です」

「そうなんですか⁉」


 アミュウが驚いて声を上げると、ヒコジははにかんで言った。


「ぼくはここで働きだしてまだ一年足らずです」


 アミュウは相槌を打ちながら、ヒコジが家族の元を離れて御神楽家に奉公に来ている理由に思いを馳せたが、それを本人たちに訊ねるのは憚られるような気がして、結局訊けなかった。




 ヤサカたちの食事が終わるのを待って、アミュウ、ジークフリート、聖輝と深輝は揃って糺の部屋を訪ねた。糺は四人を迎え入れると、床の間から細長い布袋に包まれた何かを持ってきた。彼が袋の中のものを取り出すと、アミュウは思わず声を上げた。

 それは、黒い漆塗りの鞘に収まった、一振りの刀だった。糺はゆっくりと抜刀し、畳に伸べた布袋の上に置いた。


「これに見覚えがあるんじゃないかと思ってね、アミュウさん」


 アミュウは頷くことができなかった。

 その刀は、あの夢の中であきらが手にしていた刀にそっくりだった。アミュウに刀剣の眼識はなかったが、漆塗りの鞘に紫の下げ緒は夢で見たものと寸分(たが)うところがない。

 知らず膝をつき、アミュウは刀に手を伸ばしていた。恐る恐る柄を持ち上げると、鍔に正十字の彫刻が施されているのが目に入った。よく調べてみれば、柄巻つかまきの奥に透かし見える目貫めぬきも同じ意匠である。鞘にはちょうど小柄こづかの大きさの溝がしつらえてある。

 いつの間にか隣にジークフリートがしゃがみ込んでいて、そっと刀身に指を滑らせた。アミュウがジークフリートの方を振り向くと、彼も驚愕の表情を浮かべてアミュウを見返した。


「おい、これって……」

「例の小柄と揃いのものですか」


 聖輝も腰を下ろして、刀に手を伸ばしかけた。


「触らないで!」


 アミュウは鋭い声を上げた。聖輝は慌てて手を引っ込め、アミュウを見る。


「そうよ、この刀はあの小柄が収められていたはずの、啓枢機卿の刀よ。縁切りのまじないの効果を打ち消すことができるかもしれない刀――聖輝さんが触れたら、何が起こるか分からないわ」


 アミュウはそっと刀を置いた。唇を一文字に引き結び、身を引く息子を前に、糺はため息を漏らす。


「失った記憶を取り戻す機会だというのに」

「父上、恐れながら」


 聖輝は顔を上げて反駁した。


「歴代の精霊の申し子が、なぜ国産みを果たせなかったか。創世の記憶を留めていたがゆえに、運命の女とのあいだに埋めようのない溝ができてしまったからではないかと思うのです。私は、はからずもその記憶を失ってしまった――そのこと自体が、アカシアの記録の導きなのではないでしょうか」


 糺は値踏みするような目付きで息子をねめつけたあと、その視線を娘へ寄越した。


「どう考える? 深輝」

「聖輝の着眼は的確かと。運命の女というのは自らの使命も果たすべき責任も忘れ、浮世の夢に遊ぶ、いわば幼子のような存在です。そのような者にいくら信義を語ろうとも、耳に入りやしません。彼女の目線まで下りていってやることが肝要でしょう」

「ふむ」


 糺は顎に手を当てて考え込む。その仕草は聖輝とそっくりだった。アミュウは、あまりと言えばあんまりな深輝の言いように文句を言うべく後ろを振り返ろうとして、途中で聖輝と視線がぶつかった。聖輝は黙って首を横に振った。深輝を見れば、彼女も真剣な表情である。


「くだんの小柄と運命の女を探すことが先決か」


 糺は顎から手を手を離し、刀を鞘に収めた。


「彼女はこの刀を求めているのだろう? これは暫く私の部屋に置いておくから、聖輝、お前はよくここを見張っておくように」

「待ってください。刀をダシに姉を誘い出すつもりなのでしょうけど、姉はここに刀があることを知りません」


 アミュウの指摘に、糺はうすら笑いを浮かべた。


「なに、早晩ここに気付くだろう。あの小柄がジャポネズリであることは一目瞭然。博物館やら教会やら、見当違いの場所を洗っているようだが、ジャポネズリの源流はここ御神楽家にあるからね。お姉さんがここに狙いを定めるのは、時間の問題だ」


 雷に打たれたようなショックを受け、アミュウには糺の言葉の後半が聞こえていなかった。


「……侵入者騒動は、姉の仕業だと?」

「そう考えるのが自然だろう。博物館でも教会でも、歴史的価値のありそうな武具を探していたという話じゃないか」

「姉は肩を怪我しているんです! 博物館の窓はあんなに高かったわ。入れっこない。そうでしょう、聖輝さん」


 激昂したアミュウが聖輝に相槌を求めると、聖輝は平板な口調で答えた。


「ええ、ナタリアさんにあの高さの窓を超えるのは無理です――彼女ひとりであったならば」

「おい、なんだよそれ。ナタリアと一緒にいた男が手伝っているとでも言うのか」


 ジークフリートが剣呑な表情で聖輝に詰め寄る。聖輝は首を横に振った。


「分かりません。ただ、ナタリアさんの求める刀がここにある。それだけです」


 糺は頷いてアミュウとジークフリートに向かって言い添えた。


「待ち人が現れるまで、もう少しの辛抱だよ」

2020年6月21日、拙作「月下のアトリエ」は60,000PVに到達しました。

読んで下さる全ての方々に厚く感謝申し上げます。


挿絵(By みてみん)

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