5-17.馬子にも衣装
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明けましておめでとう。お父さんもイルダもヴィタリーさんも変わりありませんか。私は今、王都にある聖輝さんのご実家の世話になっています。
十二月三十日の早朝に、王都壁外街区の宿で、ナターシャが行方不明になりました。いなくなる直前に、ピッチが「かえろう」と言っていたそうなのだけど、そちらに戻っていませんか。男と一緒だったという目撃情報があり、ジークや聖輝さんと方々探しているところです。もしもナターシャがカーター・タウンへ帰っていたなら、御神楽邸あてに連絡をください。
ところで、年末にラ・ブリーズ・ドランジェで発覚した三角貿易のことは、耳に入っていますか。ブリランテの武器商人がラ・ブリーズ・ドランジェからクーデンを経由して規制兵器を密輸していた事件で、主犯格が当局の拘束を逃れたそうです。逃亡犯が東部の新たな密輸拠点にカーター・タウンを選ぶのは時間の問題でしょう。この件にはラ・ブリーズ・ドランジェ市警だけでなく、ソンブルイユ軍警も絡んでいます。
ナターシャのことをしっかりと見ていることができなくてごめんなさい。もしも王都へ飛んでくるつもりなら思い直してね。ケインズおじさんやマッケンジー先生に揚げ足を取られないよう、港の取り締まりを強化してください。密売人は偽名を使い、気のいいクーデンの繊維商の顔をして市井に紛れます。
たくさんの心配をかけていますが、どうか許してください。近いうちにまた手紙を書きます。
愛をこめて。
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昨晩のうちにしたためた手紙は、ヤサカに分けてもらった便箋と封筒を使ったものだ。封緘してしまうと、アミュウはほうと息をついて窓の外を眺めた。昨日よりは雲が出ているが、晴れ間も見える。
押入れがかすかな音を立てる。ヤサカに手数をかけるのが申し訳なくて見よう見まねで自分で布団をしまい込んだが、どうやら中で崩れたらしい。アミュウはのろのろと立ち上がり、襖を開ける。途端に掛け布団と枕がなだれ落ちてきた。
ジークフリートは、アミュウの気付かないうちにナタリアの捜索へ出かけてしまった。郵便局へ行きたいが、ひとりで街へ出ようものならまた聖輝から小言を投げられるだろう。胸の内にわだかまる憂鬱を持て余し、アミュウは崩れ落ちた布団の山にぽすんと頭を乗せた。
「ちょっといいですか」
廊下から聖輝がアミュウを呼ぶ。アミュウは飛び起きて「待ってください」と答えると、布団を押し入れに詰め込んでから、部屋の襖を開けた。
見慣れない袴を着込んだ聖輝が立っていた。アミュウは目をしばたたかせた。鼠地に白糸の浮き上がる紬の袷に、鈍い鳩羽色の袴を一文字結びに締めた姿は、普段の色あせた着流し姿とは全く雰囲気が異なる。頬の痣は依然として残っていたが、袴姿に妙に威厳めいたものさえ添えているように思われた。
アミュウの胸が縮こまって脈を打った。その音を誤魔化すように、アミュウは一歩退き、眉根を寄せて憎まれ口をたたいた。
「……馬子にも衣裳」
「何か言いましたか」
「いいえ」
聖輝の笑顔に圧力を感じて、アミュウは首を横に振った。聖輝は笑みを消してアミュウに訊ねた。
「ジークの姿が見当たらないのですが」
「たぶん、街へ下りたんだと思いますよ」
「ナタリアさんを捜しに?」
アミュウはこくりと頷いた。聖輝はやれやれと言わんばかりに両手を挙げた。
「手がかりもないのに」
聖輝をきっと睨み上げてアミュウは言った。
「その手がかりを探しに行ったんじゃないですか。ジークは一生懸命なのよ。もちろん、私だって」
「そうですね」
意外にも聖輝があっさりと認めたので、アミュウは振り上げた拳のやり場に困って視線を逸らした。すると板間に放ったままの手紙が目に入った。アミュウは聖輝に訊ねる。
「その格好。出かけるんですか」
「ええ、まあ」
「中央広場は通ります?」
聖輝は首を傾げて「どうしたんですか」と訊き返した。アミュウは手紙を拾い上げて聖輝に見せた。
「もしも郵便局を通りがかるなら、これをお願いしたいと思って」
聖輝は束の間沈黙し、口を開いた。
「……アミュウさんは以前、魔術学校に通っていたと話していましたね。誰かご友人の顔を見たいのでは?」
思いがけない質問で、アミュウは答えに詰まった。入学後間もなく休学した経緯は聖輝に話していない。当然、友人などいなかったが、走馬灯のように胸をよぎる、けっして楽しいとは言えない思い出の中に、ひとつ定点に留まる姿があった。
「えぇっと。挨拶しておきたい人がいないわけではありませんが」
「送っていきますよ。郵便局にも寄っていきましょう」
今度こそアミュウは目を丸くした。聖輝が冗談を言っているようには見えない。
カルミノから逃れるかたちでキャンデレ・スクエアへ移り住んだとき、気晴らしに森へ行ってみようというナタリアの提案に対して、聖輝は良い顔をしなかった。そんな聖輝が、奇特にもアミュウに対して気遣いを見せている。
アミュウは口をぽかんと開けたまま聖輝をまじまじと見た。
「……私の顔に何かついていますか?」
聖輝が怪訝な顔をする。アミュウははたと口を閉じると、再びおずおずと開いた。
「いいんですか?」
「ええ。ただ、こちらの野暮用にも付き合っていただきますがね」
笑って聖輝が頷いた直後、押し入れの襖が派手な音を立てた。再び布団がなだれ落ちたらしい。
中央広場停留所で馬車鉄道を降り、休業中の郵便局の差出箱に手紙を投函すると、アミュウと聖輝は大通りを東へ向かった。大晦日の人出が嘘のように減って、王都中心街は閑寂そのものだった。多くの店や施設は閉まっている上、正月二日目の今日は年賀式典といった大きな行事もない。住宅の少ないこの区域を出歩く者は少なかった。店先に提げられた鏡飾りは、街路樹のナナカマドの赤い実を反映して揺れもせずに静かに輝いている。
羽織袴姿の聖輝に合わせるため、アミュウはカーター邸の店舗に置いてきた一張羅のワンピースを、こっそりと空間制御術で手元に取り寄せた。オーバーの下に着込んでいるが、隠れて今はまったく見えない。聖輝は以前にアミュウの紺のカクテルドレスを褒めたことがあった。今回はどうだろうかと、ひそかにアミュウは期待していた。
道中、アミュウは昨日フォブールの宿で得られた情報について聖輝に語って聞かせた。
「そんなわけで、ナターシャはその男と一緒にどこかへ移動したみたい」
「男の素性は」
「何も分かりません」
アミュウがうな垂れると、聖輝はぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
「あまりのんびりしていられませんね。いったい何者なんでしょうか、そいつは……と、ここですよ」
聖輝はある鉄門の前で足を止めた。門扉は鎖されている。せせこましいソンブルイユの街並みの中にあって、この施設には狭いながらも庭が備えてある。雨風に晒されすっかり色の変わった彫金の看板には「王立博物館」の文字があった。アミュウは訝しんで聖輝を見上げた。
「しばらくお休みなんじゃないですか」
「きっと誰かいるはずですよ」
聖輝はそう言うと、革鞄から新聞を取り出してアミュウに手渡した。アミュウは昨日マリー=ルイーズから見せられた新聞記事を思い出して、なんとはなしに胸がざわついた。
新聞の日付は今日のものだった。聖輝の骨ばった指が紙面を示す。
「ここ。大晦日の夜に、この博物館に何者かが侵入したそうです」
「窃盗ですか」
「それが、そうでもないようで、何も盗らずに引き返したそうですよ。翌朝、スタッフが痕跡を見つけて、侵入が発覚したとありました。今は警備が強化されているはずです」
聖輝は強めに二度、ノッカーを叩いた。暫くすると、鉄門の奥の正面玄関の扉が開き、中から朽葉色のスモックに身を包んだ白髪の老人が姿を現した。老人はその場で目を細めてアミュウたちをじっくりと眺め、禿げあがった頭を撫でてから口を開いた。
「……見てのとおり休館なんですが、何かご用ですかな」
「突然すみませんが、一昨日の侵入事件について取材させていただきたく参りました。少々お話を伺えないでしょうか」
聖輝があまりにも自然に「取材」という言葉を口にしたので、アミュウはぎょっとして彼を見上げた。すると、聖輝が鋭い視線を送ってきた。口を出すなということらしい。
(ちょっと……また猿芝居? 勘弁してよ)
「記者さんでしたか。はいはい、今開けましょう」
老人はこちらへ歩み寄り、鉄門の錠を開けてアミュウたちを招き入れた。閂に取り付けられた錠前を見ながら聖輝は問いかけた。
「大晦日の夜もこの門は鍵がかかっていたのですか」
「もちろんですとも」
「私はセーキ、彼女はアミュウ。週刊誌『新時代』の制作を担当しております」
「ああ、あの! 私は館長のラコルヌです。さあ、どうぞ」
ラコルヌ館長は知ったように大きく頷いてみせたが、アミュウはその雑誌の名前を耳にしたことがなかった。どうせ口から出まかせなのだろう。アミュウは呆れ返りつつも、二人の後に続いた。




