表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第五章 たそ歌う ありし日を

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

160/285

5-16.聞き込み

 既に昼時となっていた。冬の陽射しは真昼でも斜めから差し込み、御神楽邸の中ほどまでをほの白く照らしている。

 聖輝は再び部屋にこもって寝てしまったが、入れ替わるようにして久々に深輝が起き上がってきた。廊下から何とはなしに居間を覗いたアミュウは、窓辺で火鉢に手をかざす彼女の姿を目にしていささか驚いた。大丈夫なのかと問いかけようとしたところで、アミュウは彼女の頬に影が落ちているのを見つけてしまい、結局彼女に話しかけることができなかった。


 ヤサカがこしらえた握り飯を腹に入れて、アミュウとジークフリートは山を下りた。馬車鉄道ブールヴァール南北線を端から端まで移動し、街壁をくぐり抜け、二人はふたたびフォブールへとやってきた。

 終点の駅前広場プラス・ドゥ・ラ・ガールは閑散としていた。それもそのはずで、精霊鉄道は正月休みの五日のあいだ動かない。街と街をつなぐ駅馬車も、街壁内を張り巡らされた馬車鉄道も、どちらも大幅に運行本数を減らしている。

 それでも規制で雁字搦めの壁内街区(アンテリウール)と異なり、この辺りには正月でも市が立つ。さすがに元日とあっては店を広げる者の数は少なかったが、買い忘れた食料ほか生活必需品を求めて市をうろつく者の姿がいくらかあった。この市には幌などない。陽の光を受けた野菜はつやめき、干し肉や乾燥果実でさえも色鮮やかに輝いて見えた。


 街門へと続くブールヴァールから一本奥まった裏通りに入ると、宿場の軒先で猫が一匹寝そべっていた。人通りはまばらだが、休業の宿は思っていたよりも多くない。

 先日アミュウたちの利用した宿も立て看板を出しており、どうやら営業中らしい。ジークフリートはガラガラとドアベルを鳴らして乗り込んだ。薄暗い室内で、カウンターの主人が、広げた新聞の端から怪訝な顔をのぞかせている。ジークフリートが主人の前に進み出るのを、アミュウは後ろから見守った。


「三日前に世話になった。連れを捜してる。しゃべる鳥を連れたはたちの女だ。心当たりはねえか」


 主人の丸眼鏡の奥の小さな灰色の目が揺れたのが、アミュウからでも見えた。


「……さあ、見当もつかないな」


 そう言って主人は紙面へと顔を落とす。ジークフリートはその新聞をひょいと脇に退けて、椅子に座る主人の顔を見下ろした。


「おい、ぜってー何か知ってるだろ」

「知っていたとして、おたくらとその娘さんがどんな関係かも分からんのに、教えられるわけがないだろう」


 主人の口調は存外に厳しかった。ジークフリートが言い返しそうになるのを制して、アミュウがカウンターへと進み出た。


「彼女は私の姉です。おとといの明け方に突然姿を消してしまって、とても心配しているの。知っているなら、どんなことでもいいから教えてください」

「全然似とらんじゃないか」


 主人の指摘にひるんだアミュウのかわりにジークフリートが答えた。


「血はつながってねえけど、姉妹なんだよ。っつーか、やっぱり知ってんだろ。今もここに泊まってるんじゃねえのか」

「似とらんのなら、身内の証明にもならん。さあ、客じゃないなら、帰った帰った」


 主人はしっしと二人を追い払う。アミュウたちとて、何かわけのありそうな主人を前にすごすごと引き返すことはできない。二人は声を揃えた。


「帰れません」

「帰らねえ」


 主人は深くため息をつくと、椅子の背にもたれてあごひげを撫でた。分厚い眼鏡のレンズの中で、主人の目はいっそう小さく頑固そうに細められた。

 だしぬけに、客室へと続く廊下のほうからおかみがぬっと顔を出した。


「そのくらいになさいな」


 おかみは前掛けで手を拭いてから、白髪混じりのおくれ毛を三角巾の中に押し込んで言った。主人はむっとした表情で彼女を見返す。


「口出しするな」

「あの娘さんと、とてもよく雰囲気が似ているわ。ご家族なのはきっと本当よ」


 おかみは歩み出てアミュウに向かって微笑んだ。笑うと口元に深く皺が刻まれた。近くで見ると、彼女の目線はアミュウと同じ高さだった。アミュウは彼女に訴えた。


「朝、目が覚めたら姉の姿がなかったんです。あちこち探したけど、なんの手がかりもなくて……」


 おかみは「ほらね」と言いたげな顔で主人を見た。主人は露骨に顔をそむけた。


「私、あの朝、あなたたちが大騒ぎしていたのをよく覚えているわ。最初に話しておくけど、あのお嬢さんはもうここにはいないから、期待しないでね」


 そう前置きしてからおかみは手を腰に当てて話し始めた。曰く、アミュウたちが宿を引き払った後、鳥を連れた女がカウンターに詰めていたおかみのもとを訪れたらしい。彼女は宿泊費がきちんと支払われているか確認を求めたという。


「そのときね、外で男の人が待ってたわ」


 ジークフリートがぴくりと眉を上げた。目の端で彼の反応をうかがいながら、アミュウは訊き返した。


「男の人?」

「そう。そこの玄関を出たところで扉を開けたまま立っていてね、あの娘さんのことを待っている様子だったわ。話の途中で娘さんの肩にとまっていた鳥が突然しゃべったのよ。『かえろう』とか何とか言ったかと思ったらバサバサ羽ばたいて、男の人の手に留まったの。それでその人はあっという間に鳥を籠に入れて、布を被せてしまって。随分と手際が良くて感心しちゃった」

「どんなやつだ」


 ジークフリートの声が硬質で割れたような印象があるのは生来だが、今は普段よりもさらに硬く聞こえた。アミュウも固唾を飲んでおかみの言葉を待つ。


「だいぶ年上に見えたわよ。父親というほどではないけど、兄という感じでもないし――ねえ?」

「さあな」


 同意を求められた主人は取り合わず、再び新聞を広げる。おかみは続けた。


「帽子をかぶっていたから、よく顔が見えなかったのよ。体はマントですっかり隠れていたし。ああ、でも男性にしては小柄だったかしら」

「顔を見せられないような後ろ暗いところがあるんだろうよ。あまりしゃべり過ぎるな、あのに頼まれただろうが」


 そう口にした後で主人は決まり悪そうに口をつぐんだ。


「おい、頼まれたってどういうことだ」


 ジークフリートが詰問するが、主人は答えない。おかみが首をすくめた。


「娘さんが言っていたのよ。誰かが自分を捜しに来ても、秘密にしていてほしいって」


 アミュウは知らず蓮飾りの杖を固く握りしめていた。聖輝から離れようとしているナタリアが夫婦に口止めをしたのは、当然といえば当然の行動だ。アミュウはそのことを理屈として理解していたが、気持ちの上では自身までもがナタリアから拒絶されたように感じられて、気が塞いでいくのを止められなかった。


 ナタリアと男の行方について、おかみは何も知らないようだった。アミュウたちは夫婦に礼を述べて宿を後にした。二人はフォブールの街門周辺から駅に向かって聞き込みをして回ったが、何も情報は得られなかった。正体不明の男はピッチを籠にこめて布で隠したという。ピッチが人目に触れないのでは、人出の多いこの場所で男女の二人組の行方など辿りようがない。

 ジークフリートもアミュウと同じ気分だったのだろう。帰りの馬車鉄道では、終始沈鬱な表情を浮かべていた。車窓の外をゆるゆると過ぎ去っていく景色は、灰、灰、灰。スレート葺き石造りの街並みはどこもかしこも灰色で、軒端に下げられた丸鏡の正月飾りが映し出す景色も灰一色だった。空のみが薄青い光を放っていたが、箱馬車の天井に遮られてアミュウの目には入らなかった。




「ベルモン先生が聖職を奉還したそうですよ」


 夕飯の席で聖輝が口にした言葉が、アミュウに追い打ちをかけた。ラ・ブリーズ・ドランジェでモーリスとの接点がなかったジークフリートは、無言で箸を進めている。いま話題に上がっているのが、スタインウッドで調査に当たった若い牧師であると認識していないのかもしれない。アミュウは仕方なく聖輝に応じた。


「それ、うわさ話ですか」

「ラ・ブリーズ・ドランジェから来た人が話していたので確かでしょう。なんでも年末で急に辞めたそうです。そういえば、様子がおかしいとブリュノも言っていましたね」

「そうでしたっけ」


 アミュウの相槌がつっけんどんだったので、聖輝はそこで話を切り上げることにしたようだった。

 アミュウは胸中穏やかでなかった。口に含んだ煮しめの味が、一気に色あせた。モーリスを辞職に追い込んだのは、間違いなくドロテとの一件だろう。それはつまり、アミュウが彼の人生を変えてしまったのと同義だ。

 煮しめを雑煮の出汁で流し込み、アミュウは台所へ食器を下げた。竈ではヤサカが、疲れ果てて帰ってきた糺のために粥を作っていた。彼女は振り返ってアミュウに訊ねた。


「お口に合いました?」

「とってもおいしく頂きました」


 アミュウは作り笑いを浮かべて、たらいの水で食器を洗った。日中晴れていたためか、水はさほど冷たくない。

 ヤサカはアミュウに背を向けて鍋を見つめ、それ以上話しかけてこなかった。アミュウは笑みをひっこめた。炊事場を包む沈黙は、妙に居心地がよかった。洗い終わった磁器の小鉢に浮かび上がる顔は、早朝のアトリエ・モイーズの前で見かけたモーリスの当惑の表情から、ジークフリートの鬱屈したしかめ面に変わっていった。こういう時に必要なのは、あれこれ言葉をかけてもらうことよりも、そっとしてもらうことなのかもしれない。


 台所を出て、あてがわれた部屋へ戻りながら、今日いちにちジークフリートと行動を共にした自分は、果たして彼に対して適切な態度が取れていたかと、アミュウは自身を振り返った。

 砕けた自信のかけらを拾い集めながら、アミュウは切に願った。


(ベルモン先生やドロテさんに対して、私は浅はかだった……せめてすぐそばにいる人たちには、誠実でありたい)

★↓押根こむる様に描いていただきました!↓★

挿絵(By みてみん)

こむるさんが新しいお絵描きソフトを導入なさったとのことで、試し描きのモデルにアミュウを選んでくださいました。

鉛筆の質感、ヴェールの透け感、愁いを帯びた表情が素敵です。

こむるさん、ありがとうございました!



★↓加純様に描いていただきました!↓★

挿絵(By みてみん)

加純さんがTwitterで「#RTの早い5人に落書き投げつける見た人も強制でやる」というタグ企画をなさっていたので、光の速さで手を挙げたところ、こんなに格好いい聖輝を描いてくださいました!

鋭い眼光、ただならぬ気配。一体彼は何を考えているのでしょうか。

加純さん、ありがとうございました!



★↓長月京子様に描いていただきました!↓★

挿絵(By みてみん)

長月京子さんがTwitterで「#RTの早い5人に落書き(以下略)、光速で反応しました!

長月さんの描かれるイケメンが大好きすぎて、聖輝とジークの資料を「どちらか描きやすいほうをお願いします!」とご提出したところ、なんと二人とも描いて下さいました……女神はここにおわします‼

長月さん、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Copyright(C)2018-志茂塚ゆり
cont_access.php?citi_cont_id=11211686&si

小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ