5-12.蛇男【挿絵】
教会に近付くにつれて、少しずつ人通りが少なくなってきた。周囲は門前町の様相を呈し、花屋や食堂、土産物屋、蝋燭店が目立つ。蜘蛛の巣のようなレースのヴェールを売る店もあった。ブーランジェリーや酒屋、仕立屋、細工物屋も目に付いたが、これらは戸口が狭く、一般客向けの店構えではない。教会御用達の問屋なのだろう。
納骨堂を過ぎたところで、ようやく大聖堂へと続く階段がはっきりと見えてきた。その中ほどに聖輝の長身を発見する。ほっとしたアミュウは駆け出そうとして、彼が別の誰かと話し込んでいることに気付いた。
階段に近付くにつれ、その人物の姿が見て取れるようになってきた。白い祭服を身にまとい、聖職者用の帽子を頂いている。スタインウッドのフェルナン・マニュエルやラ・ブリーズ・ドランジェのモーリス・ベルモンと全く同じ服装だった――同じ助祭の階級なのだろうか。眼鏡をかけた横顔はモーリスよりは年配の者が特有に持つ影が差していて、年の頃は四十前後と見える。ダークブロンドの縮れ毛の房が肩の上で重たげに揺れている。段差があるので分かりにくいが、数段下にいる聖輝とあまり目線が変わらないところを見ると、背は高くないようだ。
ようやくアミュウが石段に足をかけようかというところで聖輝が気付き、ほっとした顔でアミュウを見下ろす。
「ああ、はぐれたと思って心配していたんですよ」
「歩くのが早すぎるんです」
「それはどうも、すみませんでした」
聖輝はチュニックの下の脚の長さを見せびらかすように前後を組み替えた。アミュウはげんなりと肩を落とし、のろのろと階段を登る。そんなアミュウの様子を見たもう一人の男が、やや首を傾げて聖輝に言った。
「可愛らしいお連れ様がおいでなのですね。紹介していただけるのでしょう」
慇懃だが有無を言わさぬ口調にアミュウは反感を抱き、聖輝が口を開くより先に自分で名乗り出た。
「わざわざ聖輝さんから紹介してもらわなくても結構よ。アミュウ・カーター。カーター・タウンの魔術師です」
ずいっと前のめりになったアミュウを、男は目を細めて見下ろしたが、そのはしばみ色の目はちっとも笑っていなかった。アミュウは思わずたじろいだ。男は聖輝をチラリと見て、彼に自分を紹介する気がなさそうなことを確かめると、胸に手を当てて礼を取った。
「ソンブルイユ教会助祭のジャレッド・エヴァンズです。スタインウッドでは養父グレゴリーがご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます」
(あのエヴァンズ先生の息子⁉)
アミュウは面食らって思わずまじまじと男の顔を見た。光の当たり方で金色にも見える目は三白眼で、金縁眼鏡の蔓の冷たい輝きと相まって、狡猾な印象を与える。骨ばった頬と薄い唇が、どことなく蛇を想起させた。どう言葉を返すべきか迷って聖輝の方を見てみれば、彼はうんざりした顔であさっての方向へと視線を逸らす。何を言う気もないようだ。アミュウは小さくため息をついて言った。
「エヴァンズ先生が私たちにしたことはもちろん忘れていませんが、あなたがそのことに直接関わっていないのなら、息子さんだからといってわざわざ謝ってもらう義理はありません」
ジャレッドは口元に手を当ててくつくつと笑った。
「なるほど、父の言っていたとおり、なかなか利発なお嬢さんのようだ」
アミュウは苛ついた。ジャレッドの口調は慇懃無礼そのものだ。その態度は聖輝にも通じるところがあったが、聖輝からは感じられない悪意めいたものをジャレッドは醸し出していた。アミュウはこの中年男を油断のならない相手として判断し、言い返そうとした言葉を飲み込んだ。
アミュウが黙っているのを見て、ジャレッドは聖輝へと視線を移した。
「そうそう、斎王は御息災でしょうか。解任されてからしばらく経つでしょう——いや、解任でなくて懐妊でしたか」
聖輝は目を丸くした。そして辺りを見回すと段差をひとつ上ってジャレッドに近寄り、声を落として詰問する。
「なぜあなたが——いや、どうしてそう思うのですか」
ジャレッドは底意地の悪そうな薄笑いを浮かべている。
「さあ、なぜでしょうね?」
アミュウは、聖輝が珍しく何も言えずに唇を噛んでいるのを見守った。ジャレッドは、つい先程アミュウに向けたのと同じ、目の笑っていない奇妙な笑みを聖輝に向けた。
「そうですね。聖輝どのはソンブルイユを離れて久しかったですから、ご存知ないのも無理からぬことでしょう。私は、お役目でロウランドの斎宮に行くことが多々ありましてねぇ。あの離宮の内情はいくらか存じ上げておるのですよ」
聖輝は苦虫を食いつぶしたような表情を浮かべてジャレッドの言葉を否定する。
「姉は周囲に悟られるようなヘマはしません」
「おや、お認めになった?」
ジャレッドがクスリと笑うと、聖輝は渋面をさらに深めて答えた。
「そうであろうとなかろうと関係ない、一般的な話をしているまでです」
アミュウはふたりの顔を見比べた。いくつもの疑問が浮かんできたが、とても質問できる雰囲気ではない。やや間をおいて先に退いたのはジャレッドだった。彼は聖輝の方を向いたまま一段階段を下がった。
「そうでしたか。どうもお引き留めしてしまいましたね」
「……いえ」
聖輝は低い声で答えた。最低限の礼を守っているのは、いくら聖輝が枢機卿の跡取り息子とはいえ彼はまだ見習いであり、助祭のジャレッドに対して強い態度に出られないからだろう。
「これからもよろしくお願いしますよ、聖輝どの。その頬、お大事に。色男が台無しです」
ジャレッドがにっこり笑うと、目尻に細かな皺が寄った。その畝のような皺の間に何が埋まっているのか、アミュウからはさっぱり読み取ることができない。
ジャレッドはそのまま踵を返して、階段を降りていった。彼の背中を見送りながら聖輝はボソリと呟いた。
「まったく、ねちっこくて嫌ですね。いけ好かない手合いだ」
アミュウは呆れて言った。
「ジークが聖輝さんに向けた言葉そっくりそのままじゃないですか。私も、今の人は聖輝さんと同じタイプだと思いましたが」
「それは心外です」
聖輝は仏頂面で短く言い切る。アミュウは声を落として訊いた。
「あの……斎王って、ひょっとして深輝さんのこと? あの人、妊娠とか何とか言ってましたが」
聖輝は言いにくそうに口をもごもごさせると、階上の大扉を指して言った。
「ここは寒い。ひとまず中に入ってしまいましょう」
ソンブルイユ大聖堂の大扉は細かな彫刻の施されたオーク製で、中ほど、ちょうど手の触れるところが人々の脂を吸って黒ずみ、照り輝いていた。右扉には男神の像が、左扉には女神の像が彫りこまれ、周囲を愛らしい天使たちが取り囲んでいる。ラ・ブリーズ・ドランジェ教会にあった堂々たるブロンズの「天国と地獄門」と比べれば地味に見えたが、それでもこの扉が一見の価値のあるものであるのは確かだった。
聖輝はその大扉を引き開けると、アミュウに中に入るよう促した。足を踏み入れてみるとそこは寸詰まりの前室になっていた。飾り気のない石の床や壁は芯から冷えており、アミュウはかえって屋外にいるよりも寒さを覚えた。聖輝も同じように底冷えを感じたらしく、馬のように大きく身震いし、二重マントの上から自らの体を抱いた。
聖輝はまごついていた。「寒いから中に入ろう」と言ったわりには、この奥の大聖堂へ入るのをためらっているようだ。
(私が邪魔なのかしら)
ここはカーター・タウンではない。聖輝が生まれ育った街だ。知り合いも多いだろう。アミュウと一緒にいるところを見られては困る相手がいるのだろう。現に、さきほどのジャレッドが良い例だ。聖輝としては、グレゴリーの息子などにアミュウを引きあわせたくはなかっただろう。
憂鬱な心持ちでアミュウがそう考えているうちに聖輝は意を決したらしく、内扉を引き開けて、さらに奥に入るようアミュウを促した。アミュウは大聖堂のタイル床を踏んだ。
ファル様から線画のファンアートを頂戴しました。
ファル様たってのご提案で、志茂塚が色を塗らせていただいたものがこちらです。
ファル様、ありがとうございました! 凛々しいアミュウが格好いいのは言うまでもなく、塗り作業の進めやすい、丁寧な線画でした。
2020年4月25日の活動報告でご紹介しておりますので、よろしければご覧ください。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1423845/blogkey/2550057/
上記活動報告内でお知らせしております第八回ネット小説大賞につきましては、一次選考を通過したのち、二次選考で選外となりました。
応援してくださった方には、心から感謝を申し上げます。
これからも自分の書きたい物語をまっすぐに追いかけていきたいと考えておりますので、どうぞラストまでお付き合いくださいませ。




