5-5.再び、ダミアン・カーター
「君は、セドリックおじさんのところの――」
ダミアンが口を開くと、彼の目の前の通行客が大きく咳払いをした。ダミアンはアミュウに向かって「そのままちょっと待っていてくれ」と言ってから、入市手続き対応に戻った。
たっぷり十五分は経っただろうか。街門を離れていた衛兵がどこからか戻ってきた。その顔は心無しか赤らんでいて、アミュウたちの脇を通り過ぎるとき、酒のにおいがぷうんと漂ってきた。
「お疲れさん」
そう言って衛兵は小銭をダミアンに握らせると狭い詰所から彼を追い出し、自分がそこに入って仕事に戻った。ダミアンは小走りでアミュウたちのところへとやってきた。
「やあ、寒い中待たせたね! 明日は大晦日だっていうのに、こんなところでどうしたんだい? カーター・タウンにいなくていいのか」
アミュウはすっかり凍えていた。ショールの前をしっかり合わせ、肩を縮こませて答えた。
「ちょっと、色々あってね……ダミアンさんこそ、どうしたの? ケインズおじさんがとっても心配していたわ」
「はは……戻れないわけがあるのさ」
ダミアンは誤魔化すような笑みを浮かべ首を傾げてみせると、ジークフリートへと視線を移した。
「誰かと思えば――ジークじゃないか。収穫祭では、すっぽかしてしまって悪かった」
「大丈夫っすか? よっぽどの事情があったんじゃないっすか」
ジークフリートは鼻を気にしてすすっている聖輝には目をやらず、ダミアンに応じた。ダミアンは首を横に振りながらも、聖輝の存在が気になるようだった。
「まあ、なんとかやっているよ。そちらは?」
「牧師の聖輝さん。カーター・タウンにしばらく滞在していたけど、故郷のソンブルイユへ戻ることになったっていうから、こうして一緒に来てみたの」
アミュウが紹介すると、聖輝は鼻を押さえたまま無言で小さく頭を下げた。ジークフリートに殴られた箇所が痛んだのだろうが、そうとは知らないダミアンの目には不愛想に映っただろう。ダミアンは聖輝と話すのは諦めた様子で、声を潜めてアミュウに訊ねた。
「牧師ってことは、ひょっとしてナタリアの縁談相手の?」
アミュウは小さくため息をついて答えた。
「ええ、その話はもうおしまいになったけどね」
「聞こえていますよ」
聖輝が憮然として言ったので、ダミアンはびくりと肩をふるわせ、曖昧な愛想笑いを聖輝に向けた。そしてアミュウに重ねて訊ねた。
「ナタリアは一緒じゃないのかい?」
「それが……」
アミュウは言葉に詰まった。見かねたジークフリートが後を引き取った。
「一緒に旅してたのに、今朝がた突然姿を消しちまったんです。すぐそこの宿屋に泊まっていたから、街門を通ったかどうか確かめたかったんだけど、あいつらときたらけんもほろろで」
ジークフリートはそう言って衛兵たちを親指で指した。ダミアンは腰に手を当てて言った。
「ナタリアの名前は見なかったけど」
「えっ」
アミュウは思わず声を上げた。
「ナターシャはここを通ってないってこと? ……そんなこと、私たちに話して大丈夫なんですか?」
ダミアンは苦笑いを浮かべ、衛兵らのほうに目配せしながら手を振った。
「彼らが直接洩らしたわけではないから、問題ないさ。だいたい、僕みたいなやつに留守番を頼むことからしておかしいんだから」
「どうしてあいつらのパシリなんかやってるんですか」
ジークフリートがやや呆れたように訊ねる。ダミアンは苦笑いを浮かべた。
「いやぁ……こうでもしないと、なかなか苦しくてね。結局、僕が今までやってきた仕事は、どこでも通用するってもんじゃなかったのさ……それよりもナタリアがここを通ったかって話だけど、確かに今日の入市記録にナタリアの名前はなかったよ」
「偽名を使っていたら?」
それまで黙っていた聖輝が突然口を開いた。ダミアンは驚いたようにぴくりと眉を上げたが、すぐに元の人好きのする柔和な顔に戻った。
「そこまでされたら、分からないよ。市民でないひとに証明書の呈示までは求めていないから。確かめてこようか」
そう言うとダミアンはアミュウたちのもとを離れ、街門の詰所の衛兵のところへ歩いて行った。いつの間にか手続きの順番待ちの列は消えていて、衛兵の一人は街門にぴたりと張り付き、もう一人は詰所の中で新聞を眺めている。遠目に見ていると、ダミアンは笑いながら世間話をするていで、詰所の衛兵――酔っぱらっているほうと言葉を交わした。そのうちに彼は衛兵と窓ごしに肩をたたき合って別れの挨拶を交わし、アミュウたちのいるところへ戻ってきて首を横に振った。
「若い女性が通ったらしいけど、どうもはっきりしない。長い髪をまとめていた気がするとか、短かったかもしれないとか、ころころ話が変わるんだ。服装も覚えていないみたいでさ。美人だったらしいけど」
ジークフリートは肩を落とした。
「なんだそりゃ。全然分からねぇ」
「ナターシャは鳥を連れていると思う」
アミュウが思いついて口を挟むと、ダミアンは困ったように首を傾げた。
「例のヨウムかい? そんな話は聞かなかったな。あの鳥は目立つから、見たら覚えているだろうけど」
「そう……」
アミュウは肩を落とした。聖輝は口をつぐんだままだった。ダミアンは肩をすくめて言った。
「僕はこれから仕事でこのあたりを出歩くから、注意して見ておくよ。彼女を見つけたら、君たちが心配していたと伝えるからさ。どこへ連絡したらいいかい?」
聖輝は革の鞄から手帳を取り出し、紙巻きコンテで何やら書きつける。ジークフリートに殴られたほうの頬が露わになり、ダミアンが一瞬目を丸くするのをアミュウは見た。
「こちらへ」
聖輝は帳面を破り取り、ダミアンに手渡した。ダミアンはメモに目をやるなり素っ頓狂な声をあげた。
「これって御神楽枢機卿の屋敷じゃないですか⁉ なんだってこんなところに」
「私の実家です。さあ、いったん宿に戻って出直しましょう。支度が済んだら実家へ行きます。ここまで来たなら、どうせ他に行くところもありませんしね。念のため、カーター町長にも手紙を出しますよ」
聖輝は手帳を鞄にしまうと、路地裏の宿屋街のほうへと踵を返した。アミュウは慌ててダミアンに別れを告げ、聖輝の後を追う。その後ろで、ジークフリートは名残惜しそうにダミアンに訊ねた。
「普段はフォブールにいるんっすか」
「わけありでね。親父には報せないでおくれよ」
「分かってます」
ジークフリートが背後でそう請け合うのを聞きながら、アミュウはダミアンの身の上に思いをめぐらせた。
(突然行方をくらませたと思ったら、こんなところにいたなんて……確かにフォブールで暮らすには戸籍なんて必要ない。ひっそりと暮らすにはもってこいの場所だわ。それにしても、衛兵の使い走りなんかやっているって知ったら、ケインズおじさんはどんな顔をするかしら)
ナタリアについて考えようとすれば頭が真っ白になるのに、ダミアンの境遇についてはやけにはっきりと見通すことができた。
ジークフリートが大股でやってきて、アミュウに追い付く。
「大丈夫だ。ナタリアはきっと見つかる」
そうは言ったものの、ジークフリートはアミュウと同じくらい沈痛な面持ちだった。アミュウは頭を振って、ダミアンから姉へと思考の焦点を切り替えた。
聖輝の後を小走りで追いながら、姉がすんなりと見つかるはずがないと、アミュウは確信めいた予感を抱いていた。




