5-2.たそ歌う
* * *
長い長いアミュウの語りが終わってからしばらくのあいだ静寂は続き、すぐそこのベッドで眠るナタリアの寝息や、どこかの部屋で椅子を引きずる音が妙に鮮やかに耳に響いた。最初にため息をついたのはジークフリートだった。
「……俺の見た夢とおんなじだ」
アミュウは黙って頷いた。聖輝は顎に手を当てたままじっと動かない。
「何から何までだ。騎士の装備も、ミカグラ枢機卿のセリフも。なあ、前に話した騎士と王女のロマンス、覚えてるよな? 夢で見たんだってことも、言ったよな? どういうことなんだ?」
アミュウは膝の上でぎゅっとこぶしを握りしめた。
「今まで黙っていてごめんなさい……」
「そんなことはどうでもいいんだ」
ジークフリートは即答し、僅かに息を継いでから言葉を続けた。
「ただ、俺は――あの生々しい夢が、現実にあった出来事のような気がしてるんだ。それで、他にもあの夢の世界を知ってる誰かがいるんじゃないかって考えてた。あの世界を共有することのできる誰かをずっと探してた。もっと言えば……笑ってくれるなよ。俺は、自分が本当はあの騎士だったんじゃないかって妄想してる。それくらい強烈な夢だった」
ジークフリートは放ってあった油の沁み込んだ布を拾い上げてこねくり回す。今度ため息をついたのは聖輝だった。ベッドに腰かけていた聖輝は、自身の膝に肘をついて、前かがみになった頭を支えた。
「アモローソ王女と御神楽啓は史実上の人物です。騎士シグルド・ログンベルクも」
アミュウが驚きの目を向けると、聖輝はしれっと言ってのけた。
「実家に連絡して調べてもらっていたんですよ」
心持ち背を丸め、アミュウは目を伏せた。確かに聖輝はキャンデレ・スクエアの部屋で頻繁に手紙を書いていた。彼なりの手段でアミュウの夢にアプローチしていたらしい。
ジークフリートはぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
「アミュウのそれはさ、どこかで聞いた話を台本として、俺や聖輝が夢に出演しちまったってセンはねえのか。俺はずっとそう思ってた。ガキのころ歴史の授業で習ったおとぎ話を無意識のうちに演じてるんだって」
「私、学校には行ってない。それに、悲劇の王女のことはともかく、枢機卿のことは知らなかったわ」
アミュウの反論に聖輝も同調した。
「確かに啓枢機卿は革命の立役者ですが、主役は言うまでもなくソンブルイユ将軍です。初等教育で啓枢機卿の功績まで教えるケースは稀でしょう」
「まあ、そうだよな。俺も、ダチに話してみたら、なにバカなことを言ってるんだって笑われたぜ。みんな、枢機卿のことも騎士のことも知らなかった」
ジークフリートは頭の後ろで手を組み、壁にどっかりと寄り掛かった。
「そのあとも同じ夢を繰り返し見るもんだから、俺、こじらせちまってさ、夢の世界が実在するのか、それとも俺ひとりが本当にあったことだと思い込んでるだけなのか、確かめないと気がすまなくなった。誰かに会うたび、夢の話をしてみて、反応をうかがった」
アミュウは、エミリの店ではじめて四人で食事を囲んだときのことを思い出した。あのときジークフリートはやや唐突に「物書きになる」などと言って、王女と騎士のロマンスを語り始めた。自身の見る夢とあまりにも似通っていて、アミュウは内心ひどく驚いたものだ。しかし、アミュウはそのときに自分も同じ夢を見たことがあると言い出せなかった。聖輝との関係において、夢の内容が重要な切り札となることに気が付いたからだった。だからこそ、アミュウは夢で見たことを胸の内に秘めるようになった。
(けど、このまま黙り続けているわけにはいかない……嫌な予感がする)
考え込むアミュウに、ジークフリートは目を向けた。
「アミュウは、俺の話を真剣に聞いてくれた。ナタリアもだ」
聖輝は頬杖をついた頭を傾けて、ジークフリートに訊ねる。
「ジークの夢の中では、私の顔は啓枢機卿に似ていましたか」
ジークフリートはやや間を置いて頷いた。
「……正直、驚いたぜ。こいつなら、夢の向こうの世界について何か知ってるかもしれないって思った。安っぽいだの、与太話だの、散々な言われようだったけどな」
「ナタリアさんの手前、あの話を長引かせるわけにはいかなかったんですよ」
「どうしてナタリアに聞かれたらまずいんだ」
ジークフリートが問いかける。アミュウは隣のベッドを覆うカーテンを見遣って身じろぎした。聖輝は声の調子をすこし落として答えた。
「アミュウさんの縁切りのまじないとやらで、私とナタリアさんは記憶の一部を失いました。失くした記憶は、夢の内容と関わりが深い。そしてそれを知ってしまったら、ナタリアさんはきっと取り乱すでしょう」
ジークフリートが立ち上がった。膝の上に載せていた革鎧がごろりと床に転がる。
「話してやればいいじゃねえか。ナタリアだって思い出したいんだろ。自分だけ俺やアミュウから聞き出しておいて、ナタリアには秘密にするってのは、いけ好かねえなァおい」
「……そう言うと思ったから、あなたに深入りするのは避けていたんですよ」
「あん?」
「カトレヤでのあの夜、あなたが夢の中で無意識のうちにアカシアの記録を読んでいることはすぐに分かりました。でも、バカの付くほど正直者のあなたに、ナタリアさんには黙っていろというのは土台無理な話だというのも、手に取るように分かりましたよ」
「だから俺でなく、アミュウをいいように使ったのか」
「人聞きの悪い。それに何も分かっていない。アカシアの記録に触れるというのは、非常に危険なことです。私は私の力の及ぶ範囲で、アミュウさんたちの安全を守っていたつもりです」
「その危険とやらを持ち込んだのはあんただろうが!」
「二人とも、いい加減にして! ナターシャが起きちゃう。ジークを挑発してどうするの、聖輝さん。それに、ジークの方も、私をあんまり見下げないで。いいように使うだなんて言い方は、聖輝さんだけでなく、私にも失礼よ。私は、考えなしに聖輝さんに夢の話を聞かせたわけじゃない」
ジークフリートと聖輝の衝突にアミュウが割って入ると、ジークフリートは素直に引き下がって反省の色を見せた。
「……わりぃ」
「強く言ってごめんなさい」
首を横に振りながらアミュウは胸中で、本当に自分は熟慮の上で聖輝に夢について語ったのだろうかと自問した。カーター邸の台所で聖輝から「眠れないのか」と問われたとき、アミュウは不思議なほどするすると夢について彼に語ったのだった。あの行動が考えあってのことだったのかと改めて考えてみれば、肯定することはできないし、聖輝に促されていたような気がしてならない。しかし、アラ・ターヴォラ・フェリーチェで彼にとって不要な話をしてしまい、苦い思いを味わってからは、聖輝に話すべきこと、話すべきでないことを見極めるようになった。そこには明確にアミュウの意思と判断が介在していた。
アミュウは、聖輝がアミュウの夢に対して抱いているある種の執念について思いを巡らせた。ナタリアも同じように、失くした過去を希求していたのだろうか――
「アミュウさんにとって、例の夢の核心はどこにありますか」
聖輝が両の手を組み合わせて訊ねた。アミュウは即答した。
「王女が枢機卿に小柄を突き立てたとき、枢機卿が『順番』だと言った点です」
聖輝はゆっくりと頷いた。
「あなたやジークの見る夢はアカシアの記録――つまり、史実です。私も同じ記憶を共有していたはずなのですが、今となっては思い出すことができません。ですが私の実家には、アカシアの記録が伝承されています。明日、私の実家で答え合わせをしましょう」
「答え合わせ? ざけんな!」
激昂したジークフリートを、アミュウは「落ち着いてってば」と冷静にたしなめてから聖輝に向き直った。
「聖輝さん。私はあの夢を見て、王女と枢機卿は殺し合いをする運命にあるのだと感じました。ねえ、聖輝さんは啓枢機卿なんですか?」
聖輝は答えなかった。代わりにジークフリートが口を開いた。
「なあ。アミュウは、アモローソ王女なのか?」
アミュウは首を横に振った。
「分からない。ただ、夢の中で私はアモローソ王女に成り代わってる。王女の見たこと、聞いたことを、この身に降りかかったことのように感じてる」
アミュウは両腕で自らの身体をかき抱いた。聖輝はなおも沈黙を守ったままだった。静かさの尾をじっくりと聞きとおした後で、ジークフリートが念を押した。
「聖輝が啓枢機卿で、アミュウがアモローソ王女なのだとしたら――」
「その先は言わないで」
アミュウはジークフリートの言葉を遮った。先刻よりもさらに長い沈黙のあと、ジークフリートはなおも続けた。
「もしも俺が、騎士シグルドなのだとしたら……」
ジークフリートの言葉はそこで途絶え、話を続ける者はいなかった。
聖輝は枕元に置いてあった本を鞄に仕舞いこみ、布団をかぶって横になった。ジークフリートに背を向けていたので、アミュウからは彼が眉根を潜めて目を瞑っているのがよく見えた。ジークフリートは再び鎧の手入れをはじめた。
アミュウは無言で二人の様子を眺めていたが、部屋を漂う閉塞感にいたたまれなくなった。しかし夜は更け、外へ出て行くこともできない。仕方なくカーテンを引いて、アミュウも布団の中に潜り込んだ。寝間着に着替える気力はなかった。




