表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第五章 たそ歌う ありし日を

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

145/285

5-1.フォブール【挿絵】

挿絵(By みてみん)


 車窓を流れ去っていく灯りの数が増えたと気付いたころには、規則正しかった走行音はだんだんとゆっくりになり、ついに列車は止まった。車掌が目的地への到着を報せに一等車から二等車へとやってくる前に、鉄路の旅に慣れた乗客らは下車の準備を整え、めいめいプラットフォーム(ル・ケ)へと下りていった。アミュウも彼らに続いた。切石のプラットフォームに吹き込んでうっすらと積もっていた雪が、大勢の旅客の靴に踏まれ、照明を反射しながら溶けていく。アミュウはアーケードの隙間に覗く夜空を見上げた。既に雪は止んでいた。


 夜の帳のすっかり下りたプラットフォームにはあちこちにランプの灯が煌めき、行き交う旅客の顔がはっきりと識別できたので、ナタリアや聖輝、ジークフリートらと合流するのは容易だった。大きく左手を振るナタリアのもとへアミュウがたどり着いたとき、彼女の肩にとまったピッチはひどく神経質になっていて、アミュウにむかって何やらピーチクとわめきたてた。


「こら、騒がないで――どうしちゃったのかな、ピッチってば」


 首をかしげるナタリアに、アミュウは答えた。


「車内は四大元素エレメントのバランスが崩れていたから、酔っちゃったんじゃないかしら。早くどこかで休めるといいんだけど」

「ソンブルイユの街門は日が沈めば閉ざされます。今夜は壁外街区(フォブール)で休みましょう」


 聖輝の提案にジークフリートが問いかけた。


「フォブール? なんだそれ」

「街壁の外に形成された居住区ですよ。私たちのように日没後に街に着いた人のための宿もあります」

「でも、貧民街(スラム)なんでしょう」

「はは、そういう地区もありますが、街門近くなら大丈夫です。ああ、財布のありかに気をつけたほうがいいのは確かですね」


 聖輝はアミュウの不安を笑い飛ばした。ジークフリートはがっくりと肩を落とす。


「なんだ、せっかく旅券が取れたと思ったら、そういうことだったのか」

「最終便だと街の中まで入れないから、余ってたのね」


 ナタリアも天を仰ぐ。聖輝は苦笑いを浮かべた。


「フォブールも街の一部ですよ。見れば分かります」


 そう言うと聖輝は先頭に立って改札口へと歩き始めた。アミュウもその背中を追う。後ろからジークフリートとナタリアが興奮気味に話すのが聞こえてきた。


「鉄道なんて初めて乗ったぜ。あんなにデカい鉄の塊が、客を二百人も乗せて走るんだぜ──感動しちまったよ」

「私もはじめて! あっという間だったね、明るいうちだったら、景色が見えたんだろうな」


(私だって初めてだったわ)


 アミュウは聞き耳を立てながら二人の会話に胸中で同調した。アミュウがソンブルイユにいたころは、今よりもずっと発着本数が少なかったし、旅券も高価だった。アミュウは馬車を乗り継いでソンブルイユに足を踏み入れ、故郷へ帰るときも駅馬車を使った。精霊機関車については、遠くから白煙を噴く車両を眺めたことがある程度だ。ソンブルイユで三年間を過ごしたとはいえ、未知の交通機関に乗り込んだ驚きや興奮は二人とまったく同じだった。しかしアミュウは会話に加わらずに黙っていた。ナタリアと話すのが気まずいというのも確かだが、二人を邪魔することへの遠慮もあった。

 聖輝は肩から提げた革の鞄を身体の前に抱え、改札に詰める駅員に慣れた様子で旅券を手渡した。アミュウも彼に倣う。


「ラ・ブリーズ・ドランジェでも車内でも切符をチェックされたな」


 ジークフリートの呟きにナタリアが頷く。


「どうせみんな同じ道のりなんだから、降りた後に確認する必要なんてないのに」

「延伸するんですよ」

「え?」


 聖輝の指摘にナタリアは素っ頓狂な声を上げる。


「駅が増えれば、不正を防ぐためにも降車駅での切符確認が必須です。鉄道運営が順調ですからね、そろそろのはずですよ。ラ・ブリーズ・ドランジェから南下して、カーター・タウン方面へ伸ばしていくつもりでしょう」

「そっか、それでケインズおじさんは街道をブリランテまでつなげるつもりなんだ」

「そういうことです。ブリランテへの大動脈を、悪路の続く西部から、整備の行き届いた東部へ移植し、一気に攻め込む。それが国王派の狙いです」

「大掛かりね。何年かかるのかしら」

「もう随分と準備は進んでいる筈ですよ。予算が承認されればすぐにでも着工するんじゃないんですかね」


 聖輝が話す間に一行は駅舎を出た。

 外の広場は閑散としていた。あまりに広いので、周囲の建物から洩れる光が行き届かず、中央が暗闇に沈んでいる。列車から降りてきた旅客のほとんどが、一定の方角を目指して歩いていた。聖輝もまた同じ方向へと歩みを進めている。


 広場に足を踏み入れてみると、駅馬車の表示板と待ち合いの長椅子が目に入った。鉄道だけでなく、駅馬車もまたこの駅前広場プラス・ドゥ・ラ・ガールに停まるらしい。長椅子には誰かの忘れ物の手袋が残されていて、雪をかぶっていた。

 アミュウがソンブルイユへ来たときには、馬車は街門のすぐ手前に停まった。街門から少し離れたこの広場へ停留所が移設されたということは、聖輝の言葉のとおり、交通事情が変わろうとしていることの顕れなのかもしれない。


 顔を上げてみれば、街壁がすぐそこに迫っているかのような威圧感でそびえ立つ。しかし壁の前に立ち並ぶ建物の数を見てみれば、壁まではまだ距離があるようだ。壁内街区アンテリウールの建築物は五階建てが標準だが、それらの建物の屋根近くまでを、壁は覆い隠している。壁の厚みは大人がふたり両腕を広げた程度。実に堅牢堅固な造りである。

 広場から街門まではかなり幅の広い道が続いている。大通りの中央には、精霊鉄道よりは幅の狭い四本の軌道が街門方面へ伸び、闇の中で途絶えていた。


「なあに? これ」


 アミュウのうしろでナタリアが疑問の声を上げる。聖輝は目線だけで振り返って答えた。


「馬車鉄道の線路ですよ」

「おっ。これが馬車鉄道か!」


 ジークフリートが合点のいったような顔を見せたので、アミュウは水を向けてみた。


「ジークも、ソンブルイユに来たことがあるの?」

「いや、ラ・ブリーズ・ドランジェ止まりだ。でも、精霊鉄道と馬車鉄道の話はクーデンでも聞いたことがあるくらい、有名だぜ」

「王都の交通機関が最新だっていうのは私も聞いたことがあるわ。でも、実際にこの目で見てみると、なんだか胸がいっぱいになる」


 ナタリアがうっとりとした面持ちで頷いた。先導する聖輝は路地を指さした。


「明日、日がのぼったら、馬車鉄道に乗って私の実家へ行きましょう。さあ、この一本奥の通りに宿屋が集まっています。この混雑ぶりでは早く部屋を確保しないと、また野宿の心配をしなくてはなりませんよ」


 聖輝の言葉どおり、列をなして大通りを歩いていた旅客たちは、いつの間にかその数を減らしていた。ラ・ブリーズ・ドランジェでは、宿探しに苦労したばかりだ。アミュウは慌てて聖輝の後を追った。少し間を空けて、ナタリアとジークフリートが続いた。


 大通りと並行する裏通りへ出てみると、道幅が狭くなったぶん軒先の灯りが隈なく行き渡り、かえって明るかった。石を積み上げ漆喰で固めた建物が両側にずらりと並んでいて、白い壁が灯りを反射していた。明るさで興奮したのか、しばらく大人しくしていたピッチが再び騒ぎ始めた。

 食欲をかきたてるニンニクの香りがどこからか漂ってくる。駅からあふれ出した旅客たちがあちこちで歩みを止めては、建物の中へ吸い込まれていく。宿屋街というのは本当らしい。玄関脇には二つ折の看板が立てかけられていて、よく見てみれば、部屋の料金が貼りだされているのだった。既に「満室」の札のかかっている店もあった。

 アミュウたちはその一帯を歩き回り、手頃な価格帯で空き部屋のある宿を見つけ出した。


「四人部屋しか残ってなくてねぇ。いいかい?」


 小さな宿屋の小柄なおかみは、この寒さの中でたくましくも腕まくりをした手で宿帳を繰りながら訊ねた。カウンターにもたれた聖輝が確認を求めてアミュウとナタリアに視線を送る。アミュウは、何を今さらとナタリアのほうを見やると、彼女はたじろいだ。


「なんでこっち見るのよ」

「なんでって……大丈夫? 相部屋で」


 ナタリアは下を向いてぶつぶつと答えた。


「どうもこうも、しょうがないじゃない。いいわよ、見ず知らずの男とってわけじゃないんだし」


 聖輝は肩をすくめて宿帳への記帳をはじめた。アミュウは意外な心境で姉のうつむき顔を見た。心なしか目の周りが赤くなっている。


(――それもそうか。純粋培養だもんね)


 気さくで交友関係の広いナタリアだが、父セドリックの庇護下で集団教育すら受けずに育ってきたお嬢様なのだ。気心の知れた仲間であったとしても、男と同じ部屋で眠るのに抵抗があるに違いない。

 しかし、簡素な夕食の後で着替えもせずにベッドに倒れ込み、いの一番に寝息を立て始めたのはナタリアだった。


「よっぽど疲れてたのね」


 アミュウはナタリアを起こさないよう慎重に吊り包帯の結び目をほどきながら言った。


「ラ・ブリーズ・ドランジェでは一日中歩き回ったからな」


 ナタリアから離れた廊下側の壁際で剣や革鎧の点検をしていたジークフリートが相槌を打った。おかみから分けてもらった油をぼろ布で革に塗りこみ、磨いている。手入れに集中しているようだったが、時折ちらちらとナタリアの寝顔を見ているのに、アミュウは気が付いていた。

 ピッチも慣れない鉄道の旅で疲れたのかころりと眠り込み、ナタリアのベッドの近くに引き寄せた椅子の背に留まってじっと動かずにいた。


 アミュウはナタリアの吊り包帯をそっと引き出し、畳んでナタリアの荷物の上に置くと、部屋を見回した。クローゼットはなく、壁にフックとハンガーが用意されているのみ。オーベルジュ・レザロームにあったような清潔な洗面台もここには無く、階下の共用スペースへ行かなければ、顔を洗うことも歯を磨くこともできない。四台の幅の狭いベッドが等間隔で並び、天井から垂れ下がるカーテンで仕切ることができるようになっていた。ジークフリートは鎧を磨き、聖輝はベッドに寝そべって本を読んでいる。

 アミュウは、窓際のナタリアのベッドを覆うカーテンを引いて、その隣、廊下側から三列目のベッドに腰をおろした。しばらく躊躇したあとで、アミュウは口火を切った。


「あのね、二人に聞いてもらいたい話があるの」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Copyright(C)2018-志茂塚ゆり
cont_access.php?citi_cont_id=11211686&si

小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
[良い点] いよいよソンブルイユでの物語が始まりますね。 ナタリアに対して複雑な思いを抱えるアミュウは、これからどう彼女と接していくのでしょう。 とはいえ、お嬢様育ちのナタリアはやたら素直な性格も見受…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ