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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第一章 森の魔女と聖霊の申し子

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1-13.グラタンとワインと【挿絵】

挿絵(By みてみん)


 カーター邸に戻ると、廊下から良いにおいが漂ってきた。つられて台所をのぞくと、ナタリアがばあやのイルダとともに料理の腕をふるっていた。


「ばあや、来てたの」


 アミュウはイルダに駆け寄る。イルダはひっつめた白髪がこぼれ落ちそうなほど首を傾げてアミュウを迎えた。


「あらあら、こんなに濡れてしまって」


 イルダはアミュウの肩に腕をまわして、水の滴るマントを外す。


「おかえりなさい、ひどい雨だね」


 パセリを刻んでいる手元から目を離さずにナタリアが言った。


「もうすぐ出来上がるよ」


 アミュウは待ちかねてキッチンストーブの鍋をのぞく。豆と玉ねぎと人参が形を崩して溶け合い、コトコトと音を立てている。


「靴もびしょ濡れじゃありませんか。サボをお持ちしましょうね」


 濡れたマントを持って廊下へ出ていくイルダの丸くなり始めた背中を、アミュウは鼻歌をうたいながら見送った。ナタリアがオーブンのドアを開いて中をのぞき、熱い庫内から大皿を取り出す。肉とスパイスのにおいが台所中に広がった。こんがりと焼き色のついたその料理に、ナタリアはチーズをすりおろしてたっぷりかけた。


「おいしそう!」

「そうでしょ。早く着替えちゃいなよ」

「着替えって言ったって、これしか持ってない」

「しょうがないなぁ」


 ナタリアはミトンとエプロンを外して作業台に投げ出し、二階の自室に上がっていく。アミュウも小走りでついていった。ナタリアはクローゼットに吊るされた服をかき分けると、「これが一番小さいかな」と、くちなし色のチュニックを投げてよこした。開け放したままのナタリアの部屋のドアからイルダが姿を見せる。


「さあ、靴を持ってきましたよ。濡れたものは火の消えないうちに台所で乾かしてしまいましょう」

「ありがとう」


 アミュウはスモックを脱いで、ナタリアのチュニックを着込んだ。懐かしいせっけんの香りが立ちのぼる。飴色の木靴を履くと気分がさっぱりした。

 食卓の支度を整えると、においを嗅ぎつけたのか、二階の客室から白いチュニック姿の聖輝が下りてきて、食堂に顔を出した。アミュウは声をひそめてナタリアに言った。


「あの人、今日いなくなるんじゃなかったの」

「午後には雨がやみますからね、そのあと宿にうつります」


 聖輝がにっこりと微笑んで言った。聞こえていたらしい。


「まぁ。こんなに土砂降りなのに?」


 イルダが尋ねる。


「ええ、やみますよ。天の気はそのように流れています」

「オーラでお天気まで分かるなんて、便利ですね」


 アミュウは揶揄のつもりで言ったが、聖輝は心底驚いたようにアミュウを見た。


「魔女ともあろうあなたが、わからないのですか」


 思わぬ反撃に、アミュウは思わずひるんだ。


「自然に一番近いところで精霊の恩恵を受けている魔女なら、天気を読むことなど容易いと思っていました」


 アミュウは何も言い返せなかった。静かな室内に、雨がカーター邸の庭を打ちつける音が響く。そばで見守っていたナタリアが見かねたように言った。


「ごはんがおいしくなくなるから、ケンカはよそでやってくれない?」

「これは失礼」


 聖輝は一昨日と同じ席に座った。イルダは遠慮したが、ナタリアが強引に食卓に座らせた。テーブルランナーもマットも無い、気取らない食卓だ。聖輝が食事の祈りの文句を口にすると、全員がうつむいて手を組んだ。アミュウはこぶしを握った。

 イルダとナタリアが腕によりをかけたのは、ポテトグラタンにミートソースをかけ、チーズとパン粉をまぶしてオーブンで焼いたものだった。豆のスープは生姜が効いていた。どちらもまだ湯気を立ち上らせている。イルダがグラタンと麦粥を取り分け、全員に配る。


「これで鹿肉はおしまい。また狩りに行かなくちゃね」


 ナタリアが意気揚々と麦粥をかき混ぜながら話す。


「パンも切らしてしまいました。酵母もまだ仕上がってなくて。今日はお粥でごめんなさいね」


 イルダが続ける。


「私、午後にベイカーストリートに用事があるから、買ってくるわ」

「またお出かけになるんですか。こんな雨の中」

「お客さんの容態を見に行くの。午後にはやむそうだから。……そうですよね、聖輝さん」


 アミュウは棘のある目で聖輝を見やると、ナタリアがテーブルの下でアミュウの足を蹴った。


「そうですね、夕方になる前には上がりますよ。ところで、このグラタンは絶品ですね。ワインをいただけますか」

「はい、どうぞ」


 イルダが聖輝のグラスに赤ワインを注ぐ。ナタリアもイルダにグラスを差し出した。


「もう暫くしたら今年のワインが飲めますかね」

「カーター・タウンのワインは一流よ。ちょうどブドウの収穫が終わって、仕込みに入っているところじゃないかな」

「それは楽しみだ。出回るまであとふた月くらいですかね」

「早摘みのワインは、もう少し早いかな」


 アミュウは昼間から酒をあおる二人を呆れて眺めた。

 食事が済んだ後も、ナタリアと聖輝は食卓で酒を飲み続けていた。イルダが食器を片付けても、グラスを手放そうとしない。


(まったくもう、ナターシャってば警戒心が無さすぎる)


 アミュウは長椅子とコーヒーテーブルを陣取り、店から持ち込んだすり鉢で、コショウの粒を砕いていた。ナタリアと聖輝が延々とワインの良し悪しについておしゃべりを続けているせいで、退室できないでいる。あちこちのブドウ農園のワインを取り出してはああだこうだと品評を始め、既に何本もの瓶がからっぽになって転がっていた。


(二人きりにさせられないじゃない)


 やり場のない苛立ちをすりこぎにこめて、コショウを粉々にする。粉が舞うたびにアミュウはくしゃみをした。充分細かくなったところで塩を加えて、ガラスの器に入れる。


(棘なる香気よ、塩の約束により災厄を退けよ)

「何か言った?」


 酔って赤くなった顔でナタリアがアミュウに訊ねる。アミュウはおもむろに聖輝の背後に近づき、塩とコショウの粉末をひとつまみ、ワイングラスに振りかけた。器に残った粉末は窓から思い切り遠くへ投げ捨てた。


「飲んでください」

「おいおい、せっかくの酒がまずくなる」


 聖輝が辟易した様子で首を振る。


「これも虫よけですか」

「虫よけです」


 それでも聖輝は鼻をつまんでワインをあおった。


「ううん……コショウはまだましだが、しょっぱいのが良くない」

「あっきれた!」


 ナタリアが目を丸くして言った。


「アミュウってば、本当に男が苦手なんだから。さっきからおかしいよ」

「男の人が苦手なんじゃなくて、聖輝さんが苦手なの」

「はっきり言うね」


 アミュウは腕を腰に当てて、これ見よがしにため息をついてみせた。酔っ払いが相手だと普段よりもずっと強い態度に出られた。


「そうよ、はっきり言うわよ。ナターシャは、もっと自分の心配をしてよ。今だってこの人の前で、こんなに飲んで。おとといは、私がいなかったら、あのまま連れ去られてどうにかなっちゃっても、おかしくなかったのよ」

「あなたがいなかったら、話がまとまっていたかもしれない」


 アミュウの説教に、聖輝が横から口を挟んだ。アミュウは聖輝をにらんで詰問した。


「結界まで張ってナターシャを連れ込んで、そもそも何の話をしていたんですか」


 しかしそれに答えたのは聖輝ではなく、ワインで顔を赤くし、幾分目の据わったナタリアだった。

「プロポーズよ」


 その場にいた三人ともが動きをとめ、水を打ったように静かになった。アミュウはナタリアの言葉を反芻した後に、口を「あ」の形にしたり「え」の形にしたり、小刻みに震えていたが、結局何の音も出すことができなかった。

 聖輝が額に手を当てて首を振った。


「……だから言いたくなかったんだ。混乱するに決まっている」

「聖輝さんのその、歯に衣を何枚も着せたような物言いが誤解を生むのよ」


 ナタリアが自分のグラスにさらにワインを注ぐ。


「ちゃんと説明しなきゃ分からないよ。分からないから不審がって、ますます警戒しちゃうの。秘密主義は良くない」

「しかし、私たちは記憶を失っているんです。何か重大な背景を見失っているに違いない。不用意な発言は控えなければ」

「必要なことは言わなきゃ」

「彼女に話すことが本当に必要ですか」

「アミュウだってあの場にいたんだよ。怪しまれたままじゃ良くないでしょ」

「プ、プロポーズ!?」


 アミュウはようやくまともに出せるようになった声を裏返して訊ねる。


「あ、あなたたち、出会ったばかりよね? 聖輝さん、いくらお嫁さんを探しているからって、そんなに展開が早いのはちょっと……」

「だから、使命のために、私はずっと彼女を探していて……」


 意味もなく空中で手をばたばたと振っているアミュウに、聖輝が弁明しようとする。


「断ったよ」


 ナタリアは聖輝の言葉を遮ってそう言うと、ワイングラスを脚を親指と中指でつまんだまま食卓に突っ伏した。


「“何か”を忘れる前にきっぱり断ったよ。その“何か”が折り合わなくて、聖輝さんと言い争っていたの。断ったことは覚えてるのに、肝心の“何か”がどうしても思い出せない。だから、どうして断ったのか分からない。こんなの嫌だよ。だって、これから聖輝さんと仲良くなるかもしれないのに、拒絶した記憶だけはしっかりある。もしもこれから聖輝さんに恋なんかしちゃったとして、その後で、忘れていたとんでもない理由を思い出すことになるかもしれない。これじゃ怖くて、普通の友人として聖輝さんと向き合うこともできない」


 ナタリアは暫く顔を上げなかった。そのつもりが無かったとしても、ナタリアから“何か”の記憶を奪ったのはアミュウだ。アミュウは謝るべきかどうか迷ったが、結局何も言葉にできなかった。


「雨が上がりましたね」


 聖輝が窓の外を見てつぶやいた。空はまだ分厚い雲に覆われていたが、遠くの空は明るさを取り戻している。アミュウは立ち上がる。


「私、ベイカーストリートに行かなくちゃ」

「そろそろ私も宿に移ります。カーター氏がお戻りになるころ、またご挨拶に伺います」


 聖輝も立ち上がった。ナタリアよりもずっと多くのワインを飲んでいたが、顔色ひとつ変わっていない。ナタリアはようやく顔を上げた。


「パパは遅くなるかもしれない。収穫期の畑が荒らされる事件が増えてるとかで、今日はその対策会議があるって言ってた」

「分かりました。では日を改めて伺います。アミュウさん、せっかくなので途中までご一緒しましょう」


 アミュウは嫌悪感が顔に出るのを、もう隠さなかった。


「私のことが苦手なのはよく存じておりますが、まだ町の地理に不慣れなもので。カーター氏からご紹介いただいた宿の場所を案内してもらえると助かります」


 聖輝が皮肉たっぷりに言うので、アミュウは首を縦に振らざるを得なかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 日常の生活感を出すのがとても上手いと思います。 自然とその空間に自分もいる感覚でした。
[良い点] 物語がどんどん思わぬ方向に展開していきますね。 なんと、プロポーズしていたとは? アミュウ目線で見ていたので、とてもそんな風には思えなかったです。 彼の使命とは? なぜナタリアは拒絶した…
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