4-22.三角貿易
アミュウは、聖輝を探しに表へ出ようかさんざん迷った末に、ロビーに残った。
聖輝の言うとおり、ここラ・ブリーズ・ドランジェにはロサやカルミノといった脅威がある。既にアミュウが彼らの眼中にないことは分かっていたが、ピッチを連れて出歩くとなると話は別だ。かと言って、ピッチを宿に残していくわけにもいかない。
二階からまばらに宿泊客が降りてきては、食堂へと吸い込まれていく。じき食堂は満席になり、ロビーではあぶれた宿泊客たちが退屈しのぎに新聞を読んだり、世間話をはじめる。ピッチは利口そうな目をすぼめたり丸くしたりして、彼らの話に聞き耳を立てているようだった。その様子がアミュウには薄気味悪かった。
食堂の利用客が一回転するころ、聖輝は戻ってきた。アミュウが駆け寄る。聖輝の二重マントから、冷たく湿っぽい空気が漂ってきた。既に鎧窓が閉まっていて外の様子は窺えないが、雪模様らしい。
「ナターシャは、ジークと一緒にいたみたい。さっき一緒に警察へ連れて行かれました」
「まさか、逮捕されましたか?」
「任意同行ってやつだと思います」
「そうですか」
聖輝は疲れた様子で、湿り気を帯びたマントを脱ぎもせずに、ソファーに腰を下ろした。無理もなかろうと、アミュウは思った。雪の舞う夕闇の中、慣れない街を歩き回ってきたのだ。しかもそれは徒労に終わった。ナタリアが部屋を出て行くのを引き留めなかったことに少なからぬ責任を感じたアミュウは、聖輝の二重マントの襟の中にしまいこまれたマフラーを引き出して、外しにかかった。聖輝はソファーの背もたれに体を預け目を閉じて、されるがままになっていたが、アミュウがマントのボタンに手をかけると、やんわりとその手を制して、自分でマントを脱いだ。アミュウは今しがた自分が外そうとしたボタンの造形に既視感を覚えた。
(どこかで見たことがあるような……?)
正十字の彫刻の施された金ボタンは、それなりの値打ちもののように見えた。そういえば、祭服のマント留めも正十字だ。アミュウは頭をひねった。
聖輝は脱いだマントと荷物を部屋に置いてくると、その足で食堂に向かった。アミュウも彼に従う。ちょうど二人掛けの小さなテーブルが空いていた。
スープ・ア・ロニヨンとパン籠を運んできた給仕に、聖輝は赤ワインを注文した。給仕は厨房から瓶を持ってくると、慣れた手つきでコルク栓を開け、アミュウが断る間もなくあっという間にふたつのグラスにワインを注いだ。
「私、いりません」
聖輝は無言でアミュウのグラスを自分の側へ引き寄せ、ひと息に飲み干した。
アミュウは警官たちによる尋問の顛末を聖輝に語って聞かせた。聖輝はスープとワインを交互に啜りながら耳を傾けていたが、アミュウの話が終わると、口元を拭って言った。
「多分、死の三角貿易とやらの片棒を担がされていたんでしょうね」
「……なんですか、それは」
「おとといの新聞の一面に出ていましたよ」
炒めた挽肉にマッシュポテトとチーズを載せて焼き上げた、アシ・パルマンティエが運ばれてくる。ちょうど焼き上がったばかりらしく、平皿に無造作に取り分けられたその料理からは、牛肉とニンニクの香りの湯気が立ちのぼっている。聖輝はそれをあっという間に平らげると、「ちょっと失礼」と席を立った。
間もなく食堂に戻ってきた聖輝は、小脇に古新聞を抱えていた。
「これですよ」
聖輝が広げた新聞を、アミュウは覗きこむ。
<死の三角貿易摘発>
ラ・ブリーズ・ドランジェ港周辺の事務所に潜伏していた港湾労働者ら三人が、規制兵器である招霊弾をブリランテ自治領へ密輸した疑いで、二十五日に検挙された。被疑者らは、ラ・ブリーズ・ドランジェでクーデン産の絹製品を売却した費用を招霊弾の購入資金に充て、さらにブリランテで招霊弾を売却して得た資金を元手に香辛料や宝飾品などを仕入れては、再びクーデンで換金し絹製品を仕入れるという、いわゆる三角貿易を相当期間続けていたとみられる。
招霊弾は大量の精霊を瞬間的に標的の周囲に引き寄せる新型兵器で、精霊術や召喚術の効果を増幅する効果があり、所持が厳しく制限されている。
当局はほかにも共謀者がいると見ており、反政府組織の関与や招霊弾の入手ルートについて捜査を続けているが、取り調べに対して被疑者らはいずれも黙秘している。
「何ですか、これ」
アミュウは顔を上げた。
「こんな組織犯罪にジークが関わってるっていうんですか」
「少なくとも、市警はそれを疑ってるんでしょうねぇ」
聖輝は古新聞を畳みながら言った。
「でもジークは、難破船の積み荷のことは本当に知らない様子でした。遭難した直後にも、俺は商売のことは分からないって言ってたわ」
「では、何も知らされないまま一枚噛まされていたんでしょう」
食事はまだ残っていたが、アミュウは頬杖をついてため息をもらした。
「ジークが仲間に会ったって言ってたのも、ちょうどこの記事が出たのと同じ、おとといの話でしたね。まったく、なんてタイミングかしら。警察の目が光っていたから、お仲間はジークに無愛想だったのね」
「市警はクーデンの出港記録を洗うでしょうから、遅かれ早かれ足はついたと思いますよ」
聖輝はそう言ってゆっくりと頭を振った。
「ここラ・ブリーズ・ドランジェを統括するディムーザン枢機卿は法王派で、ブリランテ独立運動を黙認しています。にもかかわらず、こうしてガサ入れが入ったということは、王都から市警に圧力がかかったということです」
「それだけ反政府組織を危険視してるっていうこと?」
「あるいは、この新型兵器とやらがとんでもないシロモノか」
アミュウは聖輝から古新聞を受け取ると、もう一度記事を読み返した。
「大量の精霊を瞬間的に呼び寄せる……そんなことができるのかしら」
聖輝がワインを飲み干すと、アミュウは腰を浮かせてお代わりを注いだ。聖輝が口の端を持ち上げる。
「アミュウさんの専門じゃないですか」
「専門なんかじゃありません。私は精霊と相性が悪いんです」
「あなたの先生もそんなことを言ってましたねぇ。惜しいことです。ケタ外れの魔力を持っているのに」
アミュウは頬杖をついたまま口をとがらせた。
「どうせ宝の持ち腐れですよ」
聖輝はアミュウの注いだ酒を一口飲んで笑った。
「あなたが精霊魔術を使ったら、ロサ・ガリカなんて目ではありませんね」
「……そんなことはありません。あれほど大規模な術は見たことがないし、その上、水も炎も自在に使いこなしていました。ガリカは特別です。私が言いたいのは」
アミュウは頬杖を崩して椅子の背もたれに背中を預けた。背もたれに留まっていたピッチが邪魔だと言わんばかりにアミュウの頭を足蹴にするが、アミュウはそれを無視して言った。
「ひとところにいる精霊の数なんて、たかが知れています。魔術師は自分の魔力をエサにして周りに散らばっている精霊をおびき寄せてその力を借りることで精霊魔術を使うんです。
その新型兵器っていうのは、瞬時に大量の精霊を集めるそうですが、そんなことをしたら周囲一帯の精霊が消耗しちゃうんじゃないかってことです」
「なるほどねぇ。大規模な神聖術は、連発できません。それと同じか」
聖輝はテーブル越しに、アミュウの頭を蹴ったりつついたりしているピッチへと手を伸ばした。途端にピッチは聖輝の手に噛みつこうとした。
「ヤダ! だーめよッ!」
聖輝が手を引っ込めると、ピッチは威嚇するようにがなり立てて、テーブルの下へと舞い降りた。
「私は嫌われているんですかねぇ」
「ナターシャがいないから不安なんですよ、きっと。普段はこんなことしないもの」
アミュウは苦笑してそう言うと、はたと気が付いた。
「様子がおかしいといえば、スカーレットさんが宿を出て行くとき、なんだか妙でしたね」
聖輝がいまひとつ得心のいかない様子だったので、アミュウは言い足した。
「ほら、ディムーザン枢機卿のお屋敷のメイドさんの」
「ああ」
そこでようやく聖輝も思い出したようだった。
「確かにちょっと普通でない感じでしたね」
「イアン君の名前を出したら、急に取り乱したみたいでした。なんだったんでしょうね」
聖輝はさしたる興味もなさそうに、手元のグラスを空けて言った。
「案外、ジョンストンさんの浮気相手ってのが、あの人だったのかもしれませんよ」
「え」
アミュウは匙を取り落とした。テーブルの下でピッチが驚いて飛びのき、何やら文句をがなり立てている。
(ここラ・ブリーズ・ドランジェにわたくしがいるということは、その少年にも、父親にも、どうか言わないでいてください)
(あの子の旦那は、カーター・タウンの大農家の次男坊でね。許嫁がいたのよ。だけど、どうしてか、うちの娘がいいって言って聞かなくて、周りの反対を押し切って結婚したの。それなのに蓋を開けてみたら、旦那はフッたはずの許嫁と会い続けていた。聞いてみたらひどい話だったわ。あの子があんなに泣くのも道理だよ)
うろたえるルシールの顔と、苦々しげにしゃべりたてるキンバリーの顔が立て続けにアミュウの脳裏に浮かぶ。
(待って。ジョンストンさんはなんて言ってたっけ?)
アミュウは、スタインウッドから帰ってきたあと、聖輝と連れ立ってタルコット家を訪れたときのジョンストンの言葉を、記憶の底から洗い出す。
(……あれは思い込みの激しい女で、誤解があったんだろうと思います。俺には許嫁がいましてね。それを無視して無理やり結婚を押し通したものだから、許嫁は激怒して、この家にも何度か押しかけてきましたよ。俺なりの誠意で話したが、なかなか諦めてもらえなくて、散々でした。かみさんにも何やら相当言っていたみたいだが……いなくなったのも、本当に突然で。俺らは、見限られたんですよ。駆け落ち同然の結婚だったのに、あんなザマでね。あっちの家族に合わせる顔がなかった)
ジョンストンは三十代後半のはずだった。ルシール・スカーレットの年ごろとちょうど釣り合いそうだ。
(スカーレットさんはカーター・タウンの出身だって言ってたわ。でも、まさか)
アミュウが考え事に夢中になっていると、聖輝は手ずからワインを注いだ。
「あ、すみません」
「お気遣いなく」
聖輝がのんびりと酒を飲んでいるのを横目に見ながら、テーブルの下に落ちた匙を拾おうとすると、ピッチがアミュウの手をつついた。ここオーベルジュ・レザロームのおかみは、食事のたびに気を利かせて、厨房から出た食材の切れ端を一皿、ピッチのために用意していた。その皿からアミュウは人参のヘタをつまみ上げ、ピッチに差し出した。ピッチは脚で人参を押しやり、そっぽを向いてしまった。アミュウは愚痴をこぼす。
「ピッチってば、ごはんも食べないわ。ふたりとも、早く帰ってこないかしら」
「切れ者のアミュウさんが一緒なら安心だったんですけどねぇ」
アミュウは聖輝を上目遣いに睨む。
「聖輝さんに言われても、皮肉にしか聞こえません」
「はは、どうでしょうか」
アミュウは皿に残っていた料理を食べきってから、聖輝に言った。
「前にも言いましたが、私にはジョンストンさんが浮気をするようには見えません。それに、スカーレットさんも。二人とも、とても真面目な人たちです」
「人は見かけによりませんよ。真面目な人ほど、恋に溺れるものです」
アミュウは、ちょっとした意地悪を言ってみた。
「なら、聖輝さんは恋に溺れるタイプではないでしょうね」
聖輝はにやにやと笑うと、黙ってワインを啜った。




