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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第四章 花の香は時ならずして

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4-21.嫌疑

挿絵(By みてみん)


 オーベルジュ・レザロームのロビーのソファーは、警官たちに占領されていた。アミュウは隅のほうで、もともと小柄な身体をさらに小さくして、ジークフリートの帰りを待っていた。気を利かせたおかみが警官たちに茶を出したあと、アミュウにも一杯振舞ってくれた。アミュウはたっぷりと時間をかけてその茶を飲み干したあと、なおもしばらく両手に包んでカップを持て余していたが、それもおかみに下げられてしまうと、いよいよすることが無くなった。

 警官たちは、ジークフリートとは関係のなさそうな話をして笑い合っている。仲間うちだけにしか通じない暗号文のような話しぶりで、アミュウの耳に聞こえてくる会話は、アミュウの意識のうちには入ってこなかった。


「……復旧もそろそろだとか」

「そりゃ、あれだけ技師を呼んどいて、年内に間に合いませんでした、じゃアなあ」

「ヒトもモノも動き出す前に、こっちもカタを付けないといけませんね」

「そういうこった。ま、アタマは押さえてンだ。あとはどれだけネズミを捕まえられるかだな」


 厨房からは、炒めた玉ねぎの香りが漂ってくる。今晩はスープ・ア・ロニヨンらしい。料理人がおかみに話しているのが聞こえてきた。警官たちの話は頭に入ってこないのに、夕食のメニューの話題は妙に明るく鮮明にアミュウの耳孔に浮かび上がった。

 料理のにおいに惹かれるように、玄関扉が開いた。アミュウと警官たちの目が一斉に玄関に注がれる。入ってきたのは、ジークフリートともう一人、ピッチを伴ったナタリアだった。


「ジーク! ナターシャと一緒だったの?」


 ジークフリートとナタリアの四つの目がアミュウのほうを向いたが、その間に警官たちが割って入った。


「失礼、ジークフリート・ヴィルヘルムスさんですかな」


 玄関に居並ぶ警官たち三人の壁を、ジークフリートはぽかんとして見わたした。


「……そうだけど」

「ちょっと、帰るなりひとをつかまえて、何なのよ⁉」


 ナタリアがジークフリートの前に出て警官らに噛みついたのを、遅れて出迎えたアミュウがいなす。


「この人たちは警察で、ジークの仕事について訊きたいことがあるみたいなのよ」


 ナタリアは露骨に怪訝な顔をして見せた。


「警察?」

「ええ、ラ・ブリーズ・ドランジェ市警です。ちょいと、ヴィルヘルムスさんにお訊ねしたいことがありましてね」


 警部と呼ばれていた男がジークフリートに身分証を見せつけながら言った。


「あンだよ」


 ジークフリートが睨みつけるが、男はさして気にするふうでもなく、備忘録をめくりながら尋問を始める。


「カール・リンデマンという男のことはご存知でしょうなぁ」

「……カールなら知ってるぜ。うん、確かファミリーネームはリンデマンだった。言われて思い出した」

「港であんたとカール・リンデマンが話し込んでいたという情報がありましてな」

「それがどうした」

「カール・リンデマンとはいつ、どこで知り合ったんです?」


 ジークフリートはややたじろいだ。


「――クーデンだけど? 九月末だったかな」

「ほう、クーデン」


 制帽のつばの下で男の目が光った。


「それで――例えば、カール・リンデマンと手を組んで貿易をおこなったとか?」

「貿易ィ? ああ、商売に困ってるみたいだったから、商船護衛を買って出たぜ。文句あっか」


 警官たちが目配せを交わす。ジークフリートは睨みをきかせた。


「なんだってんだよ、おい!」

「その商船というのは、クーデンを出て、ラ・ブリーズ・ドランジェを経由して、ブリランテに行く船ですかね」


 男の問いかけに、ジークフリートは苛立たしげに答えた。


「いや、俺はブリランテに行くとは聞いてない。契約はラ・ブリーズ・ドランジェまでだった」

「契約? 商船護衛とやらの契約ですか。契約額はいくらです」


 警部が突っ込んで訊ねると、ジークフリートの目が泳いだ。


「……正確な額は覚えてねえ。前金しかもらってねえし、契約書は今ごろ波の下だ」

「でも、相場をだいぶ上回っていたんでしょうねぇ」


 警部の追及に、ジークフリートは黙した。ナタリアはたまりかねたように声を上げた。


「だからなんだっていうのよ。ジークは何も後ろ暗いことはしていないわ。船はカーター・タウン沖で嵐に遭って沈没したのよ」

「カーター・タウン沖で沈没?」


 ナタリアの横槍に警部は首をひねった。


「では、クーデンを出て北回り航路でラ・ブリーズ・ドランジェまで来て積み荷を降ろしたあと、沈んだということですかな」

「いや、南回りだったんだ。ブリランテを通り抜けてラ・ブリーズ・ドランジェへ行く途中で遭難した」


 ジークフリートが説明すると、ナタリアは険のある声で言った。


「ほら! クーデンからラ・ブリーズ・ドランジェに寄ってブリランテへ行くなら、北回りで行くのが普通でしょ。何を探っているのか知らないけど、あんたたちが疑っている船とジークは無関係よ」

「北回り航路は監視の目が光ってますからな。わざわざ南を通ったとも考えられます。要は、その船が、何を運び、何を積もうとしていたかが問題なんですよ」


 警部はナタリアを一瞥してから、再びジークフリートを見た。


「どうですか。その船の積み荷に心当たりは」

「知らねえよ」


 ジークフリートは警部の詰問に業を煮やして、睨み返した。警部の後ろに控える二人のうちのひとりが素早く備忘録にペンを走らせる。警部は腕を組んで言った。


「絹でしょう」

「は?」


 ジークフリートの体が前のめりに傾く。


「クーデンの絹をラ・ブリーズ・ドランジェで換金する腹でしたね。その後、何を仕入れ、何をブリランテへ持ち込むつもりだったのか。調べはついとるンですよ」


 ジークフリートは両手を振ってみせた。


「待て待て! 積み荷なんて知らねえぞ! 俺もカールに訊いたが、答えてくれなかったんだ」

「ヴィルヘルムスさんは、ご存じでない?」

「俺はただの護衛だ、カールたちの商売については、何も聞かされてねえ」

「カールたち(・・)。カール・リンデマンとヴィルヘルムスさんのほかにも、お仲間がいたと」


 警部の追及に、前傾姿勢になっていたジークフリートが半歩退いた。ジークフリートの目がアミュウをちらりと捉える。アミュウは助け舟を出した。


「さっきも言ったとおり、船も積み荷も乗組員も沈みました。今はもう調べようのないことです」

「お仲間の名前は?」


 ジークフリートは食ってかかった。


「言えるかよ。そうやってカールにもしつこく訊いたんだろ。そいつは海の藻屑になっちまったが、クーデンにはやつの家族もいるはずなんだ。迷惑はかけられねえ」


 警部は心得顔で、目元ににやにやとした笑みを浮かべている。ナタリアが反駁する。


「馬鹿にしてるの⁉︎」


 警部はわざとらしく咳払いをしてみせた。


「いや、失礼。そうではなくてね。ヒュー・クラッセンもカール・リンデマンも、クーデンの人間ではありませんよ。ブリランテ出身です。ついでに言えば、二人とも偽名を使ってましたよ。ヴィルヘルムスさんは本当に知らないようだから言ってしまいますがね、カール・リンデマンはブリランテの反体制派の一味カルロ・リッチ。繊維業者の仮面をかぶった、革命家気取りの武器商人ですよ」


 ジークフリートは口をあんぐりと開けて、ひゅっと息を吸ってから、かすれ声で言った。


「……ヒューのこと、知ってたのか」

「言ったとおりですよ。調べはついとると」


 ジークフリートは言葉を失い、アミュウもナタリアも、彼らの会話から得られた情報を整理するのに忙しかった。沈黙の流れる間に、警部の後ろで部下がインク壺に蓋を締めて仕舞いこむ。捜査とやらは、そろそろ終わりらしかった。


「……とまあ、こんなところでして。我々があなたのお話を伺いたいと言った理由がお分かりでしょうな、ヴィルヘルムスさん。あなたには、規制された兵器を密輸した嫌疑がかけられているんですよ」


 ジークフリートはかぶりを振った。


「俺はなんにも知らねえぞ。積み荷が何かも、本当に知らなかったんだ」

「そうですか。続きのお話は署でうかがいます」


 警部は頷きながらもジークフリートの背に手を当て、同行を促す。その手は真冬だというのに黒く日に焼けて、武骨で大きかった。ジークフリートを無理矢理に連れて行こうとしているわけではなさそうだったが、どこか、逃げることは許さないと言外に言っているような、寡黙な拘束力があった。

 彼らがジークフリートを連れて行こうとしたとき、ナタリアがすっと前に出て、警部の腕を掴んで払いのけた。警部の、目蓋に埋もれた小さな目がナタリアに注がれる。ナタリアはその目を睨みかえして言った。


「待って」


 警部は払われた腕を腰に当てて、ため息交じりに言った。


「なんですかな、お嬢さん」

「遭難したジークを保護したのは、カーター・タウン町長よ。嵐の港に流れ着いたとき、彼は武装してた。当然町長は警戒したわ。でも、彼が全うな人間だと判断したからこそ、町長は彼を解放したの。その判断が、間違ってたっていうの? 下手すれば政治問題に発展するわよ」

「……町長が?」


 警部の眉が意外そうに吊り上がる。部下の警官は仕舞いこんだ備忘録とインク壺を再び取り出した。


「お嬢さん、お名前は」

「ナタリア・カーター。セドリック・カーター町長の娘よ」

「ヴィルヘルムスさんとのご関係は」

「仲間よ、な・か・ま! 見れば分かるでしょ」


 名乗りながらナタリアは、左手に従えていたピッチをアミュウに差し出す。アミュウは黙ってピッチを受け取った。


「……だいじょーブ?」


 ピッチは不安そうにナタリアを見上げる。ナタリアはピッチに微笑みを向けると、空いた左手でジークフリートの手をぎゅっと握った。


「私も一緒に行く。証人が必要でしょ」

「――ナタリア」


 ジークフリートがナタリアの横顔を見つめる。警部は腰に手を当てたまま空を仰いで何かを考えていた。部下の一人、記録を取っていない方の男が口を挟む。


「カーターさん。被疑者と関係の深い参考人の発言の信頼性は、高くはありませんよ」

「ヒギシャって何よ、ジークが悪いことをしたって決めつけないで」


 ナタリアがぴしゃりと言うと、警部は頭を振ってジークフリートをめつけた。


「ミカグラ枢機卿の御曹司に、カーター・タウン町長のお嬢さん。ヴィルヘルムスさん、あんた、えらいお友達をお持ちですなぁ」

「……、ンだよ」


 ジークフリートが眉をひそめる。アミュウはナタリアの脇腹を小突いた。


「ねえ、大丈夫なの?」

「虎の威だか親の威だか知らないけど、借りられるもんは借りてやるわ」


 ナタリアは早口で言い切った。アミュウはさらに小声で訊いた。


「ところで、聖輝さんには会わなかった? ナターシャを探して飛び出していったんだけど」

「聖輝さん? ずっと港にいたけど、見なかったよ」


 アミュウはあきれかえった。どこへ行ったかと思えば、なんのことはない、ジークフリートのところにいたのだ。アミュウは、ナタリアの行方を心配した労を返してほしいと思った。


「ではお二人さん。ご同行願いますよ」


 警部はそう言ってジークフリートとナタリアに、宿を出るよう促した。警官たちは、波がひくようにさっさと表へ出て行ってしまった。

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