4-18.拒絶、そして
「マリーさん。あなたが詫びる気持ちは真心からだと、理解しました。でも、謝罪を受けるわけにはいきません。だって、私たちを害したのはあなたではなく、ガリカであり、ザッカリーニであり、そしてきっと……あなたのお父さんだもの。あなたが謝る筋合いではありません」
マリー=ルイーズは、事の成り行きが想定外の方向へむかったと見え、目を丸くしている。ロサが、壁に預けていた身体を起こし、一歩踏み出す。
「おだまりなさい、ペテン師が! お嬢様がこれだけ頭を下げているというのに」
ロサが怒声をあげるいっぽう、ルシールは少しも動かずにいた。しかしその目は鋭くアミュウを貫いている。
アミュウは構わずに言葉を続けた。
「あなたのお父さんは、御神楽家との関係づくりに私たちが邪魔だから、箒で塵をはらうみたいに、聖輝さんの前から消そうとしました。でも、聖輝さんが選んだ運命の女がナターシャだと分かって、今度は擦り寄ろうとしているのね――いいえ、違うわ、ザッカリーニは、ナターシャを連れ去ろうとしていた。人質にでもするつもりだったんじゃないんですか」
「そんなことは決して」
マリー=ルイーズは首を振ったが、アミュウはなおも続ける。
「マリーさんにそのつもりがなくても、少なくともザッカリーニはそのつもりだったわ。それに、陰から聖輝さんを守ってきただなんて言ったら聞こえがいいけど、つまりそれは、虫がつかないように付け回してきたってことでしょう。聖輝さんにしてみたら、良い迷惑よ。そのために聖輝さんは、わざわざ粗末な宿を選んだり、目立つ祭服を避けたりしていたんだわ」
アミュウは、隣でナタリアがなるほどと手を打つのを、目の端に捉えた。
「それに、今さらピッチを引き取ろうとしているのだって、どうせピッチに見聞きしたことをしゃべらせる算段なんでしょう。おあいにく様、ピッチは既に私たちにその芸当を見せてくれたわ。私たちの動向を探ろうとしたって、そうはさせません」
急に名を呼ばれて驚いたのか、ナタリアの膝の上でピッチが目を白黒させている。ナタリアも目を見開いてアミュウを見ている。アミュウの言葉は、話すほどに熱を帯びていった。アミュウがピッチの諜報に気付いていることを、ナタリアに知られてしまうかもしれないという考えがちらりとアミュウの頭をよぎったが、それでも構わないと思った。
「ピッチをお返しすることはできません。でも安心して、聖輝さんにあなたのことを悪く言ったりはしません。だからお願い。これ以上私たちに関わらないで。私が願うのは、ナターシャの身の安全だけよ。それに、聖輝さんの後を尾けさせるのも、あなたからお父さんに言って、やめてもらってください」
アミュウはナタリアの左手を取って、立ち上がらせた。膝に乗っていたピッチが、不満げな声を洩らしてナタリアの肩へと舞い上がる。
「行きましょう、ナターシャ。話すことは、もう無いわ」
「お待ちください!」
マリー=ルイーズも立ち上がる。
「確かに、アミュウさんのおっしゃる通りかもしれません。父は、自分が法王となるために、わたくしだけでなく、ナタリアさんまで利用しようとしているのかもしれません。でも、どうか分かっていただきたいのです。あなたがたを傷つけてしまったこと、わたくしは心から申し訳なく思っております」
アミュウは小さく首を横に振った。
「最初に言いました。マリーさんの気持ちを疑っているわけじゃありません。でも、私たちが失ったものは、お金で解決できることではないんです。それに、ガリカやザッカリーニ、そしてあなたのお父さんが私たちへの干渉を続けるつもりなら、謝罪は受け入れられません」
マリー=ルイーズは唇を噛んだ。桜色の紅が、粒のそろった前歯にうつる。ロサはさらに数歩あゆみ出て、応接間の扉の前に立ちふさがった。
「よく分かっているじゃないの、さすが悪知恵が回るのね。なら、自分たちが今すでに人質となっていることもお分かりでしょうね」
アミュウはナタリアの手を掴む力を強めた。反対の手では蓮飾りの杖を握りしめる。
「下がって、ロサ。失礼が過ぎますよ」
マリー=ルイーズが凛とした声でロサをたしなめた。ロサがなかなか動こうとしないのを、ルシールが腕を引っ張って強引に下がらせる。マリー=ルイーズはしばしの沈黙ののち、口を開いた。
「ならば、わたくしが父やこのロサ、そしてカルミノの態度を改めさせることができたら、わたくしの気持ちを受け取っていただけますか」
「ええ」
アミュウが頷くと、マリー=ルイーズはナタリアに寂しげな微笑を向けた。
「短い時間でしたけれど、ピノがナタリアさんに心を許していることは、よく分かりました。ピノが懐くお人柄だからこそ、聖輝様はあなたに惹かれたのでしょうね」
「えぇっと……」
ナタリアは困った表情を浮かべた。ナタリアは聖輝のプロポーズを断っているが、そのことを縁談の頓挫したマリー=ルイーズに話しにくいのだろう。アミュウはナタリアの手をぐっと引いて、部屋を出ようとした。
「……それでは、失礼します」
「ナタリアさん」
マリー=ルイーズはなおも追いすがるように声を上げた。ナタリアはアミュウに引っ張られながらも彼女に応じる。
「……なあに?」
「なかなか屋敷を出ることのできないわたくしにとって、ピノは大切な友人であり、家族でもありました。改めてお詫びを申し上げることのできる日がきたら、ピノのこと、もう一度考えていただけますか?」
ナタリアは少しの逡巡のあとに首肯した。マリー=ルイーズはほっとしたような笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
「馬車をお出ししましょう」
ルシールはロサを押しのけると応接間の扉を開け、アミュウとナタリアに外へ出るよう促した。廊下に出て玄関ホールへ先導する間に、ルシールはぽつりとつぶやいた。
「お二人を無事に宿へお送りすることができてほっとしております」
「ねえ、スカーレットさんはどこまで知っていたの?」
ナタリアが訊ねると、ルシールは振り向きざまに答えた。
「猊下は普段、王都におられます。アミュウ様のおっしゃるとおり、ナタリア様を王都へ呼び寄せて、御神楽枢機卿のご子息との交渉の切り札となさるおつもりでした。本日の交渉がうまくいかなかった場合、ロサはまさにお二人をここに引き留める役目を負っておりました」
アミュウは拍子抜けして言った。
「――そこまで私たちにしゃべってしまっていいんですか?」
「ええ。わたくしはお嬢様の味方でございます。そのお嬢様が、あなたがたにピノを託す決断をなさったのですから」
ルシールは疲労感の滲む声を引き搾った。
「お気をつけください。ああおっしゃった以上、お嬢様は猊下に対して、何らかの働きかけをなさるでしょう。ですが、実の娘の説得であろうと、猊下はそうやすやすとお心を変える方ではございません」
アミュウは緊張した面持ちで頷いた。
玄関ホールの階上に差し掛かると、ここを訪れたときに見かけた、マリー=ルイーズの肖像画が目に入った。瀟洒な彫刻の施された額縁の内できらめくプラチナブロンドに、バラ色の頬。真っ白な胸元をさらけ出す娘。
アミュウの視線に気が付いたのか、ルシールが口を開いた。
「御神楽家との縁談に先駆けて、猊下が用意させた肖像です」
「スカーレットさんが『印象が異なる』って言ったのが、分かる気がします」
ルシールは深く頷いた。
「媚びずとも、お嬢様のつつましやかなお美しさやその内面の真っすぐさは、伝わる方には伝わるものです。御神楽の若君にその魅力が伝わらず、わたくしどもは残念に思っております――ですがそれも昔の話。わたくしはお嬢様に、新しい幸せを見つけていただきたいのです」




