4-8.再び、小柄
(何これ……どうしてナターシャが持ってるの?)
錆びて使い物にならなくなった刃、古びてすっかり黒くなった赤銅地に浮かび上がる金の彫刻――どう見ても、あの見合いの夜、縁切りのまじないに使った小柄だった。
混乱する頭とは裏腹に、手は冷静に小柄を布でくるみ直して矢筒の底に収めると、矢をまとめて収納した。クローゼットの戸を閉めたとき、部屋の扉を軽く叩く音が響き、返事も待たずに開けられた。
「ただいま」
戻ってきたナタリアに、アミュウは何でもなかったかのように「おかえり」と言った。
食堂に聖輝は来なかった。食前の祈りもそこそこに、食事が始まった。
「あいつ、まだ寝てるぜ。食いっぱぐれるんじゃないのか」
ジークフリートはパンをもそもそと咀嚼しながら言った。アミュウは苦笑した。
「聖輝さん、朝は苦手なのよ」
「朝っぱらからのろけ?」
ナタリアが突っ込むと、アミュウは口にしていた芋のポタージュを盛大にむせた。
「そういうのじゃないってば」
「でも、やっぱり一緒に暮らしてたんだから、多少はそういうこともあったんじゃないの」
アミュウは流行り病で伏せっていたときのことを思い出した。耳殻に、聖輝の指先の感触がよみがえる。そして、自らせがんだ口づけ。長い沈黙の後に頬へと触れた、かさかさと乾いた感触――それらをすべて自分から遠いどこかへ投げ捨て、アミュウは冷たく言い放った。
「あるわけないでしょ」
「ふぅん。ほんとかどうか……」
もしも聖輝とアミュウが、ナタリアの言う「そういう」関係だったとしたら、昨晩のように聖輝がナタリアを街へ誘い出すこともなかっただろう。アミュウは寝不足気味の重い頭で考えた。
「今日は聖輝さんと出かけるんでしょう。気をつけてよね。あの人、まだナターシャのこと狙ってるんだから」
「無い、無い。それこそあり得ないってば。あんなにはっきりプロポーズを断ったんだから」
「ナターシャにそのつもりが無くても、聖輝さんにはあるのよ。それにそのあたりの記憶、曖昧なんでしょう」
「う……ま、まあね」
ジークフリートは黙ってパンをかじっていたが、耳だけはしっかりこちらへ向けているようだった。アミュウはナタリアの右肩に目をやって言った。
「隙を見せちゃだめよ。本当なら、部屋でゆっくり休んでいてもらいたいくらいなんだけど」
「退屈で死んじゃう」
ナタリアはスープを啜って、言葉を続ける。
「でもさ、こう言っちゃなんだけど、アミュウ。聖輝さんが一人で王都へ帰るって言いだしたとき、あんた血相を変えてたでしょ。こうして一緒にいられるなら、旅に出てみて良かったね」
「馬鹿言わないでよ」
「本当にそう思ってるんだから。あんなことになって、結果オーライだったじゃない」
そこでジークフリートが突然立ち上がった。
「わりぃ。俺、早めに仕事に出るわ。新人だしな」
ジークフリートは引いた椅子を戻さないまま、静かに食堂を出て行った。彼の腰かけていた椅子の背にピッチが舞い上がって、首を傾げる。
「だいじょーブ? だいじょーブ?」
「……なぁに、あれ?」
きょとんとしたナタリアの隣で、アミュウは深くため息をついた。
「今のは無神経よ、ナターシャ。ジークってば、あれは自分の招いたことだって思ってるんだから」
「そうなの?」
ナタリアは眉を寄せた。
「そんなに悪いこと言っちゃったかな」
「けっこう落ち込んでるわよ……後でちゃんと話しておいたほうがいいんじゃないかしら」
アミュウも食事を終え、手拭きで口元をぬぐった。ナタリアの前には、慣れない左手での食事が進まないのか、それとも単にしゃべり過ぎたのか、まだパンもスープも残っていた。ナタリアは慌てて食事をかき込む。ピッチがもの欲しそうにパンくずを見ていたが、ナタリアは皿を引いて「だーめ」と制した。パンは鳥の健康のためにならない。
ナタリアの皿が空になるころ、寝ぼけ眼の聖輝が頭を掻きながら食堂にやってきた。
「おや……もう食事はおしまいですか」
「聖輝さんが遅いんです」
アミュウはつっけんどんに言い放ち、さらに釘を刺す。
「今日は二人で出かけるんでしょう。ナターシャに妙なことしたら、ただじゃおきませんよ」
「はは、前に同じようなことをナタリアさんから言われましたっけねぇ」
聖輝はジークフリートの使っていた食器を脇に寄せて座ると、おかみに向かって手を挙げて合図した。
アミュウは肩をすくめると、ナタリアの手を引いて食堂を出た。ピッチがトコトコと後をついてくる。他の宿泊客たちがぎょっとした顔でピッチの方を振り返った。アミュウはしゃがみ込むと、ピッチを空いたほうの腕に載せて、部屋へと戻った。
「聖輝さんの言ったとおり、ピッチがいると目立つわね」
扉を後ろ手に閉めながら、アミュウが嘆息混じりに言った。ナタリアが左手でピッチの首を掻きながら、不安そうな声を洩らす。
「宿に迷惑かな」
「今はまだ何も言われていないけど、いよいよ迷惑となったら、追い出されちゃうかもしれないわね」
「……だいジョーブ?」
小首を傾げて見上げるピッチを、ナタリアはゆっくりと撫でてやる。
「大丈夫よ」
アミュウはオーバーを着込み、ショールを羽織って鞄を提げた。ナタリアからピッチを譲り受けると、仕事に出かけて行った。




