4-7.傷心のジークフリート
同じ夢を見た。
目を開いたアミュウは、まず隣のベッドのナタリアと、書き物机の椅子に留まってうずくまるピッチのほうへ目を走らせた。両者ともぐっすりと眠りこんでいる。
再び目を閉じると、早鐘のように鳴り響く自分の鼓動がいっそう大きく聞こえる。アミュウは深呼吸を繰り返して、動悸が収まるのを待った。
(しばらく夢を見ていなかったのに……どうして立て続けに見るんだろう)
アミュウは目を閉じたまま、これまでに見た夢の記憶を、ざわついた頭の中から無理矢理に引っぱり出した。
はじめて不思議な夢を見たのは、聖輝がナタリアをかどわかそうとした、あの見合いの日の夜。王女は騎士シグルドとともに、焼け落ちる寸前の城から森の中へと逃げてきた。泉のほとりで、ミカグラ卿と出会ったところで目が覚めた。
二度目に見たのは、とりとめもない柘榴の夢。確か、風邪をこじらせたオリバーを訪ねた日の夜のことだった。付きまとってきた聖輝が一芝居打って、治りかけのオリバーに喝を入れたのを、アミュウはよく覚えている。無茶苦茶なやり方だと思ったが、実際にオリバーはその翌日から再びパン作りに精を出すようになったのだった。
その次は、ジークフリートがカーター・タウンに漂着した夜。それまでどうしても思い出せなかった騎士の顔と名を、唐突に思い出した。
しばらく夢を見ない期間が続き、今月のはじめ、流行り病に伏せっていたときにも、夢を見た。思索の手が夢の内容に触れそうになると、アミュウは掛け布を額まで引っ張り上げた。
そして、昨日きょうと続けざまに見た夢。
アミュウは掛け布をはねのけて目を開く。闇に慣れると、壁掛け時計の針がだんだんと浮き上がって見えるようになってきた。午前四時半。起きるには早かった。
ベッドから起き出して水差しの水を少しだけ飲み、アミュウは再びベッドに潜った。しかし眠気はもうやってこなかった。
一時間ほど経つと、頭を後ろ羽に突っ込んでいたピッチが身じろぎし、ぐるりと頭を一回転させて何やらさえずりはじめた。アミュウはピッチに顔を向けた。
「おはよう、ピッチ」
「おはヨ、おはヨ。ピッチャン、かわイー!」
ナタリアがもそもそと寝返りを打ったので、アミュウは慌てて「しーっ!」と人差し指を立てた。
「ナターシャを起こさないで」
「りょーカイ!」
ピッチはそれきり大人しくなり、羽繕いをはじめた。アミュウは身支度を整えると、ピッチを連れて部屋を出て、階下へ降りていった。
厨房の方から良い香りが漂ってくるが、寝覚めの悪かったアミュウは食堂を覗いてみる気になれなかった。反対側のロビーを見やると、ソファーの背もたれから、赤い頭が飛び出して見えた。
「ジーク、起きてたのね」
「アミュウ」
ジークフリートは振り返った。三人掛けのソファーには、乱雑に畳まれた昨日の新聞が放り投げてあった。何気なく目にした見出しには、「死の三角貿易摘発」という文字が躍っていた。
「俺、文字を読むのは苦手だ」
「本を出すなんて言ってたくせに」
アミュウは新聞をきれいに畳み直してスペースを作ると、ジークフリートが座っているのとは反対の端に腰をおろした。アミュウがそこに座っても、ピッチが膝上に飛び乗っても、ジークフリートは黙ったままだった。アミュウはあくびを噛み殺すと、小声で訊ねた。
「どうしたの」
「どうって?」
「なんだか変よ。元気が無い」
「別に」
ジークフリートはそっぽを向いて、また押し黙った。アミュウはため息をついた。
「ナタリアの怪我のこと? それとも私の小屋のこと?」
ジークフリートはたっぷりの間をおいてからぼそりと答えた。
「……両方」
アミュウは背もたれから身体を起こすと、ジークフリートの方に向き直った。
「ジークが責任を感じることないわ」
「ザッカリーニに喧嘩を売ろうって言いだしたのは俺だ。なんにも分かってなかった。自分の実力も、相手の実力も。粋って突っ走って、あんなことになっちまった」
そう言ってジークフリートは額に手を当てた。
「不甲斐ねえ……俺は、土砂崩れで家を流された。今回は俺自身の手で、アミュウに同じような思いをさせる結果を招いちまったんだ」
「同じじゃないわ」
アミュウは首を横に振った。
「このあいだも言ったけど、私には家族もいる、帰る家もある。ジークとは違うわ」
「……そうか」
ジークフリートは膝に肘をつき、手で額を押さえたままうな垂れた。居場所を失い床へと降りたピッチがうるさくさえずって抗議する。
「ナタリアの怪我は、治るのか? あいつ、カーター・タウンから弓を持ってきてただろ。また弓を引けるようになるのか?」
アミュウは目を丸くした。ナタリアはカルミノによって脱臼させられた。脱臼自体はすぐに修復したが、同時に痛めた腱は負荷がかからないよう安静を保ち、地道に回復を待つしかない。
「……ちょっと長引くかもしれないけど、きっと良くなるわ」
「元に戻るのか」
重ねて投げかけられたジークフリートの問いに、アミュウは口ごもった。
「……多少は、動かしにくくなるかもね」
おかみがロビーにやってきて、玄関の鍵を開けて扉を開いた。表の新聞受けから今日の朝刊を取り出して、アミュウたちのところに持ってくる。
「読みますか?」
ジークフリートは力なく首を横に振ると、無言で古い新聞をおかみに預けた。おかみは新聞立てに新しい新聞を突っ込んでから、古い新聞を持って奥へ下がっていった。
ジークフリートはソファーから立ち上がると、玄関へ向かって歩いて行った。
「どこへ行くの?」
「わりぃ。ちょっとひと歩きしてくるわ。メシまでには戻る」
そのまま、手ぶらでオーベルジュ・レザロームを出て行ってしまった。
ピッチを連れて部屋に戻ると、ナタリアが起きていた。
「もう、起きたらあんたもピッチもいないから、心配したじゃない」
「ごめん、ごめん」
アミュウが軽い調子で謝ると、ナタリアはアミュウに背を向けて寝間着を脱ぎ始めた。前開きの、着脱の容易な寝間着だった。
「ねえ、そこのクローゼットからワンピースをとってよ」
「はいはい」
アミュウはクローゼットの扉を開いた。二人分の衣服と蓮飾りの杖、それに弓矢が収まっている。エメラルドグリーンのワンピースを取り出そうとして、スカートの裾が矢筒に引っかかって手前に倒れてきた。アミュウは矢筒を元に戻すとき、違和感を感じた。矢が矢筒の中に素直に入っていかないのだ。
「もう、何してるの」
シュミーズ姿のナタリアがアミュウを急かす。アミュウは矢筒を適当に放り込んでクローゼットの戸を閉めると、指定のワンピースをナタリアのところへ持っていって、着替えを手伝ってやった。
「どうして後ろボタンの服なんか持ってきたのよ……」
「シワになりにくいんだもん。持ち運びにいいかなって思って」
「馬鹿」
アミュウはワンピースの背中のボタンを全て留めると、三角巾でナタリアの右腕を固定した。
「痛みはどう?」
「だいぶ良くなったよ。動かさなければ痛くない」
それはつまり、動かしたら痛いということだ。受傷から既に一週間が経過しているが、固定を解除するにはまだ早いのかもしれない。アミュウはナタリアの巻き毛を梳り、その背中を軽く叩いた。
「よし、出来上がり」
「ありがとう!」
ナタリアは立ち上がり、「ちょっと御不浄」と言いながら部屋を出て行った。
アミュウはさっきお座なりに立てかけた矢筒を元に戻そうと、クローゼットの戸を開いた。途端に矢筒が倒れ、矢が何本か滑り落ちた。
「あーア!」
いつの間にかアミュウのすぐ近くにいたピッチが目を点にして言った。
「しーっ……ナタリアには内緒にしてね」
アミュウは屈んで矢を拾い集め、矢筒に戻すが、途中でつっかえて奥まで入っていかない。
「……?」
アミュウは矢を全て取り出して、矢筒の中を調べてみた。底の方に、矢ではない何かが入っている。アミュウはそれも取り出してみた。
ぼろ布にくるまれた何かだった。そっと布を開いてみると、あの小柄が出てきた。




