4-4.薔薇の夜明け(ローブ・デ・ローズ)【挿絵】
その日のうちから、アミュウはジャスマン通りの空き家の前に陣取って、卜占を始めた。ナタリアから「外に出してあげた方が気晴らしになるから」とピッチを託されたのだが、この人語を操る大型鳥が客引きの役目を立派に果たし、旅の占い師の噂はすぐにラ・ブリーズ・ドランジェの女性たちの間で話題となった。
そこは商店の並ぶ地区で、人通りが激しい。本来であれば占いにはもっとひっそりとした場所を選ぶものだが、目立たない場所ではそもそも客がやってこない。土地勘のないアミュウは、きのう宿を求めて通りがかったこの場所を選んだ。
昼過ぎにはちょっとした行列ができるまでになった。若い娘から熟年の婦人まで多くの女性が、実に色々な悩みを引っ提げてきた。さすがは香水の街といったところで、彼女たちを悩ませる難題と同様、その身にまとう香りはまさに十人十色だった。アミュウは昼食をとる間もなく、ぶっ通しで占いを続けた。
アミュウの占いは、依頼人の悩みに応じて様々な方法をとった。札占、銭占、辻占、数秘術……それがまた依頼者の好奇心をかきたてた。そのうえアミュウは占いの最後の段になると、彼女たちに簡単なまじないを教えた。列をなす女性たちは、順番がまわってくるのを待ちながら、どのような方法で自分の運命が占われるのか、どのような秘術を伝授されるのかと、期待を膨らませているようだった。
「おや」
十何人目かの依頼者がアミュウの元を立ち去ったとき、アミュウの前で足を止める者があった。帆布の鞄を尻に敷いて座り込んでいたアミュウは顔を上げる。亜麻色の巻き毛に、聖職者であることを示す白い帽子を載せた、三十絡みの男だった。親切そうな小粒の目がアミュウを見て揺れている。アミュウはその男の顔に見覚えがあった。言葉を交わした記憶もあるが、名前が思い出せない。それは男も同じらしく、言葉に詰まっているようだ。彼の後ろには、彼よりはもう少し若い祭服姿の男が控えていた。
男は、記憶を洗い出すのを諦め、自分から名乗った。
「助祭のモーリス・ベルモンです。失礼ですが、あなたは確かスタインウッドでお会いした――」
「ベルモン先生!」
その名を聞いて、彼がスタインウッドでの事件で、ラ・ブリーズ・ドランジェから派遣されてきた牧師であるのを思い出した。アミュウはすっくと立ち上がった。
「カーター・タウンのアミュウです。その節はお世話になりました」
「こちらこそ。ラ・ブリーズ・ドランジェへ来ていたのですね」
モーリスは目を細めて笑顔を作ると、アミュウの足元の敷布や、未だ列をなす女性たちを眺めた。
「何をなさっているんですか?」
モーリスの口調にアミュウを咎める気配はなく、純粋な好奇心から訊ねただけであるようだったので、アミュウは正直に答えた。
「占いです。ここで店を広げてはいけませんでしたか?」
「いえいえ、この街にあなたのような魔術師は、姿を消して久しいです。どうぞ安心して商売なさってください」
アミュウはほっとして言った。
「ご寛容なんですね」
「我々教会は、あなたがた自然とともに生きる魔女を祝福しますよ」
モーリスは穏やかな声でそう言った。
「モーリスさん、そろそろ」
モーリスの後ろに控えていた男が小声で声をかける。
「ああ、ブリュノ。そうですね。お待ちの方々、割って入ってしまい申し訳ありませんでした」
モーリスの言葉の後ろ半分は、列に並ぶ女性たちに向けてのものだった。彼女たちは案外にこにことしていて、モーリスの割り込みを気にするふうでもない。若い牧師が町の女性たちに慕われていることがアミュウにもよく分かる。
去り際にモーリスはピッチに目を留めた。
「珍しい鳥を連れているのですね」
「迷子になっていたのを、預かっているんです」
「……そうですか。飼い主が見つかるといいですね」
モーリスたちは会釈をして、ジャスマン通りの緩やかな坂を上がっていった。
「ベルモン先生と知り合いなの?」
最前列に並んでいた婦人がアミュウに声をかけた。
「ええ、以前お世話になりました」
「立派な方でしょう。お若いのによく気が利いて、仕事にも熱心だし、牧師の鑑だわ」
アミュウは頷き、坂を見上げてモーリスの背中を探したが、雑踏に紛れてもう見えなくなっていた。ジャスマン通りの先のプラス・ドランジュには教会があると聖輝から聞いている。モーリスたちはそこへ戻るのだろう。
「イラッシャイマセ」
アミュウの足元で、ピッチが首を右に左にひねりながら声を上げる。婦人は「まあ」と言って微笑み、その場にしゃがみ込んだ。
アミュウも帆布の鞄の上に座り込んで婦人を目線を合わせると、さっそく悩み事を聞く体勢に入った。
そろそろ日が暮れるという頃、客の途絶えたタイミングで、アミュウは店を閉じることにした。
ピッチを遊ばせながら敷布を畳んでいると、ジャスマン通りの斜向かいの扉が開き、慌てた様子で女が飛び出してきた。通りを行き交う馬車や荷車の間を器用にすり抜けて、こちらへ向かってくる。
女が飛び出したのは、昨日見かけた香水屋とおぼしき店だった。扉を乱暴に開け閉めしたせいで、黴が生えたように古臭い、花の彫刻の吊り看板が揺れている。
アミュウが首を傾げていると、女はまだジャスマン通りを横断しきらないうちから片手を振って声をあげた。
「すみませんっ……あのっ…………私も占ってもらえませんか⁉」
アミュウが呆気に取られて見ている間に女は通りのこちら側へやってくると、胸に手を当てふぅっと深呼吸をして、荒い息をしずめた。
「帰りがけにすみません、どうしても占ってほしいことがあって。向かいの工房からずっと見ていたんですが、手も空かないし、たくさん人が並んでいたので、なかなか来られなくって……ダメですかぁ?」
女はずり下がった眼鏡を直しもせず、上目遣いでアミュウを見た――アミュウより頭半分ほど上背があるにもかかわらず。つまり、前傾姿勢になっている。顔が近い。しかも、妙な押しの強さを感じさせる。
夕暮れ時で気温が下がりはじめているというのに、女はコートも着ていない。桜色のワンピースをコルセットで締め上げ、鼠色の髪を肩で切り揃えているが、通りを横切る際にもみくちゃにされ、服も髪も乱れている。年の頃は二十代半ばと言ったところか。
断ってそのまま宿に帰ることもできたが、アミュウは女の発する妙な圧力に抵抗しかねて、首を縦に振った。
すると、女は前傾姿勢を崩さずに呟いた。
「――『薔薇の夜明け』」
「は?」
「あなたのつけている香水。『薔薇の夜明け』ですよね?」
女はやっと姿勢を元に戻して、今度ははっきりとその名を口にした。前かがみになっていたのは、どうやらアミュウが身につけていた香水のにおいを嗅ぎ取るためだったらしい。アミュウはエミリにならって耳裏にほんの一滴つけていたのだが、もう香りはほとんど飛んでしまっていた。
「ええっと……私、香水には詳しくなくて、名前は分からないんですが……今つけているのは、人から頂いたものです」
アミュウが鞄から取り出した小瓶を差し出すと、女はそれを受け取りもせずにぱっと顔を輝かせた。
「やっぱり! それは昔、私の父が作ったものです。嬉しい、まだ使ってくれている人がいたんだ!」
「お父さん?」
アミュウが首を傾げると、女はずり下がった眼鏡を直し、髪を撫でつけて威儀を正した。
「父はジャルヴェ・モイーズという調香師だったんですが、二年前に亡くなりました。私はドロテ。そこのアトリエ・モイーズで香水を作っています」




