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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第四章 花の香は時ならずして

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4-3.日銭のために

 アミュウは、床に取り落とした生卵のように目を開いた。見知らぬ天井の木目模様。慣れない枕に頭を載せたまま目を左右に走らせ、ようやくそこがラ・ブリーズ・ドランジェの宿、オーベルジュ・レザロームの一室であることを思い出した。ナタリアの使っている隣のベッドの上掛けは、規則正しく上下している。椅子の背に留まったピッチは、頭を首の後ろの羽毛にうずめたままじっと動かない。


(よかった。叫んでない)


 アミュウは誰も起こさずに済んだことにほっと胸を撫でおろすと、再び天井に目を向けた。額に手をやると、真冬だというのにじっとりと脂汗が浮いている。目を閉じれば、シグルドを吹き飛ばした光の洪水が目蓋の裏に溢れる。その瞬間身体の跳ねたシグルドの顔は見えなかったはずだが、アミュウの記憶の中で、その顔がジークフリートの顔となって歪んだ。耳にはシグルドの声とミカグラ卿の声が交互に鳴り響いている。眩暈がした。

 視界の回転が収まってからアミュウはベッドを抜け出し、寝間着の上にキンバリーのショールを羽織ってそっと部屋を出た。


 そのまま廊下を進み、階段を降り、ロビーへ行き着く。カウンターの上にランプが一つだけ灯してあった。風に当たりたいと考えていたのだったが、玄関の扉は固く閉ざされていた。窓を覗こうにも、鎧窓のために外の様子をうかがうことはできない。アミュウは柔らかい三人掛けのソファーに埋もれるように座った。ふわりと花の香りが匂いたつ。ソファーのカバーに香りを染みこませているらしい。ソファーのひじ掛けに頭を凭せかけて目を閉じる。そのまま眠ってしまいそうな体勢だったが、眠気はついぞやってこない。


 そこで、上階から足音が聞こえてきた。抑えられたその音はゆっくりと階段を降りてくる。ソファーは階段に背を向けていた。アミュウはひじ掛けから頭を起こし、背もたれからそっと階段の方を覗き見た。

 寝間着のジークフリートだった。彼はつい先ほどまでのアミュウと同じように玄関へと歩み寄り、扉が施錠されていることを確認すると、その場で頭をぽりぽりと掻いた。


「ジーク」


 アミュウが小声で呼ぶと、ジークフリートはびくっと肩をいからせて振り返った。


「――アミュウ。いたのか」

「どうしたの、こんな夜中に」


 アミュウが訊ねると、ジークフリートは呆れたように言った。


「ちょっと目が覚めただけだ。アミュウこそどうしたんだ。客は俺たちのほかにも大勢いるんだ。不用心だぜ」


 アミュウは曖昧に頷いてから「嫌な夢を見たの」と正直に言った。ジークフリートは首を傾げてソファーへ近寄ると、アミュウの隣に腰かけた。アミュウはジークフリートに訊ねてみた。


「ねぇ。前に、騎士と王女の夢物語の話をしてくれたでしょ。どんな夢を見るの?」


 アミュウの唐突な問いかけにジークフリートはきょとんとしたが、ひとつ大きな伸びをして「うぅん」と声を洩らした。


「そうだなぁ……夢の中では革命の時代でさ。でも、そんな兆しは全然なくて、城は平穏そのものなんだよ。そんな中、突然ソンブルイユ軍に城が襲われて、俺はお姫様付きの騎士の役だから、アモローソ王女のところへ飛んで行って、一緒に城から逃げ出すんだ」


 ジークフリートは背もたれに深く背を預け、ソファーに沈み込んだ。


「とにかくその夢はリアルなんだ。しかも、同じ夢を繰り返し見る」

「それで、お城から逃げてどうなったの」


 アミュウはショールの前を引き寄せて、話の続きを促した。ジークフリートは軽く相槌を打った。


「逃げる途中であっけなくやられたさ。そこで夢はおしまい」

「王女はどうなったの?」

「わからない。夢の中で俺は死ぬんだ。いつもそこで目が覚める」


 ジークフリートは目を閉じ、眉を寄せた。その顔には疲労が深く刻まれていた。


「……俺もさ、時々考えるんだ。夢の中の王女は、騎士を亡くしてどうなったのか。でも、その夢の続きを見たことは、一度もねえ」


 アミュウもソファーの背もたれに身体を預けて目を閉じ、「そっか」と相槌を打った。

 ベルガモット通りは静かだった。表からは何の物音も聞こえてこない。ジークフリートの呻くようなため息が、やたら大きくロビーに響いた。


「ジークも眠れないの?」

「まあ、そんなところだ」


 そのまま二人は、くたびれた二枚のタオルのようにソファーに寄りかかっていた。ベルガモット通りの静けさを、野良犬の遠吠えが引き裂いた。その声を契機にアミュウは立ち上がった。ジークフリートものっそりと立ち上がると、アミュウの後ろを付いてきた。ふたりは言葉少なにそれぞれの部屋へ戻っていったが、アミュウはその後なかなか寝付けなかった。




 翌朝、アミュウたちは街西部にある鉄道駅へ行ってみた。

 土埃の舞う駅前広場プラス・ドゥ・ラ・ガールは閑散としていた。木造板葺き屋根の簡素な駅舎の入り口は、今は封鎖されている。鉄の門扉の前にはそこだけ大勢の商人が群がり、駅員に説明を求めていた。


「ちょっとここで待っていてください」


 聖輝がその一群に向かって足早に歩いて行った。

 駅舎からはみ出したホームには、精霊機関車が停まっているが、内部機構は完全停止していてただの巨大な鉄の塊にしか見えない。寝不足の目をこすって凝らしてみると、複数の点検員が何やら器具を使って作業しているようだ。

 ときどき罵声の混じった非難の声が、駅から離れているアミュウたちのところにまで届いてきた。


「こっちはナマモノを扱ってるんだ! どう補償してくれるんだ⁉」

「内部機関の不具合? とっとと直しなさいよ! もう三日目よ」

「ただいまソンブルイユから精霊技師を呼んで対応に当たっておりますので、お急ぎの方は街道や水路交通を利用なさって……」

「だから、馬車も船もパンクしてんだよ! そんなことも知らねえのか」

「そんなコトもしらねえのカ」


 ナタリアの肩で、ピッチが罵声を真似た。


「……完全に混乱してるね」

「無理もねえ。この街は昔から、王都ソンブルイユの玄関口として発展してきたんだ。鉄道が開通して物流が一気に増えたのに、こんな年の瀬にストップしちまったら、そりゃあひとたまりもねえだろうな」


 ナタリアの言葉に、ジークフリートも同調した。


「お待たせしました」


 聖輝が、群がる人々をかき分けて戻ってきた。


「機関車内部の不具合で動かなくなったそうです。復旧の見通しは立っていないと」

「足止めかぁ……いつまで続くのかな」


 残念そうな声をあげたナタリアの後ろで、アミュウは不安を募らせていた。このままオーベルジュ・レザロームの滞在が長引くとなると、旅費の持ち合わせが心もとない。とはいえ、他の宿へうつれる見込みもない。

 どう話を切り出そうかアミュウが迷っていると、ジークフリートがぽつりとつぶやいた。


「俺、港で仕事を探してくるわ」


 ナタリアが首を傾げる。


「どうしたの? 突然」

「金がねえんだよ。何日も優雅に過ごせるほど、潤っちゃいねえんだ」


 アミュウは、懐の寂しいのが自分だけでないことにほっとして言った。


「実は私もよ。一緒に行くわ。鉄道が復旧するまでのあいだ、ちょっとでも日銭を稼がなくちゃ」

「アミュウが港で働く? そりゃあ無理ってもんだぜ」


 ジークフリートはおおげさな身ぶりで両手を挙げた。


「あら、どうして?」

「港の日雇い仕事がどういうもんか、知らねえのか。倉庫の荷物整理だよ。でっかい木箱を、積んじゃ降ろし、積んじゃ降ろし……」

「ああ、それじゃ無理ね。荷物につぶされちゃう」


 ナタリアがうんうんと頷く。アミュウが反駁しかけたところで、聖輝が割って入った。


「そういうことなら、何も港なんかへ行かずとも、本業で稼げばいいのでは?」

「本業?」


 訳が分からずアミュウは首を傾げる。聖輝は笑って言った。


「自分の仕事を忘れたんですか。あなたはよろず屋魔術師でしょう」

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