1-10.消えた小柄【挿絵】
聖輝はアミュウに問いかける。アミュウは、二人の話を反芻するように窓の外を見つめる。キリキリキリとコオロギの鳴き声が、その音量の大半が厚い雲に吸い取られてしまったかのように、ごく控えめに聞こえていた。
「私は水晶を使ってごく単純な結界破りを試しただけです。御神楽先生のおっしゃるとおり、私はただの片田舎の魔女です。記憶を消すなんて、大それた催眠術は知りません」
「片田舎だなんて。最果ての町の魔術師にしては練度が高いと申したまでです」
(同じことじゃない!)
アミュウはしかし口には出さず、説明を続けた。
「結界は弱まりましたが、押し切れなくて。最後は、結界ごと縁切りのまじないをかけました」
「縁切りのまじない?」
ナタリアが首をかしげる。
「その――昨日の会食がお見合いみたいなものだと聞いていたから、もしもナタリアにふさわしくない相手だったときのために、縁切りのまじないを用意していたの。そしたらナタリアが結界内に連れ去られて、なにか言い争っていて……これは一大事だと」
「縁切りのまじないっていうか、虫よけみたいね」
「虫か、それは困った」
聖輝がナタリアを見遣って苦笑した。そして脚を組んでアミュウに視線を戻し、質問を重ねる。
「それで、その虫よけというのは、どんな術ですか」
「剣を使った、悪い縁だけを断ち切る術です。必要な縁、良縁には作用しません。剣っていうか、片刃の小柄なんですが」
アミュウは古い小柄を見せようとして、それが手元に無いことに気が付いた。
「ナターシャ、私が倒れたところに、これくらいの短剣が転がってなかった?」
「そんなもの、なかったよ」
「結界の外から斬りかかってきた、あの短剣ですか」
聖輝が首をかしげる。
「ちらっと見えましたが、確かに、あの騒ぎの後は見ていませんね。落ちていたら気が付くはずですが」
アミュウは上掛けをはいでベッドから抜け出し、ナタリアから借りたままのミュールを突っかける。立ち上がるとめまいがしたが、踏ん張ってこらえた。
「……ちょっと探してきます」
「寝てなよ、危なっかしい」
「明るくなってからにしたらどうですか」
ナタリアと聖輝が止めに入るが、アミュウは構わず部屋を出た。後からばたばたと二人が追いかける。
庭に出てみると、初秋の湿った夜風が薄着の肌にやや冷たく感じられた。布団のように分厚い雲の下、あちこちから虫の音が響いて、長くなってきた夜を彩っている。
アミュウはコスモスの花壇を一周してみた。一部が根元からぐにゃりと倒れていたが、健気にも途中から茎が起き上がって花を咲かせていた。
「そこが、あんたの倒れた場所よ」
いつの間にかアミュウの隣にいたナタリアが、花の倒れている箇所を指さす。
「花壇に向かってうつ伏せに倒れていましたね。私とカーター氏とで担ぎあげたときには、あなたの手の中には何もありませんでした。一応、花壇の中も後で確認してみましたが、それらしいものは見つかりませんでしたよ」
やや距離をあけて立つ聖輝が言った。
アミュウはしゃがみ込んで、茎の根元の細い葉が込み入っているところをかき分けてみたが、目的のものは見当たらない。後ろからナタリアが尋ねる。
「見つからないとまずいわけ?」
「魔術に使った道具だから、失くすっていうこと自体が問題なの。誰かが見つけて悪用したらいけないし、放置しておいて魔術が暴走してもいけないわ」
アミュウは腕を泥だらけにして花壇を調べていたが、やがて諦め、泥を払いながら立ち上がる。
「どのような品なのですか、その失くし物というのは?」
聖輝が腕組みをしながら問う。
「蚤の市で見つけた古い小柄です。刃は錆びていて、武器としての価値は皆無です。美術品としてみれば彫りがきれいですが、何しろ傷が多く見映えしません。最近お清めをしたばかりで、特別なにかの魔力を帯びているということもないはずなのですが」
「小柄とは、またずいぶんと変わったものを持っていますね。揃いの道具でもあれば手掛かりになりそうですが……術に使ったのは小柄だけですか?」
小柄とは、刀に付随する小刀である。アミュウは、聖輝が小柄とセットとなるべき刀装具の所在を訊ねているのだと理解した。
「小柄しか持っていません。蚤の市で手に入れたのはそれだけです」
「そうですか」
聖輝はため息をついた。
「詳しいことはさっぱり分かりませんが、アミュウ嬢のその得体のしれない縁切りのまじないが暴発して、私たちは綺麗さっぱり大事な記憶とのつながりを断ち切られたわけですね」
アミュウは押し黙った。
(二人の間のわだかまりは消えたわ)
しかし、一族の使命とやらを果たせず、頭を掻いて途方に暮れている聖輝に向かって、術は成功だったとはとても言えない。
(いい気味ね)
アミュウは鼻で笑う代わりに、こう言った。
「その嬢っていうの、やめてもらえませんか」
「なら、先生というのもやめてください。カーター氏にも話したとおり、私はまだ牧師ではない――そろそろ部屋に戻りましょう。アミュウさん」
アミュウは後ろ髪を引かれる思いで花壇をもう一度見たが、諦めて屋敷の玄関へ歩き始めた。ナタリアも、寝間着の腕を抱きしめて寒そうにさすりながら、歩き始める。
玄関の段差のところで、聖輝は振り返って言った。
「気を付けて。そんな靴では転びますよ」
アミュウの借り物のミュールを指しているのだと分かったが、アミュウはわけもなくその言葉に寒気を覚えた。サイズが合わないためにできた靴擦れの痛みを我慢していたが、今すぐに靴を脱ぎたくなった。




