第三章 あとがき
こんにちは。筆者の志茂塚ゆりです。初めましての方にも、そうでない方にも、まずは御礼を申し上げます。皆様が「月下のアトリエ」という物語をここまで読んでくださったおかげで、今もこうして書き続けることができております。
第三章「この空の下すべて」では、アミュウと聖輝が共同生活を始めてから、脅迫者カルミノ・ザッカリーニやその仲間ロサ・ガリカと相まみえ、森の小屋を焼け出されて旅立ちに至るまでを語りました。その過程で、人語を話す洋鵡のピッチに出会ったり、親戚のケインズ・カーターが村長選に出馬しようとしたり、収穫祭が開かれたりと、紆余曲折を経ておりますが、執筆していく中で明確なテーマとして意識していたのは「父親からの独立」ということです。
アミュウとナタリアは、それぞれ父親セドリックに対して複雑な思いを抱いていました。アミュウは養子という立場上、父親から目をかけてもらえる機会が少ないと感じていましたし、反対にナタリアは嫡子という立場から、父親の跡を継がねばならないという重圧に耐えていました。二人ともセドリックの前では良い娘であろうと必死の背伸びをしていましたが、アミュウと聖輝が共同生活を送っているところをナニーのイルダに目撃されたのをきっかけに、ナタリアとセドリックの間に親子喧嘩が勃発します。
ここに来て初めて、二人の娘は父親に対して、理想の娘像としてではない本来の自分というものを、全開示ではないにしろ、さらけ出すことになります。また、セドリックの側も選挙戦を戦おうとする背中を娘たちに見せることとなっており、彼の抱く信条は執事ヴィタリーの昔語りに表れるとおり、義理堅いものです。社会の中で生きる男としてのセドリックの像が、次第に娘たちの中で鮮明に結ばれていきます。
親子喧嘩のあと、頑なな姿勢を見せていたセドリックですが、こうしたある程度の相互理解を経て、聖輝に彼女たちの身柄を預けようと決心するに至りました。
父親と娘というのは、我が身を振り返ってみても、なかなか難しい関係だと感じます。
私の父親は、若い頃は、当時一流と言われた企業に勤めていたのですが、若さを失いつつある年の頃に経営破綻を経験、まったく別業種の企業へと再就職を果たしました。そこは往年のベンチャー企業体質といいますか、父は前職では部下もいた身でありながらそれなりに厳しい待遇も受けたようで、当時は疲れ切った父の姿を何度も見ました。いっぽうで、大企業の無数の歯車のひとつでしかなかった前職とは異なり、そこは努力した者が評価される世界です。そんな仕事に父はしだいにやりがいを見つけていったようで、若いころよりも生き生きと働いているようにも見えました。そんな父も、一人娘である私を大学卒業させてから、独立し、地元で小さな古書店を営むようになりました。数年前に病を患ってからは書店を畳み、今は静かにアルバイト生活を送っております。
私たち夫婦は車を持っておりませんので、必要な時――滅多にはありませんでしたが――そういう場合には父が車を出してくれました。私が妊娠したとき、有難いことに、取引先の方からベビー用品を譲っていただくことになり、その時も荷物運びを父に手伝ってもらうことになりました。
父と私の二人きりの車内で――そのときかかっていた音楽は忘れてしまいましたが、私が幼いころによくドライブで流してくれていたオザケンやスピッツなどではなかった――父は、しみじみと私に言うのです。
「ゆりが子どものころ、あちこち転校させてしまって、悪かったなぁ」
確かに、父が大企業に勤めていたころから激動の転職を果たすまで、私は少なくない回数の転校を重ねていました。ですが、いずれも小学生のうちの出来事であり、友人関係も柔軟だったので、私としてはそれほど困ったことはありませんでした。それでも、父は私といるとき、しんみりとした雰囲気になるときまって、何度もそのことを詫びていたのです。私はお決まりの言葉を返しました。
「あちこち動き回ったおかげで色んな経験ができたし、案外楽しかったよ。謝らないでね」
それはそれで紛れもない真実なのですが、実はプレティーンの頃、私は初恋を経験していました。不思議なめぐりあわせで、その恋はどうやら両思いだったようなのですが、そのことに気が付く前、中学へ上がるときに私はまたもや引っ越しをすることになり、その男の子とは離れ離れになりました。
何故両思いだと分かったかというと、その後、私が卒業アルバムに載っていた彼の住所に手紙を送り(まだ子どもが携帯電話を持つのが一般的ではない時代でしたので)、返事をもらったからでした。いま思い返してみても、あれだけ純粋だった恋心はもはや取り戻せない、貴重なものだったと思います。文通は時折途絶えたり、お互いに別の相手と恋をしたりしながら、高校を卒業するまで続きました。そして、大学に入ってしばらくしたころに、交通費のバイト代を貯めてその男の子に会いに行き、きっぱりとお別れして、その恋は終わりとなりました。
そういうことを、あの当時、親に話していたらどうだったか?
もちろん、父にはおろか、母にも話していません。しかし、以前住んでいた住所の近辺から届く男の子の手紙を、母が郵便受けから取り出すことが何度かありました。母は、恐らく子どもたちの間に小さな恋がぷかぷか浮かんでいることを察していたでしょう。母は父に話したでしょうか。恐らく、話していないと思います。
この差が、父と娘のあいだの距離だと思うのです。
父が「転校させて悪かったなぁ」と言ったとき、そういうエピソードがあったことを、父に話せばよかったでしょうか。当時の私はノーと判断しましたし、私がその判断が保持しているからこそ、父は今もそのことを知りません。ですが、父はきっと、そういうことがあったかもしれないと察しているからこそ、ことあるごとに「転校させて悪かったなぁ」と繰り返しているのだと思います。
父はきっとこれからも、その言葉を繰り返すでしょう。娘が子どもから思春期へと突入し、否が応でも親子間に距離の生まれたあのころに、娘がどんな気持ちでいるのか分からなかったという空白を悔いて。その空白はたとえ、私が今さら「あのころ、実はこんなことがあったんだよ……」なんて話したって、埋めることはできません。
そういう空白が重なっていくこと、それが親からの巣立ちということなのだと思います。そうして子は親に対して小さな秘密をいくつも抱えたまま、やがて親は老いていきます。でも、いくばくかの空白があったにせよ、私が両親に対して抱いている感謝は、そんなもので左右されないくらい、大きなものです。
なお、車中で私が撫でていたお腹の子は、女の子でした。今はまだ幼稚園での出来事を嬉々としてあれこれ話してくれる娘ですが、これから成長するにつれて、娘は彼女の父親に対して、同じようなことを繰り返すのでしょう。
アミュウとナタリアは、そうなるよう本人たちが意図していたわけではないにせよ、その本意を父セドリックに知られるところとなっています。その上で、セドリックは二人の旅立ちを見送ろうと腹を決めました。これは筆者の願望の仮託であり、親子の理想形の一種です。
さて、お陰様で第三章が結びとなり、このあとアミュウたちは王都へ向かいます。王都へ足を踏み入れる前に、以前から作中で何度も名前のみ登場している町、ラ・ブリーズ・ドランジェに滞在することとなります。このラ・ブリーズ・ドランジェ編を第四章とさせて頂く予定です。
有難くも頂戴したファンアートや筆者の描いた絵などを紹介させていただいたのち、二、三週間ほどのお休みを頂いたのち、六月下旬に第四章の連載を開始いたします。もちろん、今回もおまけレシピを掲載しますよ!
お休みを頂いている間に、「月下のアトリエ」の世界とは全く異なる作品として、学生時代に書いた短編小説を掲載する予定です。ピアノを弾く女の子と調律師の淡い恋を描いた物語ですが、主題は「月下のアトリエ」第三章に通じています。筆者がおおよそ二十歳のころに書いた荒削りの作品ですが、「作者のマイページ」からお読みいただければ幸いです。
なお、本章まで毎話に挿絵を添えておりましたが、次章からは時折挿絵を添える形式に変更させていただきます。
また、私事ではございますが、二〇一九年九月に職場復帰する都合上、九月以降はゆっくりとした更新ペースになることが予想されます。家事育児、それに仕事を基本として、その上でこの物語を最後まで語り尽くせるよう、息の長い執筆活動を心がけてまいりますので、読者の皆様におかれましては、どうかのんびりと見守って頂きますようお願い申し上げます。
最後に、「月下のアトリエ」は二〇一九年三月二十三日に二万プレビューに、二〇一九年六月一日に一万ユニークユーザーアクセスに到達しました。この物語を読んで下さる全ての方々に、心から感謝を申し上げます。
~ここまでの主な参考文献~
・「都会の野生オウム観察記 お見合い・リハビリ・個体鑑別」マーク・ビトナー著(築地書館)
・「魔女とヨーロッパ」高橋義人著(岩波書店)
・「パリ職業づくし 中世~近代の庶民生活誌」ポール・ロレンツ監修 F.クライン=ルブール著(論創社)
・「フランスの城と街道」紅山雪夫著 (トラベルジャーナル)
※ 第四章「花の香は時ならずして」は2019年6月下旬に連載開始予定です。




