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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第三章 この空の下すべて

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3-33.火【挿絵】

「はっ!」


 ジークフリートは斜め上からサーベルを振り下ろす。カルミノは左手のダガーで剣を受け止め、大きくせりだした鍔にサーベルを絡めて打ち返した。すかさずカルミノはぐんと踏み出してジークフリートの懐に入り、右手のナイフを下から上に切り上げる。素早い。ジークフリートは上半身を反らしてナイフをかわし、再びサーベルで切り払うが、カルミノには見切られていたようで、たやすくダガーで押し返された。


「フッ……」


 カルミノの口から声とも息ともつかないものが漏れ出た。

 カルミノは腰を落として軸足を回転させる。地面がえぐれ、ガードの薄いジークフリートの脇めがけて回し蹴りが閃いた。ついさっき蹴撃を受けたばかりのジークフリートは防御ではなく回避を選び、横跳びで命中を免れる。

 着地の瞬間、さらにカルミノの足がジークフリートの足を払う。威力は弱いが効果は絶大で、ジークフリートはひっくり返って尻餅をついた。

 倒れたジークフリートの腹めがけてナイフが打ち下ろされる。ジークフリートはさっと横に転がって攻撃を避けた。ほんの一瞬前までジークフリートが転がっていた地面に、カルミノのナイフが突き立っていた。

 カルミノはナイフを引き抜こうともせずに、左手のダガーでさらに追撃をかける。ダガーはジークフリートの革鎧の肩当てを削った。首を狙った攻撃であることに、ジークフリートは避けてから気付いた様子だった。飛び起きて後方へ跳躍し、カルミノから距離を取る。

 カルミノはやおら屈んで、地面に突き刺さったままのナイフを回収し、土をはらった。


 得物の間合いの差からすれば、サーベルを持つジークフリートの方が圧倒的に有利であるはずだった。しかしカルミノには、その差を補って余りある蹴撃と、左手のダガー、そして何よりも百戦錬磨を思わせる経験があった。アミュウの目からは、二人の立ち回りは拮抗しているどころか、カルミノの方が数段上手であるように見えた。


「ジーク!」


 二人から距離を置いて静観していた聖輝が声をかける。ジークフリートはカルミノに全神経を注いだまま答えた。


「うるせえ! 手ェ出すんじゃねえぞ‼」

「いいのか。お坊ちゃんの手を借りたらどうだ」


 カルミノは顎をつんと上げて挑発した。カルミノの上背はさほど高くはないが、ジークフリートを見下ろすような威圧感のある目線だった。


「くそ、黙ってろ‼」


 ジークフリートは唾を吐き出し悪態をついてから剣を構え直し、奥歯を噛みしめた。カルミノには隙という隙が無かった。全身が研ぎ澄まされた鋼のナイフそのもので、その切っ先には鏡のように己の姿が映りこんでいた。どう打ち込んでも、鏡に反射するように受け止められてしまう。しかも、反撃カウンター付きで。

 ジークフリートが攻めあぐねていると、カルミノは不敵に笑った。


「さっきまでの威勢はどうした。娘を差し出す気になったか?」

「んなわけあるかっ!」

「そうか。ならばこちらから仕掛けるぞ」


 カルミノは両手の武器を軽く前方に捧げて構え、ジークフリートに向かって踏み込んだ。




 剣戟けんげきの音を聞きながら、アミュウは、ナタリアのシュミーズをずらして、むき出しの肩を観察していた。


(腫れはさほど酷くない、痛そうだけど、顔色は悪くない……)


「触るわよ。痛んだら教えて」


 ナタリアは苦痛に顔を歪ませながら小さく頷いた。アミュウはナタリアの肩から二の腕にかけてあちこち触れる。ナタリアは時折目を瞑りながら、その刺激に耐えていた。アミュウは一通り患部を調べてから、ジークフリートと聖輝に聞こえるように声を張り上げた。


「脱臼! 折れてはいないと思う」


 アミュウはショールを三角に畳んでナタリアの右腕を吊り、コートを肩に被せた。そのまま、彼女を支えて小屋の方へ向かって歩き始める。


「逃がすものか!」


 カルミノがジークフリートとの斬り合いを中断し、アミュウたちを追う。


「お前の相手は俺だっ‼」


 ジークフリートはカルミノの背に斬りかかるが、カルミノは後頭部に目でも生えているかのように、その太刀筋を軽々と避けた。追おうとしたジークフリートを、聖輝の鋭い声が引き留めた。


「ジーク、避けなさい!」


 聖輝は森の道を駆け抜け、いつの間にかジークフリートたちのすぐ近くまで来ていた。走りながら聖輝は大きく振りかぶり、バターロールを放り投げる。ジークフリートは横ざまに飛びのいて、道の脇の茂みに飛び込んだ。ジークフリートの肌着の中で、ハシバミのメダルがじんわりと熱を持った。

 カルミノの背をパンが捉えようとした瞬間――


「エロヒム・ツァバオトの御名みなにより、ウンディーネよ、洗い流せ!」


 朗々とした声が響いたかと思うと、虚空にほとばしる水流が突然渦を巻き、カルミノの背後、つい先ほどまでジークフリートが剣を振り上げていた場所に落下した。重力方向へとはたらいた水圧は土をえぐり、大量の水がカルミノを道の脇へ押し流して、聖輝の足元をも濡らした。聖輝のすぐ脇を、水圧で潰れたバターロールがぷかぷかと通り過ぎる。


「な、なんだ⁉」


 ひっくり返ったジークフリートが、頭を振って目を白黒させている。アミュウも歩みを止めて、豪雨のあとのように水浸しになった森を茫然と見回し、呟いた。


「精霊魔術……?」

「そうよ、似非エセ魔術師さん。あなたが使えないようだったから、お手本を見せてあげたの」


 枯れ枝を踏みしめて、冬木立の合間から人影が進み出てきた。全身を黒いマントで覆っていて、夜闇に紛れた姿は判然としない。目深にかぶったフードに隠れて顔も見えない。男のように背が高く、声を聞かなければ、女であるとも分からなかっただろう。

 濡れ鼠となったカルミノが、忌々しげに顔をぬぐう。


「茶々を入れるつもりか。俺の仕事だ」

「あら、あたしの任務にも関わってくるのよ。あんまりその子に手荒なマネをしないでちょうだい」

「お前の仕事は失せもの探しだろうが」

「だから、」


 女は、フードの下で薄い唇を歪めて笑った。


「だから、その『失せもの』は、その子のもとにあるのよ。知ってるでしょ。あいつは賢い。その子を傷つけて、あること無いことお嬢様に吹聴されたら、カルミノ、あんただって困るんじゃないの」


 カルミノは濡れそぼった身体のあちこちから水を滴らせて立ち上がり、鼻で笑った。


「困りはしないさ。あんなやつの言うことなんか、誰が気にするものか」

「分かってないわね、筋肉達磨(ダルマ)。あたしの仕事はあとほんの一手で終わるの。それで主公様は、あんたを補佐しろとおっしゃったわ。だからあたし、二重尾行してやったのよ。ここまで言ったら、あたしの言いたいことが伝わって?」


 カルミノは苦虫を嚙み潰したような顔で女を睨みつけた。


「譲ってやるさ」

「優しいのね。なら、あたしも優しくしてあげる」


 女はカルミノに、肩が触れ合うほどまで近寄ると、囁くように呪文を唱えた。


「来たれサラマンデル、イェホバ・ツァバオトの御名により、彼に温もりを」


 すると女の手がほんのりと赤い光を帯びた。女はその手でカルミノの濡れた身体のあちこちを撫でまわす。


「もっと熱くできないのか。これでは乾かんぞ」

「火傷するわよ」


 アミュウはほとんど信じられない思いでその光景を見ていた。女が操っているのは精霊魔術だ。己の魔力を餌に、そこらを漂っている精霊を呼び寄せて、精霊に照応する元素エレメントの奇蹟を引き起こす。さきほどの水流の出力を見るに、女は並大抵の使い手ではあるまい。しかも、術者が呼び寄せられる精霊には相性の良し悪しがあるのが常であるのに、女は、水と火という相反する元素エレメントを自在に操っている。アミュウは魔術学校の初等過程をほんのひととき学んだが、例えば水の魔術でいえばせいぜいが生活用水を用立てるというくらいのもので、教師が手本を見せるような場でさえ、先刻のような規模の術は見たことがなかった。

 アミュウの視線に気付いたのか、女はアミュウにも聞こえるよう、はっきりとした声でカルミノに話しかけた。


「ねえ、教えてあげる。さっき、あの似非魔術師が火の魔術を使おうとしてたでしょ。あれ、ハッタリよ」

「そうなのか?」

「ええ。あの子の周りには、ちっとも火の精霊(サラマンデル)が集まっていなかった。そんなのも分からないようだから、主公様に心配されちゃうのよ」

「仕方ないだろう。俺みたいな普通の人間は、お前ら魔術師とは目の作りが違うんだ」

「そりゃそうだけどね――今の聞いていて? そこのペテン師」


 女はアミュウに顔を向けた。依然として顔の上半分は黒いフードに隠れていて、その表情は読めない。アミュウは自分がペテン師呼ばわりされたことに、すぐには思い至らなかった。


「魔術は、選ばれた者にのみ許された特異な奇蹟。精霊魔術も扱えない半端者が魔術師を騙るなんて、とんだ冒瀆ぼうとくよ」


 女の、フードから垣間見える、紅を引いた口元が三日月型に微笑んだ。


「……そうね。さっきの火の魔術。あたしがお手本を見せてあげる」


 聖輝がはっと顔を上げてアミュウに呼びかける。


「アミュウさん! 結界を‼」


 女は微笑んだまま右手をついと挙げて呪文を唱えた。




火星は磨羯まかつ宮にありて南の空に輝けり。

我が魂は星幽界を飛翔し勝利ネツァクへと至りぬ。

来たれサラマンデル、さらば我が力を与えん。

ミカエルの剣は炎を纏いて彼のものを焼く尽くせ。

我、火の神の御名を七度呼ばん。

イェホバ・ツァバオト、イェホバ・ツァバオト、イェホバ・ツァバオト、イェホバ・ツァバオト、イェホバ・ツァバオト、イェホバ・ツァバオト、イェホバ・ツァバオト!




 その呪文の終わりを待たず、アミュウは蓮飾りの杖で地面に魔法円を描き、言霊を紡いだ。


「星乙女の手なる甕より清き水流れ出で、勝利ネツァクの淵に注ぎたり!」


 アミュウとナタリアを取り囲む魔法円が輝き始めたちょうどそのとき、女の掲げた手から炎の奔流がほとばしった。炎の渦は直進するごとに勢いを増し、雪玉が転がるように大きくなり、アミュウの作りだした結界壁を焼いた。炎の巻き起こすつむじ風が轟音を立てる。アミュウとナタリアを包む空気の温度が急上昇した。


 業火は一瞬で通り過ぎた。


 アミュウは知らず瞑っていた目を恐る恐る開く。ナタリアが、負傷した腕をかばいながら半身をひねって後ろを見ていた。アミュウがその視線を追うと――


 火勢はなお増し、背後の空き地を抜け、アミュウの小屋を飲み込んだ。

 火の手は丸太小屋の正面の壁を舐め、柱に沿って立ち上り、板葺きの屋根へあっという間に燃え広がる。炎ははじめ、オレンジ色のたてがみの獅子が戯れているかのように火焔を躍らせていたが、やがて真っ黒な煙がもうもうと気勢を上げ、夜空の雲に混じっていった。

 アミュウはそこから小屋へ向かうことも、離れることもできず、ただぬらぬらと蠢く炎をじっと見続けていた。



挿絵(By みてみん)



「アミュウ……アミュウ」


 すぐ傍らでナタリアがアミュウの袖を引いて名を呼び続けているが、アミュウの耳には届いていなかった。去年の夏にセドリックが建てたばかりの小屋。天井から吊り下げた薬草の束、壁一面の棚に収まった鉱石類に、香油やチンキの小瓶。せっせと作りためた山桃酒、あるいは山査子酒、これらは脅迫騒動が落ち着いたら、ナタリアや聖輝、ジークフリートに振舞おうと考えていた――


 カルミノの灰色の目に、炎の輝きが反射して揺らめいている。カルミノは遠くを見るように僅かにその目を細めた。


「おい、やり過ぎだ。森林火災になるぞ。早く火を消せ」

「その必要は無いわ。あのボロ小屋を囲んで定置型の結界が張ってある。燃え広がりはしないでしょうよ」


 女は天を仰いだ。雲が重く立ち込めている。


「それに、風の精霊(シルフ)水の精霊(ウンディーネ)が騒いでる。この寒さだと、雪になるかもね」


 そう言って女は踵を返し、森の道を町の方へと歩き始める。その行く手には聖輝が立ちふさがっていた。


「待て。このまま行かせるものか」


 聖輝は両手でバケットを剣のように構えた。軽く足を前後に開き、腰を落とす。女に続いて振り返ったカルミノが失笑した。


「御神楽の若君、そのパンで俺と渡り合う気か? あっちで呆けている赤毛の大将ですら、俺にかすり傷ひとつ負わせられなかったのに」

「互角だった。邪魔さえ入らなければ――」


 聖輝が言い終えないうちに、カルミノは身をかがめて片足の踏み込みだけで聖輝の懐に入ると、その顎をアッパーで捕らえた。聖輝の身体が僅かに持ち上がり、そのまま後ろによろめいてひっくり返った。カルミノは足元に転がったバケットを拾い上げると、道端に立ち並ぶ樹々の奥へと放り投げた。


「さっきのを互角と言うか。ひよっこ」


 女はへたり込んだ聖輝の脇をすたすたと通り過ぎ、やや離れたところで立ち止まった。そして振り返りもせずに言う。


「坊や、なんでも分かってるような顔をして、何も分かっていないのね。あたしにはあなたの考えていることが手に取るように分かるわ。王都ソンブルイユへ帰るつもりだったそうね? あなたは、あたしたちという脅威を前に、あの女の子をここに残して立ち去ることができないでしょうね。かと言って、帰郷を先延ばしすることもできないんでしょ。あなたは、あのペテン師を丸め込んで同棲に持ち込んだのと同じように、口八丁手八丁で彼女を無理やりにでも引きずって、王都ソンブルイユへ連れて行くしかないんだわ」


 カルミノが腕を組んで「ほぉ」と唸る。女はカルミノの方を見て、微笑んで見せた。


「ね。あんたが暴漢まがいの真似をしてまで連れてくる必要は無いのよ。どうせあの子は、放っておいたって王都ソンブルイユへ来るんだから」


 そして女は街のほうへ向かって再び歩き始めた。カルミノも彼女に続く。聖輝は尻餅をついたまま女の後ろ姿に問いかける。


「おい、お前。何が狙いだ?」


 女は「あはは」と甲高く笑って言った。


「さっきカルミノが言ったでしょ。あの子を主公様に引き会わせるだけよ。あとのことは知らない」


 聖輝は奥歯をぎり、と噛みしめて、なお問いかけた。


「なら、名前は」


 女は笑いを引っ込めて、一音一音を区切るようにはっきりと発音した。


「ロサ・ガリカ」


 そして二人はそのまま、森の道を街へと引き返して行った。

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