3-29.捜索【挿絵】
ケインズはナタリアの走り去っていった方をちらりと見ながら用件を告げた。
「食事時に――何やらお取込み中のところ、失礼をお許し願いたいのだが、こちらも急いでいてね。愚息ダミアンがこちらへ立ち寄っていないかと思ってうかがったのだが」
「おう、ケインズ」
セドリックが居間からやって来た。ケインズは中折れ帽を優雅に脱いだ。
「セドリック。邪魔立てをして申し訳ないが――」
「いや、いい。私も娘も、頭に血がのぼっていてな。互いに頭を冷やす時間が必要だ……」
セドリックはばつが悪そうに頬を掻いた。
「それで、ダミアンがどうかしたのか?」
「うむ……」
ケインズは言い淀んだ。
「実は収穫祭の最中から急にいなくなってしまってな……そのうち戻ってくるかと思っていたら、今朝になっても戻らない。祭の後片付けの傍ら、あちこち心当たりを尋ねてまわっているんだが」
「見つからないのか」
「……うむ」
セドリックは、日中屋敷にいたイルダを呼び、ダミアンが訪ねてきたか訊いたが、イルダは首を横に振るばかりだった。
「親戚筋を頼ったかと思ったが、当てが外れたか……」
ケインズは肩を落とした。よく見ると、その眼窩は落ちくぼみ、茶色い隈が目を縁取っていて、アミュウの目から見ても憔悴しきった様子だった。
「なにかあったのか?」
何かあったのは我が家のことであるはずなのに、セドリックは訊かずにいられないというように、ケインズに声をかけた。
「いや、実は……最近、ダミアンとは意見が分かれることが多くてな」
「意見?」
「見合い話だよ。あいつもそろそろ身を固めてもいい頃合いかと、色々な筋から紹介してもらっているのに、話を一切聞きやしない」
思わずアミュウとセドリックは顔を見合わせた。ちょうど今、セドリックとナタリアも似たような火種で喧嘩を繰り広げていたところだ。セドリックが口元を緩めた。
「……どこの家庭も同じか」
「ん? なんの話だ?」
「いや、ケインズ。今はあんたの話が聞きたい気分だ。上がっていってくれ」
「お取込み中ではなかったかな?」
セドリックとケインズの間に、アミュウが割って入った。
「私がナターシャを探しに行くわ」
「ならば、私もまいりましょう。いくらアミュウさんが空を飛べるといっても、日が暮れてからの外出は危ないですからね」
ヴィタリーがアミュウにオーバーを差し出しながら、同行を申し出た。セドリックは頷く。
「尻ぬぐいをさせてすまないな……頼む」
アミュウとヴィタリーは、寒風吹きすさぶ冬の夜へと繰り出した。
アミュウは、ナタリアがコートも着ないで屋敷を飛び出していったのを思い返した。
「どこか、屋内にいるんじゃないかしら」
「そうですね。あの格好でそう遠くまでは行けないはず。セントラル・プラザかキャンデレ・スクエアか。探してみましょう」
アミュウは真っ先に「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」へ行ってみた。続いて、二階の「カトレヤ」。ナタリアが来ていないか訊ねてみると、ポンペオもエミリも首を横に振った。
それから三〇一号室に戻り、聖輝にも同じことを訊ねてみたが、成果は無かった。
「私も探してみましょう。紙雛はまだ破れていないが、この間の件で結界が弱まっているかもしれません。ジークにも声をかけます」
「それじゃ、キャンデレ・スクエア界隈をお願い。ヴィタリー、私たちはセントラル・プラザに戻りましょう」
無関心を装いながら室内のあちこちに目を走らせていたヴィタリーが慌てて頷いた。二人の共同生活の様子は、これでセドリックに筒抜けになるのだろうと、アミュウは胸中でため息をついた。
アミュウとヴィタリーはセントラル・プラザに戻り、今度は役場へ足を運んだ。
夜の役場の正面入り口は既に閉鎖されていた。ヴィタリーは慣れた様子で裏口へ回り、庁舎内へ踏み込んだ。灯火の無い廊下は暗かったが、あちこちの部屋から光が漏れ出ていたので、真っ暗闇ではなかった。アミュウとヴィタリーは、灯りの残っている執務室をひとつずつ覗いていく。
「こんな時間に勝手に入って、大丈夫かしら」
ヴィタリーは苦笑いを浮かべた。
「確かに褒められた真似ではありませんねぇ。でも案外、彼らは気にしていないと思いますよ。役場の連中というのは、客人が庁内をうろつくのに慣れているから、我々が覗き込んでも、ほら、平気な顔で仕事をしてます」
奇妙なことに残業中の官吏らの何人かは、執務室の扉から顔を覗かせたヴィタリーと目が合うと、手を挙げたり、笑顔を浮かべたり、ある種の親密さを感じさせる挨拶を寄越してきた。ヴィタリーも笑顔でそれに応じる。
「知り合いなの?」
ヴィタリーはカッカッカッと笑った。
「私は町長の秘書のようなものですからね。それに、古い連中とは顔なじみです」
「古い連中?」
アミュウは首を傾げたがヴィタリーはそれには応じなかった。
親しげに挨拶を交わす官吏らがいるいっぽうで、あからさまにヴィタリーから顔をそむける者がいることにも、アミュウは気が付いた。ヴィタリーのほうでも、彼らを刺激しないよう、消極的な無視をしているように見えた。アミュウは敢えて詮索はせずに、黙っていた。
四階建ての庁舎の端から端まで、灯火の残っている部屋をひとつ残らず見て回ったが、ナタリアは見つからなかった。一階の裏口まで戻ってきた二人は顔を見合わせた。
「ここにもいませんでしたねぇ」
「よく考えれば、お父さんと喧嘩した後に、職場になんか来るはずなかったわね」
意気消沈した二人が庁舎を出ると、広場を挟んだ正面には、プラザ・ホテルの立派な門構えにランプの灯が揺れていた。まだ夜の早い刻限ということもあって門は開いていて、宿泊客が自由に出入りできるようになっていた。
「……ヴィタリー、ひょっとして」
「一応、のぞいてみますか」
二人は開いたままの門をくぐり、冬枯れの芝生の中を通って、彫刻の入った重厚な玄関扉を開いた。ロビーには小ぶりのシャンデリアに蝋燭の灯りが煌めいている。あちこちにランプや燭台が燦然と輝き、室内は昼間のような明るさだった。正面のカウンター内の案内係がアミュウたちに向かって優雅に一礼する。ヴィタリーは宿泊の用が無いことを示すために、手をひらひらと振ってみせた。
厚い緞子のカーテンが下りている窓際の一角はラウンジになっていて、座り心地の良さそうなソファが並んでいた。そのうちの一つに、ナタリアが膝に頬杖を突いて腰かけていた。
アミュウたちが近づく前に、ナタリアのほうも二人に気が付いたようだった。打たれた頬を隠すように頬杖を崩さぬまま、脚だけを組み直してうな垂れた。
「……遅いわよ、待ちくたびれちゃった」
「探したのよ。まさかこんなところにいたなんて」
ナタリアは憮然として言った。
「……ちょっとね。ダミアンに会ってやろうと思ったの。でも、いなかった」
ナタリアの口からダミアンの名を聞いたアミュウとヴィタリーは、気まずそうに視線を交わした。先に口を開いたのはヴィタリーだった。
「先ほど商工会のケインズ会頭が屋敷にお見えになりました。ダミアンさんは」
そこでヴィタリーは声をひそめて、
「行方不明らしいですぞ」
「うそ」
ナタリアが目を丸くして顔を上げた。
「昨日の収穫祭の最中から姿を消したそうです。商工会事務所へは行かれなかったんですね」
「どうして」
ナタリアが腰を浮かせてヴィタリーに訊ねる。そのままゆっくり立ち上がる彼女の肩に、アミュウはショールをかけてやった。
ヴィタリーは周囲を見回した。食事時である。食堂を出入りする宿泊客や、彼らの世話を焼く従業員がラウンジの前を行ったり来たりして、人通りが絶えない。
「……ここでは落ち着きませんな。どうです。屋敷に戻る前に、ちょっと一杯やりながらゆっくり話しませんか。すぐ近くによく知っている店があります」
ナタリアはショールを前で引き合わせて頷いた。まだ屋敷へ帰りたくないのだろう。
アミュウとナタリアは、ヴィタリーに続いて彫刻入りの扉をくぐり抜け、再び夜のセントラル・プラザへ繰り出した。




