3-28.呼び出し【挿絵】
セドリックから呼び出しを受けたのは、翌日の夕刻だった。青い顔のナタリアが、キャンデレ・スクエアの部屋へ飛び込んできたのだった。ナタリアは部屋に上がるなり、息つく間もなくアミュウの肩を掴んで言った。
「あんた、何やらかしたの? パパってば、今日いちにち中もの凄い形相だったわよ。役場の人たちが引くくらい」
「私に……怒ってるの?」
アミュウは眉を寄せてナタリアに訊ねる。ナタリアは首を横に振った。
「ううん、分からない……ろくに口も利いてくれない」
(ひょっとして、ばあやがお父さんに話した?)
アミュウは半ば無意識に聖輝を見た。聖輝は椅子を窓際に寄せて本を読んでいたが、顔を上げてアミュウと目線が合った。聖輝は首を傾げて言った。
「町長から呼び出しがかかるとは、よほど大事なお話なのでは? 早く行ったほうがいい。ついでに家族水入らずで食事でもしてきたらどうですか」
ナタリアは「うえ」と舌を出した。
「わたし、あんな雰囲気の中でご飯食べたくない……でも、今晩はばあやの手料理だしなぁ……」
ナタリアの口から「ばあや」と聞いて、嫌な予感がアミュウの胸をよぎった。
「ばあや、今日、来てたの?」
「うん。まだ屋敷にいるよ」
悪い予感が深まる。アミュウは眉を寄せた。
「どうしよう。お父さんに、ここで聖輝さんと暮らしているのがバレたかもしれない」
「えぇ!?」
ナタリアが素っ頓狂な声を上げる。聖輝の顔が険しくなった。
「私も同行しましょうか」
アミュウは混乱した頭を無理やり落ち着けて考える。恐らく「悪い予感」は的中しているだろう。だからといって、いきなりセドリックの前に聖輝を連れて行っても、余計に話がこじれるのではないか。
聖輝と共同生活を始めたのは、自身の身の安全を確保するためだった。だがそもそも、カルミノから脅迫を受けたことをはじめからセドリックに話していれば、アミュウは実家に身を寄せることもできたはずだった。それをしなかったのは、セドリックに心配を掛けたくなかったから――
(いいえ、それは言い訳だわ。私は、お父さんの前にみっともない姿を晒したくなかったんだ。手のかからない、利口な娘を通したかっただけなんだ……)
アミュウはかぶりを振った。
「いいえ、まずは私が話してきます。なるべく丁寧に、正直に話そうと思う……いいですね?」
聖輝は厳しい顔つきのまま頷いた。
「わかりました。何かあればすぐに伺うとお伝えください」
「アミュウ。あんまりパパを待たせないほうがいい」
ナタリアが時計を見ながらアミュウに出発するよう促す。アミュウは緊張した面持ちで頷き、オーバーを着込んで鞄を提げ、蓮飾りの杖を携えて靴を履いた。
「……お気をつけて」
聖輝の見送りを受けて、アミュウとナタリアはキャンデレ・スクエアの部屋を後にした。
キャンデレ・スクエアはセントラル・プラザに隣接している。カーター邸まではほんの十分ほどの距離だ。
通りへ出てみると、薄暮の明かりの残る中、そろそろ夜の営業を始めようとしている店主が、屋外のランプに火を入れる姿がちらほらと見えた。夜通し煌めくキャンデレ・スクエアが昼間の眠りから覚め、動き始める時刻だった。
暮れゆく宵空とは逆に明るさを増していく街並みを過ぎると、すぐに金融街だ。一日の仕事を終えた金融街は、灯火の漏れるいくつかの窓を除いては、死んだように灯りが絶えている。薄暗い通りを抜けると、もうそこは中央広場だった。プラザ・ホテルを右手に、町役場庁舎を左手に見ながら広場を行く。役場を過ぎて、弁護士事務所や代筆屋、荷運び屋といった細々とした事務所の向こう、セントラル・プラザの奥まったところに、レッドロビンのくすんだ葉色が見えてきた。
格子の門を押し開け、敷地内に足を踏み入れる。花壇のコスモスはすっかり掘り返され、今はパンジーや小菊、雪起こしといった背丈の低い花々で埋め尽くされていた。短い階段を上がり、恐る恐る玄関戸をノックする。慣れ親しんでいる筈の実家の扉が、今はアミュウを拒絶しているかのようだった。
しばらく待っていると、扉の中からヴィタリーが顔を出した。
「お待ちしておりました、アミュウさん。ナタリアさんも、お迎えお疲れ様でした。こんな時間に森まで出向くとなれば、まずは私が行くべきだったのに」
「いいのよ。気にしないで、ヴィタリー」
アミュウとナタリアはオーバーを脱いでヴィタリーに預けた。二人分のコートをハンガーにかけながらヴィタリーは首を傾げた。
「……はて。森まで行ったにしては、随分と早いお帰りですな」
「とっ、途中でばったり会ったのよ!」
ナタリアは声を裏返して誤魔化すのを、アミュウは首を横に振って制した。
「正直に話すつもりよ。嘘をつかなくていいわ」
ヴィタリーは傾げた首を元に戻すと、目を細めて言った。
「何やら訳がおありのようですね。さあ、町長がお待ちかねです」
ヴィタリーは居間の扉を開け、アミュウとナタリアに中に入るよう促した。そろりと足を踏み入れると、暖炉の火がパチパチと爆ぜる中、こちらに背を向けてソファに座るセドリックが低い声で言った。
「ナターシャは下がりなさい。アミュウだけ、ここへ」
有無を言わさぬ声音だった。ナタリアは渋々といった様子で廊下へと戻り、アミュウは暖炉の前に進み出た。食卓の椅子に腰かけていたイルダが腰を浮かせて言った。
「お嬢さま、このばあやをお許しくださいましね」
「いいのよ、ばあやがお父さんに報告するのは当然のことだわ」
アミュウがイルダに微笑みかけるのを見て、セドリックは重い口を開いた。
「……どうして私がお前をここへ呼んだのか、見当はついているようだな」
「ええ」
セドリックは長い溜息をついて言った。
「ミカグラ先生と、いかがわしい場所に二人で入ったそうだな」
「いっ……」
アミュウが反論しようとした瞬間、居間のドアが勢いよく開かれた。
「キャンデレ・スクエアはいかがわしい場所なんかじゃない!」
聞き耳でも立てていたのだろう、ナタリアが憤慨しながら乗り込んできた。ヴィタリーが苦笑いを浮かべながら、ナタリアをなだめすかすように彼女の腕を引いているが、彼の努力は少しも実を結んでいない。
「パパは、あそこで働く人たちのことを少しも分かってない! 町長のくせに自分の町をおとしめるようなことを言っちゃダメよ‼」
食ってかかるナタリアにセドリックは一瞬気を呑まれたようだったが、すぐにもとの険しい顔に戻ってソファから立ち上がった。
「私が言っているのはそういう意味ではないよ、ナターシャ。お前はまだ知らないかもしれないが、あそこには未婚の男女が行ってはいけないような場所がいくつもあるんだ。もちろん、春をひさぐような店もな。さっきのは、町長としてではなく、娘を心配する一人の父親としての言葉だ」
アミュウは精一杯の冷静を装って話す。
「お父さん、それにばあやも。私は確かに聖輝さんと一緒にいたけど、やましいことは何もしていないわ。それに、ナターシャの言うとおり、私たちがいたのはいかがわしい場所じゃない。ただの飲食店よ」
後ろの食卓でイルダがほっと肩を緩める気配があった。アミュウは言葉を続けた。
「やましいことがあるとすれば、今までお父さんたちに黙っていたこと……私はいま、聖輝さんと一緒に暮らしているの」
セドリックの眉が上がった。イルダが息を飲む。
「ふた月くらい前……ちょうど、私とナタリアがスタインウッドへ行く直前。私は、何者かに脅迫を受けたの。聖輝さんに近付くなって」
「脅迫だと?」
セドリックの眉間の皺がさらに深まった。アミュウは構わずに話し続けた。
「私と聖輝さん、それにナタリアと、ジーク。四人で色々と調べていくうちに、どうやら教会の関係者が絡んでいるんじゃないかって推論に行きついたの。私があの森の小屋で一人暮らしを続けるのは危険だから、いっそそれならって、聖輝さんと住むことになった。教会関係者は聖輝さんには手出しができないから。ばあやが見たのは確かに私たちだけど、いかがわしい場所へ行こうとしているところなんかじゃない。ただ帰宅しようとしていただけよ」
セドリックは天を仰いで、娘の話を整理しているようだった。ナタリアが不安そうにアミュウとセドリックを交互に見やる。ヴィタリーは、ただ静かに家族のやりとりを見守っていた。
「ミカグラ先生と一緒に住んでいる……」
セドリックが口を開きかけ、いったん閉じてから今度こそ言葉に出した。
「……脅迫を受けたというのは、どういうことだ」
「『御神楽の御曹司に近付くな。次は無いと思え』……聖輝さんがこの町に来てからというもの、なりゆき上、一緒に行動することが多かったから、まっさきに私が狙われたんでしょうね」
「どうして今まで黙っていたんだ」
「どうしてって、そりゃあ……」
心配をかけたくなかったからに決まっている。義父セドリックの前では、物わかりの良いしっかり者の娘でいたかった。そして何より、脅迫者の目がアミュウに向いているうちは、聖輝の本来の縁談相手であるナタリアに危険が及ぶのを回避できると思ったからだ。
アミュウは、流行り病に伏せったあの日、聖輝をここカーター邸へ向かわせたことを今さらながら悔いた。それだけではない。カルミノ・ザッカリーニは聖輝を尾けていたのだろうから、本当にナタリアを守るつもりであれば、キャンデレ・スクエアのあの部屋にナタリアを招いてはならなかったのだった。自分の判断の甘さが、カルミノをナタリアのもとへと導いてしまった。
言葉を見つけられずにいるうちに、アミュウは知らずにナタリアの方を見ていた。アミュウの視線を受けて、ナタリアは閉ざしていた口を開いた。
「私も同じ奴から同じことを言われたわ。助けに来てくれたのは、アミュウと聖輝さんだった。聖輝さんのお見合い相手はもともと私だったんだから、脅迫を受けるのは私だけだったはずなのに、アミュウってば、私をかばってくれてたんだよ」
セドリックの丸くなった目がナタリアのほうを向く。
「ナターシャ、知ってたのか」
ナタリアは父親を見据えたまま頷いた。セドリックは、信じられないというように首を振りながら言った。
「おまえがミカグラ先生をしっかりつかまえておかないから、アミュウがミカグラ先生の方へなびいていったんじゃないのか。ナターシャ。おまえが、あのならず者とへらへら笑っているうちに」
ナタリアはセドリックの言う「ならず者」が誰のことを指すのかしばらく本気で分からずにいたようだった。しかし、誕生パーティーの席で、談笑するナタリアとジークフリートを見つめるセドリックの目付きの鋭さを知っていたアミュウには、すぐに見当がついた。数秒ののち、やっとセドリックの本意に思い当ったナタリアは、怒りでさっと顔を赤らめた。
「ジークはならず者なんかじゃない! 真面目で正直なひとよ‼」
セドリックは棘を含んだ声で言った。
「まっとうな仕事があるうちはそうだろうさ。傭兵という連中は、仕事で早死にするか、そうでなければいずれ怪我で動けなくなるものだよ。生き残った連中は、平和な世の中では職にあぶれて狼藉に走る。西部ではありふれた光景だ」
「ジークはそんな人じゃない‼」
ナタリアが地団駄を踏んだ。
呼び出されたのはアミュウのはずだったのに、今や親子の諍いは完全にナタリアとセドリックの間へと飛び火していた。
「それに、私は聖輝さんのプロポーズを断った! だからアミュウと聖輝さんがどうなったって、私の知ったところじゃない‼」
「断っただと……?」
「だんな様……」
セドリックの気迫に剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、後ろの方でイルダが弱々しく立ち上がる。イルダの制止をものともせずに、セドリックはつかつかとナタリアの前へ歩み寄った。ナタリアは少しもひるまずに父親を見据えていた。
「うん、断った。この際だから言うよ。町長の娘として生まれたからには、負わなければならない責任や、果たさなければならない務めがあると思って、今までやってきた。でも、どうして大人になってまで色恋沙汰に口を出されなくちゃならないの? どうして『町長のお嬢さん』って目で見られながら役所勤めをしなくちゃならないの? どうして私の生きる道を私が決めちゃならないの⁉」
パシィッ――――‼
ナタリアが今まで背負い込んできた重圧そのものをセドリックの掌にのせたような、重い平手打ちだった。まともに受け止めきることができずに二、三歩よろめいたナタリアを、慌ててヴィタリーが支えた。そんな娘の姿を、セドリックはたじろぎもせずに見下ろしていた。
ナタリアはヴィタリーを頼りに体勢を立て直すと、切れた口の端を手の甲でぬぐって言い放った。
「――私は、パパのお人形じゃない‼」
そしてナタリアは居間を飛び出すと、玄関へ走って行った。
「ナターシャ‼」
アミュウはすぐにナタリアを追いかけた。イルダがおろおろしている姿が目の端に映った。彼女は自分の告げ口が大ごとになってしまい、ひどく混乱しているようだった。
(――ごめんね、ばあや)
彼女に言葉をかける余裕のないことに胸中で詫びを入れながら居間を飛び出し玄関まで来ると、ナタリアが勢いよく扉を開けたところだった。折しも外には客がいて、突然扉が開いたことに驚いている様子だった。ナタリアも、そこに人がいたことに一瞬唖然としていたが、すぐに客の脇を走り抜けて行ってしまった。
アミュウもそのまま客人の脇を駆け抜けていきたかったが、その顔を見てしまっては、立ち止まらざるを得なかった。すぐにやって来たヴィタリーが頭を下げて応対する。
「これはこれは――ケインズ様」
いつも読んで下さりありがとうございます。
秋の桜子様と若松ユウ様からファンアートを頂きました。
2019年5月19日分の活動報告にてご紹介しておりますので、どうぞご覧ください。https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1423845/blogkey/2324469/
また、連載100話を迎えた記念として、短編「わらしべの対価」の連載を開始いたしました。
本編より15年前、若き日のジョンストン・タルコットを主人公とした番外編です。
お読みくださる皆様のお陰で100話更新を迎えることができました。
重ねて御礼申し上げます。
「月下のアトリエ ~わらしべの対価~」:https://ncode.syosetu.com/n3565fn/




