3-27.かがり火【挿絵】
アミュウがキャンデレ・スクエアの部屋に戻ってきたのは、昼をだいぶ回ってからだった。
「ひとりで出歩くのは危ないと何度も言ってるでしょう」
聖輝は空腹で機嫌が悪いらしく、同じような小言をぶつぶつと垂れた。アミュウは買ってきた品々で簡単な昼食の準備をしながら、いなすように言い返す。
「今日はどこへ行っても人、人、人。人目の無い場所なんて、探す方が難しいわ」
聖輝の祈りの文言に合わせてアミュウも手を組み、食前の祈りを捧げてから、二人ともサンドイッチに手を伸ばした。パンにピクルスとハムを挟んだだけの、ごく軽い昼食だ。人参やカブの酢漬けに、燻製ハムのいぶした香りが良く合った。
「それにしてもアミュウさん。あなたはよく動けますね」
藪から棒に投げられた聖輝の言葉の意味が分からず、アミュウはサンドイッチをほおばったまま目をしばたたかせる。聖輝は手拭きで口元をぬぐって言い直した。
「あの日、私と同じ距離を転移してきたにしては、よく元気でいられるものだと感心しているのですよ」
アミュウは口の中のものを飲み込んで呟いた。
「なんだか『馬鹿は風邪をひかない』っていうのと同じような言葉の棘を感じるわ」
「まさか」
聖輝は声を立てて笑った。その笑い方はあまりに爽やかで、かえって胡散臭さを増していた。
「私は三日経ってようやく人心地ついてきたところです。アミュウさんはといえば、翌日からピンピンしているじゃないですか。私の方が経験は積んでいるはずなのに、妙なものです」
アミュウは茶を啜るあいだに、王都時代を思い返した。
「第二の師匠が、空間制御術を研究していたんです。そのころ、理論はかなり読み込んだわ。そのせいかしら……」
聖輝の眉がぴくりと動いた。
「空間制御術の?」
「ええ」
アミュウが頷いてみせると、聖輝は顎に手をやり考え込んだ。
「……それは、かなり危険な研究ですね」
「危険って?」
アミュウが首を傾げる。聖輝の視線がアミュウを射抜く。
「前に話したことを、忘れたのですか」
その視線の鋭さで、アミュウは、出会ったばかりの頃に受けた聖輝の苦言を思い出した。
(見る者が見たら、喉から手が出るほど欲しい力でしょう。厄介ごとに巻き込まれる前に、人目に触れないよう隠しておくべきです)
アミュウの背筋を冷たいものが走った。カーター・タウンに戻って以来、手紙のやりとりが一度あったきり、師との音信は絶えている。
(先生……お元気なのかしら。無事であればいいのだけど)
昼食の会話はそれきりだった。アミュウも聖輝も、黙々とサンドイッチを胃に収めていった。
食後、聖輝は例によって昼寝を決め込んでいた。アミュウもベッドに腰かけてのんびりと本を読んでいたのだが、聖輝の寝息につられていつの間にか眠りこんでしまったらしい。
窓の外から大きな爆発音が聞こえて、アミュウは飛び起きた。聖輝も同じように上体を起こして目を白黒させている。爆発音は連続して数箇所から聞こえてきた。
空はすでに宵の暗さだった。
恐る恐る窓の外を覗くと、収穫祭のフィナーレを待つ観衆が街路の両脇にあふれかえっていて、気のはやった若者たちが街路の真ん中――後でパレードが通る場所――に向かって爆竹を投げつけているのだった。
「あれも祭の一部というわけですか」
すぐ後ろに聖輝が立っていて、アミュウと同じように窓の外を眺めていた。アミュウは頷いた。乱痴気騒ぎはあちこちに伝染していき、通りの向こうの小路からも爆竹の破裂音が聞こえてきた。すぐに制止の声が響く。商工会の祭の実行委員だろうか。
「爆竹を鳴らすのは、パレードが過ぎた後にしてくださぁーい」
キャンデレ・スクエアは人で埋め尽くされていたが、四つ辻など、ある程度の広さを確保できるところでは、屋台が出ていたし、路面店では酒やつまみを振舞っているようだった。
二人の口のどちらからともなく、「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」の主人を思いやる言葉がこぼれた。
「ポンペオさんも参戦しているかもしれませんね」
「今日が稼ぎ時でしょう」
そのまま二人は窓の外を眺めていたが、やがて聖輝がぽつりとつぶやいた。
「降りてみましょうか?」
アミュウは意外に思って聖輝を見上げた。
「平気なんですか」
「新作のワインが飲みたい」
聖輝はそう言って立ち上がると、部屋着の着流しのまま直接二重マントを羽織る。アミュウは呆れた。
「あれだけワインを飲んでおきながら、まだ飲みたいって言うんですか」
「そう。一日中ワインを飲んで寝てるだけですからね。さすがにそろそろ退屈してきました。アミュウさんも、どうぞご一緒に」
アミュウは不承不承といった体を装いながら、まんざらでもなく出かける支度を整えた。聖輝はそんなアミュウをにやにやと見ていたが、その視線に気付いたアミュウがきっと聖輝を睨み返すと、気まずそうに顔をそらした。
部屋を出て階下へ降りてみると、混雑に疲れたらしい見物客数人が、敷地内でワインをあおりながら、料理をつまんでいる。
「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」を覗けば、窓際の席にアンティパストの小皿がずらりと並び、窓ごしに街路から好みの品を注文できるようになっていた。店内ではポンペオと彼の妻が忙しく立ち働いている。シンボルツリーのオリーブの鉢は、通行の邪魔にならないよう店内に片付けられていた。
聖輝は窓をノックしてポンペオを呼んだ。
「精が出ますね――赤と、そこのブルスケッタに、フリッタータを」
「どうも。収穫祭はね、毎年このスタイルなんですよ――はい、どうぞ」
「酒でない飲み物はありますか」
「野暮なことを言わないでください、旦那……おっと、アミュウさんか。おい、サングリアは残ってるか……」
ポンペオは、店内を覗き込むアミュウの姿をみとめると、厨房の方を振り返って彼の妻を呼んだ。間もなく、カラフェを携えたおかみさんが姿を現した。瓶の中には少量の赤い液体に、ジャムの果実がごろごろと沈殿していた。
「昼間の残りでごめんなさいね」
彼女はそう言いながらグラスに液体を注ぎきり、アミュウに差し出した。アミュウが受け取るべきか迷っていると、聖輝がそっと口添えした。
「果物で風味付けしたワインです。飲みやすいですよ。もちろん、おごりです」
「払って頂かなくても、結構」
アミュウは酒を飲むのには気が進まなかったが、意地で支払いを済ませ、サングリアを受け取った。聖輝は苦笑しながら、グラスと小皿二枚を器用に手に持つと、人混みを避けて「カトレヤ」へ続く階段へと避難した。二人で並んで階段に座る。
「乾杯」
聖輝が軽くグラスを掲げたので、アミュウも観念してグラスを合わせた。小気味よい音が鳴る。聖輝が喉を鳴らしてワインを飲む。アミュウもサングリアに口をつけた。冬には貴重なベリーの甘酸っぱさが、口いっぱいに広がった。
「美味しい」
「あの店では人気の飲み物ですよ。酒だからといって飲まないのは勿体ないです」
聖輝は、角切りのジャガイモとチーズを卵に閉じ込めたフリッタータを口に運びながら言った。一口かじり、アミュウにも勧める。
「私、お料理の分は払ってませんから」
「味見ですよ、味見。ほら。こっちもどうぞ」
渋りながらもアミュウはフリッタータとブルスケッタをぺろりと平らげた。小腹が満たされ、酒が入ったこともあり、なんとなく気が大きくなってきた。アミュウはサングリアを飲み干し、底に残ったジャムを掻き出して舐めとると、勢いよく立ち上がった。
「ねえ、広場の方まで行ってみませんか。門に火が焚かれるのを見てみたいわ」
二人は食器を「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」に返し、キャンデレ・スクエアの広場を目指した。普段ならほんの数分の距離が、見物客でごった返す今では何倍もの距離に感じられた。小柄なアミュウは、ほんの少し油断しただけで人の波にさらわれてしまう。見かねた聖輝が、アミュウの手を取った。そのとき、二人の間に言葉は何も交わされなかったが、繋いだ手と手の熱のやり取りに、互いの気持ちの昂りを感じていた。
やっと門のてっぺんが見える場所まで来たとき、二人は無言のまま寄り添って立っていた。門のまわりには、人の背丈の倍ほどもある無数の十字の松明が、火をつけられる瞬間を今か今かと待っていた。カーター・タウンの住民が全員キャンデレ・スクエアへ集まったのではないかという混みようだったが、アミュウには雑踏が薄い紗のカーテン一枚向こうにあるように感じられた。その破れそうなほど薄いカーテンは、アミュウと聖輝だけを周囲から隔離していた。門の近くに設けられたお立ち台にケインズが上がり、祭の挨拶に現政権への批判を巧妙に織り混ぜながら演説するのも、広場を埋めつくす見物客から拍手が湧き上がるのも、アミュウにはすべて遠い世界の出来事に思えた。すぐ隣に立つ聖輝の、繋いだままの手からつたわる温もりだけが、身近に感じられたのだった。
立ちんぼうで待機しているパレードの前方を、商工会婦人会の女性ふたりが小ぶりの松明を運んで歩く。彼女らは左右の門に分かれると、互いに目で合図を交わし、同時に門に火を着けた。枝木で組まれ、藁人形で飾り付けられた門は、仕込まれた油により一気に燃え立つ。パレードの楽団の金管が吠え、太鼓が打ち鳴らされた。十字の松明を掲げた若者たちが――彼らの多くは、商工会青年部の連中だった――、次々に門の炎を松明に移し、セントラル・プラザ方面を目指して練り歩く。パレードが過ぎ去った後には、彼らの楽の音を惜しむように爆竹が投げかけられた。
パレードが進行するに従い、見物客も彼らの後を追うように移動していく。アミュウと聖輝は、その流れには乗らず、遠ざかっていくかがり火を見送りながら、その場に立ち尽くしていたが、やがてまた無言で、「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」のある東通りへ足を向けた。
聖輝に手を引かれて人の流れを遡っていくあいだ、アミュウは今さらサングリアの酔いがまわったのか、眠くて仕方が無かった。こっくりこっくりと舟を漕ぎながら、アミュウは聖輝に支えられて「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」の外階段をのぼって行った。
眼下を流れ過ぎていく人の海の中に、アミュウはふと親しい顔を見つけた。あ、と思う間もなく、その顔はこちらを見上げ、目が合った。孫息子に手を引かれるイルダだった。イルダは目を丸くして、部屋の扉に吸い込まれていくアミュウと聖輝の姿を見ていた。アミュウの酔いが一気に醒めていく。人波に押されてイルダの姿はすぐに見えなくなった。
「月下のアトリエ」は前話3-26「説法」を以って無事に100話を迎えました。
いつも読んで下さり、ありがとうございます。
水滝柏様からイラストを頂戴しました。
下記活動報告に掲載いたしましたので、どうぞご覧ください。(2019年5月17日分)
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1423845/blogkey/2318598/




