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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第三章 この空の下すべて

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3-26.説法【挿絵】

 十二月の半ば、「収穫祭」と呼ぶにはあまりに寂しい天候だった。その日の朝、アミュウは寒気が入ってこないよう大急ぎで鎧窓を開け、再び内窓を閉めた。鼠色の空に鈍色の雲が重く垂れこめていた。衝立の向こうでは、まだ聖輝が寝息を立てていた。

 アミュウは身支度を済ませると、薪を取りに部屋を出て階下へ向かった。薪棚の前の私設井戸の傍らに、きらきらと輝くグレイッシュヘアが見えた。既に洗濯を終えたクリスティアナが桶を抱えて立ち上がるところだった。アミュウが朝の挨拶を投げかけると、クリスティアナはにっこり笑った。


「おはよう、アミュウさん。今日の収穫祭は、聖輝さんと見に行くの?」


 アミュウはかぶりを振った。


「聖輝さんがまだ本調子じゃありませんから」

「あら、随分長く寝込んでいるわね。大丈夫?」

「休むのが一番の薬です」

「そりゃそうだろうけど」


 クリスティアナはアミュウの目を覗き込んだ。


「また、二人だけでどうこうしようなんて思っちゃダメよ。困ったときはお互い様なんだから。私でも、エミリでも、もっと周りを頼ってね」


 アミュウはクリスティアナの小さな丸い目をまっすぐに見返して、静かに笑った。


「そのお気持ちだけで、とても助かっています」


 部屋に戻ると、聖輝が残りわずかとなった薪に火をつけていた。聖輝は目線だけをアミュウに向けて言った。


「おかえりなさい。薪を取りに行ってたんですね」

「珍しく早いじゃないですか」

「たまにはね」


 アミュウは暖炉の脇に薪を積むと、そのうちのいくらかを火にくべた。そして昨夜の残りのスープの鍋に少量の水を足して、暖炉の火にかける。温まったところで、二人は無言の朝食をとった。聖輝がカーター・タウンを出ると言った夜からずっとこの調子で、二人の間に妙な距離が生じていた。

 聖輝は、腹の膨れたところで再び床に伏した。アミュウは洗濯を済ませてから、買い物に出かけた。


 キャンデレ・スクエアの広場には、枝木を束ね、藁人形で飾り付けられた門が設えられていた。夜になれば、この門に火がつけられ、かがり火を掲げたパレードがセントラル・プラザのゴール目指して街を練り歩く。そして同じように据えられたセントラル・プラザの門に火を着けて爆竹を鳴らすのが、収穫祭のフィナーレだ。

 アミュウは東部地区の小さな商店街までやってきたが、通常営業している店はどこにも無かった。この辺りの店主たちは、通りの左右に屋台を出していて、スープやソーセージといった食べ物を振舞っていた。アミュウは屋台のひとつで、日持ちのしそうな燻製ハムや野菜の酢漬け、そしてパンを購入した。


 キャンデレ・スクエアへ戻る途中で、アミュウはふと思いつき、西部の教会まで足を伸ばすことにした。

 住宅街を突っ切って職人街に出ると、ここでも露店が連なっていた。陶工のおじいさんが、老犬と並んで座って店番をしている。敷布には買い求めやすい価格の小皿やカップが並んでいて、思わずアミュウは足を止めた。新居には必要最低限の食器類しか持ち込んでいないので、ナタリアやジークフリートが上がりこんだ際、皿や椀が足りなくなることがあった。アミュウは不足を補う品を探そうと手を伸ばしかけて、急にその手をひっこめた。

 聖輝が街を出るかもしれないのだ。

 そうなると、キャンデレ・スクエアの部屋を借り続ける意味もなくなる。アミュウはまた森の小屋に戻ることになるのだ。


「嬢ちゃん、いいのかい?」


 陶工がのんびりと訊ねてくる。アミュウは曖昧に笑って首を横に振った。おじいさんの頭越しに見える陶工店の隣は、相変わらず空き店舗のままだった。




 教会の礼拝堂の扉にはストッパーが仕込まれ、開きっぱなしになっていた。中ではちょうど収穫祭のミサが行われているらしく、人でごった返している。アミュウも人混みの中へその身を滑り込ませる。

 祭壇には野菜や果物、新酒のワイン樽といった供物が並び、東から入るステンドグラス越しの光を浴びて輝いていた。マッケンジー牧師がひとつひとつの供物に聖水をふりかけて回る。

 一連の所作が済むと、マッケンジー牧師は祭壇で説法を始めた。男神と女神が相携えてこの世界に降り立った場所から大地が生まれ、緑が芽吹き、豊かな実りが約束された――収穫祭で語られるお決まりの故事だ。マッケンジーはキィキィと甲高く耳ざわりな声で、延々とエピソードを並べ立てる。アミュウは欠伸を噛み殺した。偵察のつもりで覗いたが、これといって変わったことはない、例年通りのミサだった。外へ出ようにも、混雑していて動きようがない。



挿絵(By みてみん)



「……こうして、安寧と豊穣の約束されたこの大地を信仰の光で照らすべく、人の子らは地に満ちよと運命づけられました。そのさだめのとおり人は各所に町を作り、子を産み、増え、平和は長らく保たれました。しかし皆さんもご存知の通り、近年この平穏が揺るぎつつあります。けものの襲来、伝染病の蔓延、そして……オホン、どこでとは申しませんが、嘆かわしいことに、国家転覆を企てる輩までもがわいて出ています。

 来るべき世界の再誕の日まで、我々はさだめのとおり、この地の安寧と豊穣を守り、手と手を取り合って、大地を耕さねばなりません。そのために、今必要なことは何でしょうか。早急な対策が求められております、しかし、十月に南の森で巨大化したけものが確認されて以来、現町長のセドリック・カーター氏は有効な打開策を何一つとして打ち出せていません」


(は……?)


 アミュウは船を漕ぎそうになっていた頭を振って、マッケンジーの説法に耳を傾けた。なんだか妙な方向に話が進んでいやしないか。


「森を切り拓いて獣を遠ざけ、切った木材で作った壁で町を覆う。森の開発と街壁の設置という両翼の政策、この一大事業を推し進められるのは、実務に長けた実業家、ケインズ・カーター氏に他なりません。

 南の森を切り拓き、街道を南部ブリランテまで延伸することができれば、物流量は増え、この町はますます栄えることでしょう。そのときこそ、ここカーター・タウン教会は司教座聖堂カテドラルとなり、より多くの人々を確かな信仰へと導けるようになるのです。先日のような流行り病騒動が起きても、いっそう迅速に事態に対応できるようになるというわけです」


 アミュウは頭を抱えた。説法などではなく、ただの応援演説ではないか。

 周りを見回すと、意外にもうんうんと頷いて聞き入っている様子の者がちらほらといた。


(今回施療室へ来た患者なら、私の言うことも少しは通るのでないかと)


 ケインズの尾行の際に聞いたマッケンジーの言葉が耳によみがえる。確かに、マッケンジーに命の恩を感じている者であれば、彼の言葉に耳を貸すだろう。

 アミュウの腹の中がふつふつと沸いてきた。あの流行り病騒動のとき、聖輝は何の義理も無いカーター・タウン教会の施療室を助けて、夜昼の区別なく働いた。これではまるで、ケインズを盛り立てる出しに使われたようなものだ。

 演説が終わると、人々は聖体拝領のパンとワインを授かろうと、前方の祭壇に向かってなだれこんだ。アミュウはほうほうのていで礼拝堂を抜け出した。


(なんだか、気持ちの悪い演説だったわ……)


 ナタリアに報告すべきかどうか。いや、いっそセドリックに直接話すべきか。ナタリアは町役場の手伝いで、町中を走り回っているはずだった。セドリックも、かがり火を焚くときには挨拶の一言くらいはあるはずだった。

 アミュウは食べ物を詰め込んだ紙袋を小脇に抱えると、蓮飾りの杖にまたがり、セントラル・プラザのカーター邸目掛けて一直線に飛んでいった。




 カーター邸のシンボルとなっているレッドロビンの生垣は、冬の間は茶色っぽくくすんでいる。ヴィタリーが丹精しているが、寒いうちに新芽の色が悪くなるのは仕方がないらしい。

 玄関扉をノックすると、意外にもセドリック本人が出てきた。


「おや、アミュウ。久しぶり――パーティー以来か」

「なんだか妙なことになっているのよ、お父さん」


 アミュウはセドリックの出迎えに応じるのももどかしく、教会で見聞きしたことをセドリックに全て話した。話しながら居間へ移動してソファに腰かけたが、セドリックの茶のすすめは断った。


「そんなわけで、祭のミサで人が集まるのをいいことに、好き放題言っていたわ。あれじゃ説法じゃなくてただの応援演説よ」


 セドリックは頭を掻いた。


「まぁ、そういうのが選挙ってもんだからなぁ……ケインズも、あれで抜け目のない男だから、前もってマッケンジー先生に頼んでおいたんだろう」

「でも、収穫祭っていう舞台を利用するのは卑怯じゃない」

「確かに、私ならお祝いの席で野暮な真似はしないが……まぁ、そういうものなんだよ。選挙っていうのは」


 納得のいかないアミュウをなだめるように、セドリックはアミュウの肩に手をかけた。


「これまでこの町は選挙を経験してこなかった。ここ百年の間に形だけは民主化したが、町政はずっとカーター家が担ってきた。まぁ、何度かお家騒動があったにせよ、選挙という枠組みで争う前に、内輪で火消ししてきたんだ。それが今回は、突然だったからなぁ」


 セドリックは遠くを見るように目を細めた。


「実を言うとだな、ケインズが手を挙げるなら、それでもいい気がしていたんだよ。あっちにはダミアンっていう、よくできた跡取り息子までいる。ナターシャに婿取りの気苦労をかけてまで、無理に町長の椅子を守らなくてもいいと思っていたんだ」


 アミュウははっとしてセドリックを見上げた。


「……だから、聖輝さんとの縁談を持ちかけたの? ケインズおじさんが出馬して町長になるなら、ナターシャが婿取りをする意味がなくなるから?」


 セドリックは返事の代わりにしみじみと言った。


「本当に良い話だと思ったんだよ。マッケンジー先生は大きな勘違いをしている。ここの教会が未だに一人司祭教会なのは、けっしてカーター・タウンが片田舎だからではない。ミカグラ先生が拝聖したときのポストを残しておくために、わざわざ教会の規模を小さくとどめているだけなんだ。つまり、ミカグラ先生はここ、カーター・タウンで出世する。嫁入り先としては申し分ないだろう」


 アミュウはセドリックの言葉を反芻した。聖輝は拝聖の後、カーター・タウンに赴任することになる? はじめて聞く話だった。聖輝はそんな素振りすら見せなかったが、知っているのだろうか。

 黙り込んだアミュウの肩から手をはずし、セドリックは腕を組んでため息をついた。


「ただ、ケインズが森の開発と街壁の設置を唱え始めてから、どうもあいつにこの町を預ける気にはなれなくなってな」

「どうして? 町を壁で囲んでしまえば、けものに襲われる心配もなくなるでしょう?」


 セドリックは驚いたようにアミュウを見た。


「お前までそう考えているのか。ナターシャならどう反応するだろうな」

「どういうことよ」


 アミュウは苛立ちを隠さずにセドリックに食ってかかった。


「アミュウ。お前は王都で『壁』を見てきただろう。壁外街区フォブールはどうなっていた」


 アミュウは答えることができなかった。魔術学校はもちろん街壁内にあったし、下宿のステュディオも学校のすぐそばだった。壁外街区は治安が悪いと聞いていたので、わざわざ足を伸ばすことも無かった。つまり、壁外街区とは、そういう場所なのだった。


「ここカーター・タウンは発展途上の町だ。今、無理に壁で囲んでしまえば、近い将来必ず壁の内に人口を抱えきれなくなる。そうなると、壁外に貧民街スラムが形成されるだろう。すなわち住民階層の分断だ」


 アミュウが何も言わなかったが、セドリックはそれを納得と受け取ったのだろう。


「それに、街道をブリランテまで延ばす? 馬鹿げた話だよ、まったく。戦争の起こりそうな場所へわざわざ道を伸ばすなんて、この町に火種を運んでくださいと言うようなものだよ。どうして西部の治安が悪いと思う? けものの出現頻度が高いのはもちろんだが、ブリランテで仕事にあぶれた傭兵どもが盗賊まがいの略奪に走るからだろう。今、ブリランテへ街道を繋げてしまえば、そういう奴らが今度はカーター・タウンに押し寄せるぞ。ケインズは軍需を見込んで街道延伸を主張しているのだろうが、あまりに短絡的すぎる」


 アミュウは、普段はどこか抜けたような調子の義父の、今まで知らなかった一面を見た気がした。セドリックはこう見えて二十年以上も町長としてカーター・タウンの成長を牽引してきた人物だ。アミュウは改めてそのことを実感した。


「だから、私は選挙で負けるわけにはいかないよ。お前が心配せずとも、必ず勝ってみせるさ」


 セドリックはナタリアそっくりの笑顔でわらい、アミュウの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

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