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第四章 15


 空中で身動きがとれないのは、立体映像である私たちも人間と同じだ。


 一階分の落下ならなんとかなったかもしれないが、すでに足下の三階部分程度が崩落している。空中で、マーニを迎え撃たなければならない。


 オルディエと言葉を交わす暇もなかった。


 私は辛うじてバックラーを前面に押し出したが、マーニの突進をまともに食らってしまう。


 意識が分断しそうな衝撃に、私を構成する分子が次々に千切れ飛んだ。

 視界が失われ、辛うじて切断されなかった聴覚が風切り音に続いて激突の衝撃、そして硬質の破砕音を伝えてくる。


 凡そ十数メートル吹っ飛ばされ、どこかの壁か天井、あるいは床に激突してこれを打ち砕いたようだ。


その後、三メートルほどを落下して斜めに(かし)いだ床に叩きつけられる。

 まずい。


 先ほどソールから受けた熱エネルギーのダメージが、まだ残っている。焼け落ちたローブや肌の一部は修復できずにそのままだ。


 徐々に視界が回復し、手足が動かせるのも確認したが、この状況が非常にまずいことはわかる。自己診断でも、立体映像の維持が難しいところにきていた。


「動ける?」


 オルディエの声にも、切迫感があった。彼女もまだ、先のダメージですぐに立体映像を作れる状態ではないはずだ。


「当然だ」


 動けない、と言ってしまえればどれだけ楽だったろうか。


 そんな弱音を心の(うち)だけで叱咤しながら、腕を動かそうとした。人間はときとして、自身のポテンシャルを極限の状態において発揮することがある。火事場の馬鹿力というやつだ。


 果たしてそれは、人工物である私にも起こりえるだろうか。

 答えは、否。


 初めから答えは出ている。

だから私は、立ち上がろうとした。


 自身の立体映像の千切れた分子を、再結合させる。動くのに必要な部分を最優先し、それ以外の場所を放棄した。私たちに失血死やショック死はない。最低限の部位で活動が可能だ。


「奪ったな」


 怨嗟(えんさ)の呟きが、近づいてくる。「俺から、奪ったな」


「ああ、奪った」


 私は、応じた。


 長く美しい髪は短くなり、バックラーを持つ右手を補修、強化するため、左手を諦める。無論、服などは最低限のインナーだけに止め、体表面の解像度も下げた。


全体のバランスを確かめながら、ゆっくりと立ち上がる。


 マーニは、ほんの数メートル先から、私を睨めつけていた。超高熱のレーザーで灼き切ったために胴の切断部分は炭化し、出血はないが、あれではもう長くはないだろう。


とはいえ、こちらも同様だ。


 立ち上がることはできたが、いったいどれほど、そしてどの程度まで活動可能なのかはわからない。

 それを悟られぬよう、表情には一切内面を出さず、肩を竦めた。


「お互いさま、と言ったのはそちらだ」

「貴様にはわかるまい」


 掠れた声で、マーニは言った。「半身を失ったこの痛みが」


「ふむ」


 私は、〝存在意思〟を調整しながら首を傾げた。


「その半身というのは、おまえの下半身か妹、どちらだ?」


 これにマーニは、激怒した。

 怒らせるつもりなどなかったのだが。


 重力を操り上半身だけで浮いているマーニは、怒号とともにその両腕を突き出した。


 視界が、歪む。

 超高密度の重力場が、周囲の光を吸い込んでいるからだ。


 私は周囲の地形を確認していた。

 頭上には、ほぼなにもない。城の四階分ほどが破壊され、全体で見れば三分の一ほどが抉り取られた形だ。


 私は素早く身をひるがえし、背後にあった床の裂け目に飛び込む。

 落ちる速度が、遅い。

 あの重力場に引っ張られているのだ。


 呑み込まれれば、立体映像は圧縮されて押し潰される。

 着地した次の瞬間には駆け出しているが、わずかに身体が浮くような感覚があった。


「あと三十秒よ」


 オルディエは言った。彼女が立体映像を再構築できるようになるまでの時間だ。

 正直、長い。


 私は手を伸ばし、手近にあった柱にしがみついた。

 足が、宙に浮く。


 周囲のあらゆるものが、マーニの重力場に引き寄せられていた。天井は引き剥がされ、捲れ上がっていく。そこら中に転がっている瓦礫は、それ自体が吸い寄せられる勢いで周りの壁や家具を打ち砕いていた。


 ここで〝存在意思〟を使うべきか。

 再調整の時間を考慮すると、次の攻撃に対処できない可能性がある。

 私ひとりなら、決断までにあと数秒を要しただろう。


「使って」


 オルディエの声には、確信があった。


 私は〝存在意思〟を、重力場めがけて打ち込んだ。

 狙い澄ます必要もない。


〝存在意思〟は重力に引かれ、その中心に激突した。

 重力場が、分解される。


歪んでいた光が正しく周囲を映し出し、飛来していた瓦礫は連鎖反応に巻き込まれて塵と化した。

 開けた視界の中を、マーニが突進してくる。


 迎撃する手段がない。

 だが、私は慌てなかった。


 まさにその指先が私にかかろうとした瞬間、マーニが足下の床に叩きつけられる。

 その背中にいるのは、キルシェだ。


オルディエは、彼女の接近に気づいていたのか。


 その小柄な身体を背中で受け止めたマーニは、陥没した床にめり込んでいる。これほどの運動エネルギーを得るためには、相当の高さからの落下が必要だ。普通なら、飛び降りたほうも無事では済まない。


「捕まえた!」


 しかしキルシェは、元気よく宣言した。パーカーは引き千切れ、頭部からも出血があるのだが、平然としている。


「死に損ないなのに、動きすぎ――」


彼女の言葉は、そこで落ちていく。

 床が、崩落したからだ。


 彼女だけではない。


 すでに耐久性の限界を超えていたのだろう、床や壁が一気に崩壊していく。


私は咄嗟に、手にしていたバックラーをキルシェに投げ渡した。それを彼女が掴み取った姿は、瞬く間に土埃に飲み込まれてしまう。


私はなんとか着地したが、周囲の状況はわからない。


 その視界を覆う粉塵が、千々に乱れた。


 私は飛び退こうとしたが、間に合わない。

 全身を打ち据えたのは、重力波だろう。私をピンポイントで狙ったわけでないことは、至る所で連続して聞こえる爆発音でわかる。


 無差別に放ったからか、威力は低減していた。


 それでも、床に叩きつけられてその上を転がっていく立体映像を止める術はなく、なにかにぶつかってようやく止まる。私は第二波に備えて素早く立ち上がったが、よろけて膝をついた。


 オルディエより少しはましだが、それでも限界が近づいている。

 どこかに打ちつけたのか、右足の映像が陥没し、自動修復できないままになっていた。これでは動くのもままならない。


 私は舌打ちしつつその場に留まり、〝存在意思〟を調整する。

 なにかが飛んできた。


 キルシェだ。


 私は咄嗟に受け止めようとしたが、彼女は空中で回転しつつ私の胸板に跳び蹴りを食らわせてきた。

 飛んできた勢いをそれで相殺すると、蹴り飛ばされた私をよそに危なげなく着地する。


 故意か、不可抗力か。


 彼女は振り返り、仰向けに倒れている私を見ると小さく舌を出した。

 それは、いったいどういう意思表示のつもりだ。


「そちらにあわせるわ」


 憤然としている私に、オルディエが提案する。「彼の意識を一瞬だけ、引きつけて」


「――いいだろう」


 私が頷くと、なぜか彼女は小さく笑った。


「子どもなのよ。許してあげて」

「子どもの世話はひとりで十分だ」


 私は、膝立ちの体勢になる。

それ以上、言葉を交わす余裕はなかった。


 マーニが、私たちめがけて突っ込んでくる。


 自身を超高密度の重力場としながら、両の掌で発生させた極小の重力波を雨あられとばらまいた。

 周囲のあらゆる物体が、圧壊する。


 それを鮮やかに躱しながら、キルシェはマーニの死角へと回り込もうとしていた。


マーニはすかさず反応し、彼女の行動を阻むが如くに重力波を浴びせかける。壊れかけた立体映像の私より、キルシェを危険視するのは当然だ。


 当然だが、やはりいまのマーニからは冷静な判断と異常な反応速度が失われている。


 どちらのにせよ、半身を失った痛手か。

私は極小に調整した〝存在意思〟を、彼めがけて連続で打ち込んでいった。


 さすがに気配は、察知する。

 振り返りざまに重力波を広範囲に放ち、〝存在意思〟の弾丸を(ことごと)く打ち払った。


 そこへキルシェが反転し、突っ込んでいく。その手に握られているのは、ふたたび槍斧(ハルバード)だ。


 唸りを上げて横薙ぎにされる一撃は、マーニの首筋へと吸い込まれる。


 その軌道が、変わった。


見えない剣に受け流されたかのように、マーニの斜め上の空間を滑っていく。

 強力な重力場が、ねじ曲げたのだ。


 空振りしたキルシェの身体に、マーニが指先を伸ばす。


 そこへオルディエが、頭上から襲いかかった。立体映像の構築スピードはさすがとしかいいようがない。


 彼女を無視できないマーニは当然、頭上に重力場を展開して弾き飛ばそうとした。

 キルシェが身体を旋回させ、ふたたび槍斧を叩き込むのに十分な時間がそこに生まれる。


 驚くべきは、それにすら反応したマーニの身体能力だ。


 斧頭と自分の首の間に、腕を差し挟む。

 そこに展開されていた重力場の盾が、斧頭の打撃を受け止めた。


 同時にマーニの顎を、キルシェの爪先が捉える。槍斧の長さとキルシェの体躯を考えれば届くはずはないのだが、彼女は一撃を受け止められた瞬間に握りを甘くし、柄に沿って前進したのだ。


 人間なら、顎だけでなく頸椎すらも粉砕されただろう。


 マーニの喉から、苦鳴と血飛沫が吐き出される。だが、その肉体の頑強さは依然として健在だ。

 すかさず伸びた手が、キルシェの蹴り足を掴む。


脛骨(けいこつ)腓骨(ひこつ)の軋む音が、押し潰された筋肉の奥から響いた。


 そこへ、重力場で弾かれていたオルディエが肉薄する。その右手を覆うのは、〝存在意思〟の籠手(ガントレツト)だ。


 マーニは、掴んだキルシェを背後のオルディエへと叩きつける。あわよくば同士討ちを、と考えたのだろう。


 しかし、そこはふたりのほうが上手だった。


 オルディエは、躊躇なく立体映像を解除する。キルシェはただ、振り回されただけだ。そして、オルディエは解除の寸前、別のプログラム――〝ダインスレイヴ〟を起動させていた。


 キルシェは槍斧を短く握り、マーニが手を離して放り投げる寸前に振り下ろす。〝存在意思〟をコーティングされた穂先が、その指先を切断した。


 そこから、連鎖反応が起こる。

 迷えば、そこで終わりだ。


 マーニは躊躇なく重力場で自らの腕を押し潰し、切断した。


 同時に、連鎖反応から逃れるべく自身の上半身を真横へ滑らせる。


 まさかそこに、私がいるとは思わなかったのだろう。


 わずか数秒では、まともな調整などできはしない。

 それでもこの刹那、マーニに二択を強いることができる。彼の意識を一瞬、引きつけられたのだ。


 私を無視してキルシェに対応していれば、彼は次の選択まで命を長らえることができただろう。


 現実には、私に意識を取られた瞬間、彼の絶命が決まっていた。


〝ダインスレイヴ〟により〝存在意思〟をコーティングされた穂先が、マーニの心臓を刺し貫く。

キルシェが槍斧を引き抜くと、重力場の消えたマーニの身体は瓦礫だらけの床に転がった。


 連鎖反応が、始まる。心臓を中心にして、マーニの身体が分解されていく。


「は――」


 自身の避けられぬ死を前にして、マーニはただ(わら)った。

 そして、素粒子の塵となってこの世界から消えていく。


 それを見届けた私は、その場に膝を突いた。すでに立体映像としての活動は、限界を超えている。すぐさま本体に戻るべきだが、正確な位置がわからなければ無理だ。


「私の中に入る?」


 ふたたび立体映像を構築したオルディエは、私の状態がよくないことを見て取ったのか、そう提案する。


 大規模破壊の任務が多かった初期型とは違い、特に最終ロットが製造されるころはチームによる行動が増えていた。その際、万が一の事態に備えて本体には保存領域(ストレージ)が確保されている。現状のように立体映像が破損し、しかしすぐに本体へ戻れない場合、一時的にそれを利用できるのだ。


「えー」


 すかさずキルシェが、不快を表明する。マーニに握られた右足は骨にひびぐらいは入っているだろうし、筋肉も断裂しているはずだが、それを痛がる様子もない。頭部の傷も、すでに出血が止まり塞がり始めていた。


「ちょちょっと直せないの?」

「ちょちょっとでは無理ね」


 オルディエが首を横に振るとキルシェは不満げに唇を尖らせたが、その目が城の上階に向けられた。戦いの音と震動が、ここまで響いてくる。


「まあ、しょうがないか」


 彼女はそう言うと、手にした槍斧を指さした。「じゃあ、さっさとして。次の悪い奴らをぶっ飛ばしにいかなくちゃ」

「私の意思は関係なしか」


 そう主張してはみたものの、現状では他に選択肢はない。

 膝を突いたままオルディエを見上げ、頷いた。


「頼む」

「一応、言っておくけれど」


 オルディエは(かが)み込み、私の手を取りながら言った。「私の中に入ったら、自分の本体へ戻るまでは立体映像を構築できないわよ」


 正直に言うと、私にとって別の本体に入るのは初めての経験だ。しかし、それを悟られるのは(しやく)(さわ)る。


「わかってる」


 だから、平然と返した。

 だがなぜか、オルディエが微苦笑している。


「楽にして」


 私がなぜ笑っているのか問いただすより早く、彼女はプロセスを開始した。


 立体映像が分解され、五感が失われる。

 それも、ほんの一瞬だ。


 私の意識(データ)は、オルディエの本体にある保存領域(ストレージ)へ収まり、あらゆる感覚(センサー)が通常通りに働き始める。


「どう?」


 そう聞かれたのだが、どう答えればいいのだろうか。

 拭いがたい違和感がある。


 同じ兵器とはいえ、私とオルディエでは製造時期に隔たりがある上にコンセプトも違う。


 据わりが悪いのは致し方ないが、一番、落ち着かないのは匂いだ。

 無論、保存領域に匂いなどないが、匂いとしか言い様がない。


「――大丈夫だ」


 音声出力も問題ない。

 だがやはり、なぜかオルディエは、微妙な笑みともいえない表情を浮かべていた。


「さ、いくよ」


 キルシェは、我々の間に流れる微妙な空気など気にも留めずに走り出した。

 

  



 

 

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 無印ではアレな兄妹の印象しかなかったですが、今作のソール&マーニには、彼らなりの人生や歳月を感じました。 「単にムカつく」だけのキャラがおらず、「アークナイン」といい、深みが増したなあ、と…
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