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第四章 11

 執務室近くにあったのは、主に女王専用として使われていたであろう小さいが小綺麗で、調理器具や食材も揃った立派なキッチンだった。


「本気で弁当を作るつもりか?」

「俺はいつでも本気だぞ」


 それはわかってはいるが、相手がトゥーゲントならばまだしも、女王陛下に食い物を乱雑に詰めただけの無残な弁当など出せるわけがない。


「私が作るから、おまえはそこらでなにか(むさぼ)ってろ」


 私はリロイに言い捨てて、さっさと準備を始める。リロイは両手を広げただけで、特に反論はしなかった。


 私が手際よく調理する傍らで、リロイはフライパンで肉を焼き始める。基本的に表面しか焼かないし、なんなら生でも食べるので、本人にとってはほぼ失敗なしの料理だ。


「これを五つでよくないか?」


 案の定、そんなことを言い始める。


「黙ってろ」


 私は野菜を切りながら、一蹴した。現状を鑑みれば、そんな血の滴るようなステーキが食えるとは思えない。

 胃に優しい、刺激物の少ないメニューを選択すべきだ。


「なんかそれじゃあ味気なくないか」


 九割近くレアな肉を頬張りながら、リロイは余計な口出しをしてくる。もちろん、無視だ。溶き卵を熱く熱したフライパンにそそぎ、卵焼きを仕上げていく。


「フレイヤなら生肉でも食いそうだけどな」


 ブリジンガーメンの騎士が耳にしたら、すかさず切りつけられそうなことをひとり呟く。私が応えないでいると、肉を咀嚼(そしやく)しながら――行儀が悪い――立ち上がり、私が完成させたサラダに手を伸ばそうとした。


 魚を捌き始めていた私は、素早くその指先に包丁を突きつける。


「おまえのは、そっちだ」


 切っ先で示したのは、新鮮な野菜の山だ。料理ではなく素材を指し示されたリロイは、しかし不平を漏らすでもなく、レタスとトマトを手に取った。肉、レタス、トマトと順番に胃の中に納めていく。


 肉だけで、一キロぐらいは食べただろうか。

 私がカルパッチョのソースを用意している横で、今度は魚を一匹まるごと焼き始めた。その間も、棚の奥から見つけてきた高そうなワインをがぶ飲みし、キュウリを丸ごと(かじ)っている。


「――本気で私を振り回すつもりか」


 ガーリックトーストを焼きながら、私は言った。

 自分でも、冗談とも本気ともつかない口調だ。

 忸怩たる思いが、そうさせたのかもしれない。


「いざとなればな」


 リロイはもちろん、本気だ。「空気抵抗ぐらいなんとかなるさ」


 そういう話ではない。


「フレイヤたちを移動させて、城ごと消滅させる手もあるが」

「それを黙って見てるような相手じゃないだろ」


 リロイは、切り分けもせずにバケットへ(かぶ)りつき、噛み千切る。「そうなりゃ、どっちにしろ近間で殴り合いだ」

「不意を突くしかないわけか」


 かつてもそうやって、手強い〝闇の種族〟へ至近距離から〝存在意思〟をぶつけたこともある。あのときでも、ライカンスロープや鋼糸使いなど数人がかりだった。明らかにそれよりも格上――むしろ、別次元というべきか――の相手となると、一体何人、必要となるのか。


 必要になるのか、と自問自答してみたものの、本来はそれがリロイひとりであってもやり遂げねばならないのだ。

 他人を頼りにするなど、どの面下げて相棒などと言えるのか。


「突けばいい」


 リロイは、焼き上がった魚に食らいついた。鱗も骨もわたも一緒くたに噛み砕く。「それしかないんだから、やるしかないだろ」


「簡単に言ってくれるな」


 果物(フルーツ)を切り分けながら、私は苦いものを口の端に載せた。


「言うさ」


 リロイは、にやりと笑う。飲み干したワインの瓶をテーブルの上へ乱暴に置き、二本目を開け始めた。「むしろ、やるべきことがわかってるんだから楽じゃないか」


「おまえの楽の基準を人に当てはめるな」


 まあ、私は人ではないのだが。

そして人ではないから、何度も言っているが、仕様(スペツク)を超えた性能を発揮するのは至難の業だ。


「とはいえ、土壇場で泣き言を言われちゃ困るからな」


 魚を丸ごと一匹、あっという間に喰らい尽くしたリロイは、葡萄を一房、手に取った。「無理ならそう言ってくれ。他の手段を探す」


「できないとは言ってない」


 反射的に、私は言った。

 泣き言だと? 侮辱するにもほどがある。


「簡単ではない、と言っただけだ。勿論、やるべきことはやるに決まっている」


 やや強めの勢いで林檎を切り分けていた私は、不快な視線を感じて手を止めると、振り返った。


 リロイが、ニヤニヤ笑っている。

 顔には出さず、心の中だけで舌打した。


 安い挑発に乗ってしまうとは、(はなは)だ私らしくない、


「――仲良しだねえ」


 老婆の声は、キッチンの入り口から近づいてきた。


 アングルボザだ。


 彼女は杖を突きながら、ただの老人の如くゆっくりとした動きでリロイの座るテーブルへ向かう。


 リロイも座したまま、それを待ち受けていた。

 彼女は手にした杖で、リロイの対面の椅子を指し示す。


「座ってもいいかい?」

「好きにしろよ」


 リロイは拒まなかった。それどころか立ち上がると、グラスを持ってきて彼女の前に置くと、ワインをそそぎ入れる。


「おや、ちょうど喉が渇いてたんだよ。ありがたい」


アングルボザはグラスを手に取ると、一気に呑み干した。すかさずリロイは、二杯目をつぐ。


「腹は減ってるか」


 リロイは生肉の山を指さしたが、アングルボザは首を横に振った。


「年を取ると、脂っこいものが食べられなくなるのさ。さっぱりしたものをいただきたいね」

「訊いただけで、食わせるとは言ってないがな」


 意地の悪いことをリロイが言うと、アングルボザは皺だらけの顔をくしゃくしゃにして笑った。


「そうじゃなきゃね」

「なにをしに来た」


 問うたのは、私だ。彼女は私――ではなく、私が作った弁当用の料理を一瞥した。


「それは、女王たちに届けるのかい」

「おまえたちのせいで、空腹だろうからな」


 私の声には、棘があった。当然だ。彼女は明らかに敵だ。〝闇の種族〟だ。


「そんなに怖い顔をしなさんな」


 しかし、アングルボザの声色は穏やかだった。「敵同士でも、対話が不可能というわけじゃない」


「対話は拒まないさ」


 驚くべきことに、葡萄を次々と口の中に放り込みながらリロイがそう言った。

 しかしその黒い双眸は、厳然とした拒絶に暗く沈んでいる。


「おまえたちとの和解や歩み寄りがないことを確認してからでも、殺すのは遅くない」

「――恐ろしい男だね」


 老婆は目を細めた。言葉通りの感情を抱いているのか、その表情からは読み取れない。

 小さな肩を少しだけ竦めて、ため息をついた。


「まあ、あの男のやり方じゃあ仕方ないのかもしれないが……」

「自分は違うって顔するなよ、婆さん」


 リロイはゆっくりと立ち上がった。アングルボザに緊張の様子がないのは、リロイからの殺気を感じていないからだろうか。


「そもそもあの道化師がいようがいなかろうが、マリーナを拉致しようとした時点でおまえたちは敵だ。話は聞いてやる。遺言としてな」


 身をひるがえしたリロイは、なぜかふたたび肉を焼き始めた。

 まさか、二週目か?


「できれば、あっさりしたものをお願いしたいんだけどね」


 その背中に、アングルボザが声をかける。食わせない、と言われたのに大した度胸だ。

 リロイは黙ったまま肉の塊から数枚をスライスし、皿に載せてアングルボザの目の前に置いた。


「せめて、焼き加減はウェルダンにしてくれないかい?」


 感心するほどの図太さで、彼女は言い放つ。


「肉を焼いて食うのは人間だけだ」


 自分はレアのステーキを食いながら、リロイは冷めた目でアングルボザの抗議を受け止めた。それでも薄めに切ったのは、老人に対するリロイなりの心遣いか。


 心遣いの使いどころが意味不明だが。


「あたしも人間さ。言ったはずだよ」


 皿を静かに押しやりながらの彼女の声色からは、(おど)けた調子が消えた。悲しげですらある。しかしこちらに、それを顧慮(こりよ)する必要も意味もない。


「別に、それを疑ってるわけじゃない」


 リロイは、彼女の感情の裏に隠されたものなど知ったことか、と言わんばかりに吐き捨てた。「ただ俺は、おまえを人間扱いしないってだけだ。理解しろ」


「それは酷い話だね」


 アングルボザは鼻を小さく鳴らしながら、掌の上のオレンジを転がした。彼女が、自身で動いて取ったわけではない。シルクだ。彼女の掌の上で、シルクがひるがえる。その精緻な動きはオレンジの皮を剥き、身を小さく切り揃えた。


「――あたしたちは、ただ帰りたいだけなんだ」


ぽつり、とアングルボザが呟く。

 勝手に帰れ、とリロイは思っただろうし、勿論、たたでは帰さない、とも思っただろう。

 しかしそれに先んじて、彼女は続ける。「生まれ故郷に――地球という星に帰りたいのさ」


「は?」


 リロイの間の抜けた声は、私の内心をも代弁していた。

 生まれ故郷、地球だと?


戯言(たわごと)を」


 私は、オレンジを味わっている老婆へ忌々しげに言葉を叩きつけた。


「地球は、すでに死の星だ」


 巨大な天体との衝突は、その衝撃で全世界の半分以上の都市を壊滅させ、その残り半分も津波にによって海の底へと沈んだ。地軸の傾きが変わり、気候の大規模な変動と舞い上がった粉塵による太陽光の遮断が、地球を急速に冷却した。

 微生物すら死に絶える、極寒の世界だ。


「わざわざ凍死するために帰るのか」


 天体との衝突を予期した人類は、移住するための惑星の探索と、巨大な航宙船の建造にあらゆるリソースを割いた。

 そうして発見されたのが、いま私たちがいる、この惑星だ。


「天体衝突なんて、嘘だよ」


 特に仰々しくもなく、アングルボザは言った。


「死の星なんかじゃない。少なくともあたしたちにとってはね」

「それを信じるとでも?」


 私は鋭く詰問したが、アングルボザは小さく首を傾げた。話はするが、納得させるつもりはない、とうことか。


あるいは、まったくのでたらめでこちらを混乱させるのが目的か。


「おまえらの話はまったくわからんのだが」


 リロイが、高そうなワインをラッパ飲みしながら割り込んできた。「結局、マリーナを(さら)おうとしたり王都を襲撃したこととなんの関係があるんだ」


「それを、いまから話そうとしてるのさ」


 するりと伸びたシルクが、キャビネットに並んだ高級酒の中から蒸留酒の瓶を選ぶ。「まあ、あんたにわかりやすく言うと、 故郷に帰るための船がこの王都の下に眠ってる。それを起こすための鍵が、陛下と殿下というわけさ」


「さっぱりわからん。なんで人が鍵なんだよ」


 リロイは眉根を寄せたが、私は理解した。


「遺伝子による生体認証か」


 アングルボザは、小さく頷く。


「だが、王都の地下に航宙船が埋まっているなど、聞いたことがない」

「あたしたちも、突き止めるのにどれほどの年月がかかったことか」


 その口調には感慨深い響きの中に、強い疲労の色が隠れていた。「ともかくその船を起動させれば、あたしたちはこの星からいなくなる。望むところじゃないかね」


「別に」


 話がよくわかっていないなりに、アングルボザの言わんとしていることを感覚で理解したのか、リロイは冷徹に言い放った。


「俺は、おまえらにいなくなって欲しいんじゃない。気が済むまでぶん殴ってやりたいだけだ」

「妥協はなし、というわけかい」


 蒸留酒を味わいながら、老婆は落胆したかの如く俯いた。


「ひとつ、確認したいのだが」


 見るからにしょぼくれた老人のように振る舞うアングルボザだったが、その様子に私が心動かされることはない。

 重大な事実を、彼女は口にしていた。


「なんだい?」


 そう聞き返すアングルボザの顔には、意地の悪い――邪悪な笑みが浮かんでいた。

 私は、そんな彼女を睨めつける。


「〝闇の種族〟の起源は、地球なのか」

「そうだよ」


 勿体ぶることも韜晦(とうかい)することもなく、彼女は即答した。「だから何度も言ってるじゃないかい、あたしたちは人間だってさ」

 アングルボザは椅子から滑り降りると、私たちに対して一礼してみせた。


「あたしの本当の名は、ツェツィーリヤ・ロマノフ。地球はロシア連邦の出身さ」


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― 新着の感想 ―
[良い点] リロイの食事描写大好きです。
[一言] 過去の書籍版と思い切り変わってきましたね! わくわくしてきました、続きを期待しています。
[一言] ファンタジーが急にSFになった件 10数年越しの種明かしに困惑です
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