第四章 4
上半身裸の蛮族風リロイは、商店が建ち並ぶメインストリートに到達したところで、文明人へと一歩、近づいた。
王都に来ることがあれば必ず顔を出していた、傭兵御用達の店だ。
道に面したショーケースの中には、無骨な武器や実用性一点張りの装備が飾られていた。
いまはガラスが粉々に砕け、商品は散乱し、そこここに屍が転がっている。
リロイは特になんの感慨も示さずに店の中へ入っていき、その奥、倉庫へと消えていった。
次に出てきたときには、いつもの黒いレザージャケット姿だ。
「店主はいたか」
私の問いかけに、リロイはただ黙って店の奥を一瞥した。
気のいい男だったのだが、残念だ。
リロイは顔には出さないしなにも言わないが、肌の上を刺すような感触がその内心を伝えていた。
それがなんなのかわからず、二の腕を摩りながら、キルシェは辺りを見回している。
「みんな逃げられたのかな」
〝巨人の子どもたち〟が他人のことを心配する事実にやはり馴染めなかったが、最初に出会ったときも、彼女は他人のために起こっていたことを思い出した。
私は一度、相棒の躾けかたについてオルディエの指導を仰ぐべきかもしれない。
「死体が少ないからな」
リロイが、キルシェの希望的観測を後押しする。
決して、少なくはない。
王都の長い歴史の中でも、これほどの人的被害を被ったことなどないはずだ。
だが、皆殺しにされたかといえば、そうとは思えない。王都の人口や観光客などの数を鑑みても、死体の数がそれに比して少ないのはリロイの主張の正しさを裏付けていた。
「この近辺だと、壁の中に逃げ込む暇はなかったはず」
オルディエが視線を向けたのは、白亜の庭園城だ。
その推測もまた、恐らく正しい。
フレイヤの気性から考えて、早々に門を閉ざして一般市民を見殺しにするとは考えにくく、また、至るところに王立騎士団の装備を身につけた騎士たちの死体があるからだ。
避難誘導する際に、命を落としたのだろう。
「行こう」
言葉短く言って、リロイは城へ向かって歩き出した。
その足取りは力強く、疲労による陰りは見られない。
群がる〝闇の種族〟の多くを、キルシェが相手取ってくれたからだ。オルディエたちと合流できたことは、この先の展開を考えても非常に幸運だったと言わざるを得ない。
だがそれでも、ダメージと疲労回復に使った栄養は尽きようとしていた。王都に向かう馬車の中で取ったのが、最後の食事だ。空っぽになった胃袋が悲鳴を上げている。リロイの身体は、決して燃費が良くはない。
だから自然と、その足は食料の臭いがするほうへと引き寄せられた。
死臭と焦げ臭さの中、それを嗅ぎ分けることができるのはさすが犬に習っただけのことはある。
そこにも、死体は転がっていた。
ただ単に殺されているものもあれば、 グールにやられたのか、身体の大半を貪り食われて肉体の一部だけのものもある。
そこがかつて、キルシェが傭兵を叩きのめしたあの店であることはすぐにわかった。
倒れ伏している人間の中には、あのときここにいた顔もある。あの日のように食事を買いに来て、〝闇の種族〟の襲撃に遭ってしまったのだろう。
リロイは死体をまたいで店の中に進み、まだ食べられそうなものを探し始めた。その様子を眺めていたキルシェが、「えっ、ここでごはん?」とさすがに驚いたように声を挙げる。
しかしすぐに、お腹を掌で押さえ、「そういえばもう昨日の夜からなにも食べてないや」と呻く。
そんな彼女の前に、リロイが差し出したのは皿一杯の唐揚げだ。冷め切ってはいるが、その見た目は胃袋を刺激するのに十分な破壊力があった。
「あ」
唐揚げに手を伸ばしかけたキルシェが、オルディエを振り返る。「お金、どうしよう?」
道徳観念に欠けている、とまで評された〝巨人の子どもたち〟とは思えない台詞だ。
私の相棒は、そんなことは気にせずに喰らいついている。
どこでどう間違ったものか。
そんな心の裡が透けて見えたのか、オルディエが両目を細めて私を見ている。そんな目で見るのは、止めてほしいものだ。
「お金は、出るときに置いていきましょう。だから気にせず、食べなさい」
「うん」
許可を得たキルシェは、リロイ同様に転がっている死体のことは意識の外に追いやったかの如く、食事に取りかかった。
いや、せめて店の外に出しておこう、とはならないものか。
「おまえ、野菜も食えよ」
「いらない」
差し出されるサラダを無造作に押しやるキルシェに、リロイは眉根を寄せた。
「栄養が偏ってるからちびっこいんだぞ」
「大きなお世話」
キルシェは唐揚げを頬張りながら、牛肉の串焼きに手を伸ばす。「そっちこそ、肉しか食べません、って顔してるのになんで野菜なんか食べるのさ」
「人間は雑食だぞ」
珍しく、リロイが真面なことを言った。
ただ残念なことに、キルシェは人間ではない。
「――雑食なのか?」
〝巨人の子どもたち〟の細かな生体については、私もあまり詳しくはない。
「いろいろ食べさせたけれど、食べたもので体調がおかしくなったことはないわね」
それどころか、この五年間、病気に罹ったこともないという。頑強さは、さすがといったところか。
「あの従順さも、いろいろ試した結果か?」
やや遠回しではあったが、私はそう続けた。「〝巨人の子どもたち〟に道徳観を身につけさせるなど、当時の研究者が知ればどんな顔をするだろうな」
「私はただ、時間をかけただけよ」
オルディエは、ただ単に事実を述べる口調だった。「人間と違って食事や睡眠が不要だし、ただひたすら、じっくりと話をしたわ」
確かに、根負けしない相手に延々と説教されるというのはなかなか堪えそうだ。
しかし。
そんな彼女の努力を否定するわけではないが、当時の研究者たちが人海戦術で同じ状況を試した可能性はある。
彼らとオルディエの差は、なんなのか。
あるいは、他の子どもたちと、キルシェの違いは。
私はそこで、はたと気づいた。
プロジェクトが頓挫したのに、高いコストをかけてキルシェたちを保存していた理由――それはもしかしたら、計画が失敗したわけではなかったとしたら?
キルシェたちは、貴重な成功例だったのでは?
喉まで出かかったその推測を、私は寸前で呑み込んだ。
プロジェクトにおいて〝巨人の子どもたち〟の精神状態がもっとも懸念された点だが、短命であることはさほど問題視されなかった。たとえ数年の命でも、作戦行動に従事できる協調性が育てばよしとした可能性もある。
軽々に、無責任な希望は語るべきではない。
「どうしたの?」
その葛藤が表情に出てしまったらしく、オルディエが怪訝な顔をしている。
「いや」私は軽く首を振ってから、話を逸らす。「私も時間はかけたはずなのに、と思ってな」
「そう」
彼女はふと、キルシェと並んで飯をがっついている黒い背中を見据えた。
サファイアの瞳は、それをどう映したか。
美しい輝きがかすかに曇り、迷うように揺れた。
「どうした」
今度は逆に、私が彼女に訊いた。
「いえ」
そして彼女もまた、首を横に振った。「〝巨人の子どもたち〟よりも難敵だとすると、彼の理性はよほど壊れているのね」
彼女も話題を変えたようだったが、とすると私が変えたことにも気づかれていたのか。
いずれにせよ、彼女の意見は心に刺さる。
「壊れているなら、修復のしようもあるがな」
溜息交じりに呟くと、彼女の瞳に柔らかさが戻った。
しばらくしてリロイとキルシェが店から出てきたが、ふたりとも両手に食料を抱え込んでいる。
「テイクアウトだ」
私の視線に気がついたリロイは、そう言った。キルシェは口の中一杯になにかを詰め込んでいるので喋れず、ただそれに同意するかのように頷いている。
私は眉間に皺を寄せ、軽く手を広げた。
「両手に食料を抱えて、どうやって戦うつもりだ」
この指摘に、ふたりはちらりと視線を交わした。
勿論、口を開いたのはリロイだ。
「俺たちが喰ってる間ぐらい、おまえらが頑張れよ」
キルシェが、小刻みに頷く。
さっきまでいがみ合っていたはずだが、
「――仕方ないわね」
オルディエは不承不承、承諾した。
少し、甘いのではないだろうか。
いや、この程度の妥協は必要ということか……?
私が考え倦ねていると、リロイが急に首を巡らせた。その視線は、数軒先の民家に向けられる。
「ちょっとこれ持ってろ」
「うむ!?」
リロイは抱えていた食料をキルシェに丸投げし、その重み、というよりも堆く積もった食料の山を落とさないためのバランスに目を白黒させている彼女を尻目に、走り始めた。
私は、リロイのあとを追う。
開かれたままのドアから入ると、そこには数名の男女が絶命して倒れ伏していた。身体は引き裂かれ、飛び出した内臓が辺りに散らばっている。
リロイは室内を見渡してから、キッチンへ向かった。
そこは、殆ど荒らされていない。〝闇の種族〟は人間の食べ物に興味を示さないからだ。
リロイはなぜ、ここに来たのか。
まさかまだ、食料を調達しようというのか?
なにかを探すように視線を這わせていたリロイは、身を屈めて床に指先で触れる。
扉があった。
食料を貯蓄する床下収納だ。
「おまえ――」
私が苦言を呈そうとすると、リロイは片手を挙げてそれを制した。
そしてゆっくりと、床下収納の扉を開く。
階段の下は、それなりに広い空間になっていた。リロイはことさら静かに、降りていく。
そこに、いた。
姉弟だろうか。
十四、五歳の、外見の年齢だけならキルシェと同年代の少女が、その背後に五、六歳の少年を庇い、包丁を手に身構えていた。
姉と思しき少女の息は荒く、包丁を握る手は震えている。目は充血し、目の下にできた隈が痛々しい。
〝闇の種族〟の襲撃があったとき、上で死んでいた両親がここに姉弟を隠したのだろう。そこから一昼夜近く、ここで死の恐怖と戦い、外敵から弟を守る気概で緊張状態を強いられていたのか。
「もう大丈夫だ」
リロイはいつもより低く、小さな声で言った。「安心していい。俺は味方だ」
少女は、弱々しく首を横に振った。
心身ともに疲れ切っていて、正常な判断などつかないのだ。黒ずくめの大男が〝闇の種族〟に見えていても、おかしくはない。
「一緒に、安全な場所に行こう。腹は減ってないか? 食べ物もたくさんあるぞ」
リロイは、穏やかに語りかける。
しかし錯乱状態にある少女には、届かなかった。
一歩、前に進み出た途端、絶叫しながら彼女が突っ込んでくる。
とはいえ、体力の限界にあった少女の身体は、リロイに激突するというよりも倒れかかるといったほうが正確か。
リロイは包丁の切っ先を気にも留めず、彼女の身体を受け止めた。
「あ」
少女が、喘ぐように声をもらす。その手から、包丁がこぼれ落ちた。切っ先は確かにリロイの腹部に当たっていたが、耐刃仕様のレザージャケットのおかげで刺さりはしない。
「よくがんばった」
リロイは、彼女の背を優しく叩いた。「あとは任せて、ゆっくり休め」
その声色と掌の温かさが、少女の緊張の糸を解いたのだろう。彼女はリロイの腕の中で、気絶するように眠りに落ちた。
倉庫の隅でまだ小さくなっている少年は、自分たちが助けられたのだという実感を得られないまま、不安に満ちた目で姉を凝視している。
「おまえの姉さんは、大した女だ」
少年にかける言葉としては不適切な表現にも思えるが、この際重要なのは単語ではなく口調だ。
少年の胸にも、灯っただろう。
自分を守り通した、姉への敬意と誇りの火が。
疲労困憊でいまにも眠りに落ちそうな彼の目が、わずかに輝いた。
「次は、おまえが守るんだぞ」
リロイは言いながら彼に近づき、その小さな身体を抱き上げる。
「うん」
掠れた、声だった。
それでもそこには、小さいなりの男の決意がうかがえた。そして消え入るような声で「ありがとう」と口の中で呟いたかと思うと、彼もすぐに意識を失う。
「それはこっちの台詞だな」
リロイは呟き、ふたりを小脇に抱えた。その顔には、しかしどこか苦さがある。
このふたりが、救えなかった姉弟の代わりにならないことを理解しているからだ。
リロイは、彼に言った。この剣が届く距離なら救える、と。
それが果たされたことが、いったい誰の救いになったのか。
「どうしてこのふたりがいることに気づいた?」
だが私は、それを確認しようとは思わない。「まさかまた、匂いか?」
「まあそれもあるが」
あるのか。
「どちらかというと、勘だな」リロイは床下収納を出ると、入ってきたドアには向かわず、キッチンの奥にあった勝手口へ向かう。姉弟は深い眠りに落ちているが、万が一を考えたのだろう。
あの店の前に戻ると、キルシェが抱え込んでいた食料はオルディエの手の中に移っていた。両手の空いたキルシェはといえば、バナナを食べている。
リロイが子どもを抱えていることに気がついたオルディエは、ふたたび食料をキルシェに預けた。
「んむ!?」
バナナを口に咥えたまま、彼女は慌ててバランスを取る。
「怪我は?」
「ない。疲れ切ってるだけだ」
リロイそう言ったあと、ふと、城のほうに目を向けた。
私とオルディエも、ほぼ同時に、同じ方向へ顔を向ける。
巨大な影が、ゆっくりと起き上がりつつあった。それは、建ち並ぶ家屋よりもさらに巨大だ。
十五メートル以上、ある。
人型だが、人の形からはかけ離れていた。
凄まじい量の筋肉によって支えられたその肉体の、頭部の部分にあるのは無数の顔だ。溶けかけた顔のパーツが肉塊の中に埋もれ、蠢いている。風に乗って、苦悶と怨嗟の呻き声が届く。
そして、図太い血管の浮かび上がる両の腕とは別に、その全身から大小様々な形の腕が生えていた。いずれも、もがき苦しむかのように指先がうねっている。酸化した青銅の肌は経年劣化したアスファルトのようにひび割れ、剥がれ落ちているが、戦術ミサイルの直撃にも耐えるほどに強靱だ。
「薄気味悪いデカブツだな」
リロイは顔を顰めながら、小脇に抱えていた少女をオルディエに差し出した。
「ヘカトンケイルよ」
オルディエは少女を受け取りながら、説明する。「中級眷属でも、おそらくは一番巨大な個体ね。特赦な能力はないけれど、あの質量はそれだけで十分な脅威といえるわ」
「ああいうのは、おまえのほうが得意そうだな」
リロイは私にそう言いながら、今度は少年をオルディエに差し出した。彼女はそれも受け取り、結果、両脇に姉弟を抱きかかえる形になる。
「回りに生存者がいなければ、な」
あの巨体を一区画ごと消滅させるのならば、まあ確かに私の領分だろう。
「私たちのほうが適役じゃないかしら」
救出した姉弟を託された時点で、オルディエはなにを望まれているか察したらしいが、その役目の交代を提案してきた。「確かに、少し大きいけれど」
オルディエたち後期型は、汎用性が高く繊細だ。街中だろうが混戦だろうが、〝存在意思〟によるダメージを与える相手を選別し、あらゆる場面でその能力を最大限に発揮できる。
唯一、苦手とするのは、高出力による広範囲の殲滅――つまり、私の得意分野だ。
では、あのデカブツはいったいどちらの領分か。
「そのふたりが目を覚ましたとき」リロイはもはや、その点について議論するつもりはないらしい。「同年代がいたほうが、安心するんじゃないか」
「えっ、あたし?」
リロイの視線を受けて、キルシェが素っ頓狂な声をあげた。
まあ、見た目年齢だけなら、確かに同じぐらいだ。
「それも――そうかしら」
オルディエは、考え込むように言葉を切り、なにやら落ち着きのなくなったキルシェを見つめた。「どうする?」
「あー」
なにやらもじもじし始めたキルシェは、歯切れが悪い。「どうしよう」
「友だちになってやれ」
リロイが柄にもないことを言うと、なぜかキルシェは顔を紅潮させた。
「なによ、あんた友だちがなにかわかってるの!?」そして、よくわからない理由で突っかかってくる。
しかしリロイは、まるで言葉が詰まったかのように喉を鳴らした。
口は開いたが、声が出ない。
勢いで突っ込んだものの、意外なリロイの反応にキルシェも怪訝な表情だ。
「――ゆっくりと話している場合じゃないぞ」
私は、ヘカトンケイルを指さした。
彼の眷属は、中級の眷属の中でも飛び抜けて知能が低いとされている。殆ど、本能的な破壊衝動だけで動いているといってもいい。
いまも、歪な歯の生えた口から呪詛を吐き出しつつ、手当たり次第に建築物を打ち壊しながらこちらへ向かっていた。
地響きが、私たちの身体を揺らす。
全身の腕が振るわれるたびに屋根が吹き飛び、壁が砕け散り、家財が宙を舞った。バラバラになった家の破片が別の建物に激突し、破砕し、粉塵が爆風に乗って広がっていく。
「まあそういうわけだから、任せたぞ」
リロイはそう言い置いて、さっさと歩き出す。
キルシェは食料を抱えたままなにやら言いたげな顔をしていたが、あのデカブツと戦いたいわけでもないらしく、すぐに気絶した少女の顔をのぞき込んでいた。
「気をつけて」
オルディエの声を背中で受け、リロイは小さく手を挙げる。
そして、疾走を開始した。




