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第四章 3


「妹、ね」


 リロイは改めてオルディエを眺めながら、呟いた。「その割には、服が――」


「おまえ、彼女が人間ではないとわかっていたな?」


 私はリロイに、最後まで言わせなかった。言えば、戦いになってしまう。


「どうして気づいた」

「どうしてって――」リロイは、どうしてそんな馬鹿げたことを訊くのか、と言わんばかりの顔をした。


「触ればわかるだろ。おまえと同じ感触だぞ」


 当然の如く言ったが、我々の立体映像は精密で極めて実体に近い。普通は触れるどころか、殴り合いをしたところでそうと気づくことは難しいはずだ。


「感触て」


 キルシェが、不快感も露わに顔を顰めた。「いやらしい」


「おまえも触ってみろ、わかるから」


 リロイに促されると、キルシェは「えー」と口では嫌そうにしながらもこちらに近づいてきた。

そして私の前で小さく、頭を下げる。


「じゃあちょっと、失礼します」

「失礼するな」


 伸びてきた彼女の手を私は軽く(はた)き、オルディエをじろりと睨んだ。


「これが、おまえの選んだ相棒か」

「そうよ」


頷く彼女の唇は、今後とはっきりとした苦笑を浮かべていた。

 それが、悪い意味での苦々しさでないことは、私にもわかる。

 そうでなければ、私に叩かれた手を押さえながら戻ってくるキルシェを、あんな眼差しで見つめたりはしないだろう。


「ねえ、あいつ酷いよ」


 謂われのない非難にキルシェが私を指さすと、オルディエは、どこか悪戯めいた表情で頷いた。


「許してあげて」


彼女は、小さく首を横に振った。「初期型兄さんだから、いろいろと感情面の不具合が多いのよ」


「――言っていいことと悪いことの区別もつかないのか、その歳になっても」


 事実から言ってしまえば、我々のような兵器はバージョンを重ねるごとに完成度が増し、優秀になっていく。無論、そうでないこともあるのだが、ラグナロクに関してはそれが事実だ。


 私より、オルディエのほうが兵器としては完成されている。

 忌々しいことだがな。


「ふうん」


 私たち兄妹を交互に見やったあと、キルシェは鼻を鳴らした。


「なんか、大人げないね、あの人」

「ふ」


 私の傍ら、空気が漏れるような笑い声は、リロイだ。

 一瞥すると、真顔を取り繕ってはいるが、口の端が震えている。まったくもって鼻持ちならない男だ。


 だが、その表情が一変する。

 鞘に収めていた剣を引き抜き、ぐるりと周囲に目を馳せる。オルディエが崩壊させた壁以外は外の様子をうかがうことはできないが、リロイの聴覚はすでにそれを捉えていた。


 私の――そしてオルディエのセンサーも同様に、この家を取り囲む多数の〝闇の種族〟を感知している。


「お喋りはそこまでだ」


 リロイはふたたび、オルディエが崩壊させた穴から外へと出て行く。するとキルシェとオルディエは、顔を見合わせたあとそれに続いた。


 私が最後に出て行くと、すでにリロイは周りを取り囲んでいた〝闇の種族〟――グールへと突っ込んでいる。上半身裸で四足獣の群れに突撃していくその後ろ姿は、まるで蛮族だ。


 そして竜巻の如く、グールの肉体を四散させる。

 血と肉片が剣風に巻き込まれて宙に舞い、(しゆう)()のように降りそそいだ。


「数が多いわね」


 オルディエはサファイアの瞳で周囲を一瞥すると、キルシェの背中をそっと押した。「本気を出して行きなさい」

「うん」


 キルシェは頷き、手首のブレスレットに触れた。

 すると、無機質な装飾品だったブレスレットが突然、生命を吹き込まれたかの如く蠢き、形を変え始める。彼女の掌の中にするりと滑り込み、細く長く伸びていった。


先端は鋭い穂先となり、その両側には叩き潰すための斧頭と引っかけるための鉤爪が形成される。

 わずか一秒足らずで、ブレスレットは全長二メートルを超える長柄武器(ポールウェポン)――巨大な槍斧(ハルバード)へと、その姿を変えた。


 この槍斧が、オルディエ本来の姿、というわけではない。

 では変形する前のブレスレットか、と訊かれれば、それも違う。

 あの金属そのものが、ラグナロクなのだ。


 後期最終ロットであるオルディエ達には決まった形状がなく、所有者がもっとも扱いやすい武器に姿を変える。大きさも、人間が扱える範囲であれば自由自在だ。


その質量は、金属を空間ごと折りたたんで圧縮している。開発者の名前からイゾルデ式、と呼ばれるこの技術は、膨大な電力さえあれば理論上、あらゆるものを掌サイズに収納できた。


 槍斧ほどの大きさであれば、人間の身体に流れる微弱な生体電気でも十分、折りたたむことは可能だが、キルシェの武器としてはどうだろうか。


 長柄武器は、熟練者が使用すれば恐ろしい脅威となるが、素人が振り回してもそれなりの効果がある。

 とはいえそれも、振り回せれば、の話だ。


 彼女の小柄な身体や手足を見れば、あの大きさのものを振り回すどころか持ち上げることもできないだろうことは明らかである。


 だから私は、我が目を疑った。

 キルシェは、自分より大きなその槍斧を、片手で持ち上げて肩に担いだのだ。


「じゃあ、いってきます」


 彼女は買い物にでも行くような気軽さで言うと、軽やかな足取りで〝闇の種族〟の群れへと向かっていった。


 オルディエが手を挙げ、その細く長い指先を彼女に向けたのは、それに応えたわけではない。

 槍斧の穂先部分が、かすかに揺らめいた。

変化は、それだけ――穂先の色が変わるわけでもなく、音や振動があるわけでもない。


 だがそれこそが、戦略レベルでしか使用できなかった〝存在意思〟を、最小単位の個人で使用可能にしたプログラム、〝ダインスレイヴ〟だ。


 武器にコーティングされた〝存在意思〟は、接触した物質に干渉し、これを消滅させる。〝存在意思〟の干渉により生じる連鎖反応も精緻にコントロールされ、小さな個体から巨大なものまで、不必要な被害を出す心配もない。


 実に――


「羨ましい?」


 サファイアの瞳が笑みを浮かべて、私を横目にしていた。

 なにを馬鹿なことを。


「――そうだな」


 しかし私は、自然とそう答えていた。

 少し驚いたように、オルディエの目が見開かれる。

私は取り繕うように、肩を大仰に竦めてみせた。


「そのプログラムがあれば、あの黒ずくめにポンコツ呼ばわりされることもなかったかもしれないからな」

「そうかしら」


 どうして彼女がそう言ったのかはわからないが、私は少し恥じたように俯いた。

 それから鼻で、笑い飛ばす。


「そうだな」


 私は、言った。「どちらにしても、ポンコツ呼ばわりは変わるまい」


 これにオルディエは、あるかなきかの笑みを浮かべて目を細める。


最後に出会ったとき、彼女の表情はこんなに柔らかくなかった。それはソフトウェアの確かな進化であり、人間でいうところの成長だろう。それはいい。


だが、 自ら妹を名乗りながら、姉のような表情をするのはどういうつもりか。

 一言なにか言ってやろうかとも思ったが、視界の隅に飛び込んできた光景に目を奪われてしまう。


 キルシェだ。


 彼女は、臆することなく群れの中に突っ込んでいく。

 速い。

 いや、速すぎる。


 あの小柄な身体に、その速度を出すための筋肉が備わっているとは到底、思えないのだが、キルシェはそんな常識を打ち破って地上を飛ぶように駆け抜けた。


 槍斧を、その重量をまるで苦にすることなく身体ごと旋回させる。

 斧の刃先にコーティングされた〝存在意思〟が、その軌道上にあったグールの肉体に干渉し、分解させ、不可視の塵と化した。


 残るのは、僅かな骨と肉片だけだ。連鎖反応の制御は完璧に近い。


ただの一振りで、五体近くのグールが消失した。

 血と肉にまみれたリロイとは違い、驚くほどクリーンだ。


 仲間が目の前で消え失せても、知能の低い下級眷属は驚くことも怯むこともない。ただただ食欲を満たすために、襲いかかってくる。


 キルシェは、槍斧を逆手に持ち替えると足下に突き刺した。

そして、それを支点に跳躍する。

高い。


 長柄武器はリーチの長さが利点のひとつだが、至近距離ではその利点が弱点にもなる。それを、跳躍で補ったのか。


 だが、あの小柄な身体が四メートル近く飛び上がるのは驚くべき眺めだ。

 飛び上がる勢いで引き抜いた長槍を、落下しながら振り下ろす。回転を加えた穂先は半円を描き、足下に殺到していたグールたちを斬り払った。


 着地と同時に身をひるがえし、背後を横薙ぎにする。

 背後から飛びかかっていたグールが空中で〝存在意思〟によって四散し、残った後ろ足だけが地面を転がっていく。


 続けて横手から肉薄してきたグールを穂先で刺し貫きながら、彼女は弾かれたように上空を仰ぎ見た。

 ガルーダが、彼女を標的に定めて急降下してくる。


 キルシェは、待たなかった。


 のしかかるようにして喰らいつこうとしてきたグールの顔面を蹴り潰し、それを足場に跳躍する。

 その蹴り足の威力に、グールは地面に叩きつけられ――はしなかった。

 槍斧の鉤爪が、巨大な口の下顎に突き刺さり、上昇するキルシェに引っ張られて吊り上げられる。


 彼女はそのまま、飛来してくるガルーダめがけてグールを投げつけた。


 放り投げただけでは、ガルーダの勢いに軽々と弾き飛ばされただろう。

 しかし、あの体格のどこからこれほどの膂力が生まれるのか――唸りを上げて投擲されたグールは、猛然と降下してくるガルーダの運動エネルギーと激突し、これを相殺した。骨と肉が押し潰され、骨が砕ける音が鈍く響き渡り、両者の身体は激しく回転しながら吹っ飛んでいく。


 グールは近くの家の外壁を突き破り、ガルーダは地面に叩きつけられて翼の羽を散らせた。

 キルシェは、鋭い羽根が舞い散る中を突っ切り、起き上がろうとするガルーダへと接近する。


 残った羽根で、迎撃する(いとま)は与えない。


 穂先はガルーダの胴を刺し貫き、〝存在意思〟のエネルギーでその肉体を素粒子の塵へと分解した。


「私も最初は驚いたわ」


 キルシェの戦いを黙したまま観察していた私の傍らで、オルディエが呟いた。「あの子は、〝闇の種族〟に襲撃されたサーカス団の、唯一の生き残りだったのだけれど――」それは単なる幸運だ、と最初は彼女も思ったらしい。


 サーカス団は移動中に襲われたので、生き残りの彼女を荒野のど真ん中に放置していくことは、すなわち死を意味するとオルディエは判断した。


 どこかの街で施設に預けよう、と考えた彼女は、しかしすぐに、その少女の異常性に気がつく。

気配が、消えるのだ。


 それは多くの人間がごった返す人混みの中だったり、罵声の飛び交う酒場だったり、あるいは深更の森の中だったりしたようだが、少女が――キルシェが恐怖を感じたときに気配が消失するのだと、オルディエは判断したらしい。


 優秀な暗殺者が自分の気配を消すことは技能として確立されているが、すぐ隣にいて目視できるのに我々のセンサーがそれを捕捉できない、消失した、と判断するのは確かに異常である。


そしてあるとき、オルディエが目を離した隙にキルシェがごろつきに絡まれたことがあった。傭兵崩れのその男は巨漢で、十歳にも満たない少女など片手で(ひね)り潰せるほどに筋骨隆々だったらしい。


 少女にしてみれば巨人にも等しいその男に対し、彼女はその小さな手で、彼の膝を押しやった。


 まさかそれだけで、巨躯が沈むなど、その場にいた通行人や野次馬の誰ひとり想像しなかったことだろう。

男の膝はその一打で砕け散り、弾みで前のめりになった男は顔面から街路に落下して意識を失った。


「獣人か」


 人間を遙かに超えた身体能力を誇るとなれば、真っ先に思いつくのは獣人だろう。

 しかしオルディエは、首を横に振った。


「では、なんなんだ」


 重ねて問いかける私を、彼女は横目で一瞥した。

 その眼差しにあったのは、悲嘆と――苦悩か。

 彼女は、溜息を吐くように呟いた。


「キルシェは、〝巨人の子どもたち(ヨトゥン・チルドレン)〟よ」

「馬鹿な」


 私は反射的に、彼女の言葉を否定した。


〝巨人の子どもたち〟――それは、文字どおりの意味ではないが、目指したのは言葉どおりの意味だ。


 あの時代――現在では前時代文明(ヴィーグリーズ)、と呼ばれていた頃、人間の遺伝子に科学的に手を加えることは禁忌ではなく、容姿や肉体的特徴を選択し、遺伝性の疾患を取り除き、高い知能や優れた運動能力を生まれながらに持ったデザイナーベイビーは珍しい存在ではなかった。


そして遂には、人と獣を遺伝的に融合させたキメラをも生み出すに至る。

 しかし、〝巨人の子どもたち〟はそれとは違う。


 それまではより優秀な人間、種としての能力の限界を発揮できる人間、そして人間の限界を超える人間を生み出そうとしてきた。


 それに対して〝巨人の子どもたち〟は、人間とはまったく別種の生命体を生み出すことが目的のプロジェクトだ。


 遺伝子工学、サイバネティックス、ロボット工学、メカトロニクス、生物学、物理学――ありとあらゆる分野の研究者、技術者が集められ、新たなる種族の誕生を目標に掲げて(まい)(しん)した。


 この狂気ともいえるプロジェクトに莫大な予算がつぎ込まれたのには、当然、〝闇の種族〟の存在が大きい。その頃すでに人類は、生存圏を半分以上奪われ、追い詰められていた。


 まだ私たちラグナロクが登場する以前であり、〝闇の種族〟に対する決定的な反撃となり得るものが熱望されていたのだ。


 だが結論から言えば、このプロジェクトは頓挫した。


 彼らが生み出した生命体は驚嘆に値する身体能力を発揮したが、望んだほどの知能は育たず、精神は未熟で、短命だったからだ。


 ただ短命という点は問題にされず、知能の低さ、心の不安定さが致命的だった。


 なまじ高い身体能力、戦闘能力を与えられたが為に、奔放で残酷、利己的で情緒不安定な彼らをコントロールすることができなかったのである。


 結果、彼らの多くは廃棄処分とされた。


「兄さんも、そんな顔をするのね」


 オルディエに指摘され、私は自分の頬に指先を伸ばした。

 どんな顔をしていたのか。


 だが、あのときのことを思い出すと、胸糞が悪くなる。


 いや――違う。

 これは、彼女の台詞だ。


 私はただ淡々と、状況を分析していただけだ。

 目を真っ赤にして憤激している彼女――当時の相棒のことを思い出し、なぜか指先の下で頬が緩む。


「これは――忘れ形見だ」

「どちらが?」


 問いかけるオルディエの表情は、意外にも真摯だった。

だから私も、それに応じる。


「両方、だな」


 その答えに満足したのかどうかはわからないが、彼女は小さく頷いた。


私は、〝闇の種族〟を次々に素粒子の塵へと変えているキルシェを一瞥し、話を続ける。「だが、この時代にどうやって〝巨人の子どもたち〟を生み出したというのだ」脳裏にヴァルハラの名前が(よぎ)るが、さすがにこれは、かつての科学技術を発掘して再利用するのとはわけが違う。


「生み出してなんかないわよ」


 オルディエの返答は実にシンプルだったが、その意味を呑み込むのに私ともあろうものが数秒を要したのは、驚きのあまりだ。


「あの子は――キルシェは、あの時代に作られた〝巨人の子どもたち〟のひとりよ」


 私が言葉を継げないうちに、オルディエは続けた。誰もこの時代で生み出していないのだとすれば、そういうことになるだろう。

 だが。


「全員、廃棄されたはずだ」

「廃棄されていなかったのよ」


 それは冷静に考えれば、わかることだった。

 私はこの目で、子どもたちが処分される現場を見ていない。


 だが、なぜだろうか。

 失敗した、と判断したものをコストをかけて保存していた理由は?


「おまえはどこでそれを知った?」

「私は、あの子が何者か知るために、各地に残されたあの時代の施設を調べて回ったわ」


 その過程で、オルディエはひとりのトレジャーハンターと出会った。

 トレジャーハンターは勿論、埋もれた遺跡から価値あるものを発掘して売り払うことで生計を立てている。私たち以上に、あの時代の施設に関して詳しい者もいるだろう。


 だが、そのトレジャーハンターの名前を聞いたときにはさすがに変な声が出た。


「知り合い?」

「――ちょっとな」


 ティーガー・レヴァールという名のトレジャーハンターは、リロイが傭兵ギルドにいた時代からの腐れ縁だ。


ちょっと特殊な能力を持っていて、それが故にトレジャーハンターとしては相当に優秀なのだが、ちょっと特殊な嗜好の持ち主で、それが故にトレジャーハンターとしては相当に危険な人物である。


 まさかここで、彼女の名を聞こうとは。


「それで、彼女がどうしたんだ?」

「キルシェを発見したのは、彼女だったのよ」


 さすがにここまでくると、乾いた笑いが漏れる。

 笑っている場合でも事案でもないのだが。

 そして、その笑いの底にあるものに気がついて私は思わず声を上げた。


「まさか、ティーガーがキルシェをサーカスに売ったのか」

「安心して」


 なにを安心するというのか。


「彼女はキルシェたちを、施設に預けたのよ。かなりの寄付と一緒にね」

「たち?」


 私は一体、何度驚けば済むのだろうか。


「三人、いたそうよ」


 ティーガーがその施設にもぐり込み、その最奥でキルシェたちを発見したとき、彼女たちはコールドスリープ処理されて眠っていた。その時点で稼働している装置は、三つだけだったそうだ。


ティーガーはその超感覚であらゆる罠を見破るのだが、同時に、あらゆる機器をも感覚で理解し、操ることができる。コンピューターの存在や原理を知らずともこれに触れるだけで、あらゆるセキュリティを突破して欲しい情報を取り出すことができるのだ。


 サイコメトリーの一種だろう。


 そんな彼女であれば、冬眠状態のキルシェたちを覚醒させることも容易だったはずだ。


 そうして施設に預けられた三人の〝巨人の子どもたち〟は、しかしすぐに、出奔してしまう。規律正しい生活に耐えられなくなったのだろう、と彼らを知る者からすればすぐにわかるが、施設の管理者はさぞや慌てふためいたに違いない。


「結局キルシェは、お腹が減って動けなくなったところをサーカスの一座に拾われたらしいわ」


 他のふたりとは途中ではぐれてしまったので、どこにいるのか、生死すら不明らしい。


「ティーガー、この子に再会できて凄く喜んでいたわよ。施設からいなくなったことは知らされていたみたいで、方々を探し回ったんですって」


 オルディエは、そう付け加えた。

 私は肩を竦める。


「どうでもいい情報だな」

「そう?」


 なぜオルディエは、少し楽しそうなのか。

 私がそこを問い正そうとしたとき、二組の視線を感じて振り返った。

 なぜかリロイとキルシェが、木の陰から顔を半分だけ出してこちらを見ている。


「――なんだ?」  

「なにってわけじゃないが」リロイは頭を掻きながら、姿を現す。「邪魔するのも悪いかと思ってな」


 いまもしかして、この男が気を遣ったのだろうか。

 だとしたら、実に薄気味が悪い。


「一掃したようね」


周りを見回し――そうする必要は厳密にはないのだが――オルディエが言った。「では、行きましょうか」


 どこへ? とは訊かなかったが、私は彼女を横目にする。その視線を特に気にも留めず、オルディエは、木陰から駆け寄ってきたキルシェの頭に掌を載せた。


「城へ行くなら、露払いが必要でしょう? 途中までなら協力するわ」

「えー、そうなの?」


 キルシェはなにやら不満そうだが、拒否するほどではないらしい。


 彼女が〝巨人の子どもたち〟と知ってその挙動を見ていると、驚くほど抑制されていることに気がついた。一体どれほど親密な時間を過ごせば、あの自制心皆無の子どもをここまで躾けられるのか。


 と、そこまで考えたところで私の背中を悪寒が滑り落ちていく。

 先頭を軽快に進むキルシェの小さな背中を見据えた私は、囁くように訊いた。


「起きたのは、何年前だ」


 答えるオルディエの声は、低くて重い。


「五年前よ」


 短命だった〝巨人の子どもたち〟――彼ら、彼女らの中でもっとも長く生きたのは、確か――

 六年、だったか。


 私は、オルディエの横顔を見ることができなかった。



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