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第四章 序


 その炎は、(ぎよう)(こう)と混じり合っていた。


 黒煙が、風に吹き流されて空の夜の部分に溶けていく。


 鼻孔を(くすぐ)るのは木の、鉄の、人の、街の燃える臭いだ。

 大陸中央にアスガルド皇国と並び立つ大国ヴァナード王国、その王都ソフィアが、大陸でも有数の大都市が、朝日を背に燃え上がっていた。


 カイルの喉が、呻き声を漏らす。言葉が出てこないのか、近づいてくるその景色を呆然と見つめていた。


「派手に燃えてやがるな」


 そう言ったのは、アーネストだ。カイルとは違って、この眺めにまったく心動かされた様子がない。

 否――動かされてはいる。なぜなら彼は、少し愉しそうだからだ。


「大陸随一の大都市も、これで終わりか。儚いねえ」

「勝手に終わらせるな」


 アーネストが座る御者台を蹴りつけながら、リロイが言った。

 目覚めたのは、つい先ほど――その鼻孔に、王都の燃える臭いが届いたからだ。

 あまりの眺めに固まっているカイルをよそに、リロイは残っていた食料を平らげる。最後の肉をワインで流し込み、野菜を漬けていた酢も、水のように飲み干した。


「あんたの味覚はどうなってんだ」


 それを横目にしていたアーネストは、自分が酢を飲まされたような顔で呻いた。

 リロイはその顔を見て、口の端を持ち上げる。


「そんなもん、必要ないときは無視すりゃいいんだよ」


 大抵の人類には無理な主張をするリロイを、「ただの馬鹿舌だろ、それは」アーネストは鼻で笑い飛ばした。


 リロイはもう一度、御者台を蹴りつけてから、視線を王都に向ける。

 炎上する街を睨むように見つめるその黒い瞳は、その炎を映して静かに揺れていた。


 やがて、巨大な壁が見えてくる。王都を取り囲む堅牢な外壁は、あらゆる敵を寄せつけない。

 その外壁に、門は四つある。いずれも巨大で、人力では到底、開けることができない鉄の門だ。


そこに至るためには、橋を渡らねばならない。

 壁の周囲には、幅二十メートルほどの巨大な外堀がある。街の北西から流れ込む川の水が、この堀を水で満たしていた。


 アーネストは、堀の手前で馬車を止める。

彼が語っていたとおり、そこにあったのは混乱のあとだった。


 逃げ惑った人々が落とした荷物が、そこかしこに散らばっている。横転した馬車はそのままだし、堀に沈んだ客車もあった。

 幸い、人間の姿は見受けられないので、この騒ぎで人死にはなかったようだ。


 門は閉じられ、橋も上げられていた。

 このふたつは機械式で、操作は騎士団の詰め所で行われる。そのため、外から開けるのはほぼ不可能に近い。


「爆破は期待するなよ」


 リロイの視線を感じたのか、アーネストは首を横に振った。「これを壊そうと思ったら、とてもじゃないが手持ちの爆薬じゃ足りねえよ」


「じゃあ、どうやって入る」


 カイルの声には、焦りがあった。その口が咥えている煙草は、馬車の持ち主が食料などと一緒に保管していたものだった。

 カイルとアーネスト、ふたりの手持ちは早々に吸い尽くしてしまったため、それを拝借している。

 最初は罪悪感や後ろめたさで手を出し倦ねていたカイルだったが、ストレスに耐えきれず、遂に手を出してしまった。


「地下から入る」


 同じく他人の煙草を、こちらはなんの罪悪感も躊躇もなく吸っているアーネストは、御者台から軽やかに飛び降りた。


「他の門を見にいっても別に構わないが――」

「時間がかかりすぎる」


 リロイが、言下に否定する。巨大な街を回り込んでいたら、確かに時間のロスは大きい。


「んじゃまあ、しっかり泳いでくれよ」


アーネストはコートを脱ぎながら、堀のほうへ歩き出した。


「泳ぐ?」


 リロイは眉根を寄せて怪訝な顔をしたが、カイルは頷いた。


「なるほど、地下水路か」


 この川の水は、生活用水としても使われている。街の地下には、水を各施設、各家庭に届けるための水路があり、それは網の目のように広がっていた。 

 それを利用して、中に忍び込むというわけか。


「おまえ、なんでこんな入り方を知ってるんだ」


 ()(ろん)げなリロイへ、アーネストは片目を(つぶ)って意味ありげにほくそ笑んだ。


「蛇の道は蛇、ってな」

「――ふん」


 探偵の助手、という職務を鑑みれば明らかに違う道、あるいは違う蛇、といったところだが、リロイは鼻を鳴らしただけで追及はしない。


「どのくらいかかる」


 代わりに、そう問いかけた。曖昧だが、この場合だと潜っていく距離、潜水時間あたりだろう。


「五分ぐらいじゃねえかな」


 アーネストは軽く言ったが、訓練を受けていない人間が潜水できる時間など三十秒から1分ぐらいではなかろうか。

 しかし、リロイばかりかカイルも特に驚いた様子もなく、軽く頷いただけで用意を進める。


 本来、水の中を行くのだからなにも着てないほうがいいのだが、さすがに三人とも全裸で行こうとは主張しなかった。

 上着と、靴を脱ぐ程度だ。


 レザージャケットが焼けてしまったリロイは、ブーツを脱いでいる途中、あるものに目を留めた。

 アーネストが爆薬を(こん)(ぽう)している、油紙(ゆし)だ。


「欲しいのか?」


 リロイの視線に気づいたアーネストが、束になっていた油紙を振ってみせる。


「これを包みたい」


 リロイが銃と弾薬を取り出すと、アーネストは「隙間から水が入らないようにしっかり(くる)めよ」と油紙を手渡した。

 銃は構造が単純なので分解して乾かせばそのうちなんとかなるが、弾薬は難しい。少なくとも王都での戦いでは役に立たないだろう。リロイが神経質になるのもわかる。


 だが、私はそのまま水の中か。


 水に濡れたとしても錆びず、切れ味も変わらないのでわざわざ油紙に包む必要もないから仕方ない。

 それに、そんなに大量の油紙をアーネストが持っているわけでもないだろう。

 彼は、自身の鞄を軽く叩いて言った。


「まだたくさんあるが、それで足りるか」

「十分だ」


 なるほど。

 まあいい。

 いまはそんな場合ではないからな。


 リロイはブーツと油紙で包んだ銃をナップザックに詰め、背中に担いだ。カイルとアーネストも準備ができたらしく、堀の中を満たしている水を覗きこんでいる。川の一部なので流れがあり、だから水質は悪くない。


「ふたりとも、俺についてこいよ」


 アーネストはそう言って深呼吸を繰り返すと、堀の中に飛び込んで言った。リロイたちも、すかさずそれに続く。

 アーネストは、迷うことなく都市内に続く水路の入り口へと至った。そこには鉄格子が()められているはずなのだが、それが何者かによって切断されている。


 何者か、というより、おそらくはアーネストの仕業だろう。

 水路に入った三人は一列で進む。水路は、迷路といっても差し支えないほど複雑だ。知らなければ確実に迷うし、迷えば溺死は免れない。


 しかし、驚くべきはアーネストの記憶力だろう。

 これほど入り組んだ道順を、よく憶えたものだ。

リロイひとりであったなら、確実に溺れ死んでいる。


 三分を、過ぎた頃だろうか。

 前方から、なにかがこちらへ向かってくる。


 この状況、この場所でやってくるものがあれば、十中八九は敵だ。

 戦闘をゆくアーネストも、そう判断したらしい。背中の長剣を引き抜いた。


 だが、空気中と違って抵抗の多い水の中であの戦輪は、威力を十全に発揮できない。

 彼もそれは十分に承知しているだろうが、それでも戦輪を撃ち放った。(かく)(はん)された水の泡をあとに残しながら、二枚の戦輪は突き進む。

 威力が不十分とはいえ、そもそもが銃撃に匹敵する速度で放たれている。水中に於ける人間の運動能力の低下を鑑みれば、それでも躱せるものではない。


 しかしその人影の動きは、凡そ人間のものとは思えなかった。激しい泡を噴出しながら、水の抵抗を感じさせない速度で身をくねらせる。戦輪を軽々と躱し、一気に加速して先頭のアーネストへと襲いかかった。

 その姿は、裸の女に似ている。

 だが、肌の色は青白く、手足や脇腹には切れ込みが入っていた。


 まるで、(えら)だ。

 いや、ある意味、鰓である。そこから、体内で生成したガスを放出し、推進力にしているのだ。


〝闇の種族〟中級眷属ルサールカは、水中では無類の強さを発揮する。


 深緑色の長い髪を振り乱し、二メートル強ある巨躯が魚雷の如く突き進んできた。アーネストは肩を掴まれ、指先の鋭い爪がその肉を突き破る。噴出した血が水に溶け、煙のようにふわりと広がった。

 ルサールカは、口を開く。


 顔の造形は、やはり人間に近い。

 ただその目に瞳はなく、濁った白い眼球があるだけで、あまり視力がないことはわかっている。彼女たちはサメのように嗅覚が発達していて、水中の臭いで獲物の動きを完治するのだ。


 開かれた口の中は、無数の尖った歯が密集している。人間のような上下に二列ではなく、口腔内に万遍(まんべん)なく牙が生えていた。

 こんなものに喰らいつかれたら、肉が削げ落ち骨は粉々だ。


 アーネストは咄嗟に剣を持ち上げてその口腔内に突き刺そうとしたのだろうが、動きが遅すぎて間に合わない。


 そのとき、水が渦を巻いた。


 その渦は自身の意思があるかのようにうねり、さながら蛇の如くアーネストの身体を避けてルサールカに激突する。腹を打たれた彼女の鰓からは悲鳴の如くガスが噴出し、そのまま水路の壁に叩きつけられた。

 岩盤が、砕け散る。

 噴出するガスの泡に赤が混じり、水が小刻みに震える。この振動は、ルサールカの喉が発するものだ。


 苦鳴だろうか。

 しかし、それがすぐに違うとわかる。


 水路の奥から、彼女と同じ巨躯がさらに二体、こちらへ向かってきた。助けを求める声だったようだ。

 猛烈なスピードで迫り来るルサールカへ、リロイが突っ込んでいく。


 剣は、抜いていない。

 この水の中では、斬撃や刺突に効果は望めないと割り切ったのだ。


 そのまま、二体目のルサールカに激突する。

 彼女の指先はリロイの喉もとを狙っていたが、その手を逆に捉えて背中に回り込んだ。さしものリロイも、水中でルサールカの機動力には敵わない。


 ここは純粋に、膂力勝負に持ち込むのが正解だ。

 ただしルサールカには、水中で人間の四肢を()ぎ取る筋力がある。気を抜けば、リロイといえどもただではすまない。

 背中に回り込んだリロイは、彼女の首に腕を回した。


 そして一気に、締め上げた。


 人間ならばあっという間に頸骨が砕けて即死だったが、ルサールカはこれを耐え抜く。首の骨が折れる手応えはあったが、頑強な筋肉繊維がぎりぎりでそれを阻んだ。

 そして全身の鰓から、ガスを噴出した。


 ルサールカの巨体が、真上に跳ね飛ぶ。

 リロイがその背中から離れる猶予は、与えない。

 水路を形作る石壁に、リロイは背中から激突した。


 巨躯に押し潰され、肺から空気が吐き出される。肋骨の何本かに亀裂が走ったが、問題は肺から押し出された酸素だ。

 人間は、水中で酸素を取り込めない。

 人間離れしているとはいえ、リロイもそこは人間の基準どおりだ。すなわち、水の中では呼吸ができず、呼吸ができなければ死んでしまう。


 ルサールカは、勿論それを熟知している。

 たとえ手強い人間がいたとしても、水中であれば、時間をかければ勝手に死ぬ生き物だと知っているのだ。


 リロイが組みついたルサールカは、ふたたびリロイを水路の壁に叩きつけるべく鰓からガスを噴出させる。

 リロイはこのとき、剣を引き抜いた。


 しかしそれで、ルサールカを切りつけようとはしない。

 彼女の心臓の位置へ、背中から切っ先を定めだだけだ。


 そしてふたたび、リロイは壁とルサールカの巨躯に挟まれて全身を強く打った。

 壁が打ったのはリロイの身体だけでなく、剣の柄頭もだ。


 ルサールカ自身の推進力が、そのまま剣の刺突の力に変わる。

 切っ先は頑強な眷属の肌を割き、筋肉と脂肪を貫きながら心臓へ到達した。


 仰け反ったルサールカの喉から、赤い気泡が噴出する。リロイはそのまま剣を両手で掴むと、一気にねじり上げた。

 剣身は心臓を破壊し、彼女の乳房の間から切っ先が飛び出す。リロイはそのまま斬り上げるつもりだったが、そこで動きが止まってしまう

 ルサールカの指先が剣身を掴み、停止させたのだ。


 その状態で全身の鰓からガスを噴出させ、水路の中をでたらめに動き始めた。大量の赤い泡が視界を塞ぎ、上下左右すらわからなくなる。

リロイはこのガスを止めようと思ったのか、右手で剣にしがみついたまま、左手を彼女の脇腹にある鰓に突っ込んだ。


 二メートル強ある巨躯を水の中で自在に飛び回らせるほど、ガスの勢いは凄まじい。

 爪の間に滑り込んだガスが、これを剥がし取っていく。


 瞬く間に赤い泡が後方に流れていくが、それはリロイのものだけではない。

 歯を食い縛りながら指先が、鰓の奥深くに到達し、それを保護する粘膜を突き破って内臓に届いたのだ。


 そのまま一気に、手首まで押し込んでいく。

 そこにあるのは、体内で生成されたガスを噴出する器官だ。


ルサールカの動きが、おかしくなりはじめた。リロイが腕を突っ込んだせいで、噴出するガスが阻害され、それが水中航行のバランスを崩し始めたのだろう。

 正直、これはこれで危険な状態ではあるのだが、リロイはためらわない。


 爪を失った指先が、掴む。

ルサールカの喉が、震えた。


 リロイはそれを、渾身の力で引きずり出した。ひときわ大きな赤が、水中に広がる。

 リロイの視界が、急激に回転した。

 ガス噴出器官がひとつ潰されたことで、バランスが完全に崩れたようだ。


 青白い巨躯はスピードを緩めぬまま錐揉みして蛇行し、やがて水路の壁に頭から突っ込んでいく。彼女の頭が割れ砕け、深緑の髪の中から脳の破片が水の中に漂い出た。

 リロイは辛うじて頭部を両手で庇い、その頭の中に筋肉が詰まっているのでは、という私の疑いを明らかにせずに済んだ。


 衝突したとき、リロイの喉からはそれほど気泡が飛び出さなかった。

 それはつまり、もう肺に酸素がない、ということだ。


 リロイはその状態でもすぐさま、ルサールカの喉もとを串刺しにしていた剣の柄を握る。しかしその目は、彼女を向いていない。

 視線の先にあるのは、ルサールカの巨体を受け止めた陥没した水路の壁だ。


 そこから、空気の泡が噴き出ている。


 つまり、この向こう側には空気がある、ということだ。


その亀裂めがけて、リロイは剣を叩きつけた。

 三度ほど繰り返したところで、亀裂が大きく割れ、一気に水を飲み込んだ。リロイの身体はルサールカごと、壁の向こう側へと押し流される。


 暗い空間だ。

 リロイは激しく酸素を吸い込みながら、辺りを見回した。水路建設時の通路、あるいは待避所だったのだろうか。人間が立って歩き回れるほどに、そこそこ広い。


 リロイの側で、ぐったりしていたはずのルサールカが不意に動いた。

 唸りを上げて、その腕がリロイに叩きつけられる。

 リロイは咄嗟に剣で弾き返そうとしたが、まだ身体に酸素が足りていない。撥ね上げた剣の角度が甘く、押し返された。足下へ次第に溜まっていく水を撥ね上げながら蹈鞴を踏み、しかしルサールカも、自身の攻撃で体勢を崩し、つんのめる。


 割れた頭蓋の隙間から、脳漿がこぼれ落ちた。

 踏み留まったリロイは、足首まで溜まった水を蹴り上げながら、爪先を彼女の額へと打ち込んでいく。


 仰け反る巨躯は、しかしすぐさま状態を引き戻した。

 その口が大きく開いている。


 喰らいついてくるかと思いきや、その喉の奥からなにかが飛び出してきた。

 第二の、(あぎと)だ。


 ウツボなどに見られる、口腔内の奥から飛び出す咽頭顎(いんとうがく)、と呼ばれる器官である。ルサールカのそれは長く巨大で、禍々しい牙を備えていた。

 至近距離での銃撃に等しい不意打ちを、それでもリロイは回避する。身体ごと横手に倒れ込み、狙いを外した咽頭顎は水路の壁に喰らいついた。


重い響きを弾かせて、顎は水路の石壁を噛み砕く。

 リロイは倒れかけの姿勢から、掬い上げるように斬撃を放った。

 咽頭顎は両断され、ルサールカは甲高い悲鳴とも怒号ともつかない雄叫びを上げる。そして叫びながら、リロイへと掴みかかった。


 同時に、咽頭顎が喰らいついた壁が、破裂する。


 凄まじい勢いで水が流れ込んできて、リロイとルサールカを呑み込んだ。強い水流にもみくちゃにされながら、リロイの目は青白い巨躯を捉えている。弱っているとはいえ、まだまだ水の中では油断できない。

 水嵩はすでに、腰の高さに達していた。


 ルサールカはその巨体を水の中に沈めていく。

 それを逃すリロイではない。


 だが、腰まで水に浸かった状態では、さしもの〝黒き雷光〟も地上と同じようには動けない。

 だから――まあ、そうだろうな。

 わかっていたとも。


 リロイは渾身の力で、剣を投擲した。

 切っ先を前に、矢のように剣は直進する。


 それは狙い違わずルサールカの割れた頭部に突き刺さり、首を縦に貫通して胴体を串刺しにした。

 衝撃で彼女の巨躯が水の上でのたうち、そこへリロイは水をかき分けて駆け寄っていく。彼女の頭から突き出た柄を握り、手首の力で回転しながら背中側へと切り開いた。

 割れた背中から、砕けた脊椎が飛び出す。


甲高い悲鳴が、迸った。

 同時に、全身の鰓からガスが噴出する。戦おうとしたのか、あるいは逃げようとしたのかはわからないが、彼女の身体はでたらめに動き始めた。リロイがひとつ鰓を潰している上に、脊椎が損傷している。推進力を制御できず、やがて背中の傷が弾け飛ぶように広がった。


 巨躯が、爆ぜる。

 背中からふたつに裂けた彼女の身体はガスの噴出であらぬ方向へと飛んでいき、壁に体当たりを繰り返しながら水中へと没していった。


「あいつら死んでないだろうな」


 リロイは、勢いよく流れ込んでくる水を見て、顔を(しか)めた。「爆弾魔のやつが死んでたら、出られないんじゃないのか」


「今から頑張って鰓でも生やせばどうだ」


 私が提案すると、リロイは妙な顔で小首を傾げた。


「おまえ、なんか不機嫌だな」

「そんなことはない」


 私は否定し、「それよりも――」周囲の警戒を怠るな、と続けようとして言葉を切った。


高速で近づいてくる複数の物体をセンサーが捉えたからだ。

 王都の地下に広がる迷宮に、ルサールカがたった三匹だとは限らない。


 そして水の中をこれだけのスピードで移動できるのは、現状では彼女たちだけだろう。

 鰓からガスを噴出する音と振動が、近づいてきた。 


「――これは、頑張って鰓を生やす必要がありそうだな」


 リロイが苦笑いしながらそう言ったのは、壁に空いた穴から三体の青白い女たちが飛び込んできたのを目にしたからだ。

 この空間も、あと数分で水没するだろう。


「まあ、いざとなれば私が水路ごと吹き飛ばしてしまおう」

「俺たちまで塵にするつもりかよ」


 ルサールカは、三方からリロイを取り囲む。仲間が倒されたことで、こちらを警戒しているようだ。


「その辺はうまくやるさ」


 私はそう言ったものの、実際はかなり危険な賭けになるだろう。水で満たされた水路の中は、大気中よりも〝存在意思〟の干渉で発生する連鎖反応(チェーン・リアクシヨン)が起きやすい。


「まあ、溺れ死ぬのも消えてなくなるのも、大して変わりはあるまい」

「身も蓋もないな」


 喉を鳴らしてリロイは笑い、自分を包囲するルサールカたちを一瞥した。彼女たちは、この空間が完全に水で満たされるまで、動くつもりはないらしい。

 それに気づいたリロイは「なんだよ、急にしおらしくなりやがって」鼻を鳴らして、水を掻き分けながら彼女たちに近づいていった。「こっちは動くのも面倒なんだ。捌いてやるから、こっちにこいよ」


 この挑発を理解したわけではないだろうが、彼女たちは一斉に、水の中に身を沈めた。リロイの胸もとまで上がった水位は、彼女たちの巨躯を十分に包み込んだ。

 巨大な影が、三方から押し寄せてくる。


 リロイは、上から串刺しにしようと剣を逆手に持ち替えた。


そのとき水路で、なにかが爆ぜる。


 最初は、光だった。


 次に、音が衝撃波となり、炎を身にまとって襲いかかってくる。水路の壁が木っ端微塵に砕け取り、水が巨大な鈍器の如くリロイたちを打ち据えた。


 ルサールカたちともども水流に呑み込まれ、翻弄され、逆巻く渦に押し上げられて天井に叩きつけられる。

 水中でこれほどの発熱現象を起こすとは、アルカリ金属か。


 だがいったい、どれほどの量を持ち合わせていたのだろう。

 爆発は、一度ではない。


 立て続けに科学反応によって熱が生じ、水の中を猛烈な勢いで炎が放出された。爆風が水を揺るがし、リロイたちを何度も何度も殴打する。

 おそらくこのままでは溺死すると判断したアーネストの仕業だろうが、これだけの量を一気に反応させるとは正気の沙汰ではない。


 やがて、水路の天井部分が割れ、重々しい音とともに裂けた。


 一度、亀裂が走ると、崩壊は止まらない。

 水中を駆け巡る衝撃波が、そこへ一気に押し寄せた。爆風に乗った水が、()(とう)の勢いで亀裂を割り砕く。


 無論、リロイの身体も持って行かれた。戦うはずだったルサールカと一緒に、天井の亀裂へと吸い込まれていく。耳を(ろう)する轟音の中、断続的に、突き刺すような破砕音が耳朶を打った。


 いったいどこまで、流されるのか。


 ふむ、まったくもって楽観視できない状況だが、そろそろ自己紹介をしておこう。


 私の名は、ラグナロク。


 どれだけ水に浸かろうと、あるいは粗雑に扱われようとも、その性能に些かの劣化も起こさないリロイが握り締めた剣、それが私だ。

 

  

 

 

 

 


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