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第三章 16

 衝撃で床が陥没し、爆ぜる。


 鋭い鞘走りの音が、ランディの横っ腹に喰らいついた。

 手応えは、ない。


スーツ姿は、間合いのわずかに外へと移動していた。その結果は認識できるが、課程が知覚できない。

かつてヴァルハラのエージェントであるカレンなどは、あまりに速すぎてセンサーで捉えきれなかったが、この男はそれとは違う。


 まるで、その瞬間だけ誤作動して認識できないかのようだ。 


リロイはさらに、踏み込んでいく。

 振り切った剣を切り返し、刺突を胸もとに撃ち込んだ。


 ランディは、それをさらに後退して躱した――そう見えた次の瞬間には、まるで降って湧いたようにリロイの間合いに踏み込んできていた。


 その手には、近くに立てかけてあった箒が握られている。

 箒を槍のように構え、リロイが繰り出した剣身の腹を打ち払った。刺突は軌道が変わり、そこへランディが飛び込んでくる。


 箒の先端は低い。

 そこから、撥ね上がってきた。


 リロイはすでに、突き出していた剣を引き戻している。下方から迫る箒の柄へと、剣を叩きつけた。

 だが、箒の柄はリロイの胸部を打ち据える。 


 肋骨がまとめてへし折れる音が、天井に激突した。

 リロイの背中で天板が割れ砕かれ、横木が粉砕する。


 明らかに、おかしい。

 刃が箒の柄を打った、と認識した次の瞬間には、それは鋼をすり抜けていた。

 途中で軌道を変えたわけではない。


 剣と柄の接触が、なかったことにされた?

 そんなことがありえるだろうか。


 天井をぶち抜いていままさに落下しようかというリロイへ、ランディは箒を突き込んだ。リロイは咄嗟に、これを剣で切り払おうとする。


 だが、まただ。

 また、すり抜けてくる。


 確実に箒の柄を破壊したはずの斬撃は空を切り、振り切った剣を掴んだ手首をランディの打突が痛打した。

 酒と食料の摂取で完治しかけていた右手首の、橈骨と尺骨がまとめて粉砕する。


 握っていた剣は破けた天井から二階の床下へと吹っ飛んでいき、そこに突き刺さった。

 ランディはそのまま身体を旋回させ、勢いをつけてから二発目の打突を繰り出してくる。リロイはこれを、落下しながら切り払った。


 木を切る手応えはなく、脇腹を鋭く重い衝撃が貫く。

 リロイの身体は駒のように回転しながら天井裏へ突っ込み、梁を砕きながら二階の床板へ激突した。


 背中で床板が軋み、亀裂が走り、やがて耐えきれずに乾いた悲鳴を上げる。

 砕け散る床板の破片とともに、リロイの身体は二階へ飛び込んでいった。ランディも箒の柄を棒高跳びのように使い、あざやかに二階へと移動する。


そこは、寝室だ。

 ベッドがふたつとクローゼットがあるだけのシンプルな作りで、破壊した床はその中心部分だった。


 リロイは回転しながらも、部屋の様子をすぐさま把握し、着地と同時にベッドへ走る。綺麗に洗濯された清潔なシーツを素早く引っぺがし、回転させてねじりあわせた。


 即席の、鞭だ。


 ランディは特に身構えもせず、スーツについた埃を払っている。箒は跳躍のときに階下へ置き去りにしているので、武器の(たぐ)いはなにも手にしていない。

 シーツ製の鞭は、その足下に伸びた。


 銃弾並の速度で空を切るシーツは、人間の骨など易々と打ち砕く。

 当たれば、だ。


 鞭が打ったのは、なにもない空間だった。

 空気を引き裂きながら伸びきったシーツは、リロイのもとへとこれも高速で戻っていく。


 それより速く、ランディがリロイのふところに現れる。

 そしてさらにそれより速く、リロイは銃を構えていた。


 骨を破壊されたはずの手で、ランディが眼前に現れるより先に引き金を連続して引いている。

 一発目と二発目はなにもない空間を直進したが、三発目はランディの掌に当たって甲高い音とともに弾かれた。

 四、五、六発目も、立て続けに至近距離で防がれる。

 六発目が防がれたそのとき、左手で操る鞭が弧を描きつつランディの背中を打ち据えた。


 いや、それはフェイントだ。

 鞭の先端は、音速を超えながらリロイの背後へと回り込む。


 すでに、眼前のランディはいない。

 リロイの背中側へと、まるでリロイ自身をすり抜けたかの如く移動していた。


そこへ、鞭が到達する。

リロイはその結果を確かめもせず、前方へ飛んだ。


 床の大穴を超えて、そこに転がったままだった剣を掴み、素早く立ち上がる。


 その顔面を、なにかが襲った。


 リロイの頭部は衝撃で仰け反り、額が割れて血が飛沫く。リロイの額を打って跳ね返り、宙に浮いているのは、ドライフルーツだ。


 柔らかい果実が、なぜこれほどの威力を持ちうるのか。


 それを放ったランディは、突進してくる。

 リロイは後ろによろけながらも、シーツの鞭で前方を扇状に薙ぎ払っていた。

 突っ込んできたランディは、これをまともに喰らう。足首を打たれ、骨が砕けて転倒するはずだった。


 だが、私は見た。


 彼の足がしっかりと床を踏みしめ、それを軸にして身体が旋回するのを。

 リロイの視界が狭くなっている右側から、回し蹴りが跳んでくる。


 空気が破裂する音を、リロイの鼓膜は捉えていた。


 その音を、撥ね上げた刃で切断する。

 同時に、鞭で死角を薙ぎ払った。


 いずれも手応えはないが、音は消えている。

 新たな音は、左側面の死角からだ。


リロイはその場で身体を低く――上半身が床につきそうなほど低い姿勢で旋回する。切っ先は床を削りながら撥ね上がり、回し蹴りを放つランディの股間を直撃した。

 手応えがない。


 今回は、少し違う。

 リロイが激突の直前に、剣を止めたからだ。


 ランディは空振りした足を素早く引き寄せ、軸足を蹴って後退する。それを追って疾風の如く踏み込み、ダークスーツの胸もとへ剣先を撃ち込んだ。


 だがまたしても、刺し貫く寸前で止める。

 ランディは後退しながら、目もとを歪めた。


気づけば彼の手の中には、懐中時計が握られている。その蓋を開けて、一瞥した。するとなぜか、彼はそのまま部屋を飛び出していく。


「なにをしている」


 思わず、訊いた。実戦で寸止めなど、なんの意味もない。「遊んでる場合か」


「確認だよ」


 リロイは慌ててランディを追うことなく、鞭に使っていたシーツをその場に投げ捨てた。「やっぱり、速さじゃないな」


 それには私も、同意だ。

 あれは単純な身体能力ではない。

 ではなんなのか、ということなのだが。


「当てると当たらなかったことにされる、ってなんなんだよな」それは実際に戦っている本人が一番、困惑する事象だろう。


「寸止めだとなにも起こらないんだが――」


 しかしリロイは、本能的に、そして動物的な勘の良さで、なにかを掴みかけているらしい。「当てるつもりのときは、あのタイミングで違和感がある」


なるほど、先読みの連続攻撃や寸止めも、すべてあの男の能力を計るための行動だったのか。

 ならば私も、相棒として助言せねばなるまい。


「確信はないが」


 まだ半信半疑だが、それでもなんらかの手がかりになればと私は言った。


「あの男は事象を書き換えている可能性がある」

「なんだって?」


 やはり、というか、当然というか、リロイは苦い顔をする。「わかりやすく言えよ」


「おまえが自分で言っただろう」

 いまさらこんなことで苛立ったりもせず、私は静かに指摘した。「当たったことを当たらなかったことにしてるんだよ」


「だから、それがなんなのかって話だろ」


 リロイは舌打ちしながら、「もうおまえは黙ってろよ」あろうことか、そんな暴言を口にした。


 そして、ランディを探すために部屋を出て行く。


 なんなんだこいつは……。

 いまさらながら、こいつの馬鹿さ加減に呆れ返るとともに静かな怒りがふつふつと湧き上がってくる。

一度、完膚なきまでに叩きのめされたほうがこいつのためなのではないだろうか。


 廊下に出たリロイは、すぐさま右手側へと身体を倒しながら跳ねた。

 頭のあった位置に突き込まれたのは、傘だ。木製の先端部分――石突は空を切ったが、すかさず踏み込んだ足で床を蹴り、飛び退いたリロイの間合いへと侵入した。


 爪先が、リロイの背中めがけて弧を描く。

 リロイは空中で身を捩り、剣を床に突き立てた。

 ランディの足は自ら刃に激突して切断されるはずだが、やはり、すり抜ける。


 いや、すり抜けない。

 すり抜けたように見えるほど、速かった。


 ランディは蹴り足の軌道を膝で変化させ、横ではなく上からリロイの脇腹に爪先を抉り込んできたのだ。

 すり抜けてくる、と予測していたリロイはこれをまともに喰らい、床に叩きつけられる。


 床板に体側面を強かに打ちつけられ、息が詰まった。

床と頭の間へ咄嗟に畳んだ腕を差し込まなければ、意識を何秒か失っていたかも知れない。


 衝撃で廊下の床が撓み、それが戻る反動を利用してリロイは素早く起き上がり、剣の柄に手を伸ばした。

 握って引き抜くのではなく、そのまま剣を軸にしてランディに飛びかかる。


 打撃ではなく、投げ技、固技で攻めるつもりか。


 ランディは伸びてくるリロイの指先を紙一重で躱し、かいくぐるようにしてリロイの身体を回り込んで後頭部に肘を叩きつけた。


 空気の動きでそれを察知したリロイは、爪先を剣の柄に引っかけて空中に支点を作り、自分の身体を無理矢理に捻って回避する。


 同時に鍔に踵を引っかけて床から引き抜き、空中でこれを掴み取った。

肘の一打を躱されたランディはそのまま回転し、リロイの顔面めがけて傘を叩きつける。着地したリロイの顔面を狙った、鋭い一撃だ。


 リロイは後ろに倒れ込む形で、これを躱す。

 横薙ぎにされた傘の先端は、廊下の壁を粉砕した。


 文字通り、バラバラだ。


 これが傘による打撃だと、誰が信じられよう。

 粉砕された壁板が廊下の中で跳ね飛び、衝撃が廊下自体を揺さぶった。


 倒れ込んでいだリロイは、そのまま立ち上がらず、ランディの足を刈り取るべく低い軌道の蹴りを放つ。

 ランディは跳躍し、傘の先端を床上のリロイへ向けた。


 そして急降下から、突き刺しに来る。


 防御してもすり抜けられるのだから、躱すしかない。

 リロイは床上を転がって避け、石突は床を叩いた。


 激しい音と衝撃波を伴って、床が捲れ上がっていく。

 外壁に衝撃で亀裂が走り、廊下自体が傾いた。木が(ひず)み、弾け、折れる音が連続し、まるで悲鳴のようにこだまする。


 リロイは斜めに傾いだ床上を転がっていたが、跳ね起きると同時にランディへと疾走した。

 床はすでに、崩落寸前だ。


 リロイが走り抜けたあと、その蹴り足に耐えきれず砕け散り、階下へと落ちていく。

 こちらへ向き直ったランディは、傘を細剣のように構えた。

 刺突で迎撃か、と思った次の瞬間、いきなり傘を広げる。舞い散る木片を弾きながら、黒い色が広がった。


 虚を突こうとしたのだろうか。

 リロイの速度は、変わらない。

 とはいえ、まっすぐ突っ込むつもりもなかった。


 床板を爆砕しながら跳躍し、通路の壁を足場にしてさらに跳ぶ。亀裂の入っていた外壁はこの勢いに耐えきれず粉砕し、そこから一気に瓦解が始まった。

 剥がれ落ちる壁を尻目に、リロイは傘を回り込んでランディのふところに飛び込んでいく。


 いない。


傘の向こうには誰もおらず、傘もリロイの着地の衝撃で吹き飛び、激しく回転していた。

 もしもこのとき周りを見回したりしていたら、致命的な一撃を受けていたかも知れない。


 ランディがいない、と認識したと同時に、リロイは床を踏み潰しながら跳んでいた。

 寸前、リロイがいた空間を打ち砕いたのは、回転している傘の向こう側から現れたランディだ。傘の石突きを掴み、持ち手を振り下ろす。


 床が、爆ぜた。

 傘の持ち手が打ち据えた床板から、四方八方へとその打撃力が迸る。床は割れ、壁は裂け、天井は飛び散った。すべてが一瞬で砕片と化したために、突然、家屋が分解したかのようだ。


 ランディの攻撃による余波は、廊下と家の一画だけに留まらず、その全体を崩壊せしめていた。建築物が崩れ落ちる不協和音が、夜闇の中に響き渡る。


リロイは空中から放り出され、落下する。


 落下した、といってもたかだか二階分の高さだ。

 難なく着地したリロイは、家が倒壊する轟音と粉塵を身体に浴びながら立ち上がる。

 ランディも、家屋の崩壊に巻き込まれるようなことはさすがにない。リロイよりあとに脱出したはずだが、すでに彼はそこに佇み、懐中時計で時間を確認していた。


「少し遊びが過ぎたな」


 ランディは指先で懐中時計の蓋を開閉させながら、苦笑いを浮かべた。「本来ならおまえをぶちのめし、マザー・エルナともども連れて帰るつもりだったんだが」


「そうかい、残念だったな」


 リロイは、口の端をつり上げて嗤う。「ちゃんと言い訳は考えたか? 口だけは達者なようだが」

「必要ない」


 ランディは懐中時計をふところへ戻すと、足下に落ちていた木材を手に取った。柱の一部だろうか。「いまからそうするだけだ」

「なるほど」


 リロイは、剣先をランディに向けて言った。「なら俺は、おまえをぶちのめしてからあの女にとどめを刺してやる」

「盛り上がってるところ、悪いんだがな」


 ふたりの会話に入ってきたのは、静かで控えめな声だった。


 黒と青の視線を受けたのは、トレンチコートを着たカイルだ。彼は、倒れたエルナの傍らで煙草を吸っている。エルナはすでに気を失っているのか、動かない。


「そろそろ、終わりにしないか」


 カイルは、少し苛立っているようにも見えた。


「これ以上、戦う必要はない」



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