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第三章 15

「ヴァルハラがカルトになんの用だ」

「ウィルヘルム派に用はない」


 男は懐中時計を胸ポケットにしまうと、軽やかな足取りで瓦礫の山を下りてくる。「今日のところはな」


「ということは、この女自身ってことか」


 リロイは、顎を掴んだままのエルナを引き摺り起こした。「こいつはただの司祭じゃないのか」

「企業秘密だ」


 男は間合いの外で足を止めると、ふところから取り出した名刺を指で挟んで投げてきた。

 リロイは勿論、受け取らない。

 地面に落ちた名刺には、ランディ・ゴルトと記されていた。


「大人しく渡してもらえると、助かる」

「渡す理由がない」


 リロイが突っぱねると、男――ランディは、大仰な仕草で両手を広げた。


「リゼルたちとは仲良くやったんだろう? 俺とも仲良くしてくれよ」

「嫌だね」


 リロイは乱暴に、エルナを足下に放り出す。「あの連中とは、たまたま道連れになっただけだ。仲良くしたわけじゃない」

「つれないな」


 そう言いながらも、ランディはにやにやしている。軽薄そのものだが、なぜだろう、見ていると不安になるような気持ちの悪い笑い方だ。

 足下では、エルナが口の中のアンプルを吐き出している。そして動かない身体に鞭打って、リロイから離れようとしていた。

 視線はランディに据えたまま、リロイはその背中を踏みつける。脇腹の傷口に響き、彼女は苦鳴を漏らした。


「いまからこの女に(とど)めを刺すところなんだ。話なら、あとにしてくれ」

「殺してからじゃ、話にならんだろ」


 ランディは困ったように、しかしどこか楽しげな表情で首を傾げた。「本能で動くタイプ、と聞いてたんだがな?」

「それがどうした」


 リロイは胡乱げに、ランディを見やる。彼は身を屈め、転がっていた十字架の破片を拾い上げていた。


「本能的、直感的に解ったからこそ鈍ったのだと見ていたが――」彼は、長さ三十センチほどの木片を、軽く振るって具合を確かめていた。「これは本当に、ただ鈍いだけだったかな」

「おまえ、仲良くしてくれと言っときながら、本当は喧嘩を売りに来たんじゃないのか」


 顔を顰めるリロイに対し、ランディは快活に笑った。

 そして、木片の先をリロイに向ける。


「それも悪くない」


 その短い木片が、伸びた。

 伸びたように見えた。

 反応できたのは、まさにリロイの動体視力と反射神経がずば抜けていたからだ。


 ランディは、特別なことはしていない。

前進してリロイの間合いに踏み込み、木片で打ちかかってきただけだ。速いが、単純に比べた場合リロイのほうが明らかに速い。


 それでも、遅れを取った。

 まるで、意識の間隙をするりと抜けてきたような一打だ。 


 リロイは撥ね上げた剣身で木片を打ち払い、振り上げた剣をそのままランディの頭頂部へと叩きつける。

 彼は横手に身を捌きつつ、手にした木片でこれを受け流した。そのまま死角へ回り込もうとする動きを阻むべく、剣先をすぐさま切り返してランディを追う。

 斜め下から撥ね上がってくる刃を、彼は木片で受け止めた。


 なぜ、木片はその形を保っていられるのか。

 本来なら最初にリロイが打ち払った時点で、木っ端微塵になっているはずだ。


 激突した剣と木片は、鈍い音を残して弾かれたように離れる。ランディは後退した。揺るやかに見えるが、速い。

 リロイは、それを凌ぐ踏み込みで間合いを詰めた。

 銃撃の如き刺突が、スーツの胸もとに吸い込まれる。


 それに巻きつくようにして、木片が迎え撃った。

 木片が鞭のようにしなり、剣を握るリロイの右手を強かに打ち据える。舟状骨や月状骨、有頭骨などの手根骨と呼ばれる部分が砕け散った。


 リロイの指先が柄から離れて、剣が落ちる。

 否――落としたのだ。


 その剣を左手で掴み取り、低い姿勢から一気に切っ先を撃ち込んでいく。 

それを捌いたのは、信じられないことにランディの左手だった。


 素手だ。

 その掌が剣身の腹にそっと添えられ、そのまま身体を回転させながら切っ先を自身の身体から逸らしていく。そして回転したそのままの勢いで、左肘をリロイの後頭部へ放った。

 リロイは前のめりの体勢で踏み(とど)まらず、自ら前方へ身を投げ出してこれを躱す。そして一回転して跳ね起きると、背後へ銃口を向けた。回転しながら剣を頭上に放り投げ、ふところから引き抜いていたのだ。


 しかし、いない。


 照準の先にいたはずのダークグレーのスーツ姿が、消えていた。

 リロイはためらうことなく銃を手放し、頭上で回転している剣の柄を握る。

 身体を旋回させながら、自分の背後を大きく横薙ぎにした。


 地面が、爆ぜる。

 ランディは地を蹴り、この斬撃を回避していた。


 リロイはそのまま一回転しながらふたたび剣を手放すと、まだ空中にあった銃を引っ掴む。そして肩から前方へ転がると、跳ねたランディへと仰向けの状態から弾丸を叩き込んだ。

その六発の銃弾がすべて、スーツの生地に触れるか触れないかのところで停止した。


 エルナと同じ超常能力か?


 リロイは銃をしまいながら飛び起き、剣を拾い上げるや否や突撃した。着地した瞬間、眼前に飛び込んできたリロイに対し、ランディは慌てることなく後退する。

 それより速く、リロイは前進した。


 しかし気づけば、ランディはリロイのふところにもぐり込んでいる。いつどこで転身したのか、まったくわからなかった。

 恐らくリロイも、わけがわからなかったのだろう。


 足を払われ、一瞬、身体が宙に浮いたところで剣を握る腕を掴まれた。

 音を立てて肩が外れたのは、あまりにも凄まじい勢いで投げられたからだ。


 リロイの身体は近くの家屋の壁に激突して粉砕し、大量の破片や粉塵にまみれながら室内に飛び込んでいった。

そこは廊下で、すぐまた壁がある。それもぶち破り、転がり込んだのはリビングだ。置いてあったソファを弾き飛ばし、木製のテーブルを押し潰しながらどうにか止まる。

 するとすぐさま立ち上がり、近くの柱に肩を押し当てて強引に肩をはめ直した。


「なんなんだよ、あいつ」リロイは、忌々しげに吐き捨てた。「気持ち悪いにもほどがあるぞ」


 やはりリロイも、あの男の不気味さを認識していたようだ。


「あれは純粋な身体能力じゃない」私は言った。「かといって、ウィルヘルム派のような人体改造や薬物とは違う気もするのだが」

「結局はわからん、ってことだろ」


 身も蓋もないことをリロイは呟き、腹立たしくはあったがそれを覆す根拠もなく、私は押し黙るしかなかった。

 リロイは、通用しないとわかってはいるがそれでも銃の再装填を済ませる。「どうも、当たってない気がするんだよな」

 不意に、そんなことを言った。


「確かに、当たってないな」

「そういう意味じゃない」


 リロイはなぜか、台所に向かう。戸棚をごそごそやり出したので、「悠長にしてると、あの司祭を連れて行かれるぞ」一応、忠告してみる。

「大丈夫だ」


 なぜか自信満々に言って、見つけた酒を喉に流し込んだ。「ああいあ手合いは、徹底的に力の差を見せつけて叩きのめさなきゃ気が済まないんだ。さっさと行っちまうなんて、あり得ないな」そして、干し肉やらドライフルーツなどの保存食を次々に口の中へ放り込んでいく。

「なるほど」


 私は、しみじみと言った。


「おまえの同類か」


 燻製された魚に伸ばそうとしていた手が、私の一言で止まる。しかしすぐに動き出し、魚を食い千切ってから「俺はあんなににやけてないだろうが」とぶつくさ言った。


「なんだ、随分と楽しそうだな」


 またしても、気配がなかった。

 足下の革靴は、決して忍び歩きには向いていない。


「食事なら、誘ってくれよ」

 台所の入り口に、ランディが佇んでいた。彼は胸ポケットから懐中時計を取り出すと、蓋を開けて時間を確認した。「もう夕食(ディナー)には遅い時間だがな」


「おまえに食わせるものなんてなにひとつない」

 リロイは、追い払うように手を振った。「腹が減ったなら、自分で探せ」

「他人の家の食料を勝手に食ってる奴の言い草か、それが」


 ランディは苦笑いする。

 それに関しては、弁解の余地はない。

 まあ、リロイは言い訳などする気は毛頭ないのだろう。ランディが現れても、飲み食いの手を止めようとしない。


「――この状況で、よく食えるもんだな」懐中時計の蓋を開閉させながら、ランディは感心したように言った。「おまえの敵が、目の前にいるんだぞ」

「だからだよ」


 リロイは口の中の肉を咀嚼しながら、ランディに折られた右手の指の具合を確かめるように動かした。「身体はただじゃ動かない。おまえをぶん殴るぶんは、ちゃんと補給しないとな」

「合理的だな」


 ランディはシニカルな笑みを口の端に浮かべながら、驚くほど無防備に近づいてきた。その手が、テーブルに並べられているドライフルーツに伸びる。

リロイはすぐ側にあった包丁を手に取ると、彼の手の甲にそれを突き立てた。


「おいおい、乱暴だな」


 ランディは、手にしたドライフルーツを囓りながら、大仰に非難する。リロイは、テーブルに突き立った包丁を一瞥し、眉根を寄せた。

 突き立ったように見えたのは、確かだ。


 しかしランディの手は、その知覚を書き換えたかのように何事もなく、彼の口にドライフルーツを運んでいた。

 起きた事象を改変する能力?

 そんなものは聞いたことがない。


「盗人め」


 リロイが舌打ちすると、ランディは小さく噎せた。

 盗っ人猛々しいとは、まさにこのことだ。


「面白い」ランディは咳き込みながら、小さく笑った。「百聞は一見にしかず、とはよく言ったものだな」


 彼がリロイについてなにを聞いてきたのかは、確認するまでもあるまい。


「おまえ、うちに来るつもりはないか?」


 ランディは唐突に、言った。

 意外な申し出に、リロイの食事の手が止まる。


 ランディはその隙を突いて、リロイが見つけたまま手つかずだったワインを素早く手に取った。キッチンにあるワイングラスを手に取りながら、彼は続ける。「実は、うちの社長がおまえのことを気にかけていてな」引き出しからコルク抜きを見つけると、慣れた手つきで栓を開ける。「好待遇で迎える用意がある。フリーの傭兵を続けていくよりは、よほど実入りがいいぞ?」

「どうして、あんたんところの社長が俺を気にするんだ?」


 リロイは硬くなりかけのパンを口に押し込み、それをビールで流し込んでいく。「会ったこともないのに、おかしいだろ」

「会ったことはあるさ」


 ワイングラスにワインを()いだランディは、その香りを楽しんでいた。「一度だけだがな」

「どこでだよ」


 干し肉に(かぶ)りつきながら、リロイは胡散臭そうにランディを睨みつけた。記憶力に自信があるならともかく、その真逆であるにもかかわらず、良くもそう強気に出られるものだ。


「マザー・エルナに見覚えはなかったのか?」


 ランディは、リロイの問いかけには応えない。だが、その新たな指摘に、リロイは少し鼻白んだ。


「いや、正確にはそうじゃない」ランディは、リロイの答えを待たずに言葉を継いだ。「おまえたちは恐らく初対面だしな」

「匂いだけで酔っ払ったのか」


 リロイは鼻で笑ったが、その目は笑っていない。ビールの残りを飲み干すと、手についたパン粉を払ってから剣の柄に指先で触れる。「目を覚ましてやってもいいんだぞ」

「まあ、落ち着け」


 ランディはそう言って、ワインを口に含んだ。舌の上で転がしているようだが、その顔には渋い表情が浮かぶ。「酷い味だ」

「じゃあ、よこせ」


 リロイが手を差し出すと、ランディは素直にワインの瓶を手渡した。リロイはそれをらっぱ飲みし、味を確かめてから「いつもどれだけ高級な酒を飲んでるんだよ」と文句をつけた。

 ランディは、にやりと笑う。


「ヴァルハラに来れば、飲み放題だぞ」

「おまえがなにを知ってるのか話せば、考えるだけは考えてやる」


 勿論それは、考えるだけなのだろう。

 もう飲む気もなくなったのか、ワイングラスをテーブルに置いて「刺さないでくれよ」と牽制しながら、ランディはドライフルーツを摘まむ。 

 それを口に入れるでもなく、指先で転がしながら、ランディは言った。


「俺と一緒に、マザー・エルナを連れてヴァルハラに来るんなら、社長が全部、教えてくれるさ」

「なるほど」


 リロイは、ランディを見据えて頷いた。「いまここで話す気はない、ってわけだ」

「そもそもだな」

 ランディは自分を指さして、自嘲の笑みを浮かべた。「俺が話したとして、おまえ、それを信じるのか?」


 そう言われたリロイは、少し考えた。

 結論は、すぐに出る。


「信じないな」


 晴れやかな笑みとともに、言い放った。

 ランディは、肩を竦める。


「まあそういうわけだから、社長直々に話してもらおうと思ったんだよ」彼はそう言ったものの、少し困ったように髪を撫でつけた。

「しかし、そうはいっても手応えひとつなしではな」

「知るかよ」


 リロイはさもありなんの反応だったが、ランディは気にしたふうもなく続ける。「ひとつ、興味深い話をしよう」と前置きして、言った。

「マザー・エルナの父親は、ウィルヘルム派から〝天敵〟と呼ばれた傭兵ヘイムダルだ」 そういえばカッシングが、〝天敵〟を思い出す、と言っていた。ということはリロイ以前にそう呼ばれていた者がいたのだろうが、まさかそれが、彼女の父親だとは。


 確かにエルナ自身も、父親を傭兵だと語っていた。

 しかしそうなると、単純な疑問が浮かんでくる。

 なぜ、〝天敵〟とまで呼ばれた男の娘が、ウィルヘルム派に?


「どこが興味深いんだ」

 リロイはしかし、本気かどうかはともかく、一切の興味を示さなかった。「俺にはまったく関係のない話じゃないか」


「まあ、そう思われても仕方ないが――」


 ランディはリロイの反応にも気落ちすることなく、薄気味の笑い笑みを浮かべていた。「意外とそうでもないってことさ」

「おまえはもう、手ぶらで帰れ」

 リロイは剣の柄を、しっかりと握り込んだ。「それとも俺に、送って欲しいか?」


 この脅しにもランディは顔色ひとつ変えず、じっとリロイを見据えた。

 心の裡を探るような、得体の知れない眼差しだ。ここまでへばりついていた軽薄さがわずかに剥がれ落ち、その向こう側のどろりとした不快な感情が顔を出す。


 怒りではない。

憎しみとも違う。


それはランディが初めて見せた、生の感情だ。

私が人間であれば、こう表したであろう。

 背筋が凍るほどに邪悪で、醜悪、と。


「――まいったね、どうも」


 だが、苦笑いしてそう呟く彼の表情は、すでに偽装されたものだった。「どうやら、思ったよりも嫌われてしまったようだ」

彼はわざとらしく肩を落とし、溜息をついた。


「また専務に嫌みを言われるのか。うんざりだな」

「じゃあ俺が」


 リロイは、にこりともせずに言った。


「愚痴を聞かなくて済むようにしてやるよ」


その足が、床板を蹴った。


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