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第三章 14


「ファーザーから離れなさい」


 彼女の命令を、リロイは素直に聞いた。

 立ち上がり、ゆっくりと距離を取る。

 十分に遠ざかったと判断するや否や、エルナはカッシングに駆け寄った。


「なんと惨い」


 彼女は胸もとの十字架を握りしめると、十字を切る。すでに彼は、事切れていた。断末魔の悲鳴すら押し潰され、眼球が飛び出したその死に顔は確かに安らかとは到底、言えなさそうだ。


「これが人の所業とは」エルナの肩は、小刻みに震えている。激しい怒りと哀しみが、顔を上げた彼女の、夕焼け色の瞳を爛々と輝かせた。「いえ、だからこそ〝魔王〟と呼ばれるのですね」


「そんなふうに呼ばれたのは、今日が初めてだがな」


 リロイは、口の端に苦笑いを浮かべた。

だがそれは、すぐに消えてしまう。「それに、惨いのはどっちだ」声には、エルナほど露わに怒りがこもっているわけではない。しかし、人間の聴覚に痛みを感じさせるような鋭さがあった。「たったひとりの父親を殺し、彼女を拉致しようとしたおまえたちは酷くないと?」


 静かで淡々として口調に、エルナの顔が強張るのが見て取れた。さながら、肉食獣の唸り声を聞いてしまった人間、といったところか。


「わたしたちは――」

「いや、いい」


 なにかを口にしかけたエルナを、リロイが遮った。「もう決めたんだ。おまえたちをひとり残さず殺してやるってな」リロイは、笑う。「それも、とびきり惨たらしく」決意表明というには、あまりに軽い口調だ。

 こんなにも軽々しく殺害予告をされて、エルナは恐れるべきか嗤うべきか迷うように、頬を歪めた。


「できるものなら――」やがて彼女が選んだのは、もっと単純な行動だった。「やってみなさい!」


 その声がリロイに届くとほぼ同時に、激しい衝撃がリロイを襲った。

 不可視の攻撃が、全身を打つ。

 鍛え抜かれた筋肉を貫き、内臓へ直接響く重い打撃だ。リロイは弾き飛ばされ、十メートルほど宙を飛ぶ。脳も激しく揺さぶられたが、飛んでいる間に回復した。


 危なげなく着地したときには、剣を引き抜いている。


 その目に映ったのは、宙に浮かぶ無数の瓦礫だ。

 辺り一面に散らばっていた教会の破片が、炎に照らされて赤く輝きながらリロイを取り囲んでいる。


 リロイは迷わず、前進した。

 それを、瓦礫が迎え撃つ。


凄まじい速度で飛来する無数の瓦礫を、リロイは弾き返し、斬り落とし、打ち砕いた。

 弾いた瓦礫が別の瓦礫とぶつかり、リロイの周囲で粉々になった破片が粉塵となって煙る。

 足下に着弾した破片は地面を穿ち、土塊を跳ね上げた。


 視界が、急激に悪くなる。

 それはリロイだけでなく、エルナもまた条件は同じだ。

 撃ち込まれる瓦礫の精度が、次第に落ちてきた。


 リロイの動体視力は、弾丸の如き破片の軌道をすべて把握している。直撃弾が減れば、それだけ速度も上がる。

リロイは加速して、粉塵を突き破りエルナに肉薄した。

 だが、視界が晴れた瞬間、巨大な鐘が眼前に現れる。


 カッシングを押し潰した、あの鐘だ。


 一瞬でも迷えば、激突して押し潰されるタイミングだった。破片の攻撃をリロイが捌くことにより、視界不良の状況が訪れることを予測していたとしか思えない。

 リロイは、躊躇なく跳んだ。


 激突寸前、鐘の表面をなぞるように跳躍する。

 鐘が地面に落ち、鈍く重々しい轟きを奏でる音が背中を叩いた。

 着地と同時に、リロイは振り返る。


 なぜか。

 前方に、エルナの姿がなかったからだ。

 どこに行ったのか、などとはいちいち考えない。


 転身したリロイの目の前に、エルナがいた。恐らく、あの鐘の中に隠れて自分ごと撃ち込んだのだろう。

 リロイは振り向きざま踏み込み、彼女の顔面めがけて剣を叩きつけた。


 甲高い音が斜めに流れ、火花が飛び散る。

 エルナの手には、小剣が握られていた。

 まともに受けていれば剣身がへし折れていただろうが、彼女はうまく力を受け流し、殆ど押されることなくリロイの間合いに踏み込んでくる。


 カッシングがカイルのいっていた肉体強化に特化した〝クラフト〟ならば、彼女は超常能力を扱う〝ヒルン〟であることは間違いない。その彼女が、これほど巧みに短剣を操るとは驚きだ。

 リロイの斬撃を受け流すなど、熟練の傭兵でもおいそれとできるものではない。


ふところにもぐり込んできたエルナは、リロイの胴めがけて刺突を繰り出した。

 無駄のない動きだ。

 斬撃を受け流されたリロイは、万全の体勢にない。そこへ、この鋭い踏み込みからの美しいとさえいえる刺突である。普通は、躱せない。


 動いたのは、リロイの左手だ。


 剣の柄から離れた左腕は、自分の腹部めがけて突き出される小剣の、剣身の腹に横手から触れる。

 エルナは受け流したが、リロイは弾いた。

 剣の軌道が外に逸らされ、エルナの身体がリロイと同じく体勢を崩す。


 ふたりの身体は逆方向に回転し、肩を擦りながらすれ違った。


 そのままさらに回転すれば、至近距離で向き合う形になる。

 リロイは加速しながら身体を旋回させ、刃を叩きつけるべく振り抜いた。

 それが空を切ったのは、エルナが地面に這い蹲るほど低い姿勢を取ったからだ。地面の上で滑るように回転しながら、リロイの足下を小剣で払う。


 これをリロイは、跳ねて躱す。


 そこから、真下にいる彼女めがけて剣の切っ先を突き下ろした。

 肩甲骨の間を狙う一撃は、背中側から心臓を貫ける位置だ。


 それが彼女に触れるよりも、突如飛来した瓦礫――一メートルほどの、折れた柱がリロイに到達するほうが早かった。

 突き入れるはずだった剣を撥ね上げ、柱を砕く。無数の破片となって柱は飛び散り、足下のエルナはそこへ真っ向から突っ込んできた。


 剣先は、リロイの顎下を狙う。

 やはり、鋭い。


 リロイは仰け反るようにして回避したが、顎を掠めて小剣が天を突いたその瞬間、側頭部に衝撃を受けて横手に吹っ飛んだ。

 なにかか飛んできたわけではない。


 何度かリロイを襲っている、不可視の攻撃だ。

おそらくは、〝念動力(サイコキネシス)〟だろう。


 リロイは肩から落下すると、それを支点にして横転し、立ち上がる。強烈な一撃は、こめかみの皮膚を破って骨を割っていた。噴き出した血が、左目へと流れてる。

 それを拭う暇はない。

 起き上がったリロイへと、すでにエルナは間合いを詰めていた。


 リロイは回避せず、前に出る。

 超至近距離だ。


 エルナは、肩口に構えた小剣を斜めに打ち下ろしてきた。リロイはその軌道を読み、身体を斜めに捌きながら拳を撃ち込んでいく。彼女の斬撃は空を切り、すれ違いざまにリロイの打撃が彼女の腹を抉る――はずだった。


 止まったのは、拳だ。


 踏み込み、腰を回転させて後ろに引いた右拳を一気に打ち出そうとした瞬間に、止まる。空間に縫い付けられたかのように腕が停止し、身体のバランスが大きく崩れた。

 エルナは、躱された剣を素早く切り返している。軸足を回転させ、低い位置の剣先を撥ね上げた。

 弧を描く軌跡は、リロイは脇腹に吸い込まれていく。


 受け止めたのは、左手の剣だ。

 右拳が空間に固定されているので、背中越しだ。撥ね上がってくる小剣を受け止め、打ち払うと、素早く引き戻して右足の蹴りを繰り出した。


 エルナは、大きく跳び退る。

 そこで、右腕の拘束が解けた。


 時間にすると、数秒か。

 それだけでも、至近距離での交戦中となると効果は抜群だ。


「筋肉馬鹿のおっさんより、やるじゃないか」


 リロイは、思わず笑みを浮かべていた。

 最近、赴任したばかりで年も若いことから、私は勝手に彼女の技量を低く見積もってしまっていたようだ。

 無論、リロイにそんな油断はない。


「最近のカルトは、剣の扱いも教えてくれるのか」

「まさか」


 エルナは、切っ先をこちらに向けて身構えたまま、琥珀色の髪を揺らしながら首を横に振った。「わたしたちは自分自身を高めることが目的であって、武器を手に取って戦うことが目的ではありません」


「戦ってるだろ、いま」


 リロイは別にからかったわけではないのだが、エルナの双眸が細められた。その顔を見たリロイは、ふと、表情を和らげる。


「じゃあなんで、剣なんか握ってるんだ?」

「――血、かもしれませんね」   


エルナは厳しい表情は崩さないまま、しかしリロイの言葉を無視はしなかった。「わたしの父は、傭兵だったらしいので」


「へえ」


 リロイは少し、興味を持ったようだ。

 いや、教会に入ったときから、そうだったか。

 意外にリロイは、女好きではあるが、容姿の美醜で態度を変えないので興味の持ち方がわかりにくい。


「ギルド所属か、それともフリーか?」

「知りません]

 

 エルナのほうはといえば、頑なだ。「知っていても、そこまであなたに話す必要を感じません」


「まあ、そうだな」


 リロイは納得したように頷き、「あんたも元傭兵か?」それでもさらに質問を重ねるメンタルの強さは、さすがだ。

当然、唇を引き結んだエルナは応えない。


リロイは、小首を傾げた。

 まさか、どうして黙ってるんだ、とでも思っているんじゃなかろうな。


「どうもどこかで、あんたを見たことがある気がするんだ」記憶能力に関しては動作不良を起こしている大脳皮質から、その情報を検索しようとリロイは顔を顰める。「こう、もう少しのところで思い出せそうなんだよな。気持ちが悪いから、あんたが死ぬ前にすっきりさせときたいんだよ」

「あなた、頭おかしいのですか」


 エルナは、困惑気味に眉根を寄せた。

 その気持ちは、痛いほどわかる。

そしておかしいかおかしくないかでいえば、確実におかしいのが我が相棒だ。


「わたしは、あなたなど知りません。惑わそうとしても無意味ですよ」


 エルナは、義憤すらその夕焼け色の瞳に浮かべてリロイを睨めつけた。そんなつもりがなかったリロイは、少し鼻白んだ様子で「そうか」と口ごもる。

 その様子が奇異に映ったのか、エルナはますます戸惑い、小剣の剣先がかすかに揺れていた。


「なんなのですか、あなたは」


 思わず、そんなことを口走る。


「さあな」


 リロイは、肩を竦めた。「あんたらにとっちゃ〝天敵〟なんだろ? 確かに俺は、おまえたちを皆殺しにしてやろうとしてるから間違っちゃいない」

 そして、笑う。


「殺し合う理由としては、上等じゃないか」

(おぞ)ましい」


エルナは、嫌悪も露わに呟く。

そのとき、前方の空間がわずかながら揺らめいた。


リロイの瞳も、それを捉えている。

 それでも躱せたのは、リロイの身体能力があってこそだ。


 横っ飛びに身体を投げ出したその傍らを、不可視のエネルギーが銃弾並の速度で駆け抜けていく。

 激突したのは、燃え上がる教会の壁だ。


 炎が、爆ぜる。


 壁は木っ端微塵に砕け散り、辛うじて維持されていたその壁面を押し倒した。その衝撃で炎が、渦を巻きながら噴き上がる。爆風に乗って熱波が押し寄せ、リロイの背中を叩いた。

 リロイは跳ね起きるや否や、エルナめがけて突進している。


 そしてすぐに、停止した。

 自らの意思ではない。


 拳が空間に固定されたさきほどの力が、今度は全身を拘束したのだ。

 それはおそらく、一秒か、二秒ほどの短時間だった。範囲を広げると、降下時間が短くなるらしい。


 しかしすでに、エルナはリロイのふところにいた。

 速い。


 繰り出される刺突は、正確にリロイの心臓へと突き進んだ。

 剣先が大胸筋を貫き、胸骨を削り、肋骨を割り砕きながら体内深くへともぐり込む。


 リロイの全身を拘束していた力が解けたのは、切っ先が心臓に触れるか触れないかのまさにその瞬間だった。

 身体を、横に捌く。


 小剣は肉を裂きながら軌道が横にずれ、心臓ではなく肺を刺し貫いた。

 その切っ先が、肩甲骨を砕きながら背中から飛び出していく。

 リロイは身体を刺し貫かれたまま、至近距離のエルナを掴もうと手を伸ばした。それは捕縛の動きではあったが、勢いは殴打に近い。


 指先は、空を切る。

 エルナが跳び退ったのではなく、リロイが後ろへ弾き飛ばされていた。小剣が身体から抜けていき、開いた傷口から血が噴出する。辛うじて転倒は免れたが、着地と同時に膝を突いた。

 咳き込み、喉から血が迸る。


 エルナは追撃の手を緩めない。

 血と脂に濡れた小剣を手に、猛然と肉薄してくる。


 リロイはふところから銃を引き抜くと、膝立ちの状態で撃ち放った。

 六発の弾丸が、一発の銃声で飛び出していく。


 これをエルナは、どう躱すか。

 自分に銃口が向けられても、彼女は一向に怯まず突っ込んでくる。

 弾丸は、そんな彼女の肉体に次々と命中するはずだった。


 だが、止まる。

 六発の鉛の玉は、空中で停止した。

 リロイを拘束したあの力は、高速で飛翔する物体すらも捉えてしまうのか。


 銃弾は、阻んだ。

 では、剣は?


 リロイは銃撃が終わると同時に、疾走している。

 弾丸が止められた瞬間には、その傍らを駆け抜けていた。


 エルナの顔を、焦慮が掠める。

やはり、そうか。

 彼女の力は、連続して使えないのだ。


 再使用の間隔がどれほどのものかは定かではないが、少なくともこのタイミングではないのだろう。


 まさか、肺を刺し貫いた相手がこれまでと遜色なく動けるとは予想だにしなかったに違いない。

 リロイは彼我の間合いを踏破すると、横薙ぎの一撃を叩き込んだ。


 烈風の如き斬撃は、突進してくるエルナの左脇腹へと吸い込まれていく。確実に、彼女の細い胴を切断する軌跡だ。

 刃が、祭服を切り裂きながら彼女の肉を断つ。

 そしてその下の外複斜筋を断裂させれば、内臓を押し潰しながら腰椎へと到達するはずだった。


 剣は、筋肉を切断した直後に急停止する。

 予測が外れたか。


 エルナの力は、リロイの斬撃をすんでのところで押し留めた。

 彼女は脇腹を抉る剣から逃げようとはせず、そのまま踏み込んでくる。


 小剣は縦に、リロイの肩口へと振り下ろされた。

 リロイは、空間に固定された剣を支点にして横滑りし、躱す。そこから、剣を振り下ろした体勢のエルナへと蹴りを放った。

 腰に蹴りを受けた彼女の身体は、固定された剣から引き抜かれて吹き飛んでいく。蹴りの衝撃で、傷口が刃に抉られて広がり、鮮血が尾を引いた。


 地面に叩きつけられたエルナは、血の弧を描きながら転がっていく。

 まだ剣が固定された状態であることを確認したリロイは、柄から手を放して彼女を追った。


 その背中へ飛来したのは、十字架だ。


 鐘楼の上に設置されていた巨大な十字架は、一部が欠損しつつも地面に突き立っていた。

 それがエルナの力により、砲弾の如く飛来する。


 振り返るまでもなく、巨大な質量の接近にリロイは反応した。前方に身を投げ出しながら、身体を捻る。仰向けになったその鼻先を、十字架が猛然と通過していく。

 しかしやり過ごさず、両手で掴み取った。


 エルナに向かっていたリロイの背後から飛んできた十字架は、必然的に、倒れている彼女へと向かっている。

 十字架に掴まったまま宙を飛び、上半身を起こしたばかりのエルナへと接近した。


 そのままでは、彼女の頭上をただ通過してしまう。

リロイは寸前、足で地面を削りながら急制動をかけ、渾身の力で十字架の軌道を変えた。


 直進から、直下へ。


 地面に叩きつけられた十字架は爆砕し、土塊と一緒に無数の破片となって飛び取った。

 エルナは両手で身体を押しやるようにして回転し、紙一重の位置で直撃を避ける。至近距離で弾けた十字架は、敬虔なる信徒である彼女の全身を破片で打ち据えた。鋭く尖った木片は彼女の褐色の肌を削り、あるいは突き立つ。

 その破片越しに見たエルナの瞳が、夕焼け色から血の色に変わるのを、リロイは見た。 彼女の首を鷲掴みにしようとしていた指先が、触れるか触れないかのところで止まる。


 襲ってきたのは、まさに爆風だ。

 リロイの身体が、まるで木の葉の如く吹き飛ばされる。


 二度、三度と地面に叩きつけられながら、リロイの身体は教会の瓦礫を弾き飛ばしながら転がっていった。

 その先にあるのは、ひときわ大きな、爆風で剥ぎ取られて落下した教会の屋根の一部だ。


 リロイはそこへ突っ込み、これを打ち砕いた。

 屋根に呑み込まれるように、その身体がめり込んでいく。内側に陥没した屋根瓦はそのままへし折れながら破裂し、さらに小さな破片となって飛び散った。


 それを見届けたエルナは、細長い息を吐く。

 その鼻孔からは血が流れ落ち、また双眸からも血の涙がこぼれていた。

 どうにか起き上がろうとあがいていたが、すでに余力がないのか、上半身すら起こせない。


 やはり力の連続使用は、甚大なダメージを自身にも被るようだ。


 だからこそ、瓦礫を押し退けてリロイが立ち上がるのを見た彼女の目には、絶望が浮かぶ。

 リロイは、倒れているエルナに向かいながら、腹から突き出ている鋭い木片を無造作に引き抜いた。血が噴き出すが、その傷は急激に塞がっていく。

 途中、すでに拘束から解き放たれて落ちていた剣を拾い上げると、それを握ったままエルナへと近づいていった。


「もう立てないのか」口の中に溜まった血を唾と一緒に吐き捨て、リロイは彼女を見下ろした。「使えよ、薬」


 言われるまでもなく、リロイが立ち上がるのを見てすぐに、エルナは祭服の中からアンプルを取りだしていた。ただ、指先が震えていて、何度か取り落としている。

 いまも、アンプルの頭部を折ろうとしているが、うまくいかない。

 リロイは彼女の傍らに膝を突くと、取り落としたアンプルのひとつをつまみ上げ、頭部を折った。


「ほら、飲め」


 差し出されたアンプルを、エルナは睨みつけた。

 それを口にすれば、まだ逆転の芽がある。

 しかし同時に、〝天敵〟の情けに縋ることでもあった。


 この状況を、どう自分の中で処理するか。


 彼女は数秒、固まっていたが、不意に顔を逸らした。

 それならば死んだ方がまし、という意思表示か。


「遠慮するな」リロイは、エルナが手にしたアンプルも捥ぎ(も)取り、彼女の顎を掴んだ。「神の愛なんだろ? おっさんも嬉しそうに全部飲んでたぞ」

「天罰が下るといい」


 エルナは食いしばった歯の間から、憎々しげに呻いた。

 彼女の口を強引に開けさせながら、リロイは楽しげに目を細めた。


「何年か前にもおまえらの信徒を殺したが、天罰はまだ下ってないな」エルナの口に指を突っ込み、隙間からアンプルを押し入れていく。「あっちに行ったら、ちゃんと催促しとけよ。あんまり遅いと、地上には誰ひとり、あんたのファンがいなくなるってな」


 口に指を突っ込まれているので、エルナはなにか言い返していたが、言葉にならない。リロイはアンプルを彼女の口腔内に詰め込むと、今度は無理矢理、口を閉じさせた。

 そして、拳を振り上げる。


エルナは血の涙を流しながら、それでも毅然とリロイを睨みつけた。

 口の端をつり上げ、リロイは笑う。

 その笑みが、わずかに揺れた。


 夕焼け色の瞳の奥に、なにを見たものか。


それがなんであれ、すぐさま振り下ろすはずの拳が(またた)きの間、静止した。

 そこへ、声が滑り込んでくる。


「あんまりその()を虐めてくれるなよ、リロイ・シュヴァルツァー」


 リロイはぎょっとして、エルナの顎は掴んだまま、後ろを振り返る。

 そこに男がいた。

瓦礫の山に、腰掛けている。

 ダークグレーのスーツを着崩した、こんな田舎の村には似つかわしくない伊達男だ。手に握った懐中時計の蓋をゆっくりと開閉させながら、こちらを眺めている。


 彼はいつ、そこに現れたのか。


 リロイがらしくもなく動揺したのは、その気配を微塵も感じなかったからだ。

 勿論、私のセンサーも反応していない。 


「おまえも、カルトの仲間か」


 リロイはゆっくりと体勢を変え、正体不明の男に向き直る。

 男は、炎に金の髪を(あかがね)色に輝かせながら、首を横に振った。


「ヴァルハラだ」


 男は、うっすらと笑みを浮かべた。


「マザー・エルナを引き取りに来た」 






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