第三章 12
リロイは手にしていた人間棍棒を、今度はブーメランの如く投擲する。激しく回転する屍はカッシングめがけて宙を飛び、その途上にある信徒を容赦なく薙ぎ倒していった。
リロイはその軌道をなぞって、疾走する。
カッシングはその膂力で人間ブーメランを受け止めると、それをぐるりと振り回し、お返しとばかりに投げつけてきた。
リロイは、速度を緩めない。
飛んでくる人間の身体に対し、剣を雷撃の如く打ち下ろした。
肉が爆ぜる音がふたつに分かたれ、血飛沫と腸を浴びながらリロイは直進する。
その眼前へ飛び出してきたのは、あの酒場の店主だ。
リロイは一切躊躇なく、彼の頸部を切断した。
崩れ落ちる身体を蹴り飛ばし、司祭へと肉薄する。
カッシングもまた、前進した。彼は得物を手にしていない。あくまで素手で、渡り合うつもりなのか。
リロイは彼に対し、最短距離で切っ先を叩き込む。
直進し、刺突だ。
カッシングは足を止めぬままに、近くにいた信徒の首根っこを掴まえ、リロイめがけて投擲した。ひとりではない。立て続けに、手当たり次第に放り投げる。
リロイの進行方向が、人体により面で塞がれた。
カッシングの姿は、見えなくなる。
リロイはさらに加速した。
そして、足から滑り込む。
飛んでくる人間と地面の間には、隙間があった。そこめがけて飛び込み、人間の壁をくぐり抜け――
そこに、カッシングが全体重を乗せた足を振り下ろしてきた。
リロイを確実に捉えるため、わざと逃げ道を作っておいたのか。
前進筋肉の塊にしては、狡猾だ。
だが、こと戦闘に関してリロイは天才的読みと閃きを見せる。
そう、予測していた。
滑り込み、頭上を大量の肉壁が唸りを上げて通り過ぎた瞬間、地面に剣を突き立てたのだ。
加速していたリロイの身体を、深々と大地に刺さった剣身と、それを握る腕の筋肉で急制動をかける。
同時に踵で地を蹴り、身体を横に流して旋回した。
そしてリロイが滑り込んでくるはずだった場所を、カッシングの足が踏み抜く。
大地が、割れた。
彼の靴裏が接地した瞬間の衝撃が、剣を伝ってリロイにまで響いてくる。押し出されるように噴出した土塊がリロイの視界を覆った。
地面を走る亀裂が四方に走り、周囲の信徒たちは、この激震に立っていられず次々に転倒している。
剣を支点に浮いていたリロイは、わずかに姿勢を崩したもののそのまま回転し、大地を踏み割ったカッシングの足を蹴り払った。
だが、折れない。
まるで鉄の柱のようだ。
カッシングはすでに、拳を振り上げている。
それが空気を砕きながら、落ちてきた。
リロイは剣を軸に、自身の身体を引き寄せる。その爪先を掠って、拳が大地を打った。
またしても、揺れる。地面は陥没し、足下が傾いだ。リロイは跳び退り、剣を引き抜きながら着地する。
カッシングは、拳を撃ち込んだ前屈みの姿勢で、突っ込んできた。
リロイは横っ飛びにそれを躱しながら、傍らを駆け抜ける巨躯に斬撃を叩きつける。刃は彼の祭服を裂き、皮膚と脂肪へ食い込んだが、筋肉に弾かれた。
いや、衝撃を吸収された、というべきか。
カッシングはそのまま走り抜け、前方にいた信徒を数人、弾き飛ばす。とばっちりを食らった信徒は割れた地面に叩きつけられ、そして起き上がろうとしたが、果たせない。打撃音から察するに、全身の骨が粉砕したのだろう。それでは動けるはずもない。
別のひとりは脊椎が真っ二つにへし折れたのか、くの字に曲がって転がっていく。踏み潰された若い男は腹が割け、喉から大量の血を吐き出していた。
「さっきより硬いな」
リロイが呟く。
確かに、そうだ。
出会い頭の交戦では、切っ先は彼の身体を貫いていた。
あの状態から、さらに肉体が強化されたということか。
カッシングは信徒を踏み殺しながら停止し、素早くこちらへ向き直る。
その眼前に、リロイはいた。
繰り出したのは、刺突――狙いは、顔面だ。
衝撃吸収に優れた筋肉をわざわざ狙う必要もなく、ならば強化しようのない器官を潰せばいい。
切っ先は、司祭の左眼球に斜め下から突き込まれた。
眼球を潰し、頭蓋を突き破った切っ先は前頭葉を抉り、大脳に到達する。切っ先は後頭部の頭蓋を突き破り、飛び出した。
カッシングの足が、地を蹴る。
突き刺さった剣と同じ角度で跳躍し、自ら剣身を引き抜き、間合いを取った。穴の開いた眼窩から脳漿が飛び散るが、その動きに変わりはない。
彼のいなくなった空間は、すぐさま信徒で埋め尽くされる。
「聞きしに勝るとは、まさにこのことですね、リロイ・シュヴァルツァー」脳髄を剣で刺し貫かれても、カッシングは平然としていた。「あなたに打ち勝てれば、わたしの魂はまたひとつ強くなる」彼は、祭服の中からなにかを取り出した。武器ではない。小さなアンプルだ。
「神の愛に、また一歩、近づくのです」
彼はアンプルの頭部を折り、中身を呑み込む。
変化は劇的だった。
彼の頭部の傷に、内側から赤い泡が噴き出してくる。血の泡だ。少し冷えた空気の中に、うっすらと蒸気が立ち上っていた。
高速で、体組織が修復されている。その再生速度は、リロイ以上か。
だが、これほどの効果となると相当の劇薬に違いない。連続使用には限界があるだろう。
と思っていたのだが、彼は二本目のアンプルを取り出した。先ほどとは色が違う。信徒を次々に屠りながら近づいてくるリロイを眺めながら、頭部を折り、中身を飲み干した。
変化は、まず血管から始まる。
首筋や手首の裏など、皮膚の薄い場所で血管が膨張し、脈打ち始めた。特に顔面は、顕著だ。再生したばかりの左眼球は殆ど血溜まりのようだが、右目も毛細血管が破裂して真っ赤に染まり、血の涙がしたたり落ちている。鼻孔からも、止めどなく血が流れ出ていた。
そして筋繊維の膨張が、彼の祭服のボタンを引き千切る。カッシングは荒い呼吸を繰り返しながら、無造作に祭服を脱ぎ捨てた。
露わになった腕や肩にも、血管が浮き出ている。
こちらにまで、心臓の鼓動が聞こえてきそうなほどだ。
いったいあの薬の成分はなんなのか。
凄まじいブーストだが、恐らく最初の交戦のあとにも服用しているはずで、これは明らかに過剰摂取である。
「神の愛がこの身を満たす……」しかしカッシングは、恍惚と呟く。
そしてゆっくりと、歩き始めた。
頭上では鐘が鳴り響き、暗い空に重い音が吸い込まれていく。
膨張しすぎた筋肉のせいか、カッシングの肌が至るところで裂け、血を流し始めた。
リロイは中年女性の肩口に剣を振り下ろし、脇腹まで一気に引き裂く。斜めに分断されたふたつの身体が、折り重なった崩れ落ちた。
死角から接近していたひとりには、振り下ろした剣を身体ごと回転させ、胴を斜め上へと斬り上げる。同じく斜めに身体を断たれた若い男は仰向けに地面へ落ちたが、まだ生きていて両手をリロイへ伸ばしていた。
その顔面へ剣を突き立て、絶命させる。
「あんたの神さまとやらは、随分と小さいんだな」リロイは信徒の顔から剣を引き抜き、前のめりに飛びかかってきた細身の男を打ち落とした。背中から肩甲骨を叩き割り、肺と肋骨を切断して胸から抜ける。落下し、もがきながらその手を伸ばしてリロイの足を掴もうとする信徒に、リロイはブーツの踵を打ち下ろした。
「まあ、持ち運びには便利そうだが」
「――実に惜しい」
カッシングは、首もとにかけていた十字架のネックレスを手に取り、敬虔な表情で口づけた。「あなたに、ほんのわずかでも神に対する敬意があれば」
「よせよ」
リロイは、彼に先を続けさせなかった。背後から忍び寄っていた信徒を、振り返りざまの一撃で斬り伏せる。「おまえらを容赦なく踏み躙るから、〝天敵〟なんだろ」倒れた信徒の下顎を踏み砕き、正面から突進してきた女の喉笛を掴んだ。
指先が彼女の喉に食い込み、気道が圧迫される。
呼吸ができなくなった女は、リロイの腕を引き剥がそうとするが、びくともしない。
やがて指先は斜角筋を押し潰していき、脛骨に到達した。女はもがき苦しみ、暴れるが、リロイの腕力の前には為す術がない。
カッシングは、あの穏やかで柔和な笑みを浮かべた。
「〝魔王〟に神の愛を説き、改心させるのもまた信徒の務めなのです」
「愛を説くのもいいが――」
リロイは指先へさらに力を込め、女の頸動脈、腕神経叢ごと脛骨を握り潰す。彼女の口から血が逆流して吹き出し、身体が激しく痙攣した。「大事な信徒を助けてやろうと思わないのか」絶命した女を投げ捨て、突撃してくる太った男には素早い踏み込みから刺突を撃ち込んだ。
自ら、剣先に飛び込んだようなものだ。
一気に鍔元まで突き刺さった剣身は男の大胸筋を切断し、肋骨を砕きながら心臓を貫いた。
それでも即死しなかった男は、太い両手でリロイの腕を掴む。
動きを止めて、そこを別の信徒が――という算段だろう。
いや、そこまで彼らに思考能力は残っていない。単なる反射行動だ。それでも一心に攻めてくるため、結果的には足止めのような形になる。
すぐに壊れる形だが。
リロイは、男に剣を突き刺したまま跳ねた。
背後からはふたり、信徒が猛然と襲いかかってくる。
空中で身を捩り、男が突き刺さったままの剣をそのふたりへと叩きつけた。太った男の身体が、鉄鎚の如く彼らを頭上から押し潰す。
肉と骨が破壊される音は、鈍く重い。
太った男は、壮年の男と頭同士がぶつかり頭蓋が割れていた。薄い毛の間から、どろりとした脳髄を地面に吸わせている。壮年のほうは陥没し、鼻から脳漿を垂らしながらそれでも痙攣しつつ動こうとしていた。
もうひとり、初老の女は太った男の足に背中を蹴られ、背骨を損傷したようだ。地面に打ち据えられ、横転したあと、立ち上がろうとして下半身が動かずに手で地面を掴んでリロイヘ躙り寄ろうとする。
「こいつらには、神の愛は届かないのか?」リロイは壮年の男の後頭部に剣を刺し入れ、抉ってから引き抜いた。ぽっかりと開いた穴からは、潰された脳を確認できる。
「彼らは、神の愛に召されたのです」
カッシングは、胸の前で十字を切った。「人としての高みを目指し、前進しつづける。それを成し遂げた彼らにこそ、神は微笑まれるのですから」
「いや、こいつら失敗作だろ」
リロイは身も蓋もない。
躙り寄ってくる初老の女は、リロイへと手を伸ばした。命ぜられるがままに敵へ打撃を与えんとする動きだが、端から見ると助けを求めているようにしか思えない。
「そもそも何人かはおまえが殺してるんだが、それはどうなるんだ?」
「あなたは、神の愛を知らない!」
カッシングが、声を荒らげた。「神の愛を知り、それに触れればおのずとわかるのです! 人を超え、至高の座に近づき、神の深遠なる魂の一端を垣間見たとき、わかるのです!」
「声がでかい」
顔を顰めたリロイの手には、銃が握られている。
引き金を引きながら、歩を進めた。
立て続けに撃ち放たれた銃弾は、次々とカッシングの肉体に着弾する。
しかし、効果はない。
額に当たった弾丸は、皮膚は削ったものの前頭骨で弾き返された。二発目は喉に命中したが頸骨を破壊できず、頸動脈を傷つけながら皮膚を突き破って飛び出していく。
胸部に激突した二発は、大胸筋に深々と突き刺さったが、これを貫通することができなかった。そのエネルギーをすべて吸収され、停止してしまう。
脂肪の詰まった腹に撃ち込まれた残る二発も、同じだ。脂肪は貫いたものの、その奥の腹直筋に阻まれ内臓には到達できない。
なるほど、骨が鋼レベルにまで強度を増し、筋肉は衝撃吸収能力に秀でているというわけか。
銃撃が功を奏しなかったことに、カッシングは会心の笑みを見せた。
「どうです、これが神の愛です」
「どうですじゃねえよ」
リロイは特に失望した様子もなく、素早く銃を再装填したが、そのままふところにしまい込んだ。「馬鹿のひとつ覚えみたいに、連呼しやがって」
「あなたに説いているのですよ」
筋肉が増強し、膨張した血管が全身に浮かび上がり、裂けた皮膚から血を流しながらも、カッシングは聖職者の顔で言った。「あなたに知ってほしい。神の愛を」
「うるさい、黙れ」
リロイは、唾を足下に吐き捨てた。
「そんなもん、見たことも食ったこともねえよ」無造作に歩き、カッシングの間合いへ踏み込んでいく。「おまえ、さっき食ってたな。教えてくれよ、何味なんだ?」
「仕方ありませんね」
悠然とした態度で、カッシングはリロイと対峙する。「愛を込めて打ち倒してから、ゆっくりと説き伏せましょう」
「そうか、好きにしろ」
リロイは、にやりと笑う。「俺はただ、単なる暴力を振るうだけだ。おまえに話すことなんてなにもない」
そして一気に、地を蹴った。
カッシングは、動かない。
その場で、頭部を両腕でガードした。
どうやらスピードでリロイに及ばないことを理解した上で、致命傷を回避してのちに反撃する心づもりらしい。
筋力で猪突猛進かと思いきや、それなりに考えてはいるようだ。
リロイはそこへ、真正面から猛然と突進した。
身体ごと、剣の切っ先をカッシングの腹部に突き立てる。切っ先はやはり、腹直筋を突き破れない。
だが、カッシングはその場に踏み留まれず、リロイに押される形で大きく後退した。
筋肉の衝撃吸収性は驚くほどの性能だが、すべてのエネルギーをゼロにしてしまうわけではない。
その証拠に、カッシングが咳き込み、血を吐いた。
穏やかだった顔が、戦きに固まる。
リロイは深くめり込んでいた剣を引き抜き、身体ごと回転させながらカッシングの脇腹に刃を叩きつけた。
外腹斜筋は、弧を描いて激突してきた剣身を受け止める。
いや、受け止めきれない。
カッシングの身体が、くの字に折れ曲がった。
筋肉で増加した巨躯が、宙を舞う。
受け身すら取ることができずに地面へ叩きつけられた司祭は、二転、三転し、信徒の身体を自重で潰しながら停止した。
すぐさま身を起こすが、前のめりになり、嘔吐する。血の混じった吐瀉物を愕然と見つめ、カッシングはぶるりと巨躯を震わせた。
その視界に、リロイの靴先が映る。
ゆっくりと顔を上げた彼の顔には、恐怖があった。
リロイは笑う。
まさに、〝魔王〟の笑みだ。
「どうした、愛が足りなかったか」
言うや否や、垂直に剣を振り下ろした。
カッシングの頭部を直撃した斬撃は、鋼の如き頭蓋を打ち据える。
骨は、刃の切断から脳を守った。
しかし、打撃力を吸収できない。
カッシングは顔面から自分の吐瀉物に突っ込み、頭部が地面を爆砕させた。その衝撃に、巨躯が頭を支点に跳ね上がる。
目の前で逆立ち状態になったカッシングのその背中を、リロイの靴裏が蹴りつけた。
硬い背骨は、砕けない。
広背筋や僧帽筋が、その威力を吸収、分散させた。
それでも、彼の身体は吹っ飛んでいき、跳ね、教会の外壁に激突する。壁は爆ぜ割れ、教会全体を揺るがした。直上で、鐘が騒がしく鳴り響く。
カッシングは、舞い散る木片と土埃の中、這いずり出てきた。近づいてくるリロイを見る目は、怯えている。
「なかなか死なないな。そこは褒めてやる」
リロイは、頭に受けた衝撃で身体がまともに動かせないカッシングの、太い首に腕を回した。
そして一気に、締め上げる。
頸椎は折れず、しかし、気道が押し潰された。
胸鎖乳突筋、肩甲挙筋、斜角筋などの首の筋肉は、もちろんリロイの締め上げに対し抗う。
だが、単純に、リロイの腕力が勝っていた。
戦法や技術では、ない。
まさに、単なる暴力だ。
気管が完全に潰されて呼吸できないカッシングの顔は、みるみるうちに赤くなり、そして土気色へと変わっていく。空気を求めて大きく開いた口からは、紫色の舌が飛び出していた。
リロイはその顔を観察したあと、不意に彼の身体を放り出して解放する。
カッシングは喘ぎながら酸素を取り込み、四つん這いで、リロイから距離を取ろうとした。
「逃げちゃ駄目だろ」
リロイが鼻で笑うと、巨躯がピタリと止まり、愕然とした顔で振り返った。
逃げた、という意識はなく、生存本能が無意識に逃走を選択していたのだろう。
「神の愛を疑ったのか?」
リロイは、可笑しくて堪らない、といった様子で笑う。
絶句していたカッシングは、これも無意識に――いや、信仰心か――リロイに向き直った。
「違う」
彼の呟きは、なんとも弱々しい。気管を強く圧迫されたことで、声が潰れ、掠れていた。
「疑ったことなど、ない」
「じゃあ、こいよ」
リロイは、手招きする。「俺を説き伏せるんだろ? さあ、早く続きをしようぜ」
カッシングは、ふらふらと立ち上がった。傍目に見ても、戦意が大幅に減少している。
「いいぞ、頑張れ」
リロイは、カッシングにゆっくりと歩いて近づいていく。まるで、彼の中に生まれた恐怖心を煽るかのようだ。
実際、そうなのだろう。
心と身体の両方を、折るつもりなのだ。




