第三章 11
カッシングはリロイの間合いから逃げるのではなく、まっすぐに突っ込んできた。 リロイの胸板に肩から激突し、そのまま弾き飛ばそうとする。
リロイは、いままさに彼の頭部へ剣を叩きつけよう、という姿勢でこのタックルを受けた。カッシングの体重と加速度から考えれば、肋骨は折れ、内臓にダメージが入り、為す術もなく吹き飛ばされていただろう。
リロイはこれを、受け止めた。
身体は後方へ押し戻されたが、吹き飛ばされることなく踏ん張り、目の前にある司祭の背中へ剣を叩きつけるべく振り上げる。
その周囲へ、人が振ってきた。
聖堂の二階、三階にある回廊から、次々に信徒が飛び降りてくる。二階はともかく三階からだと、 足や腰の骨の折る音がそこかしこで響いた。
だが、それを意に介さず、彼らは襲いかかってくる。
リロイの頭上にも、人が振ってきた。
咄嗟に放ったのは、蹴りだ。
ブーツの靴裏が司祭の突き出た腹にめり込み、その身体を教会のドアに叩きつけた。すでに半壊していたドアはカッシングの巨体を受け止めきれず、外側へ弾け飛ぶ。
リロイは蹴りつけた反動で仰け反りながら、振り上げていた剣を半回転させ、下から上へと切り上げた。
鋭い刃が、急降下して襲いかかってきた信徒の股間と激突する。
撥ね上げた剣身は、止まらない。
自らの落下する勢いと相まって、その信徒の身体は中心線で下から上まで切断された。剣は胸部で少しずれて、肩口から飛び出していく。ふたつに分かれた胴体からは、内臓と血がぶちまけられた。
そこへ時間差で落ちてきた信徒は、血と濡れた内臓の上に着地し、足を滑らせる。顔面を床に打ちつけ、あるいは後頭部から激突し、首の骨が割れる音が連続した。
それでも彼らは、血と贓物に塗れながらリロイへ向かってくる。
その頭部を剣で叩き割ろうとしたリロイだったが、割れたドアから巨大な質量が飛び込んできた。
司祭カッシングは、猛然と突進してくる。
その身体は、先ほどよりも膨れ上がって見えた。祭服がはち切れんばかりだ。
先ほどと同様に、その重量と加速をもっとも効率的にリロイへ叩き込まんと、肩から突っ込んでくる。
途中、その足が、足が折れて立ち上がれないでいる信徒の腹を踏み破り、また別のひとりの頭を果実の如く粉砕した。
リロイは、それをじっと待ち受けたりはしない。
直撃を回避し、横手に回り込み、無防備な脇から背中にかけてを攻撃する――彼我の速度差を考えれば、容易な反撃だ。
しかし、その回避の一歩めが動かなかった。
まるで、酒場でカイルと対峙した傭兵たちが動けなくなったように。
それが果たしていかなる力によるものか。
力任せで、この拘束を打ち破れるのか。
迷えば、致命的な場面だった。
眼前には、巨大な質量が高速で迫っている。
本能は、逃走を選択するだろう。
リロイは、本能をねじ伏せた。
動かない、とわかった瞬間、低い姿勢で剣を腰だめにして待ち受ける。
凄まじい衝撃とともに、その手には、切っ先が脂肪を突き破り、筋肉を裂きつつ内臓へと到達する手応えが伝わってきた。
リロイの身体が、弾き飛ばされる。
さすがのリロイも、頭蓋の中にある脳髄までは筋肉でできていない。これほどの衝撃を喰らえば脳が一時的に麻痺し、意識が飛ぶ。
時間は、一秒にも満たない。
その一瞬、無防備なリロイへ襲いかかったのは――エルナだ。
意識を回復したリロイが目にしたのは、宙を舞う自分の身体に着地した彼女だった。
鼻孔を、甘い匂いが擽る。
彼女を認識した刹那――あるいはその直前、リロイの耳朶に響いたのは体内で自分の骨が砕ける音だった。
不可視の打撃がリロイを打ち据え、その身体を聖堂に並んでいた長椅子へと叩きつける。木製の椅子は文字通り木っ端微塵になり、床板もそのエネルギーを受け止められなかった
乾いた破裂音が聖堂に響き渡り、黒い姿は床下へと呑み込まれる。
舞い散る木片越しに、リロイの目は、信徒たちが群がってくるのを捉えていた。そしてその信徒の背後では、エルナが教会の壁を上へと駆け上っている。
リロイは寝転がったまま、飛びかかってくる信徒のひとりを横薙ぎにした。胴を撫で斬り、割れた腹から腸が飛び出す。血飛沫とともにそれを浴びながら、続くひとりの喉を掻っ捌く。頸動脈から勢いよく噴出する鮮血越しに、別のひとりへ撥ね上げた靴先をお見舞いした。硬い蹴りは、まだ若い男の股間を直撃し、尾骨、仙骨を破壊し、腰椎をも粉砕する。
蹴り上げられたその男の身体は、次々に押し寄せてくる信徒にぶつかるが、それを気にする者はいない。邪魔だとばかりに押し退け、払いのけ、彼らは殺到する。
リロイは起き上がる時間さえ惜しいとばかりに、それを斬り伏せていった。
頸部を切断した一振りを切り返し、続く信徒のこめかみに刃を食い込ませる。頭蓋を半分ほど断ち割ったところでそのまま突き出し、別のひとりの喉笛を刺し貫く。
若い女が、リロイの周囲にできた血溜まりを撥ね上げて着地した。両手を握り合わせ、それをハンマーの如く打ち下ろしてくる。
リロイは身体を横に回転させてこれを回避し、まだ信徒をふたり貫いたままの剣を叩きつけた。
剣身は女の頭頂部へと吸い込まれ、これを破壊する。剣に貫かれていたふたりの身体も放り出され、床板の縁に激突した。
まだ、襲いかかってくる。信徒の数は、想定していたよりも多いのか。
リロイは初老の男の顔面に拳を撃ち込み、頬骨を砕いた衝撃で眼球を飛び出させる。仰け反ったその身体が、別のひとりと絡み合い、転倒した。
開けた視界に飛び込んできたのは、信徒が五人ほどまとめてなだれ込んでくる眺めだ。
両手で握った剣を、一気に振り抜く。
ひとりめの胸部を横一文字に切り開き、断ち割られた心臓から噴出する血を浴びながらふたりめ、三人めの腹へと切り込んだ。
弾かれたように飛び出した赤黒い内臓が、視界を埋め尽くす。
四人めは腕を切り飛ばし、最後のひとりの顔面を斜めに切り裂いた。
床下は、血と内臓、そして死に損なった信徒で溢れかえる。
頭部からの信号が届く限り、彼らはリロイへの攻撃を止めようとはしない。血と贓物の海を這いずりながら、にじり寄ってきた。
すでに足を掴む者、腕に縋りつく者がいる。
それを足蹴にし、剣の柄で殴打するリロイの頭上、聖堂からは、まだまだ信徒が押し寄せていた。
だがそれを、なにかが薙ぎ払う。
聖堂が激しく震え、反響する轟きが血の海が波打たせた。
床に開いた穴から見えたのは、信徒の身体が吹き飛び、長椅子が粉砕され、床板が剥ぎ取られていく光景だ。
まるでなにかが爆発したかのようだが、火や熱は感じられない。降ってくるのは木片と、引き千切られた人間の一部だ。
そして、床下に残っていた信徒にとどめを刺すリロイに、頭上から手が差し伸べられた。
「酷い有様だな」
顔を顰めたのは、カイルだ。
リロイは血と体液に塗れた顔で、にやりと笑う。「いつものことだ」
床下から抜け出したリロイは、惨憺たる有様の聖堂を一瞥して「へえ」と感心したように声を上げた。
長椅子は大半が破壊されて破片となって転がり、床板は剥がれ、壁には大量の血がべったりと付着している。
辺り一面には、信徒の屍が転がっていた。
いずれも強い力で引き裂かれたようで、原形を留めているものはひとつもない。
「司祭はどうなった?」
「逃げた」カイルは言葉少なに言ったが、すぐに首を横に振った。「いや、一時撤退して、こちらの様子をうかがっているはずだ」
「どうしてわかる?」
リロイは、なぜか無事な祭壇に近づき、そこの机にかけられていた祭壇布を無造作に手に取った。そして、顔に着いた血糊を大雑把に拭い取る。その様を見ていたカイルは、一瞬、なにかを言いかけたが、思い直してその言葉は呑み込んだようだ。リロイの疑問に、応える。
「――ウイルヘルム派の〝超人思想〟に、逃亡の二文字はない」
神の高みに至るために肉体を改造し、精神を増強させる彼らにとって、戦いは神の試練というわけか。
意外に、リロイと気が合いそうだ。
「なら、引きずり出そう」
リロイは、血で汚れた祭壇布を放り投げると、机の中を漁り始めた。
「なにをする気だ」
訊いてはみたものの、予感はあったのだろう。それを紛らわすためか、ふところから煙草を取り出そうとするが、指先がうまく煙草を取り出せない。取り落とし、剥がれた床板の上に落としてしまう。
リロイは机の引き出しから、マッチを探し当てていた。
「探すまでもなかったろうに」落ちた煙草を拾いながら、カイルが言った。「ここにある」
煙草を口に咥えながら、マッチの箱を振ってみせる。
「いいのか?」
リロイが訊くと、カイルは少し鼻白んだ。「なにがだ」
「いや」
リロイは言葉短に応えると、祭壇周りの可燃物をかき集めてそれにマッチで火をつけ始めた。
カイルはそれに背を向けて、煙草に火をつける。
火の勢いを増そうと、聖油として使われる香油を振りかけながら、リロイはカイルの背中に言った。
「まだ迷ってるな」
カイルの肩が、わずかに震えた。
しかし、返ってきた声にその動揺は見られない。
「どうしてそう思う」
「あんたが、あのふたりにそうそう後れを取るとは思えないからだ」
人心の機微には疎いが、こと戦闘に関しては異常に鋭い。
カイルは幾分、恥じ入った様子でもあったが、紫煙越しに自分の掌に視線を落とした。
「そんなつもりはなかったんだが」
それはリロイに対しての言い訳というよりは、独り言のように聞こえた。
リロイは祭壇近くに落ちていた本を手に取ると、無造作にページを破り始める。それをくしゃくしゃに丸めて、付き始めた火の中に放り込んだ。
「じゃあ、次はちゃんとやれよ」
リロイは火がついた布を一枚、手に取り、砕けた長椅子の上に放り投げた。
白煙が、上がり始める。
しかしリロイの目は、もはや炎ではなく、教会の壊れたドアのほうへ向けられていた。
カイルはもとより、そちらを向いている。煙草の煙を吸いながら、そこに仁王立ちする司祭カッシングを見つめていた。
彼の穏やかだった顔から柔和な笑みは消え、怒りのあまりか、顔には血管が浮かび上がっている。
「神の家に火を放つとは、なんという冒涜か」
「いや、ちょっと肌寒かったんだよ」
リロイは悪戯が見つかった子どものように、髪を掻いた。固まりかけの返り血が、ぼろぼろと落ちる。「まあ、そうカッカするなよ。おまえらのところじゃ、強いやつが偉いんだろ?」リロイはまた燃える布を掴み、ぞんざいに放り投げる。「じゃあ、おまえより俺のほうが偉いんじゃないのか? 頭を下げたらどうだ?」
「――その不遜な言いよう、〝天敵〟を思い出す」
こちらまで音が聞こえてきそうなほど強く、カッシングは歯を噛み鳴らした。「不遜、不敵、不信心。まさに〝魔王〟よな」
「新しい二つ名をありがとよ」
リロイは剣を引き抜きながら、進み出る。
カイルとすれ違うときに、彼の肩を軽く叩いた。
「あっちは任せた」
カイルは白い煙を吐き出しながら、視線を上に向けた。エルナは聖堂の壁にへばりついて、こちらを見下ろしている。
「できれば、ひとりは生け捕りにしたい」カイルは不意に、そう言った。「いろいろ訊きたいことがあるんだ」
「じゃあ、そっちで頑張ってくれ」
リロイは剣の切っ先で、筋肉で膨れ上がったカッシングを差した。「俺は手加減が苦手なんだ」
「だろうな」
カイルの硬い表情が、少しだけ緩んだ。
リロイが近づいてくるのを確認したカッシングは、身をひるがえす。逃げたわけではなく、外に誘い出す気だろう。
リロイは速度を変えずに、進んだ。
壊れて倒れている扉を踏み越えて外に出ると、そこにはカッシングと――信徒たちがいた。
その中には、あの店主もいる。リロイもそれを視認したはずだが、「これは教会だけじゃなくて、村ごと壊滅だな」と、苦笑いする。
「笑い事か」
私が呟くと、リロイの苦笑いは純粋な笑み――口の端を吊り上げた、禍々しいものへと変わる。
「笑うさ」信徒の中心でふんぞり返っている司祭を睨めつけ、リロイは言葉を吐き捨てる。「こんな糞みたいな話、笑わないでどうするんだよ」
とはいえ、事実としてこの男が壊滅させた村や町はどのぐらいあるのだろうか。
リロイが、というよりも、リロイという存在に攻撃を仕掛ける場合、それほどのエネルギーが必要になる、ということなのだが、その事実を受け止めてもなお揺るがぬ心根には正直、感心する。
そしてその切っ先も、揺るがない。
「さあ、我らが〝天敵〟を葬るのです」
カッシングが、信徒に命令を下した。
信徒全員の視線が、リロイを捉える。背後で燃え盛る炎に照らされたリロイは、彼らが正気であればまさしく悪魔に映ったかもしれない。
しかし、そんな人間的情動は、もはや彼らにはなかった。
ためらうことなく、押し寄せてくる。
リロイも、前進した。
信徒の視界から、リロイが消える。
そしてその情報が視神経を伝達して脳に届くより速く、リロイの姿が彼らの視界にふたたび現れた。
轟、と風が鳴る。
疾風から、旋風へ。
信徒たちのど真ん中へ飛び込んだリロイは、剣で横薙ぎに弧を描いた。
剣身の軌跡で骨の断ち切られる音、肉の千切れる響きが連続し、鮮血が宙に噴き出して彼らの身体を弾き飛ばす。リロイを中心にして円形の空間が開け、そこへ信徒は、倒れた仲間の身体を踏み躙りながらなだれ込んだ。
リロイは、カッシングへと向かっている。正面に現れたひとりへは、走りながら刺突で喉を抉った。縦に入った剣身を、素早く横へ倒す。傷口が大きく開き、男の口から苦鳴が迸った。首は半分以上切断され、重みに耐え切れず頭が横へ傾いていく。
リロイは彼の頭髪を掴むと、一気に引き千切った。
残った胴体は蹴りつけ、横手から飛びかかってきた女へぶつける。
握った頭は、挑発とばかりにカッシングヘ投擲した。
カッシングは、これを拳で迎え撃つ。凄まじい速度で、砲弾の如く放たれた頭部に、右の拳を撃ち込んだ。
音は、硬く乾いていた。
粉微塵に粉砕された頭は、血煙になって広がる。割れた頭蓋の破片は信徒たちの肌に突き刺さったが、気にする者はいない。
リロイは、その結果を見てはいなかった。
飛びかかってきた相手の首を空中で斬り飛ばし、同時に突っ込んできていた壮年の男には拳を放つ。左胸を直撃した一打は肋骨をまとめてへし折り、そのまま折れた骨を肺へ深く突き刺した。
拳がまるごと胸にもぐり込むほどの打撃だ。
彼の身体は吹っ飛んでいき、近くにいた老人と激突する。複数の骨がまとめて砕け、内臓が押し潰される鈍い響きは他の数人を巻き込みながら転がっていった。
背後から伸びてきた女の手は、リロイの肩に触れる否やのところで空を掴んだ。
リロイは身を屈めてその指先を躱すと同時に、前方からのひとりへ低い位置から剣先を撥ね上げている。
切っ先は男の腹に突き刺さると、垂直に駆け上がった。
腹部を切り開き、胸骨を砕く。
リロイは、そこでさらに踏み込んだ。
剣身は首の付け根から突き進み、第四、五、六の頸椎を破壊する。その手応えを確認すると素早く引き抜き、身をひるがえしながら後ろへと斬撃を叩きつけた。
掴みかかろうとして躱された女の、まだ伸ばしたままの腕を二本まとめて切断する。そして切り返した刃で、女の顔面を斜めに断ち割った。顔を失った女は蹈鞴を踏み、そのまま横転して脳髄を地面にぶちまける。
それを踏み潰しながら、リロイは宙にあった女の手を掴んだ。
突っ込んでくる太った男へは、剣を叩きつける。頭頂部から顎下までを一気に斬り下げ、地面に叩きつけた。
そして横手から駆け寄ってきた中年の男へ、握っていた女の手を突き出していく。
彼の口に、女の手の切断面がねじ込まれた。
切り落とされた腕の骨は、鋭利な刃物と化している。
それは口蓋の奥を貫き、延髄へ到達してこれを押し潰した。
女の腕は引き抜かずそのまま突き放し、踵を軸にして回転すると、低い軌道の蹴りで肉薄してきた信徒の足を払う。
脛骨と腓骨を砕かれ、すくい上げられて宙を舞うその頬を、リロイの拳が下から襲った。重い一撃に顔面が陥没し、首の骨が衝撃を受け止められずに爆ぜ割れる。
リロイはさらに浮かび上がったその男の力を失った足を掴み、力任せに振り回した。
数人が、人間棍棒に打ち倒される。
倒れた信徒は喉を踏み抜き、顎を蹴り潰し、口の中に踵を落として前歯を砕いた。
背後では教会が、何度も大きく揺らいでいる。
エネルギーの激突が空気を膨張させ、内側から聖堂を打ち据えていた。天井付近に嵌めていたステンドグラスが割れ、リロイがつけた火を照り返し、煌めきながら降ってくる。
鐘楼の鐘が、この震動で鳴り響いていた。




