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第三章 10

 カイルの言っていたとおり、その寂れた農村に到着したのは黄昏時だった。


 もう農作業を終えたのか、人影はまばらだ。

 それでも、リロイたちと擦れ違った村人たちは、遠慮なくじろじろと舐めるように観察してきた。


 ここは、大の男ふたりが立ち寄るような場所ではない。

もう少し先に行けば、小さいながらも宿や酒場などが完備された宿場町もある。


 なぜここに? とは村人だけでなく、馬車を下りるときの他の乗客や御者もそう思っているのが顔に表れていた。

 農村にあるのは畑と牛舎、そしてまばらに立ち並ぶ家と、教会だ。

 中心部は広場になっていて、わずかながら店もある。


「これは目立ちすぎるな」


 リロイは言わずもがなのことを言って、首を傾げた。「夜まで待つ必要があるのか」


「どうかな」


 カイルは煙草を口に咥えると、火をつけて深々と吸い込んだ。「この村全体が、おそらくはひとり残らずウイルヘルム派の信徒だ」彼は、相貌を細めて村の景色を眺めた。瞳に浮かぶのは――痛みだろうか。そこにはどこか、忸怩たる思いすら感じさせた。

「我々がなんの目的でこの村を訪れたのか、わかってはいないと思う」


 言外に、まさかいきなり壊滅させに来るとは思っていないだろう、と自分たちの暴力性を強調しているようでもあった。


「だが、警戒はしている。様子を見よう」

「まだるっこしいな」


 リロイは、カイルの提案に不満を表明する。「もうこの足で潰しに行くのは駄目なのか」


「駄目だ」


 カイルは、きっぱりと言い切った。


「改めて言っておくが、この教会を潰すということは、司祭のふたりを潰す、ということだと認識してくれ。信徒を全滅させても、司祭のふたりに逃げられては意味がない」


「組織の頭を潰すのは常套手段だが」リロイは、カイルの横顔に目を向けた。「構成員を絶滅させても無意味なのはどうしてだ」

「無限に、増やせるからだ」


 カイルはそう言ったあと、煙草を吸い込んでから「いや、増えてしまう、といったほうが正確か」と訂正する。

 リロイは、眉根を寄せた。


「なんだよ、ウィルヘルム派の信徒はどこからか生えてくるのか」

「あれは、失敗作なんだ」


 苦い者を含んだ口調で、カイルは言った。「人体実験の、成れの果てだよ」


「カルトじゃなかったのか?」


 宗教とは無縁に思える単語に困惑するリロイに、カイルは笑みを見せた。

 口の端が引きつったような、シニカルな笑みだ。


「まさにカルトさ」


 おまえはウィルヘルム派の教義を知らないだろう、と彼は、歩きながら説明する。


 彼らの教義とは、〝超人思想(ツァラトゥストラ)〟だ。


 神を崇め、奉るのではない。

 神という完全なる個、完全なる概念へ、一歩でも近づくために己を研鑽し超人の座へ至る、それが〝超人思想〟である、と。


「その為に、人類が獲得した禁断の果実を使うのは、実に自然な流れだった」


 薬物と外科手術により人体を神に近づける試みは、陰惨を極めたという。

その思想と秘技は、クライスト教団に偽装しながら脈々と受け継がれてきた。そうしてやがて、千年の時間と無数の屍の上に〝超人思想〟はひとつの結実に至る。


「〝ヒルン〟と〝クラフト〟だ」


 人間の能力を飛躍的に向上することに成功した、彼らだ。

 非人間的にまで運動能力を高めた者を〝クラフト〟、人知を超えた超常能力を操る者を〝ヒルン〟と呼ぶ。


「それでも、術式と秘薬に耐えられる者は百人にひとりもいない。大抵は死ぬか、廃人だ」


 だがその中に、人間としての自意識を半ば失いつつも、生きながらえる者がいるという。


「それが信徒だ」


 カイル曰く、彼らはある程度の日常生活は問題なく送れるし、薬物を使って単純な命令に従わせることもできるらしい。

 そしてリロイたちが嫌というほど味わったように、非常に頑強な肉体と高い生命力を持ち合わせている。


「つまり、失敗作をいくら潰したところで痛くも痒くもないが、成功例のほうは手痛いってことか」

「そういうことだな」


 カイルは村の中心部にある、明かりのついた一件の店を指さした。「あそこに入ろう」 すでに内定を済ませている彼の言葉に、リロイは素直に従う。

 小さな、酒場だ。

 十人も入れば一杯になるが、この村ならそれで十分なのだろう。先客はいない。農作業のあとに一杯、とはならなかったようだ。


「ビールをふたつ頼む」


 席に着き、カイルが注文すると、店主の老人は頷いて用意し始めた。その様子は、無愛想だがとりたてておかしいところはない。


「会話はできるのか」

「日常会話ぐらいならな」


 カイルは灰皿の上で煙草を揉み消すと、ビールを運んできた老人に話しかけた。「今日は随分と空いてるんだな」


「へえ」


 店主はそう応じたあと、少し間を置いて「昨日は盛況だったんですがね。連日ときては、女房に叱られるんでしょうさ」そう付け加えて、小さく笑った。

 カイルが適当に料理を持ってきてくれ、と頼むと、彼は厨房で支度を始める。その様子を見ていたリロイは、しばし考えたあと、言った。


「元に戻せるのか」

「無理だ」


 カイルは即答した。それから、続ける。「あの店主が、あのまま天寿を全うすることはできる。ただし、薬剤を投与されて〝鉄砲玉〟になった場合、そこからの回復はほぼ不可能だ」


「さすが、女王直々に雇われるだけあって詳しいな」


 リロイは素直に感心していたが、カイルの新しい煙草を取り出す指先がわずかに震えた。

 リロイは気にせず、ビールを呑む。 

 カイルも煙草を口に咥えると、火をつけ、煙を吸い込んだ。手元のビールには口をつけていない。


「おまえ、もしかして下戸か」


 リロイがその点を指摘すると、カイルはゆっくりと煙を吐き出したあと、減っていないジョッキを指さした。


「なにが入ってるかわからないものを、よくもそう簡単に飲めるもんだな」


 そう言われたリロイは、思わず咳き込んだ。

 この男の身体は極端に毒が効きづらく、解毒作用も強い。だからといって、なにか得体の知れないものを混入された飲み物を飲みたいかどうかといえば、まあ飲みたくはないだろう。


「安心しろ」


 少し溜飲が下がったような顔で、カイルは言った。「目立たないように潜伏する彼らが、不特定多数を毒殺などするわけがない」


「じゃあ、なんなんだよ」


 不服そうなリロイの顔を見て、カイルは少しだけ晴れやかな顔になった。


「一緒に仕事をする人間の間抜けで、足を引っ張られたくないからな」


 どうやら彼も、やられたらやり返すタイプの人間らしい。

 自分はもっと手ひどいことで試したのだから、これにはさすがのリロイもぐうの音も出ない。


 むすっとした顔で自分のジョッキを呑み干すと、カイルのジョッキを奪い取り、無言で喉へ流し込んだ。改めて酒が呑めるのか呑めないのかを確認しないあたりが、些細な抵抗か。

 その子どものような反応に、カイルが小さく吹き出した。


「随分と、仲がよろしいのですな」


 料理を運んできた店主が、ほんの少し顔を綻ばせていた。「どこかへ旅行中でしたか」「実は、ここの教会に知人がいてね」

 カイルが、すかさず言った。「司祭さまをご存知かな」


「ええ、もちろんです」


 店主は肉料理やスープなどをテーブルに並べながら、老人は頷いた。「ファーザーは長くこの地にて奉仕していただいておりますし、新しく赴任されたマザーはお若くていらっしゃいますが非常に熱心でございますよ」

「評判がよくて嬉しいよ」


 カイルは、如才なく受け答えする。「俺はマザー・エルナの親戚でね。彼女の母親に様子を見てきてくれと頼まれていたんだ」


 そこでリロイを指差し、「こいつは馴染みの護衛でね。いいやつだから、行儀が悪いのは勘弁してやってくれ」と笑う。

 老人は、控え目な愛想笑いで応えた。


 リロイは異論がありそうだったが、口を開いて言葉を発するのではなくアルコールを摂取するほうを選んだ。

 ふたりは出された料理を平らげ、リロイはジョッキに五杯ほどビールを胃に収めると、立ち上がる。


「美味かった」


 そう言ったのは、リロイだ。「また食いにくるよ」


「ありがとうございます」


 店主は、深々と頭を下げる。

 店を出て、食後の一本に火をつけていたカイルは、そのやりとりを耳にしてどうすればいいか迷うように固まっていた。

 それはそうだろう。

 この後の展開次第では――いや、どちらにせよ、ここで食事することなどもう二度とないはずだ。


 だが、リロイは本気である。


 すべてが終わり、この店がやっていれば飲み食いして帰るつもりだし、そうでなければそれだけのことなのだ。

 この辺は、なかなか余人には理解しがたいところだろう。

 なんと言うべきかわからなかったのか、カイルはそのまま先だって教会の道を進む。


 そう、あまり深く考えないほうがいい。


 理解できない、という感情は、人間には大きな負担だ。

 気にするだけ無駄、ともいう。

 その店から教会までは、歩いて五分もかからない。

 カイルはその途上で足を止め、木陰に身を隠し、煙草を吸いながらなにかを待つように佇んでいた。


「なんだ?」

「動きがないか、待ってるんだ」


 カイルは、実に慎重な男だった。

 その目は、もう窓から漏れ出る光だけになった酒場をしきりに気にしている。

 あの老店主が、司祭について語ったふたり組に対してどう反応するのか、見定めようとしているのだろう。


「探偵ってのは、回りくどいやり方をするんだな」


別に非難しているわけではなく、どちらかというとそんな面倒くさい仕事は無理だ、とリロイの声色は語っていた。

 カイルはリロイを横目にし、ふと、表情を和らげる。


「傭兵稼業はそんなに単純明快か」

「傭兵はまあ、いろんなやつがいるけどな」リロイはふと、郷愁のようなものを瞳に浮かべたが、それはすぐさま黒に呑み込まれていく。「俺は単純明快が好きなだけだ」

「最終的にすべきことは、実に単純なんだがな」


 カイルは自嘲的に言って、吸い終わった煙草の吸い殻を携帯灰皿の中に押し込んだ。

 酒場に動きはない。

 まだ日が沈んでそれほど経っていないが、村中が静まりかえっていた。


「行くか」


 カイルが、木立から出る。空は澄み渡り、雲がない。このまま夜が更けるのを待ったとしても、月光が降りそそぐ明るい夜は奇襲に向かないだろう。

 もともと、そのつもりもないだろうが。

舗装もされていない幅の狭い道を、ふたりは進む。


「待ち伏せもあり得るな」


 カイルが、呟く。「王都での襲撃に失敗した情報が届いていたら、なにかしらの報復措置に備えているかもしれん」

「どちらにしろ、最優先に司祭をやればいいんだろ」


 リロイはそう言ったあと、なにかに気がついたらしい。


「司祭ってどう見分けるんだ」


 慌てて確認するが、すぐに「全員、やっちまえばいいのか」と自己完結してしまう。カイルは少し天を仰ぎ、歩みを止めた。


「司祭は、立て襟の祭服(キヤソツク)を着てる。色はおまえと同じ黒だ」


 立て襟の感じやボタンの位置などを、身振り手振りでカイルは教える。さすがに標的の話となると、リロイでも真面目に聞くようだ。


「あの教会に、司祭はふたり――ファーザー・カッシングとマザー・エルナだ」ウィルヘルム派では、司祭の服装に男女の別はないらしい。ふたりの詳細な風貌を確認し、リロイとカイルはふたたび歩を進めた。


 古い、教会だ。

 それなりに修繕はされているが、年季の入った外観はお世辞にも立派とはいいがたい。 外から見る限り、一階部分が聖堂になっていてミサなどを執り行い、一階の奥や二階、三階に居住スペースなどが設けられているタイプだ。

 村人全員が入れるスペースはありそうだが、そもそも村人の数がそれほど多くない。


「ふたりじゃないな」


 外から様子をうかがっていたリロイが、言った。「十人以上、人の気配がする。息を潜めているようだが、大半は素人で気配が隠せてない」


「やはり待ち伏せか」


 カイルは少し、落胆したようだった。

 できれば、被害を最小限に留めたかったのだろうか。   

 リロイはすでに、教会の正面から殴り込むつもりだ。カイルはそれを押し留め、自らがドアを叩く。

 二度、三度、と叩いてみるが、すぐには返事が返ってこない。

 やがて、ドアの鍵を開ける小さな音がした。


「夜分遅くに、申し訳ない」ドアがわずかに開いたところで、先にカイルが、そう声をかけた。「旅の者ですが、道に迷ってしまいました。どうもこの村には宿がないらしいので、もし可能であればここに泊めさせて頂くわけには参りませんか」

「まあ」


涼やかな声とともに、ドアが大きく開かれる。顔を出したのは、若い女だ。リロイと同年代だろうか。夕焼け色の瞳が、非常に印象的だ。

 ドアの隙間から、彼女が祭服を着ていることが確認できた。

 カイルから聞いた人物像と一致する。

この女が、マザー・エルナだろう。


「それは災難でしたね。どうぞ、お入りください」


 ドアは大きく開かれ、エルナは特に疑うこともなくふたりを招き入れる。彼女の側を通ると、甘い花の香りがした。後ろでひとつに結んだ、琥珀色の髪から漂ってくる。

 先に足を踏み入れたのは、リロイだ。


 素早く辺りを一瞥する。


 やはり一階は聖堂になっていて、中央を挟んで左右に長椅子が並べられ、正面には祭壇があった。

 隠れられるとすれば祭壇の奥か、上階だろう。


「ありがとうございます、マザー」


 カイルは礼を言って、リロイに続く。


「なにか食べるものをご用意しましょうか? たいしたものはございませんが」

「いえ、食事は済ませましたので。お心遣い、感謝します」


 リロイは、カイルとエルナの会話を聞きながら周囲を警戒していたが、不意に視線を司祭へ向けた。

 なにがあったのかは、私にもわからない。

 私にわかったことといえば、突然リロイが、エルナに興味を示したということだけだ。


「あんたは最近ここに赴任してきたって聞いたが、以前はどこに住んでたんだ」

「アルヴヘイムです」


リロイの粗野な口の利き方にも、エルナは穏やかな表情を崩さない。

 アルヴヘイム共和国とは、大陸北部の広い地域にまたがる大国だ。その大半が山岳地帯で、鉱物資源の豊かな国である。蒸気機関の発達もめざましく、大陸を縦断する鉄道網の建設においてヴァルハラと並び、技術面、資源の両方で大きな役を果たした。


「訪れたことはおありですか?」

「何度かな」


 リロイが頷くと、エルナは嬉しそうに口もとを綻ばせた。


「素敵なところでしょう? 南の人には寒すぎるらしいですが」


 リロイはにこりともせずに、肩を竦める。「寒いのは平気だ」そして少しだけ、頬を緩めた。「とにかく、酒がうまかったな」

 アルヴヘイムは寒冷地なので、身体を温めるためのアルコールは必需品だ。


「あんたはいける口かい?」

「嗜む程度ですが」


 言ってから、彼女は指先で口もとを隠した。「いまのはご内密に」

「教会は駄目なのか」

「さすがに、ここでの飲酒は禁じられています」


 彼女は、指先をくるりと回してから、少し悪戯っぽい笑みを唇に浮かべた。


「ですが、もしご所望なら――」

「いけませんよ、マザー・エルナ」


 声は、祭壇のほうからだ。

 祭壇の奥には、その先に続くドアがある。それを開けて出てきたのは、エルナと同じ祭服を着た壮年の男だ。恰幅がよく、浮かべた微笑みも柔和で、いかにも聖職者然としている。


 エルナは慌てて、頭を下げた。「申し訳ありません、ファーザー」

「とはいえ」


 歩み寄りながら、彼は言った。「長旅に疲れた旅人を癒やすのもまた、我々の責務であるかもしれません」

 そう言って彼は、優しくエルナの肩を叩いた。

 そして、リロイとカイルに向けて、一礼する。


「カッシングと申します。ようこそ、神の家へ」


彼はそのまま進み、教会のドアに鍵をかけた。それは、単なる戸締まりだろうか。

 振り返った司祭はドアを背に、柔和な笑みを崩さずに言った。


「あなた方は、神を信じますか?」

「いいや」


 リロイは即答した。

 そして即答した瞬間には、抜き放った剣をカッシングの心臓に突き込んでいる。

 切っ先は、彼の肉体を貫通して背中から飛び出し、そのままドアの木材に食い込んだ。ドアが衝撃に撓み、蝶番が弾け飛び、壁が震える。


 エルナは、宙を飛んでいた。


 凄まじい跳躍力だ。

 リロイの剣がカッシングを貫いた瞬間には、教会の二階部分の壁まで飛び、そこにやもりの如く四肢でへばりついていた。


「ファーザー!」


 彼女の喉が、咆吼する。

 リロイは、先手の一撃でカッシングが息絶えるとは考えていなかった。

失敗作の信徒でさえ、驚くべき耐久性を示したのだ。


 すぐさま剣を引き抜き、司祭の頭頂部へと追撃は弧を描く。

 足下の床が、弾けた。

 踏み込んだカッシングの足が、その凄まじさで床材をへし折ったのだ。




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