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第三章 8


 王都の中心部に(そび)え立つ王城は、大陸随一の美しさを誇っていた。


 流線型を多用した優美なデザインが特徴で、多くの尖塔とそれを繋ぐ空中回廊が迷路のように交錯している。

 ひとつの回廊に、ひとつの小規模な庭園があるのも、城としては珍しい。

 その美麗な白い外観から、白亜の庭園城とも呼ばれていた。


 十数年前、ここで起こった血腥い事件の痕跡は、もはやない。


 リロイは、近衛騎士に連れられて巨大な門をくぐった。

 見上げれば、頭上高くに張り巡らされた回廊と庭園の美しくも圧倒的な威容がのしかかってくる。

 リロイはその光景に、眉根を寄せた。

心の裡で、あの女みたいだ、とでも呟いているのだろう。


「いま、よからぬことを考えたでしょう」 


 不意に、振り返ったギニースがそんなことを言った。


 リロイはぎょっとした顔で、慌てて首を横に振る。「よからぬってほどじゃない」

「ほど、かどうかを決めるのはあなたじゃないのよ」


要所要所で釘を刺すのを忘れないのは、さすがだ。

 刺さっていることをすぐに忘れるリロイの性質を、よく理解している。

 彼女たちがリロイを連れて行くのは、謁見の間ではない。謁見の間は、正門から入ってまっすぐ先にあるのだが、彼女たちはすぐに別の尖塔を登り始めた。

 おそらくは、私室に連れて行かれるのだろう。


 以前、マリーナ絡みの事件で呼ばれたときも、そうだった。


 ということは、公式ではないということだ。

 リロイの顔が、いよいよ渋くなっていく。

 どんな無理難題を押しつけられるか、わかったものではないからだ。


とはいえ、いくつかの回廊と尖塔を経由してその部屋の前に辿り着くと、もう観念するしかない。

 ドアの両脇に立つのは、ブリジンガーメンだ。


「リロイ・シュヴァルツァーを連れてきたわ」

「ご苦労」


 その騎士はちらりとリロイを一瞥し、「武器はすべて、こちらに預けるように」と手を差し出してきた。

 リロイは特に、逆らわない。

 腰の剣を外し、ふところからは銃を引き抜く。


「一応、確認させてもらうよ」


 剣と銃を受け取ったのとは別の騎士が、リロイの全身を軽く叩いて隠し武器の有無を確かめる。傭兵などの危険な仕事を生業とする者は、少なくとも三つから四つ以上の武器を携行することが多い。

 銃は高価なので持っている者はそう多くはないが、例えば先ほどの傭兵も戦斧、手斧、短剣を所持していた。

 リロイは、剣と銃だけだ。

 これはそもそも剣――私が、刃毀れせず、切れ味も鈍らないから、代わりが必要ないというのが大きいだろう。


 だがそれ以上に、この男の肉体そのものが武器なのだ。

〝闇の種族〟でも、下級眷属なら普通に撲殺するような人間を武装解除したとして、なんの意味があるのか、とは思うものの、これも職務か。

 騎士は確認が終わると、女王の私室にしては簡素な扉を叩いた。


「陛下」

「入れ」


 やりとりは短い。

 扉は、内側から開いた。

 室内に待機していたブリジンガーメンが扉を開き、リロイたちを招き入れる。

 女王の私室は、尖塔のワンフロアを丸々使ってはいるが、それほど大きくもなく、また華美でもない。質素倹約を旨としている、わけでもない。


 ただ単に、自も含めてその周囲を飾り立てることに興味がないだけだ。


 部屋の一番奥、簡素のデスクの向こうに彼女は座っていた。

 彼女の背後は巨大なガラス窓が、背景を切り取っている。そこからは、王都の南部が広範囲にわたって望めた。


「よく来たな」


 ヴァナード王国を治める女王フレイヤは、鷹揚に頷いた。

 年の頃は三十代後半で、即位して十五年ほどになる。


 私は、まだ彼女が即位する以前の王女時代を目にしたことがあるが、その頃からその美しさは国の内外に知れ渡っていた。

 そして、今も美しい。

 為政者としての十五年は、彼女の美貌に義務や責任による重圧を与えたが、それは美を損なわなかった。むしろ厳格さや品位が、より気高さをその面に加えている。

 彼女は形のよい、意志の強さを秘めた唇をほんの少し綻ばせた。


「随分と面構えが変わったが、息災だったか?」

「そく――なんだって?」


 リロイがそう聞き返した途端、すぐ側に控えていたギニースが、黒い背中を殴った。

 拳でではない。

 どこから取り出したのか、彼女が握っているのは小さな鎚矛(メイス)だ。

 確かに、肘でちょっと突いたぐらいではリロイに効かないが、まさか鈍器でとは。


「元気だったか、とお聞きになってるのよ」


 なにごともなかったように、ギニースは囁く。

 リロイはちらりと彼女が握った鎚矛に視線を落としたあと、「まあ、元気だったよ」と答えた。

 これに一瞬、ギニースの鎚矛が動いたが、暴力には至らない。

 口の利き方そのものは、諦めることにしたようだ。


「また、マリーナを助けてくれたそうだな」


 フレイヤは、ギニースの鎚矛には触れないつもりらしい。


「礼を言う」 


 そして彼女は、部屋の端にいたジュストコールを来た男に合図した。

 彼はすぐさま、隣室に続くドアを開く。

 現れたのは、マリーナだ。今日は、それほど派手ではないが青色のドレスを着用している。思っていた以上に品があり、可憐な雰囲気をまとっていた。

 そういう姿を見ると、彼女はやはり王族なのだと納得もする。


「彼女からも直接、礼が言いたいそうでな」


 マリーナはゆっくりとリロイの前に進み出ると、ドレスの裾をそっと持ち上げ、優雅に一礼した。


「昨日は本当にありがとうございました」

「見違えたな」


 リロイは目を細めて、マリーナを見下ろす。彼女は照れたようにはにかみ、それからふと真顔でリロイの顔に手を伸ばした。

 リロイの肉体は負傷した箇所を凄まじい速度で修復するが、時折、傷跡が残る場合がある。潰れた右目の傷もそうだし、その上を走る、熱線による火傷もそうだ。


「痛みがあるんじゃないですか?」

「痛くはない」

 リロイは戯けた仕草で、肩を竦めた。「ちょっと視界不良なだけだ」


「王女を助けたということで、勲章やら報償やらを用意したのだが」


 フレイヤが立ち上がる。ブラウスとパンツ姿なのは、やはりこの場が公式ではないことの表れだ。

 彼女は、デスクの上に並べられた物品の数々に指先で触れながら、言った。


「これ、いるか?」


 これにはさすがのリロイも、「はあ?」と胡乱げな声を出してしまい、尻に鎚矛を喰らう。

 貰うつもりなどなかったとはいえ、向こうから「いらないよな」と言われたらさすがに腹立たしいものだ。


「まあ――いらないけど」


 打たれた尻を摩りながら、リロイは不承不承、頷く。

フレイヤは、にやりと笑う。

リロイも同じような笑い方をするときがあるが、まるで違う。


彼女の笑みには、毒は勿論あるのだが、それ以上に愛嬌があった。


 傲然として横暴な彼女が、我が儘な少女のように見える一瞬でもある。それは人に不快を与えず、惹きつけた。

 リロイは、わかっている。

 これは彼女がろくでもないことを考えている証であり、そしてそれから自分が逃れられないことを。


「ひとつ、おまえに依頼がある」


 彼女はデスクを回り込み、再び椅子に腰掛けた。「昨日の襲撃者たちが、あのカルトだというのは確かか?」


「確かじゃない、が――」


 リロイは、首を横に振った。


「あのときの連中そっくりだ。死ににくく、取り憑かれたように襲ってくる。そして狙いは、マリーナだ」

「おまえが皆殺しにしたはずなのにな」


 フレイヤはそう言って、リロイの反応を観察する。だが、返ってきたのが無反応だとわかると、彼女は少しつまらなさそうに小さく舌打ちした。


 フレイヤが言及したカルトにまつわる事件は数年前の出来事だか、それを語るには十数年ほど、時を遡らなくてはならない。


 その年、女王スカディが病により崩御した際、フレイヤの叔父に当たる人物がクーデターを起こした。

 ヴァナード王国は、女王を国家元首に据えていた。故に、王族の男性の王位継承権は低い。フレイヤの叔父――ヴェイクジールは王位継承権の末席に座っていたが、フレイヤには下に三人妹がいて、さらに従兄弟が四人いた。彼が国王になる確率はほぼないといってよかった。

そこで彼は、女性の中で最も継承権の低い、当時三歳だったマリーナを傀儡として権力の実権を握ろうと目論んだ。

 だが、マリーナを確保することができなかった。

 マリーナの父、スカディの従兄弟に当たるヘクターは、このクーデターを事前に察知してひとりの傭兵を雇った。リーグ、と名乗ったその男は、リロイと同じフリーの傭兵だったらしいが、その素性は未だに謎だ。その名前での記録は、殆ど残っていない。

 だが、凄腕だったのは確かなようだ。

ヴェイクジールの手に落ちる寸前だったマリーナを救い出し、騎士数百人の包囲網を単身突破すると、その追跡を振り切って彼女を国外脱出させたのである。


 これに激怒したヴェイクジールは、フレイヤ以外の王位継承者をすべて処刑し、彼女の命と引き換えにマリーナの身柄を求めた。

これに対しリーグは、単身、王都にもぐり込んだ。そして内通者の手引きにより王城へ侵入、ヴェイクジールら首謀者数人を斬り伏せてフレイヤを救出した。

 事実上、たったひとりの男がクーデターを壊滅させてしまったのである。


 そこから十数年、マリーナは王都に戻らず、その居場所を誰にも知られることなく市井の人間として暮らすことになった。


そして、数年前の事件に繋がる。


 彼女は父親とともに、各地を転々としながら生活していた。

 事件が起こったのは、西部小国家群の小さな町だ。

 彼女の父親ヘクターが殺害され、彼女自身も拉致された。ヘクターとマリーナには、常にブリジンガーメンの騎士が数名、警護としてついていたのだが、この凶行を止められなかった。


そこに偶然、居合わせたのが、リロイである。


 負傷しながらも生き残っていた騎士、ギニースとジリアンのふたりと協力し、襲撃者たちの拠点を発見、これを急襲してマリーナを救い出した。

 彼らは犯罪組織でもなければ、マリーナを擁して王国の簒奪を図る者たちでもなかった。


 宗教団体だ。


 ウィルヘルム派、とは大陸でもっともポピュラーで信者数も多く、ヴァナード王国の国教でもあるクライスト教団の一派――ではあるのだが、教団からは認められておらず、カルト扱いされている。

 なぜ、そんな彼らがマリーナの拉致を図ったのか、はいまだにわからない。

 フレイヤが揶揄したように、その拠点にいたウイルヘルム派の人間をリロイが皆殺しにしてしまったからだ。


 だが、アングルボザは言った。

 マリーナの生きた細胞が必要だと。

それがどんな意味なのかは、まだわからない。

ただ、身代金目当てや王位簒奪などよりも悍ましい目的があるように思えてならなかった。


「生き残りがいたってことか」


 リロイの言葉に、フレイヤは首を横に振った。


「逆だ。あれが末端だったんだよ」


 彼女の口振りからすると、ウィルヘルム派についてある程度の情報は握っているようだ。


「奴らは、正当のクライスト教団を隠れ蓑に、あらゆる場所で信者を増やしている。どれくらいいるのか、見当もつかん」

「で、依頼ってのは、そいつらを虱潰しにちゃんと皆殺しにしろってことか」


 物騒なことを平然と口にするリロイに、フレイヤはそれを歓迎するかのように両手を広げた。


「そうしてもらいたいところだが、まあ難しいだろうな」彼女はそこで少し言葉を切り、ちらりとマリーナを一瞥した。「あのクーデターの折、ヴェイクジールを唆したのもウイルヘルム派の司教たちだったらしい。根は相当深いぞ」


 そうなると、間接的にも直接的にも、ウィルヘルム派の連中はマリーナにとっての仇、というわけだ。

 だが、それを耳にしてもマリーナの表情に変化がない。

 理解していないわけではないだろう。

 フレイヤは婉曲的に言ったが、リロイはもっと直接的だ。


「親父さんの仇を取りたいか?」


 ギニースの鎚矛がわずかに動いたが、これもセーフらしい。

 マリーナは、少し困ったように笑った。


「よくわかりません」実際、直接的に彼女の父親を殺害した連中は、すでにリロイの手で始末されている。間接的、となると想像しづらいところだろう。「ただわたしも人並みに、悪いことをした人に報いがあればいい、とは思います」

「そうだよな」

 リロイは、マリーナの頭を優しくぽんぽん、と叩いた。「酷い目にあわせてやらないと、報われないよな」

 ギニースの鎚矛がリロイの尻を打ったが、思ったより威力がない。あまり馴れ馴れしくするな、という警告だろうか。


「おまえに頼みたいのは、とある教会の壊滅だ」

 フレイヤは、その内容に比して非常に事務的に告げた。「もう内定は済んでる。そこはクライスト教団を偽装した、ウィルヘルム派の巣窟だ。遠慮なく叩き潰してこい」

「それはかまわないんだが」リロイは少し、怪訝そうだ。「そもそも、どうして俺に頼む? ご自慢の騎士団を送り込めば、教会のひとつぐらいどうにでもなるだろう」

「知っての通り、我が国はクライスト教団を国教としている」


 彼女はつと椅子を半回転させ、ガラス越しに王都を見下ろした。

 ここからでも、十字架を掲げた巨大な教会が確認できる。

 王国民の過半数が信仰の深さに差はあれど信徒であり、代々の大司教は国の中枢に相談役として地位が与えられ、政治に大きな影響力を持っていた。


「だから相手がウィルヘルム派といえど、その教会をひとつ潰すとなるといろいろ根回しが必要になる」

「それが面倒で、俺ってことか」

 リロイはそれで納得したようだったが、「違う」フレイヤは、続けた。「そんな根回しなど放棄して、迅速に報復した、そしてするだけの手駒がある、と知らしめるためだ」


 彼女はまた、にやりと笑う。


 つまり彼女は、ウィルヘルム派と全面対決するに当たり、誰に喧嘩をふっかけたかを思い知らせようというのだ。


「誰がいつ、あんたの手駒になったよ」


 リロイは口ではそう言ったが、ギニースの鎚矛を喰らうまでもなく、本心から拒否しているわけではない。


「さあな」


 なぜかフレイヤは、謎めいた微笑みを浮かべた。


「そういう運命だと思って、諦めろ」

「イヤだね」


 リロイの尻を打つ鎚矛は、かなり気合いが入っていた。

 フレイヤは楽しげに含み笑いを漏らすと、「ランバート」とジュストコールの男を促した。

 彼――フレイヤと同年代と思しき男、ランバートは、リロイに一枚の名刺を手渡す。


「その店で、カイルという男に会え。彼が、教会まで案内する」

「そいつも、あんたの手駒か」


 リロイが訊くと、フレイヤは、苦みのある笑みを浮かべた。彼女にしては珍しい表情だ。


「どうかな」

 独り言のように、呟く。「あるいは――」そしてその先は続けず、鷹揚に手を振った。「迅速に、だ。わかるな」


「まかせろ」


 リロイは、にやりと笑う。

 毒しかない、笑みだ。


「速さが売りでね」


 そして、身をひるがえす。

 ドアを自ら押し開けたところで、ふとなにかを思い出したかのように立ち止まり、振り返った。


「昨日のマリーナの行動は、公表されてたか?」

「いや」

 フレイヤは、リロイがなにを言いたいのか、すぐに察したようだ。「それがなんだ?」しかし否定はせず、先を促した。

 リロイは意図したわけではなかろうが、室内の人間をぐるりと一瞥する。


「なら、身内を疑え。情報が漏れてるぞ」

「ほう」

 フレイヤは、どこか楽しげに両目を細めた。「私を裏切っている者がいる、と?」

「馬鹿な」


 そう吐き捨てたのは、ここまで言葉を発しなかったランバートだ。


「そんな不届き者は、ここにはいない」


 実直そうなその言葉に、ギニースをはじめとしてブリジンガーメンたちも首肯して同意する。

 リロイはただ、肩を竦めた。


「裏切り者なんて、どこにだっているさ」


 特に含蓄があるわけでもない、なにげない一言だ。

 ランバートやブリジンガーメンは、ただの揶揄と受け取った。

 しかし、ギニースはぎょっとしたように顔を強張らせる。

 フレイヤは、意外そうに眉を片方持ち上げた。

 マリーナは少し首を傾げて、不思議そうな面持ちになる。


 その一言に含まれていた感情――かすかな、後悔の残滓を耳朶で感じたからだ。


 リロイを知れば知るほど、そんな感情とは無縁で生きてきた、と誰もが思ってしまう。

 そんなはずは、ないのだが。


「ま、そこは好きにすればいいさ」リロイは、無自覚だ。「そっちは俺の仕事じゃないからな」


 そう言って、フレイヤの私室をあとにする。

 それに続いてすぐ、ギニースが小走りに追いかけてきた。


「ひとりで帰れるの?」

「子どもじゃないんだぞ」


 リロイは傍らに並ぶギニースをじろりと横目にしたが、彼女は小さく鼻で笑っただけだ。


   

 そして、リロイの脇腹を鎚矛で軽くつつく。


 それがなんの意味なのかわからず、リロイは困惑気味に、しかしその意図を訊こうとはしなかった。


   



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