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第三章 5

「二度は言わん」

 

 竜頭人身の戦士は、穏やかに告げた。


 その見た目とは裏腹に、言葉に荒々しさがない。


 それでいて、威厳ある重みのようなものが声色に宿っていた。


 その腕に人形の如く抱き留められているマリーナは、悲鳴を上げることもなく、まじまじと彼を見上げている。悲鳴を上げないのは、異形であれど彼に危険なものを感じていないからだろうか。


「退くのはあんたのほうさ」


 一方、アングルボザの声は固く、憤激が滲み出ていた。「その小娘を助けたとして、あんたになんの得があるって言うんだい」

「ただ、看過できぬだけだ」


 異貌の男――トゥーゲントは、背中の太刀に手をかけた。「退かぬのなら、退かせるしかあるまい」


 これにアングルボザは、忌々しげに舌打ちする。


 そこには、苛立ちと同時に、確かな畏れがあった。


「随分と勝手な言い草ですこと」


 熱い息とともに不満げな言葉を吐き出したのは、ソールだ。彼女――とマーニは、トゥーゲントが現れた時点でリロイとの戦闘を切り上げ、頭上の高い位置を占めている。


「何様のつもりか知りませんが、邪魔をしないでくださるかしら」

「君は、我らと袂を分かったはずだ」


 マーニが、妹の言葉を継ぐ。「なぜ今更、このタイミングでしゃしゃり出てきた?」


 ふたりは不快感も露わにし、小馬鹿にした口調ではあるが、明らかに最大限の警戒を払っている。だからこそリロイから距離を取り、高い位置を陣取ったのだ。


 リロイは、慌てて彼らに追撃をかけるようなことはしなかった。


 守るべきマリーナが、トゥーゲントの腕の中にいるうちは、下手に動けない。


 私はこれ幸いと、リロイの治療にとりかかった。先の展開が読めない以上、リロイを万全の状態にしておくことがなによりも肝要だ。


「袂を分かったつもりはなかったが――」トゥーゲントは、頭上の兄妹を見上げた。「そう思われても仕方ないかもしれんな」


「あなたの感慨など、どうでもよろしいのよ」


 全身にまとった炎を揺らめかせながら、ソールは呻く。「邪魔をするというのであれば、こちらこそあなたを退かせるだけですわ」

「ついに、我々の敵に回る、というわけだ」


 マーニが、口もとに挑発的な笑みを浮かべた。


 トゥーゲントはわずかに首を傾げただけで、応えない。肯定か否定か、竜の相貌から推し量ることはできなかった。


「およし、ふたりとも」


 アングルボザの顔にはまだ憤慨の色が漂っていたが、その口調には諦めが滲んでいた。


「この男は、もともとあたしらとは違うんだ。言っても詮無いことさね」

「――どういう意味ですの」


 老婆の声色からなにを感じとったのか、白い炎の中の赤い瞳が剣呑に輝く。


「どうもこうもないよ」

 アングルボザは、溜息のように息を吐いた。「ここまでさ」


「馬鹿な」


 マーニは、怒気を吐き捨てた。いまにも、眼下のトゥーゲントめがけて襲いかかりそうな勢いだ。


「冗談ではありませんわ」


 ソールはまだしも冷静だったが、紡がれる言葉は憤怒に軋んでいた。発する熱で周囲の空間を灼きながら、トゥーゲントを睨めつける。


 そして兄弟は、深紅の瞳を赫怒に煮え滾らせながら、視線を交わした。


「よしな、と言ったよ」


 アングルボザが、牽制するかのように呟いたが、止める気はないらしい。


「どうだ?」


 訊いたのは、リロイだ。


「終わった」


 私は応じる。本来、リロイの右足首ほどの損傷を治癒すればかなり体力を持って行かれるのだが、この男の無尽蔵とも思えるスタミナの前には心配は無用だ。


 リロイは、剣の柄を握り直す。


不穏な気配を感じ取り、そこへ介入する機をうかがい始めたのだ。


 マーニとソールの兄妹は、言葉を交わさなかった。


だが、示し合わせたようにトゥーゲントへと襲いかかる。


 マーニは高い位置で移動し、そこから急降下した。自身が高重力の塊となり、竜頭人身の戦士を押し潰し

にかかる。


 ソールは低い軌道で、疾駆した。間合いに飛び込むタイミングは兄とほぼ同時に見えるが、わずかに遅い。


 重力場に潰されたところを、焼き尽くす算段か。


 リロイが、身構えた。全身の筋肉が、一歩目からトップスピードに乗るために張り詰める。


 だが――動けなかった。


 二振りだ。


 私には、トゥーゲントが背中の太刀に手をかけ、引き抜くのさえ見えなかった。


 結果から言えば、マーニは独楽のように回転しながら大地に叩きつけられ、ソールは天高く打ち上げられていた。


 凄まじい剣風が、辺り一面に立ちこめていた粉塵を吹き飛ばす。


 引き抜きざまに頭上から襲いかかるマーニを叩き落とし、そこから撥ね上げた刃で飛びかかってきたソールを捉えたのだろう。


 ごく普通の迎撃方法だ。


 だが、あまりに速く、あまりに強い。


 リロイは半ば呆気に取られ、半ば見惚れる形で立ち尽くしていた。その身を叩く、トゥーゲントの斬撃が生み出した風圧は、爆風といっても差し支えない。


 マリーナの身を案じ、トゥーゲントを畏れつつも側近くで様子をうかがっていたギニースが悲鳴と一緒に後ろへ転がっていった。


 その暴風を切り裂きながら奔るのは、シルクだ。


 地面を転がるマーニは、胴が半分千切れかかっている。そこから飛び出した内臓が、あたりに散らばっていた。


 その胴を覆うように絡みついたシルクは、瞬く間に黒いラバースーツ姿を白く呑み込んでいく。


 ソールの炎と化した肉体には、物理的攻撃は効かないはずだった。


 しかし、宙を舞う彼女の腹から肩口にかけてが切断され、血ではなく赤い炎が噴出している。


 意識を失っているのか、弛緩したその身体に、やはりシルクが伸びていく。


 超高熱の炎に包まれたソールの肉体を覆い隠すシルクは、驚くべき耐火能力を発揮し、その熱ごと包み込んだ。


 リロイはそのときすでに、地を蹴っていた。


 ゥーゲントの斬撃に魅せられたのは、一瞬だ。


 いまや完全にシルクは繭となり、兄妹を保護している。そのひとつ、マーニが納められているほうへとリロイは肉薄した。


 叩きつける刃に、容赦などない。


 たとえ切断できなくとも、衝撃でその中身を打ち砕く勢いだ。


 剣身が激突すると、繭はやはり切り裂けなかったものの、大きく拉げる。斬撃を受けた中央部分はその打撃力を吸収できず、ほぼ布の厚みほどまで押し潰された。


 あれでは、中身が無事なはずもない。


 しかしリロイは、舌打ちした。


 繭を形成していたシルクが、(ほど)けていく。


 なにもない。


 確かに包み込んでいたはずのマーニが、そこにいない。


 リロイが視線を飛ばすと、その先で、ソールを覆い隠していた繭が自然と厚みを失いつつあった。


「穏便に済ませたかったんだけどねえ」


 アングルボザは、大仰に溜息をついた。


「呆けるのもいい加減にしろよ、婆」

 リロイは、頬を歪めて忌々しげに言った。「これが穏便だと? おまえの人生、めちゃくちゃかよ」

それは自分自身にも跳ね返ってくる言葉だぞ、と私は内心思ったが、言わずにおいた。


「めちゃくちゃさね」


 老婆は、ケタケタと笑った。


「想像もできないだろうよ」

「するつもりもない」


 語尾が掠れたのは、リロイが重ねるように疾走したからだ。


 ほぼ同時に――否、わずかに先んじて、シルクが広がった。


 前方の視界が、すべて白に覆われる。


 考えなしに突っ込んでいけば、切断できないシルクに押し切られ、最終的には押し切られるだろう。


 完全に包まれたとしたら、マーニたちのように消失してしまうのか。


 リロイは、急制動からの後退で凌いだ。基本は猪突猛進の馬鹿だが、明らかな危険に突っ込んでいくほど馬鹿ではない。


 突っ込まざるを得ない場合を除いて、の話だが。


 そしてその判断は、一瞬で即決だ。


 前進の速度より劣るとはいえ、後退すらも人間としては桁違いのスピードだが、少しでもためらっていたら呑み込まれていたに違いない。


 四方八方から弾丸の如く撃ち込まれる鋭利なシルクを次々に撃ち返し、速度を増すために後退から横移動へと移った。


 そこから弧を描くように駆け抜け、アングルボザへと肉薄していく。


 だが、唐突だった。


 唐突に、シルクがその力を失い、ただの布と化した。リロイが直前に打ち払ったシルクは弾かれることも巻きつくこともなく、なんの抵抗もせずに真っ二つになる。


 大量のシルクが、宙を舞った。


 リロイは足を止め、頭の上に落ちてくる布を鬱陶しそうに振り払う。


小柄な老婆がいた場所に、その姿はない。マーニたちを含めて、その気配も絶たれていた。


まんまと逃げられたわけだ。


 結果的にはアングルボザたちの目的を阻んだ形だが、街の惨状を鑑みれば必ずしも勝利とは言いがたい。


だからこそリロイも、憤懣やるかたない様子でシルクを足蹴にしているのだろう。


 そして苛立たしげな足取りで、竜頭人身の男へと近づいていく。



 すでに剣は鞘に収めているが、右手はそれをいつでも抜けるように緊張を漲らせていた。


 トゥーゲントは、近づいてくるリロイを視界の端に収めつつ、抱えていたマリーナをゆっくりと下ろす。


「怖くはなかったかな、殿下」


その厳つい相貌からは想像できないほど、優しい声色だ。


「いえ」


マリーナは、遙か高い位置にある竜頭を、怯むこともなくひたと見据えた。

 そして、深々と頭を下げる。


「お助けいただき、ありがとうございました」

「こちらこそ、すまなかった」


 なぜかトゥーゲントが、小さく頭を垂れる。その反応にマリーナが小首をかしげると、巨漢の戦士はその場に膝をつき、竜の目を笑みの形に細めた。


「子どもなどといったが、あなたは立派な淑女だ。失礼な物言いだったことを謝罪する」

「お気になさらずに。まだまだ、子どもですから」


 マリーナは、にっこり微笑む。


 まるで、姫に忠誠を誓う竜の騎士のような、どこかお伽噺めいた眺めだ。


 そこに、どうしようもなく現実的で粗暴な存在が土足で踏み混んでいく。別に私のせいではないが、なぜか申し訳なってくる。


「おまえ、何者だ」


 第一声からして、礼儀に欠けていた。


 だがまあ、トゥーゲントという人物が敵か味方か、彼の戦闘能力を考慮すれば軽はずみに決断を下すのも危険であることは確かだ。


 それに、傍若無人なのはいまに始まったことでもない。


「何者、か」


 トゥーゲントはゆっくりと立ち上がり、後ろに控えていたギニースのほうへマリーナを促しながら、独りごちた。


 リロイと対峙すると、その言葉を吟味するかのように口を閉ざし、透徹した眼差しで見据える。


「おまえは、自分が何者か、わかっているのか」やがて竜の口から放たれた言葉は、まるで哲学の命題か禅問答だった。リロイは眉根を寄せる。はぐらかされた。と感じたようだ。

「そういうおまえはどうなんだよ、蜥蜴野郎」


 あからさまに挑発的な語気だったが、トゥーゲントは微動だにしない。


 それどころか、どこか自嘲的とも思える省察の表情を浮かべた。


「求めらるるままか、欲するままか、いまだ確たる答えに辿り着けぬ不肖の身だ」

「なに言ってんだ、おまえ」


 リロイは、彼の言葉を噛み砕くこともせず、罵声を吐き捨てた。「そんなことより、その顔だろうが。おまえもあの婆たちの仲間か」


 それはつまり、〝闇の種族〟かという問いかけだ。


 状況からすれば、間違いなくそうだろう。


 しかしトゥーゲントは、ゆっくりと首を横に振った。


「おまえたちが定義する〝闇の種族〟ではない」

「なら、人間だってのか」


 そう問い返したのは、皮肉ではない。


脳裏に浮かんだのは、一体誰か。


「違う」トゥーゲントは、これも静かに否定した。そして、続ける。「自分が何者かを語るのに、それは重要ではない」

「じゃあ、なんなんだよ」


 いつもなら「ごちゃごちゃうるせえよ」と切り捨てそうなリロイが、珍しく興味を示した。


 たった二振りで見せつけた超常的な武人としての能力、そしてその異形がそうさせたのだろうか。


 しかしトゥーゲントは、その先の言葉を継がなかった。


 大きな肩をゆっくりと竦め、リロイに小さく頷きかける。


「言葉にせずとも、おまえはもうわかっているはずだ」


 これにリロイは、顔を顰めた。


「初対面のあんたに、俺のなにがわかるんだ」


 するとトゥーゲントは、凶暴な口もとにあるかなきかの微笑を浮かべた。


「初対面ならな」


 そして彼の周囲の空間が、明滅し始める。光が乱反射して躍り、竜頭人身の巨躯を包み込んでいく。


「おい、それは――」どういう意味だ、と訊こうとして、果たせない。


 トゥーゲントの姿は、微かなノイズを残して視界から消え失せてしまった。


 制止しようとでもしたのか、持ち上げた指先が空しく空を掴む。


 それを一度、握りしめると、リロイは細く息を吐き、苛立ち紛れに後頭部を掻き毟った。


 そして踵を返し、マリーナに背中を向けて歩き出す。


「リロイさん?」


マリーナが声をかけるが、リロイの足は止まらない。


「王女殿下を救ったのだから、勲章を授与される働きなのよ」


 ギニースの声が、そっとリロイの背に触れた。もちろん彼女も、リロイがそれを喜ぶような人間ではないことはよくわかっている。


 だがそれでも、そんな言葉が口を突いて出た。


それは、戦いが終わって静けさを取り戻した空気に、それでもなお漂い残る怒気のせいかもしれない。


「褒められたもんじゃないだろ」


リロイは、微苦笑を浮かべる。その手がおざなりに、周囲の惨状へ一振りされた。一体どれほどの建築物が倒壊し、一体何人の人間が命を落としたのか。


 悔やんでいるわけでも、悲しんでいるわけでもない。


 ただ、表情や声に出ない静かな怒りが、その腹腔で煮え滾っているのだ。


 ギニースとマリーナは、歩みを止めないリロイをそれ以上、引き留めようとはしなかった。


 遠くから、人の声が風に流されて届く。


 王立騎士団の警邏隊や警察、救急隊、消防などが駆けつけてきたようだ。


 リロイは、足を早める。


「ここで逃げても、どうせ捕まるぞ」


 これだけの事件に深く関わったのだから、捜査機関からすればリロイは重要参考人だ。間違いなく身柄の確保に動くだろう。


 リロイは肩を竦め、面倒くさそうに鼻を鳴らした。


「まずは飯と酒だ。あいつらに付き合ってたら、腹が減って死んじまうからな」


 意外なことに一応、今後の展開は予想したうえで、前向きに対処するらしい。


「さっさと街を出るかと思ったがな」


 私がそう言うと、リロイの顔に禍々しい笑みが浮かんだ。

 嬉々としていながら鬼気を孕む、物騒極まりない表情だ。


「ちょっと潰しておいたほうがいい奴らがいるからな」


 なるほど彼らは、自ら災厄を招き寄せてしまったようだ。


 同情は、しないがな。







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― 新着の感想 ―
[気になる点] リロイはそのときすでに、地を蹴っていた。  ゥーゲントの斬撃に魅せられたのは、一瞬だ。 トが抜けているようです。誤字報告ができない設定みたいなのでこちらで失礼します [一言] 展開…
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