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二人の場合


 「ッ!!」


 目の前に張られていた暗幕が解かれるように、キョウは唐突に意識を取り戻した。

 アキホの手を振り払い、身を引いていた。冷や汗が滲み、心臓が早鐘を打っている。すぐには状況を理解できなかった。

「……アキホ」

掠れた声が喉から絞り出された。いやに緊張しているのがわかる。数度瞬きをして、呼吸を落ち着かせる。身体が痛い。

 「アキホ、悪い。俺、何かしたか」

顔色を窺うようにそう聞き、唾を飲み込む。唇が乾いていた。

「いや。手を振り払われたのは少し驚いたけど。怪我は痛む?」

 柔和に微笑んで、アキホが言う。違和感を感じさせない言い方だったが、どこか心配そうな視線が自分に向けられているのが嫌なほどキョウに伝わった。

 平静を装うキョウと、疑念を隠すアキホ。

 互いに今までの距離感を保とうとする意思が働き、その先へ踏み込むことができない。心の臆病な部分が敏感に場の空気を濁す。

 「今日、また泊まっていく?」

「あぁ。悪いな」

互いの心境を読み合うような居心地の悪いやり取りが数度続き、すぐに室内は静寂に包まれた。

 アキホはベッドの足元に腰掛けて携帯を弄り、キョウは何をするでもなくベッドで横になっていた。一度、アキホがキョウの包帯を変えた。

 キョウは普段からしても行動の大人しい男だったが、この時は特段静かに感じられた。口を開くこともなく、いつもの荒い言動もみられなかった。

 キョウは先程の不可解を考え、頭を抱えていた。

 もしかしたらレオがアキホと会ってしまったのではないか。

 そう考えるのが一番自然だった。もしレオとアキホが会っていたのなら、二人は言葉を交わしただろうか。だとしたら、一体何を話したのか。相手がアキホである分、レオが傷つくようなことがあったとは考えにくい。レオが初対面のアキホと話そうと思ったかどうかはわからないが、恐らくレオは他人と話したがらないだろう。考えるに、俺の異常に気づいたアキホが気を使って手を伸ばしたのをレオが払ったのだろうか。レオは他人からの干渉をひどく嫌う。アキホのことも拒絶したんだろう。


 いつの間にか、時計の針は夜の10時を指し示していた。

 アキホとキョウは軽い食事を済ませ、何をするでもなく時間の進んでいく様を眺めていた。キョウの身体の痛みは大分よくなり、彼は上体を起こしていた。時折アキホに目をやり行動を観察する。その目にはいつものキョウらしからぬ不安が渦巻いていた。

 「なぁ。少し、話さないか」

決意するように、静寂に向けてそう呟く。それがアキホに向けられたものなのかレオに向けられたものなのかは酷くわかりづらかった。

「……話があるなら普通にすればいいじゃないか」

一拍の間をおいて、白々とした声でアキホが返す。

「それじゃ駄目なんだ。ちゃんと、聞いてほしい」

深く沈み込むような瞳をアキホに向けて、キョウは彼を促す。アキホはそれにゆっくりとした動作で応える。

 部屋の電気を消し、キョウの横に腰を下ろして顔を彼に向ける。それとほぼ同時に、アキホはキョウに身体を抱き寄せられた。そのまま二人でベッドに横になる。

「キョウ……」

「どうしようもなく人肌が恋しい時って、あるだろ」

軽くアキホを抱きしめて言う。まったくの抵抗を見せず、アキホはキョウの腕の中にいる。

 一時間か、三十分か。明かりのない暗い室内で正確な時間は計り得なかったが、二人は長い時間無言のままベッドの上に転がっていた。アキホはキョウが喋りだすまで話を促そうとは思わなかった。話したいことがあるなら、ゆっくりでも教えてくれればいい。時間はいくらでもある。

 浅く上下するキョウの胸に頭を寄せて心音を聞いていると、微睡みに誘われる。もしかすると彼は寝ているのではと思うほど穏やかな呼吸だった。

 「……俺、さ」

「うん」

芯の通った、聞き馴染んだ低い声が耳に届く。

「誰にも話したことがない秘密があるんだ」

「どんな」

 一呼吸、空白が置かれる。

「きっと、お前はもうわかってる」

落ち着いたテノールの低い音は、探りを含ませてアキホに問いかける。

 「君とは違う、君と同じ容姿の人のこと」

静かにそう返すと、彼が頷く気配がした。

「レオ。――それが、あいつの名前。俺の中の、もう一人の人格。俺は、俺という存在は、レオに作り出された想像でしかない。だから、俺は『偽物』なんだ。レオの心を守るために作られた、偽物の人格。レオのために存在する切り離された感情の塊。本当は、お前を抱くような資格なんてなかったんだ。俺はレオのことだけ考えて行動していればよかった。あいつのために、あいつが望んだから、俺はここにいられる。

 けど、あの日。お前に会ってから変わったんだ。お前とずっと一緒にいたいと思うようになった。レオよりも、お前の方が大事になっていた。俺はレオを愛していたはずなのに、その感情が愛じゃないことをお前に知らされた。お前のことを心から愛してしまった。最初はお遊びのつもりだった。いつの間にかそれが引っ込みのつかないことになって、俺のことを認めてくれるお前と繋がりたくて、……一人でいたくなかった」


 微かに声を掠らせながら、キョウは話す。


 「きっと俺は、レオのことが羨ましかったんだ。両親に存在を認められて、『人間』として身体を持って生まれたあいつのことが。どう足掻いても『本物』にはなれない俺と違って、まともに生きる意思を持っているかもわからないやつが『本物』であるための権利を持っているなんて不公平じゃないか。あいつが羨ましかったし、心のどこかでは、妬んでたんだ。嫉妬してた。

 それでも、俺の存在を認めてくれるのはあいつだけだったからすがりついた。あいつに頼られることだけが俺の存在理由だったから。レオのことを愛しいと思うことで、そういう汚い感情を全部隠し込んで、自分を守ってた。自分でもそんなことを思っていた事実を忘れるくらいに。

 でも、やっぱり嫌だったんだ。だからレオの身体をどうしようもなく汚してやりたくて、付き合ってたお前を利用した。レオのことを思っているフリをして、やっていることはノートを取ることくらい。あいつにとって一番いいのは気を許せる友人を作ってやることだったのに。それに気づいた上で、俺は一人でいることを望んだ。もしあいつに友人ができたら、俺のことを頼らなくかもしれない。

 そうなったら俺の人格は、きっと消える。消えなくてもずっと眠り続けることになるんだろう。そんな風にはなりたくなかった。俺は卑怯だ。あいつを救ってやることもせずにずっと心の中に閉じ込めて飼い殺してる。俺が消えないように。主人格(レオ)のために存在するはずの別人格(キョウ)主人格(レオ)を殺そうとするなんて、笑えるだろ。

 俺たち二人は、歪んでる。互いに互いを必要としながら、互いを誤魔化し合って身体を共有して生きている。そんな馬鹿な話があるわけはないのに、互いのどちらかが欠けては生きていけないと思い込んでいる。このままじゃいけないのは、わかってる。けど、どうしようもない。どうすることも、できないんだ」


 キョウの落ち着いた声が時折震えるのを感じながら、アキホは静かにそれを聞いていた。暗闇の中、キョウの表情は窺えない。


 「俺はあいつが、俺と変わる周期が早くなっている原因を理解していると思ってた。俺が理解できることをあいつが理解できないはずはないと思ってたんだ。けど違った。あいつは気づいてない。何にも気づかないフリをして殻に閉じ籠って逃げている。あいつが俺の意識を呼び出す理由を直視したくないから。

 嫌なものから逃げ出して、あいつはいつまでも心が子供のまま成長しない。人と関わろうとしないから、淋しくて淋しくて堪らない。いっそ終わらせてしまえばいいのに、死ぬ勇気もないから俺に責任のすべてを背負わせて閉じ籠る。あいつは二重人格(キョウ)に頼りすぎた。もう自分で問題を解決させようとするだけの力がない」

 アキホを抱き寄せる腕に、僅かに力が入る。それは自身の行いを悔いるようにも、片割れを叱咤するようにも感じられた。

 「もう、どうしていいのかも、わからない……」

アキホを抱きしめて言う。今にも消えてしまいそうな声は落ち着いているとは言い難く、少しだけ高くなって思えた。

「ずっと、お前を騙しているような気がしていた。いつかは話さなきゃいけないとは思ってた。拒絶されるのが怖くて、ずっと先延ばしていただけだ。……今まで黙ってて、悪かった」

繊細な細工を扱うように、柔らかくアキホを抱きしめる。キョウの鼓動は緊張したように速い。アキホの紡ぐ言葉に身構えて、身体が小さく震えていた。

 「……君が、自分の話をしてくれるとは思わなかったよ。それに、そんな創作みたいな話をされるとも思わなかった」

アキホの、どこか温かみに欠けた声がそう告げる。アキホはキョウの腕を少しの力で解いた。

 「ねぇ。キョウっていう男は、俺が知る限りこんな奴じゃないよ」

 ギシ、とベッドのスプリングが軋む。

 相手の顔も見えないような暗闇で、アキホはキョウに半身を覆い被せるようにして彼の胸の位置に片手を置いた。そっと首筋を辿り、キョウの左頬に手を添える。

「俺が知ってるキョウは、自分のことを話そうとせずに何でも自分で背負い込んで壊れてしまいそうな奴だ。俺はそれが堪らなく淋しかった。だから、キョウが自分のことを話してくれて嬉しかった。君はいつも強気でいるのに、本当はこんなに弱い人だったんだね。大丈夫。俺は君を否定しない」

 唇に触れるだけのキスをして、キョウを安心させるように額を合わせる。

「怖がることないよ。俺はキョウの話を信じる。それに、俺だって君に話してないことくらいあるよ」

あやすようにゆっくりと優しい声音が耳に心地好い。アキホは緩慢な動作で身体を起こし、キョウの髪を梳く。

 「そんなに身構えないで。君はもう少し他人に弱味を見せるべきだよ。君って、案外臆病者なんだね」

 静かに笑うアキホを、キョウは目を細めて見つめる。夜のせいか、酷く気持ちが不安定になっている。

「俺はね、キョウ。中学の時に好きだった先輩にフラれたんだ。初恋の相手が男だって自覚した時は参っちゃったよ。その先輩を信用して告白したら、優しい言葉をかけられた。けど、それは表面だけ。俺の事はすぐに学校中に知れたよ」

「その先輩が言ったのか」

「そう。きっと本人は軽い気持ちで言ったんだと思う。でも俺は辛かったなぁ。信頼してた相手に裏切られるのって、かなり傷つくんだよ。それが原因でいじめられたりもしたしね。俺、一時期は本当に酷かったんだ。それでもどうにか立ち直って高校行って、大学に通い始めて。先輩の事もあって人間不信気味でさ、広く浅く人付き合いはするけど本当に仲の良い相手っていうのがいなくて……というか、作れなかったんだ。他人が怖くて。今でも本当に仲がいいのは君くらいだ。だからレオの気持ち、少しはわかるよ。彼が何をされたとかはわからないけど、人を信用できないのは理解できる。きっと、俺たち三人は臆病者の集まりだ。傷つかない距離を保ちながら本当の意味で他人と接することができない」

 話す内にアキホの声が温度を失ったものになる。

「俺は、キョウが俺の事を好きだって告白してくれた時凄く嬉しかったんだ。最初は俺の事を貶める気でそんなこと言ったのかと思ってた。けど、君は本当に俺の事愛してくれた。感謝してる。裏切らないでくれたこと。君はお遊びのつもりだったかもしれないけど、俺は本気だった。ねぇ、キョウ。君の言う『愛』って、何なの」

 緩やかに視線をキョウに絡ませ、アキホは問いかける。

 「どうして簡単にそういうことを言えるの」

静かな声はまっすぐと通り、余韻を残して暗闇に溶けていく。

 キョウは数度瞬きをしてアキホを見つめ返す。暗さに若干慣れてきた瞳は、朧げに相手の表情を捉える。だが、今彼がどんな感情なのかわからない。アキホは自身の感情を隠すのがいやに上手い。それはきっと先ほど聞いた話の影響もあるのだろう。

 「どうして……」

おうむ返しにそう口にして、キョウは一瞬黙る。

「分からない。……執着できるものが、少ないから。俺はレオやお前にしか執着できない。自分に関する物事について、自分でもわかるくらい無関心でどうでもいいと思ってしまう。だから興味を持てたものが愛しく感じる。きっと、お前が言うのとは意味が違うかもしれない。けど俺にはその違いがわからない。愛しているとしか言いようがない」

「君は、可哀想な人だ」

憐れみを含んだ声でアキホは囁き、キョウを抱きしめるように首筋に顔を埋める。


 ――きっと俺は卑怯な男だ。

 自分の背を抱きしめる腕を感じながら、アキホは思う。

 アキホはキョウに依存している。唯一心の内を曝け出せる相手を失うのは惜しいような気がして、手離せない。



 依存されているようで、依存している。



 俺たちは心が弱いから、一人になれない。いつでも誰か他人を欲している。

 その相手は誰だっていい。

 自分に干渉してくれるなら、姿を持たない人格でも。

 自分を愛してくれるなら、歪んだ心の恋人でも。


 でも


 それではいけない。

 それでは本当に幸せにはなれない。

 心地よい幻影の中では、どんどん感覚が鈍くなっていく。

 互いに離れられなくなってしまう。

 長い時間を狭い世界の中で『何か』に怯えて生きていくのは、きっと辛い。





 もしもレオが自分の気持ちを誰かに打ち明けられていれば、キョウは生まれてこなかった。代わりにレオは外の世界と関わりを持つことができた。

 キョウが本当にレオのことを思っていれば、本当の意味でレオの役に立てたかもしれない。キョウはいつでも中途半端だった。

 アキホは、どこか諦めていた。明確な希望を持てないから、いつも少しだけ冷めていた。他人の存在を心から信用することができなかった。


 三人は不完全だった。


 足りない部分を補おうとして、寄り添った。

 アキホと出会ったのがレオであれば、二人はうまくやっていけたかもしれない。

 レオはキョウに頼りきり、キョウはアキホと求め合った。

 キョウはだんだんと疲弊していき、アキホに多くを求めるようになった。キョウはレオとの繋がりを切ろうとした。





 残されたレオは、自ら人格を否定した。

 そうすることで主人格はキョウになり、まるで最初からそうであったかのように物事はとんとんと進んでいった。

 レオの欠けた部分を埋めることは、誰もしようとしなかった。

 誰も彼を救えなかった。

医学知識なんてない




『自分』のために涙を流してくれる人は、あなたの周りに何人いますか

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