里仲という男
里仲大輔は、フロアの真ん中で背中を丸めながら要領悪く単純作業をする毬恵をちらりと確認する。
課長から「どうやら毬恵ちゃんは、お前が好みのタイプらしいぞ」とお節介を焼かれ、そこまで言うならとつい先日誘ったのだ。
大輔は結婚にはあまり興味がないし、彼女も別にいてもいなくてもいい。ただ、会社人として生きていくには、最低限の男のスペックとして、彼女や妻はいた方がいいのだろうなとぼんやり思っているぐらいだ。入社して6年。28歳という年齢は決して遅くはないけれど、平均的な家族を持とうと思うのならば、早く結婚しておいて損はない。子供をもうけ、成人したのちの人生にゆとりがあった方が、何かと楽な気がするだけだ。
大輔の家は母子家庭だ。仕事に恵まれない父親をさっさと見限って、たくましい母親が生命保険のセールスで稼ぎ、自分と姉を育ててくれた。4歳上の姉は高校を卒業してからすぐに就職し、大輔を大学に行かせるのに協力してくれた。大輔を守ってくれた母と姉に対する気持ちが強いからだろうか。昔から付き合う女の子とすぐに家族とを比べてしまう。やけに子供っぽかったり、こっちにやたら頼ってきたり、逆にわがまま言って困らせてきたり、そういう言動にウンザリして、しまいにはどうでもよくなってしまうのだ。
大輔にはこれという反抗期がなかった。友達が「クソババア」と言って母親を毛嫌いしたり、「うるせー女」と言って女兄弟を遠ざけたりしているのに全く乗っていけない。女友達との方が気楽に話ができて、粗暴な男子とは距離を置く。そんな成れの果てが今の大輔なのだ。どうしようもない父親に似たのか、背は高くて細い顎に一重の目はモテないことはない。自分からガツガツしなくても、それなりに女の子は近寄ってくるし、勝手に盛り上がって勝手に怒って離れていく。その繰り返しだった。
毬恵との約束の日、待合せ場所に現れたのは、制服姿で見慣れた彼女ではなく、7分丈のパンツに綿シャツ、首元にはシルバーのネックレスといういでたちのごく普通の女の子だった。この子と今日1日を過ごすのか。何となく気が重くなった。
何が食べたい?と聞いても、何でもいいですと答え、どこか行きたいとこある、と聞いてもお任せしますと答える。この待合せ場所にこぎつくまでの不毛なラリーを思うと、早くも大輔は後悔していた。課長がやたら盛り上がって、「毬恵ちゃん、仕事の要領はチョツト悪いけど、ああいう子はいいお嫁さんになる気がするなぁ」と無責任なセリフを投げてくるので、仕方なく誘っただけだ。
そもそもトロい子は好きではない。母と姉がちゃきちゃきしているせいか、スローなテンポの子と並んで歩くだけでも、大輔は苦労してしまう。合わせろとは言わない、せめて人並みにはなってくれ。そんな風に思うよりも先に、自分が離れればいいのだということを嫌という程思い知っている。
食事に行っても、その後行った美術館でも、しっくりこないボタンを掛け合わせようとするだけで疲れ、大輔は何かと言えば職場の話で気を紛らわせた。
「うちの会社、お節介な人多いよな、すごい干渉してくる」
「ああ、畔柳さんとか兄貴っぽいですしね」
「飲み会に行くとノリが体育会系だったりして困るんだよ。こっちはあんまり飲めないし」
「社長についていける人の方が少ないんじゃないですか、畔柳さんとかいつも食らいついてますもんね」
ねぇ、君さ。
「さっきから畔柳さんのことしか言ってないよ」
里仲は見開かれた毬恵の顔を見て安心した。自分のことをタイプなんて言ったのは、ただの勘違いだったのだろう。確かに見てくれは悪くないし、ほどほどには女にはモテる。一方、畔柳隼人は真っ黒に日焼けした肌に汗臭いタオルを首にかけた、合コン好きの酒好きオヤジで、それをタイプだと口にするには憚られたのだろう。
美術館も最後は自分のペースでゆっくり見て、出口付近のソファに座り込んでいた毬恵の横顔に「帰ろうか」と声をかけて解散した。まぁ一度誘えば課長にも言い訳ができるし、毬恵が畔柳とくっつけば自分のピエロも悪くないと言える。
ただ、自分を当て馬にしたのならばちょっと納得はいかない。あんな兄貴キャラが格好いいと本気で信じているような単純な野郎に、自分が踏み台にされた?
まぁいいか。今日は自分の大好きな鳥南蛮を母親が作ってくれるらしいし、最近男と別れたばかりの姉貴の愚痴も存分に聞いてやろう。里仲は気を取り直して、メガネの位置を直してからまたキーボードに向かった。