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聞く「私」

集団下校

Fさん(仮名)が女子高に通っていた頃の話。


夏休みまで何日もない七月のある日。


バレーボール部に所属していたFさんは、部活の練習が長引いたため、いつもより帰りが遅くなった。


本来なら体育館の後片付けはFさんたち一年生部員の仕事なのだが、病欠やらなにやらで人数が少なかったため、二年生のO先輩(仮名)も居残って手伝ってくれた。

おしゃべりで手が止まりがちな下級生たちに指示を出しつつ、O先輩ははずしたネットを畳んで手際よく片付けていく。


後輩へ対するO先輩の指導はなかなかに厳しい。

だが、体育会系の上下関係によくありがちな理不尽な仕打ちとはまるで無縁。

自他ともに厳しい公平で真面目な人だった。

なので、後輩たちには恐れられつつも、それ以上に慕われていたという。


他のコワい先輩たちもいなかったせいか、ある一年生部員がなんとはなしに先輩に聞いた。


「ところで~、O先輩の付き合ってる人って~、どんな人なんですか~?」


以前から、O先輩には彼氏がいるらしいという噂があった。

それももっともな話で、O先輩はさわやかさ溢れる健康的なスポーツ美人。さばさばした性格だし、女子だけでなく男子にも普通にモテそうなタイプだ。


「いいから、さっさと片付ける! 今日はもう残ってるのウチらだけなんだから!」


質問した女子だけでなく他の一年生たちも「え~」と不満げな大合唱。

一緒に声こそ出さなかったものの、ボールを満載にしたカゴを押していたFさんも興味津々で耳をダンボにしていた。


「じゃあ、O先輩! 今日、一緒に帰りませんか!」

「じゃあってなんだよ! ……まあ、別に、いいけどさ」


途端に今度は「わたしも!」「わたしも!」とテンションの高い輪唱が続く。

もたついていた片付け作業は、急にてきぱきと終わり、みんなは着替えるためにO先輩を囲んで部室棟へ向かう。


「あれ? F、Oさんと一緒に帰らないの?」

「うん。急いでたから、教室にカバン置いてきちゃってさ。先、帰ってて」


理科室の掃除当番に時間がかかったため、Fさんは教室に戻らず、そのまま部活に出たのであった。ちなみに最後の授業が体育だったので、ずっと体育着のままだ。

おかげで部活には間に合ったものの、結局、勉強道具で膨らんだカバンと制服を詰め込んだバッグをまた教室へ取りに行くハメになった。おまけにO先輩の彼氏話も聞けなくなり、自分のあまりの運の悪さにガックリきてしまって、なんだか疲れがどっと出る。


仕方なくFさんは、体育館から結構遠い校舎一階奥、自分の教室に一人ぼっちでとぼとぼと向かった。

とうに夜の七時を過ぎて、外は暗くなりつつある。

だが、階段踊り場の高窓からまだ差し込んでくる日の名残は、暗さのせいか、より赤い。

開け放たれてはいるが人っ子一人いない夕日に染まる生徒用玄関を横目に、Fさんは重い足取りで進み続けて、やっと教室へ辿り着いた。


O先輩やみんなはもう帰っちゃったんだろうな。


はあ、と溜息をつき、引き戸に手を掛けた。


そういえば、O先輩は校庭の脇を通った先にある裏門から帰っていたような気がする。

そして、Fさんの教室からは校庭が丸見えだった。


もしもまだ、みんながそんなに遠くまで行ってなかったら、ダッシュすれば間に合うかも!


急に元気を取り戻したFさんは、勢いよくガラガラと戸をスライドさせた。


赤い。

教室の窓の外が赤く光っている。


「……え?」


生徒用玄関から近い校門が西で、校庭側の裏門は東。

だから、教室が太陽の光に照らされるとすれば、それは朝方だ。


近所に救急車でも止まってるのかな?


Fさんはそんな風に考えながら、窓際の自分の席へ歩いて……足が止まった。

自然に目に入った外の風景が、不自然過ぎたのだ。


赤く光る柱のようなものが校庭に立っている。

人間ほどの大きさで、その数、およそ二十数本。

しかも、それが動いている。

それほど速くもないが、かといって遅くもない。

体育教師が吹くホイッスル、「ピッピッ」のリズムがちょうどぴったり合うくらい。

そのランニングじみたスピードで、校庭を斜めに横断していくのだ。

夕日のように真っ赤に光った何者か達が。


やがて、赤い柱の集団は体育館のほうへ向かい、Fさんの視界から消えた。


想像を絶する光景を前に、身体が金縛りのように硬直していたFさんだったが、それが解けると同時に今度はどっと汗が噴き出す。冷たい汗だった。


いますぐにここを飛び出して、ダッシュで家に帰りたい。


Fさんは教室を飛び出した。

開け放した引き戸の音がガラガラと大きく廊下に響く。

しかし、駆け出した身体を急ブレーキでつんのめらせて、Fさんは無理矢理に止まった。


赤く光った。先にある生徒用玄関が。

右に、左に、動いている。いくつもの赤い光が。


学校に入ってくる!? なんで!?


赤いやつらが見える前に、Fさんは急いで教室へ戻る。

今度は静かに引き戸を閉めた。

だが、さっき開けたときの音はかなり大きかった。


どうしよう! どっか、どっかに隠れる場所は――!


机の下は丸見えだし、窓際のカーテンは丈が短過ぎて足がはみ出す。

とすれば、あとは掃除用具入れのロッカー。

いや、無理だ。

牛乳を拭いたモップがクサ過ぎて。


そのとき、カラカラと引き戸を開ける音が聞こえた気がした。

だが、音はまだ遠い。


しばらくして、また引き戸の音が聞こえた。

もう間違いない。


あいつら、教室をひとつひとつ確認してる!!


もう贅沢言ってる場合じゃない。

慌てたFさんはやむなくベタ過ぎる隠れ場所に身を潜めた。


カラカラカラ……。


控え目な音を立てて戸が開き、赤い光がFさんの教室に入ってきた。


しかし、隠れ潜んだFさんの視界はあまりに限定されている。

壁や黒板を照らす光の動きくらいしか確認することが出来ない。

足音ひとつさせず、ただ赤い反射だけが例の速度で教室内の壁面を動いている。


それが不意に、ピタリと止まった。


四角く狭い空間に収まり、あまり自由に身動きが取れないFさんは、イヤな予感がした。


……バレた?


視られている。……ような、気がする。


こちらから見えない分、余計に想像力が働いてしまう。

しかも悪いほうにばかり。


頬を伝う汗が冷たい線を残して顎から落ちる。

鼓動が速く打ちすぎて、身体がガクガク震えそうになる。

音が漏れないようにと両腕で自分自身をぎゅっと抱きしめる。

その力が強過ぎて、わずかにひねった身体が内側の壁にぶつかった。


どん……。


小さな音だった。

たとえ授業中だったとしても、きっと誰も気にしない。

そんな程度の音だ。


けれど、Fさんが息を殺して隠れている教室、物音ひとつ立てない赤い光が居るこの場所で、その音はスタートをじっと待つ短距離走のピストルのように大きく響いた。


……もう駄目だ! みつかる!


「いやぁぁぁあああっ!」


叫び声を上げた。

Fさんではない誰かが、どこか別の教室で。


壁に映る赤い光が動く。

来たときと同じスピードで光が引き戸に向かう様子。

そのあと、カラカラカラ……と音がした。

律儀に閉めていったらしい。


助かった……!


Fさんは隠れ場所から這い出すと、音を立てないように注意して戸を開ける。

怖くて仕方がなかったが、顔半分だけ出してあたりを窺った。


赤い光る柱が、次々と階段から下りてくる。

角を曲がるたびに光が明滅して、遠目では救急車やパトカーのランプのように見えた。

柱たちは規則正しい間隔と速度で生徒用玄関に向かっている。


長々と続いた行進は赤い光とともに遠ざかり、ついに玄関から見えなくなった。

光る柱の集団は帰っていった、らしい。


咄嗟に逃げようかと思ったFさんだったが、悲鳴を上げた誰かのことを思い出した。

あのとき、彼女が叫ばなければ、Fさん自身もどうなっていたかわからない。

恩人である彼女を放っておくわけにはいかない。

というより、この泣きたくなるくらい得体の知れない状況では、誰かに近くに居て欲しい。

そう思うと、彼女の安否が急に不安になってくる。


一人にしないで!


Fさんは、猛ダッシュで廊下を走り、玄関からは目を逸らし、階段を一気に駆け上がった。

二階のどこかの教室で、すすり泣く声が聞こえる。

ここだ! とばかりにFさんは全力で引き戸を開けた。


「だだだ大丈夫ですかっ!」


Fさんが上擦りまくった大声で呼びかける。

すると、教室の後ろの床でうずくまっていた女生徒が「ヒッ!」と驚きの声で応えた。


「お、O先輩!?」

「……F?」


起こすのに手を貸そうとFさんが急いで近付くと、O先輩は「あーん!」と泣きじゃくりながら抱きついてきた。

なんかちょっと可愛い。

これがギャップ萌えっていうやつか。

そう思うFさんの胸から顔を上げたO先輩が、ある机を指差した。


「あ、あれ! あれ、さっきのヤツが!!」


机の上にはノートが一冊、開いたままになっていた。


落ち着いてきたO先輩を立たせて、一緒に机に近付くと二人はおそるおそるノートを見た。


   ウ ソ ツ キ


見開き二ページをでかでかと使って、太く大きく書かれた文字。

それは書いたものと同じく、やはり赤かった。


O先輩の話によると――。


バレーボール部の後輩たちと一緒に帰ったO先輩。

しかし、後輩たちが彼氏のことをしつこく聞いてくるので困ってしまう。

そのとき、部活へ行く前、友達に貸していたノートのことを都合よく思い出した。

それで、上手いこと後輩たちを言いくるめて一人で学校に戻ってきた。

そこで、自分のノートに何かを書き込んでいる赤い何者かに遭遇したのだ。

O先輩の絶叫に驚いたのか、赤い集団はぞろぞろと校舎を後にした。


「ところで、先輩……」

「……な、なんだよ、F?」

「怖いので、一緒に帰ってくれませんか?」

「うん帰る帰る! すぐ帰る! よし、一緒に帰ろう! な!」


嫌そうにノートをカバンにしまったO先輩と一緒に、教室に置いたままのFさんの荷物を取りに戻ってから、二人は赤い連中が出て行ったのと同じ玄関から急いで下校した。


「あのさ……」

帰り道、不意にO先輩が話し出した。

「実は、その、彼氏がいるっていうの、あれ、ウソなんだ」

「ええっ! そうなんですかっ!?」

「驚き過ぎだろ。いや、実をいうとさ」


半年ほど前、友達に頼まれたO先輩は、嫌々ながら他校の男子との合コンに数合わせとして参加した。案の定、面白くもなんともなかったが、そのなかの一人、やたらチャラチャラした男子に気に入られてしまったらしく、ずいぶんしつこくアプローチされたという。


「それでさ、もう付き合ってる人がいるから駄目だってウソついたんだよ」


ところが、それをどこかで耳にした別の女子連中から噂が漏れ出して、あっという間に広まった。本人に直接聞いたらよさそうなものだが、怒られそうとでも思ったのか、誰も確認をしないまま既成事実と化したという。実際、部活の仲間も誰一人聞いてこなかった。


「それからは合コンにも誘われなくなったし、まあいいかって思っててさ」

「それで、あのノートの字……ですか?」

「ウソツキ、で思い付くのってそれくらいだしな。彼氏の件はウソだったって、これからみんなにちょっとずつバラしてくわ。うん」

「じゃあ、あの赤い光の柱って、ウソを暴きに来たんでしょうか?」


それを聞いたO先輩の顔に困惑の表情が浮かぶ。


「おい、待て、F。柱ってなんだ?」

「わたし、校庭に入ってきたあいつらを見たんですよ。赤く光った柱みたいで」

「いや、お前! あれ、人間だぞ! 腕も足も別れてて、ちゃんと頭もあった! 間違いないって! 確かに真っ赤に光ってたけど、人のシルエットだったって!」


あれの進入に気付いたFさんはすぐに隠れたので、実際よくは見ていない。

だが、後から来たO先輩は違う。

直接、あれと遭ったのだ。

それもかなり近い距離で。


もう暗くなった夜道、遠くでサイレンが聞こえた。

回転する赤色灯が近くの道路に近付いてくる。

違う。あれは救急車だ。

そのまま、通り過ぎていった。赤い光とサイレンが。


「か、帰りましょう」

「そうだな。帰ろう。うん」


その夜、自分の部屋で横になったFさんは、明日の学校の準備をしてないことに気付いた。

ベッドから跳ね起きて、カバンから教科書やノートを急いで机の上に引っ張り出す。

すると、世界史のノートが、ばさりと床に落ちてしまった。

溜息をつきながら、なんとはなしに開いたままのノートを拾う。


   キョ ウ タ ク ノ ナ カ


二ページいっぱいに真っ赤な文字で殴り書きされていた。


間違いなくそれはFさんが隠れていた場所だった。


翌日、学校では早退者が続出し、まるで集団下校のようであったという。


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