勇気の告白。
携帯の着信音が流れ、僕は咄嗟に画面を確認する。
『ありさです。昨日はどうもありがとうございました!!やはり、気が済まないのでお礼をさせてください』
僕はメール文をスクロールした。
『近々、会いませんか?市村さんの都合のいい日を教えてください』
彼女のメールは、彼女らしい可愛い動物や花のデコメが使われていた。
僕はそのメールを思わず保護してしまい、何度も眺めた。
そして、こんなことをしている自分がいくらか気恥ずかしく思えた。
僕は彼女に10分程待たせてメールを送る。
『ありささん、メールありがとうございます。市村です。本当に、お礼なんていいんですけど……でもすごく嬉しいです。毎週仕事休みの日曜なら空いていますけど、大丈夫ですか?』
また、数分後に着信音が鳴る。
『日曜ですね。私も大丈夫ですよ。では、来週の日曜でお願いします。待ち合わせは、駅近くのレストランで』
まさか、彼女からお誘いが来るとは思わなかった僕は、思わず舞い上がってしまう。
今夜は眠れなくて困ることだろう……。
それからの僕は、会社モードを取り戻そうと奮闘中だった。
もちろんのこと、あの日の後、課長には散々怒られ、上司には白い目で見られた。
しかしそれも一週間も経つと、丸っきり忘れたかのようにいつも通りの対応に戻る社員たち。
僕は未だに彼女のことを思い出しては、胸に隙間風が吹くような想いだが。
家に帰ると、近所のコンビニで買ってきた弁当と紙パックのお茶を口にした。
自分の時間を作りたいのも山々だが、明日も早いので電源を入れようとしたノートパソコンを閉じる。
仕方なく後は寝るだけになり、お気に入りのCDをかけながら布団に入る。
曲が耳元を通り抜けて行く……。
いつの間にか、彼女の瞑想に入る……。
付き合えないのに彼女のことを考えるのは、ただ切なくなるだけだ。
なのに、考えてしまう。
こうして、家にいる時はふとした瞬間に彼女が現れる。
僕は、彼女の夢を見る。
夢の中では、それが夢だと気付かない。
気付いたのは、起きてからのことだ。
夢の中で、彼女が僕の隣に座っている……。
あの電車に揺られていた時のように、僕等はすごく密接していて……。
だけど不思議に、僕は緊張の一つも見せていない。
それが夢の中の話なんだから当たり前のことなんだけど、僕は不思議に思えてならなかった。
彼女と楽しそうに笑い合う僕は、まるで彼女の恋人のようで……。
今の自分に置かれた立場を考えてみれば、あり得ない話だ。
自分はこんなにも彼女が好きなんだ。
だけど、彼女は僕のことを何とも思っていない。
恋のパターンはいつも同じ。
僕だけの、片思いで終わる……。
それは、温かい春の木漏れ日が差し込む、日曜日のことだった。
僕は、約束の時間よりいくらか早く着いてしまったため、近くの大型スーパーで生活用品の買い足しをすることにした。
そのスーパーで、偶然にも彼女に居合わせたのだ。
まさか、そんなことが……と目を疑ったが、彼女の容姿を忘れるはずがない。
あんなにも好きな彼女のことなんだから。
どうやら今の状況は、彼女に気付いているのは僕の方だけらしい。
わざと彼女の近くを通って、僕の存在に気付かせるという手もあると言えばあるが、僕はそれを避けた。
買い足しは諦めて、スーパーを出よう。
そう思った矢先で、彼女に発見されてしまった。
「市村……さん??」
聞き覚えのある声の正体は、やはり、ありささん。
「あ、はいっ!ありささん」
少し不安定な返事をしてしまう僕。
「市村さんも買い足しに?だいぶ早く着いたんですね」
「はい。偶然ですね!!」
僕は、焦る様子を隠しきれずにいた。
彼女は、僕とは反対にゆったりと落ち着いている。
「じゃあ、一緒に買い物しましょうか」
僕は腕時計を確認するなり、
「本当はレストランに12時ちょっとに行ければいいなって思ってたんですけど……。少しくらい、遅れても大丈夫ですよね」と付け足した。
「はい。大丈夫です」
彼女は、携帯画面をじっと見つめて、
「あはは。私、携帯にメモしないと買うもの忘れちゃうので」
「ですよね。僕も一つだけ買い忘れちゃったっていうことがよくあります」
僕は、同意して頷く。
「あ、一緒に買い物……って言っても、それぞれ買うものは違うし、レジが終わったらまた会いましょう」
彼女が言う。
「あ、はい。分かりました!」
と言っても、僕は買うものが少ないからすぐ終わりそうだ。
シャンプーの詰替用と、今日の分の弁当、あとは飲み物だけ。
予想通り、僕は20分もかからないうちに買い物が終わる。
彼女の様子を見に行くと、まだまだ買い物が終わりそうにない様子だった。
彼女の邪魔をしちゃいけないと、少し離れた所から見守る。
彼女の動きが遅くなったと思うと、彼女は戸惑った様子だった。
僕は、衝動的に彼女の元へと歩み寄る。
「終わりましたよ。何か見つからないものでも?」
「えっ。あ、はい。あの、豆腐と野菜って同じコーナーじゃないんですか?」
僕は、豆腐のある先を指差し言った。
「えっ、違いますよ!豆腐はあっちです。来てください」
「あははっ……。すみません」
彼女が赤面しながら、僕に着いてくる。
買い物を済ませ、僕等はスーパーを後にする。
「ありがとうございました。全く、ダメですね。私は……」
「いえいえ。そんなことないですよ。ありささんは優しい方ですから」
「優しく……ないです。市村さんの方が!!」
彼女が、片手を顔の前でひらひらさせた。
「いやいや!!僕は全然……」
何だか、このままでは終わりそうになかったから、違う話を切り出す。
「ところで、ありささんの言ってたレストランって、あそこでいいんですよね?」
僕が指差した先を見ては、彼女が頷く。
「はい。あそこです。ちょうど、12時過ぎましたね。入りますか」
「はい」
高級で洒落たレストランとは少し違った、落ち着いたアットホームな雰囲気の店。
僕等は、店員に案内された席に腰を下ろす。
「ごめんなさい。オシャレな店知らなくて……。あまり出かけないもので」
向かいに座った彼女が、笑いながら言う。
「大丈夫ですよ。僕も詳しくないですし」
少し間を置いた後、
「出かけるの、好きじゃないんですか?」
「出かけるのが嫌とかいうわけではないんですけど、家でまったりしてた方が落ち着くっていうか……」
彼女は、きちんとテーブルの下で両手を揃えていた。
それは彼女の上品さが現れていた。
「そうですか。ありささんは落ち着いた雰囲気だから、想像がつきます」
僕は、納得したように頷く。
「そうですか?落ち着いてますかね……??」
彼女は照れるような様子を見せた。
「今日は私のおごりですから。遠慮せずに好きなの頼んでくださいね!!」
彼女が、凛々しい表情で言う。
僕は少し体を引いて、
「いやいや。いいですよ!僕が払いますから」
これは、こんな僕でも持つ“男のプライド”でもある。
だけど、彼女は一向に譲る様子を見せない。
じっと僕の顔を見ては、
「私がそうしたいんですから」
彼女は「ほら」と続けて、「メールでも言ったじゃないですか、お礼がしたいって」
「うーん……」
僕は言葉に詰まった後、「割り勘で。その変わり、手作り料理作ってもらいます」
「はいっ」と彼女は笑顔で言う。
僕はざっとメニューを開きながら、
「何、頼みます?」
「うーん。迷うとことですよねー……」
彼女は真剣な面持ちでメニューに目を向けている。
そんな必死になって選ばなくても……。
値段を気にしているのか、好きなものに拘りたいのか……。
あまり察しがつかないが、僕は基本何でもいいので、すぐに目に付いたものを決めてしまった。
「あの、市村さんは決まりましたか?」
彼女が言う。
「はい。いちよ……」
僕は、自信なさげに言う。
「ホントですか!何にしましたか??」
彼女は、興味深そうにメニューを見た。
「えっと、この卵焼き付きの定食メニューに」
彼女は、すぐにメニュー表から定食メニューを探す。
「いいじゃないですか。私もそれにします!!」
「えっ、僕のに合わせて大丈夫ですか?」
「私、優柔不断な者で。決められなくて困ってましたから。一緒のにしちゃいます」
彼女はクスッと笑った。
しばらくして、ウェイトレスが現れた。
「わー。美味しそうですね!!」
僕等は、テーブルに載せられたそれを、じっと見つめた。
「いただきます」
僕等は、両手を合わせる。
卵焼きを口に入れた瞬間、口一杯に広がる甘さ。
「本当に美味しいですね!!醤油がなくても食べ勧められそうです」
彼女が驚いたように言う。
醤油はすぐ近くにあったが、それをあえて取ることはなかった。
「そうですね。あと、このサラダと味噌汁もついててお得ですよね」
僕は、サラダと味噌汁を指差した。
「はいっ。あ、何か私たち、グルメリポーターみたいです」
声を揃えて二人で笑う。
そのうちに、僕が彼女より先に食べ終わる。
彼女の方は、ご飯を半分残したところで、食べるペースが落ちていた。
僕は彼女の様子を伺うように、
「もう、お腹一杯ですか??」
彼女は「はい」と笑って、
「でも、残したら勿体無いし最後までがんばって食べます」
そして、強気な様子を見せた。
やっぱり、彼女は想いやりがあって優しい性格だ。
彼女が、一生懸命ご飯を口に入れている姿を見ると、胸に熱いものが込み上げてくる。
それは、男なら当然のように思うであろう、男は女を守りたいという気持ちに当てはまるものだった。
「あの、手伝いましょうか??」
「えっ」
彼女は、口に入れようとしていたご飯を箸先で掴んだまま、こちらを呆然と見つめている。
「僕はまだ入りそうですから。手伝いますよ?」
彼女は、しばらく黙った後に首を振っては、
「ダメです!!これは私の勝負ですから。負けるわけにはいかないんです」と言った。
勝負って……。
ウェイトレスは見ているだろうか。
彼女が「卵焼き付き定食メニュー」と格闘している姿を。
僕は、ウェイトレスの姿を横目で見る。
残念ながら、お仕事に必死で客の様子は目に入っていないようだ。
僕は、思わず彼女の前で笑ってしまう。
「えっ。私、変なこと言いました??」
彼女は、キョロキョロと周りを見渡す。
「いや、その……卵焼き付き定食メニューと格闘しているありささんが面白くて」
「……」
何の返事もない彼女に、怒らせてしまったのかと不安になる。
後悔の言葉を頭の中に描いていると、彼女は黙々とご飯を食べ勧めていた。
「乾杯」
彼女は机の上にトンと、空になった器を置く。
「私は卵焼き定食メニューに勝ちましたよ!!」
「お、おめでとうございます!!」
「やった~」
両手を挙げて喜ぶ彼女は、何処か幼さを感じさせた。
落ち着いた彼女でも、あどけなさを見せることがあるんだな、と僕は思った。
ウェイトレスがお皿を下げに来る。
その時、ウェイトレスは彼女のキレイになったお皿を見ては、微笑む。
「ありがとうございました」
『こんなにも想っているのに
こんなにも想っているのに
伝えられない僕は馬鹿だよね
それでも諦めきれず夢を見る
夢の中ならすぐに会えるね』
いつしか、ノートの文面も「恋」の一言で埋まっていた。
入社したての頃は「励まし」の文字が、寂しい夜には「独り」の文字が……。
僕は、抑えられない気持ちをこのノートに書くことによって、何とか自己満足しようとしていた。
自己満足できそうにもなく、気持ちは一方通行のまま膨らむばかりだが……。
グランブルーの空に見惚れてしまいそうな快晴日に、僕は彼女との約束の元へと向かった。
3日前に、彼女に「会いたい」とメールで伝えてはいた。
もしかしたら、彼女も察しているのではないかと思う。
滅多に自分から誰かを誘うことなんてない僕だから、彼女も驚いたはずだ。
僕は、約束の10分前には目的地に着いて、彼女の到着を待っていた。
そこは、僕が小さい頃から行き慣れた公園。
近くには徒歩10分で行けるところに、僕の実家がある。
僕の住むマンションからだと、車で行っても少し遠いくらいだが、この前知った彼女のおばあちゃん宅からすれば、そう、遠くはない場所だ。
だから、僕も知っているし、彼女も知っている場所なのではないかと思い、この場所を選んだ。
何より、僕はこの公園が大好きだった。
あの鉄棒を何度も握り締めた。
だから、幼い頃の僕の手は、よく、鉄の匂いがしていた。
あの滑り台で後ろから押されて、土に顔を埋めては、涙をぐっと堪えた。
家に帰った途端に、母に抱きついては大声を挙げて泣いた。
「強くなりなさい。何もあんたは悪くない。涙は堪えなさい」
その時の母の表情は見えなかった。
言葉からして、険しい顔で語りかける想像もできる。
しかし僕が思うに、母はたぶん、微笑んでいたのかもしれない。
母の手が、僕の背中に優しく触れていたから。
そんな昔話に想いを巡らせていると、公園の入口に彼女の姿が見えた。
彼女は僕を発見するなり、小さく頭を下げて、僕の元へと小走りで駆け寄った。
「遅れましたか?丁度に来たと思ったんですけど。私、よく時間の感覚がおかしいもので……」
彼女が後から、笑い声を付け足した。
僕は時計を確認するなり、
「大丈夫ですよ。正確には1分しか遅れてません」と言った。
いや、もっと正確に言えば1分42秒だが、そんなことはどうでもいい話だ。
「そうですか……。よかった」
彼女が少しの安堵を見せる。
「はい。あの……」
彼女は髪を片方に寄せ、僕の顔をじっと見つめる。
僕は、昨夜、散々考えた言葉を喉の奥に詰まらせる。
お願いだ。詰まってないで、そのままスムーズに口から出て行ってくれ……。
これは何も秘密ごとじゃないんだから。
言わなきゃいけない言葉なんだから。
一生懸命自分を励まし、僕はその言葉を口にする。
「初めてありささんを見たとき、僕はあなたに一目惚れしました」
彼女は、驚いたように片手で口を塞ぐ。
「僕は、ありささんが好きになるような人ではないと思います」
「そんなことない」とでも言うかのように、彼女は首を振った。
「だけど」
僕は続ける。
「ありささんが隣にいてくれるなら、すごく幸せになれる気がします。もちろん、ありささんも大切にます!!」
僕は、ずっと逸していた目線を彼女に向ける。
真っ直ぐな瞳で、彼女を見つめる。
「僕は、ありささんが好きです!!」
「……」
全部の勇気を振り絞った僕に、彼女は言葉を失ったままだった。
思わず、僕も言葉に困る。
振られたってことかな……?
こういう場合、なんて返せば……。
今までありがとうございました。これからもいい友達でいてください?
彼女が鼻をすする音が聞こえる。
彼女の顔を見て、僕は目の前の光景を疑った。
彼女の目に浮かぶいくつもの涙。
「えっ、どうしたんですか??」
僕は慌てて聞く。
「うぅ……はい……。あの……わたし……」
「はい」
僕は何もかも受け入れると覚悟し、彼女の顔を真剣な瞳で見つめる。
しかし、彼女が次に発する言葉は、僕の予想とは裏腹で。
「わたし、嬉しくて……わたしのことを好きになってくれて……嬉しくって……」
「えっ」
思わず、大きな声を出してしまう。
なるべく人気が少ない時間を選んだはずだが、ちらほら人の姿が見えてくる頃になった。
人目を気にする以前に、僕は、今起きている現状を受け入れるのに必死だった。
「お願いします……。わたし、ずっとずっと一緒にいます!!」
彼女が僕を見つめる。
「市村さんと一緒にいたいです」
僕は驚きのあまり、声を出すことができなかった。
タッタッタッタッ
小さな足音が聞こえる。
「お兄ちゃん、おめでとう。可愛い彼女じゃん」
見ると、すぐ後ろに小さな男の子の姿があった。
その男の子の母親であろう女性が、苦笑いを浮かべて「あはは……すみません」と謝った。
僕と彼女は、お互い顔を合わせてクスクスと笑った。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
第三章もよろしくお願いします☆